田中実幸さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問3

木山事務所「はだしのゲン」鳴門例会(2003年7月16日)に出演される田中実幸さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門)
私たちは1999年に京都公演を観させていただきました。調べてみると,京都労演で過去25年間に上演された作品280作品を対象としたアンケートの中で「はだしのゲン」が第一位を獲得していました。おめでとうございます。
 
田中(敬称略)
ありがとうございます。
 
鳴門
子供が小さい頃、学級文庫で借りてきた「はだしのゲン」を一緒に読んだのがこの作品との出会いです。全10巻を夢中で読みました。あの作品がミュージカルになるなんて…果たしてどんな風に?と期待しつつ京都公演を観ました。全体的にはモノトーンの世界、シンプルな舞台でありながら、原爆投下のシーンは爆音がすごくて照明も印象的でした。最後のシーンで2人の少年がみつける芽吹き、あの場面でのミームという表現が心に残っています。あの身体表現の方法について、特に効果的であると思う点や、演じていて難しい点などはありますか?
 
田中
身体表現による効果は、演出家が決めることですが、演じている立場では、「肉体表現」でどのように完璧に近づけるか、その訓練あるのみです。
体力は要ります。
 
鳴門
そんな体力維持のために日ごろ心がけていることはありますか?
 
田中
ミームをやる前は基礎練習をやっています。あとは、個々に、役者として必要なボイストレーニングやダンスの練習を重ねています。
 
鳴門
少年役を素晴らしく演じられていますね。少年になりきっているのがすごいと思います。
 
田中
「ゲン」の初演は子役だったのです。脚本では「なりきって」というより、「この世界を『体験すること』」と書かれています。たとえば、私の立場は「ゲン」ではなく、「『ゲン』に扮する女1」となっているのです。「その時間を『疑似体験』する」という構成になっています。役に「なりきる」なんてできないと思うのです。そもそも私は「ゲン」をやるには負い目がありました。あの時代に生きていた人とのテンションが違うということ、私は戦争を体験していない、原爆も知らないということ。戦後58年たっていますが、今尚苦しんでいる人がいます。被爆した人、被爆二世の人もいるし、海外で生活している人「ゲン」をやるにあたっては、負い目があります。自分たちにはわからないし、わかろうと思って演っても、「本当はそんなもんじゃない」と言われたら、どうしようもないです。逆に、舞台から「もらう」ことしかありませんでした。演じながら想像していくしかないのです。そのあたりが、いつもしんどいナ、と感じているのが本音ですね。
 
鳴門
京都で観たとき、本当に男の子かと思うくらいでした。動きなど、どんな工夫をされていますか?
 
田中
たとえば、「こう走ると男の子っぽい」ということを考えてやるとウソっぽくなります。「大人の考える“子供”」というのは実際とは違うことが多い。子供はすばしこいと思っているかもしれませんが、実際は、小さい子はそうではなくて不器用だったりします。一方で、気をつけて見ると、子供は興味があるほうに直線的に動きます。そういった子供の動きや価値観を、最初の1年で演出家とよくディスカッションして作品づくりをしました。「目標に向かっていくことだけを考える」、それが子供。その結果「速く」動けるのです。子供の行動には「大本(原因)」がある。脚本に「泣く」とあったとき、何故泣くのか、それをあいまいにしないで、きっかけもきちんと表現することが大切です。結果だけを表現してもダメですね。
 
鳴門
「ゲン」は特にメッセージ性が強い類の作品だと思いますが、演じる側として、「これをわかってほしいな」と思うようなことはありますか?
 
田中
難しい質問です。「ゲン」に関してはむしろ、演っている側が、観客からメッセージをもらっていると思います。最近は、インタビューを受けたり、交流会に参加させていただくことも多いのですが、その中で、あの時代のことや体験者のお話を伺うことによって、どのようにこの作品を観てもらえたのかがわかることがあります。もちろん作品のメッセージ性という事では、演出家やプロデューサーは、ちゃんとした考えをお持ちでしょうけど。
 
