はだしのゲン

2003年7月16日(水)鳴門市民劇場例会

あらすじ みどころ 「はだしのゲン」によせて
中沢啓治 原作・漫画家
配役 スタッフ 上演予定

はだしのゲンのちらし

あらすじ

公演パンフレットより

舞台1 ■1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、ゲンが学校に向かう途中、火の玉のような巨人な光が目の中に飛び込んできたと思った瞬間、いっさいの記憶がとだえてしまいました。広島上空にアメリカの爆撃機B29が現れて「原子爆弾」が投下されたのです。

■背中にのしかかった瓦やレンガの中から、やっとのことではい出したゲンは、夢中で自分の家に向かって走り出しました。その道々には、全身にガラスがささったり、皮膚が焼けただれたたくさんの人たちが、幽霊のように水を求めて歩いていて、まさに生き地獄!

■ゲンの家は崩れ落ち、柱や壁の下敷きになった父、姉、弟を必死に助け出そうとしましたが、火が噴き出し、肉親3人の焼死を目の前にするしかありませんでした。

舞台2 ■一瞬のうちに、約14万人の広島市民の命が奪われました。

■やがて、焼け跡の風景の中にこだまする“オギャア!”という産声…。妊娠中の母親がショックのあまり産気づき、女の子を川産したのでした。新しい生命の誕生!

■“この戦争は間違っている”と言い続けて死んでいった父親の気性を受けついで、そのあともゲンは、青麦のようにまっすぐに強い心のままに生き抜いていくのでした……



みどころ

公演ちらしより

●広がる感動の波、日本で海外で…

舞台3 ■1999年1月に文化庁国際芸術交流事業としてニューヨーク市のシルヴィ・アンド・ダニーケイ劇場での『GEN』(NY公演のタイトル)公演は、予想もしなかったほどの賛辞に包まれました。辛口で鳴るニューヨーク・タイムズの感想は、海外公演の日本の現代演感想としては、かつてない高い評価を与えてくれました。

■『はだしのゲン』の原作は、1973年から『少年ジャンプ』に連載された、作者・中沢啓治氏の自伝的漫画で、現在も日本だけではなく、各国語に翻訳されて広く世界の人びとに読みつがれている永遠のロングセラーです。舞台化にあたり、原作のエピソードをそこねることなく、木島恭が脚色し、作詞を加えてミュージカル台本にしています。

舞台4 ■1945年(昭和20年)8月6日の朝、広島上空にアメリカの爆撃機B29が飛来し「原子爆弾」が投下され、“ゲン”は父・姉・弟の焼死を目の当たりにするしかありませんでした。“ゲン”は、母と焼け跡の中で生まれた妹とともに、「この戦争は間違っている」と言い続けた父親の気性を受けついで、青麦のように真っ直ぐな心のままに生き抜いていきます。

■1999年夏は広島市、長崎県下、近畿で公演を行い、大きな反響を呼びました。日本各地から世界へ、世界から日本各地へ、“ゲン”の元気を21世紀へつなげていきます。

●ニューヨーク・タイムズ紙評(抜粋)

舞台5 ■演技、ナレーション、唄、ミーム、実写のスライド、効果充分の音響・照明を駆使して展開される。心奪われる、感動的かつ悲痛な、平和への叫びである。休憩なし1時間45分の公演は力強く、観る者をひきつける。

(By LAWRENCE VAN GELDER 1999.1.19)

※【ミーム】マイムのフランス語。パントマイ ムと違うのは、言葉を使うことです。ちなみに、日本の能が起源だと言われています。



「はだしのゲン」によせて 中沢啓治 原作・漫画家

公演パンフレットより

舞台6 ■一九四五年八月六日、午前八時十五分、広島市の中心地、六百メートル上空で原爆が炸裂した。その中心点から一、二キロ離れた舟入仲町に有る神崎(かんざき)国民学校の裏門の所で、私は被爆した。学校のコンクリート塀に寄り添って席なかったら五千度からの熱線で焼かれ、黒焦げとなって死んでいただろう。塀一枚で奇蹟的に助かったのだ。私の前に立って会話をしていた同級生の母親は、全身黒焦げとなって即死だった。一メートルの間隔が生死を分けたのだ。我が家は爆風でペシャンコに潰れ、父、姉、弟は、家の下敷になり、弟は「痛いよ〜」と泣き叫び、父は「何とかせえ〜」と怒鳴りつづけ、姉は一気に柱に押し潰され、即死だった。