鳴門
生々しさを前面に出さず、観客の想像力で観てもらおうとしている作品、きれいな舞台ですよね。
 
田中
ありがとうございます。演出家に伝えます(笑)。「はだしのゲン」の原作やアニメはかなり「こわい」ものです。舞台でそれを再現しようとしても、それは無理なこと、それならやめよう、じゃあどうする?となったときに、身体表現などを使うことになったのです。これは演出家の言葉なのですが、「悲惨なものは美しく」という意図で創りました。舞台では観客に目をそむけられたら終わりです。どうやれば長く観てもらえるのか…?それは美しい舞台にするのがいいのではないかと…。
 
鳴門
ニューヨーク公演 (1999年)でマスコミのインタビューを受けた際、「戦争を知らない自分だが、うまく伝わっただろうか?」とおっしゃったときに、「Yes、 you did!」という反響があったとききました。さきほどは「負い目」があるなど、ずいぶん謙虚でいらっしゃいましたが、ちゃんと受け止められたということでは?あのときはどういうお気持ちでしたでしょうか。
 
田中
日本で報道されたニュースの内容は少しニュアンスが変わっていたのですが、本当は、あのときシカゴで大雪のため、大道具小道具が公演に間に合わず、急場をしのぎ、初日公演を迎えたのです。衣裳なども、現場で調達したTシャツと短パンだけだったり…。私にとっては初めての海外公演、さらに初めてのゲン役でした (それまではリュウタ役) から、ただでさえ不安で一杯でした。その上、トラブルが起きてしまい…。ですからレセプションの会場で、「こんなに『何もない』舞台で、ちゃんと話が伝わったかしら」という意味のことを言ったら、それに対して、わかったよ!と応えてくださったのです。「はだしのゲン」が、演劇という芸術作品としてとらえられるようにという制作者の意図があります。メッセージ性ばかりを追求している作品ではないのです。「ゲン」も他の舞台も同じだと思っています。役者は真実を伝える、単なる表現者にすぎません。
 
鳴門
木山事務所のお仕事のほかにもいろいろな劇団で芝居をされていますね。
 
田中
以前はありましたけど、ここ何年かは木山事務所公演のものがほとんどです。
 
鳴門
どんな役でも演れそうなのですが、これからやりたい役とかはありますか?めざしている役者さんはいますか?
 
田中
始めのころは、「この1本の芝居で自分が変われる」とか思ったものもありました。小劇場でやっていたころは、「おまえに何ができるんだ?」と求められ、必死で何かをやっていた感じですね。木山では、結構いろいろな役を幅広くやらせていただいています。私は不器用で、だいたいはじめの頃は全くその役ができないのです。初読み合わせもまるで苦手。作家を気落ちさせるほど下手です。何の役でも時間がかかります。「ゲン」のときも、最初の立稽古は共演者と目を合わせるのも恥ずかしくて…。何をやるにもすごい回数の練習が必要。人の何倍もやらないとダメなタイプです。そんな風なので、これから自分はどういうところへ?ということよりも今は一つ一つを、がむしゃらにやっています。
めざす役者さん、もう少し長く俳優をやっていけば、「いつかこういう人に..」という人が出てくるかもしれませんが、今は…いません。

鳴門
演劇鑑賞会は、活動を維持していくことが、現在どこもたいへん厳しい状況です。何かアドバイスやメッセージをいただけませんか。
 
田中
最近は、公演前にサークルの集まり等によんでいただいたり、講演をさせてもらう機会も増えました。どこに行っても会員数の問題が大きいことを聞かされます。例会を減らしているところもあるようです。どのように声かけをしたらいいのか、どのように「ゲン」を宣伝すればいいのかとよく尋ねられますが..。「ゲン」は8年間やっていますが、木山のような若い劇団がこんなに長期間1つの作品を続けられるということはたいへん珍しく、ほとんど奇跡的だと思っています。でも8年やってきたことで、得られることが大きかった。実際、各地から呼んでいただけないと続けられません。舞台は毎年少しずつ変化しています。続けていることで、磨かれることが多いのです。自分にとって、全国いろいろな場所でいろいろな話を聞くことができてありがたいことだと思います。「はだしのゲン」という作品に出演していなければ、こんな経験はまずできなかったでしょう。大勢の方が観にきてくれて、その一人一人がもってきてくれるものが多いのです。ご観劇後、「元気をもらった」「“生きる”喜びを感じた」etc、と感想を頂きます。皆様と熱い思いを共有していると実感します。

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。