■母は物干し台にいて奇蹟的に助かり、必死で父たちを助け出そうとしたが、女の力では柱はピクッとも動かず、火災が発生して我が家に燃え移り、母は平狂乱となって助けを求めたが、原爆地獄の下では、誰も助けてくれず、玄関口に座り込み、弟の下半身を抱き締め、「お母ちゃんも皆んなと一緒に死ぬ、」と泣き叫んでいた。運よく我が家の裏に住んでいた人が母を見付け、無理矢理、手を引っぱって逃げてくれた。炎上する我が家の中から、父の「何とかできんのか〜」弟の「お母ちゃん、熱い、熱いよ〜」と断水魔の声が母の耳の奥底にこびり付き、一生、消えることはなかっただろう。出産予定の母は、ショックで産気づき、路上で女の子を出産した。この赤ん坊も四か月生きのこって死んでしまった。

■私は原爆地獄の中を必死で逃げのびて、母と再会して、この世の地獄図を、見つづけていた。熱線は全身を溶かし、手、足に皮膚が一メートルも垂れ下り、幽霊の姿に変え、爆風で目玉が飛び出し、顔面に垂れ、腹が裂けて腸が二メートルも重れ下り、凄まじい姿の人々があふれた。

■以後、私は「原爆」と言う二文字を見、聞きすると、急ぐに惨状が蘇り、戦慄して「原爆」と言う文字から逃げ回った。被爆後、二十一年間生きて、母が死んだ。火葬場にて私は驚いた。母の骨は放射能に浸蝕され、残らなかったのだ。原爆は、大事な母の骨まで奪って行くのかと、私は怒りに震えた。私の作品群の中に『おれは見た』という自伝がある。その自伝を元に『はだしのゲン』が誕生した。ゲンは元気の元(ゲン)、元素の元(ゲン)、人間の元(もと)になれと、主人公に元(ゲン)と名付けた。素足で原子野を、しっかり踏み締め、二度とこの様な大地にさせんと言う願いを込めて『はだしのゲン』と題名を決定した。

■ゲンは私の分身で、家族構成も事実です。戦争と核兵器を否定し、平和を求めて力強く歩きつづけるゲンのメッセージが、一人でも多くの人々に伝われば、原作者として幸いです。


配役

田中実幸 中岡元(ゲン) 田中実幸
田中雅子 中岡君江(母) 田中雅子
大宣見輝彦 中岡大吉(父) 大宣見輝彦
広瀬彩 中岡英子(姉)
夏江
広瀬彩
西村舞 中岡進二(弟) 西村舞
本田次布 本田次布
前田昌明 (案内役) 前田昌明
林次樹 川村誠二 林次樹
勅使瓦武志 金山上等兵
アンサンブル
(交互出演)
勅使瓦武志
合田紗和子 看護婦
アンサンブル
合田紗和子
宮内宏道 吉田
アンサンブル
宮内宏道
近藤佑子 近藤隆太
アンサンブル
近藤佑子
長谷川敦央 金山上等兵
アンサンブル
(交互出演)
島川志乃

スタッフ

原作 中沢啓治
脚本・作詞・演出 木島恭
作曲 林はじめ
ミーム 西森守
制作 木山潔
美術 石井みつる
照明 森脇清治
音響 小山田昭
衣装 新井喜一
歌唱指導 山下美音子
舞台監督 香取克英
制作担当 松井伸子

上演予定

 鳴門市文化会館

 7月16日(水) 夜6:30〜

 上演時間 1時間45分 (休憩なし)

 ※約400台の無料駐車場あり    

 徳島市文化センター

 7月17日(木) 夜6:30〜

 7月18日(金) 昼1:30〜

 山川アメニティ

 7月19日(土) 昼3:30〜

 阿南市市民会館

 7月20日(日) 夜6:30〜


E-mailでのお問い合わせは        鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。