高き彼物

鳴門市民劇場感想集

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「過ぎてば則ち改まるに憚ること勿かれ」(『論語』)という言葉がまず頭に浮かんだ。「高き彼物」とは、この人間だれしも過ちを犯すが、そのときいかに自分の非を認め改める(責任をとる)ことができるか、より高いものをめざし、志を高くもてるか、ということを問うているのだと思う。潔い生き方について考えさせてくれる作品だった。
  笑いと水を打ったような静けさと、また笑いと…めりはりの大きな芝居だが、伝えたいことが十分伝わってきた。
  高橋長英さんにぴったりの役だと感じた。役者同士のアンサンブルもとてもよかった。

新会員さんも感激していました。
  じっくりと見るおしばい、笑いあり、涙ありでした。ハッピーエンドで良かったです。

一人一人の演技のすばらしさはもちろん、皆さんの息がピッタリで、心地よいテンポで本当におもしろかった。
  私も教師をしており、いろいろ考えさせられる劇だった。
  また、ぜひ徳島へ来ていただきたい。

今回久しぶりに欠席者なしで観劇することができました。
 高尚な題名の「高き彼物」、「テーマがよかったね」とサークルの仲間達と話し合いました。理想を忘れてはいけないことを描いている楽しい舞台でした。

今回の『高き彼物』も観劇後、心洗われた様なすがすがしい心温まる気分になるほど見ごたえのある充実した内容でした。高橋長英のまじめな先生役からひょうきんなおまわりさん役までバランスの取れたすばらしい配役も我々を舞台に釘付けにした一因でもあったと思います。その内容は日常のありふれた出来事を題材にし、日々それぞれ当事者の立場で心の葛藤を持ちながら、それぞれ精一杯の善意で行動を取るのですが、ちょっとした行き違いから誤解を生み、そのためお互いの心が大きく離れたように感じ、心に大きな傷となって残ってしまう。それがあるときその誤解が解けた時に得る感動は、それぞれの善意が身にしみ筆舌に尽くしがたい心温まるものとなっていた。われわれも常々本当に真っ当に人生を生きていかねばならぬことを痛切に感じたすばらしい作品でもあった。さらに劇中の雑貨屋の店頭に当時のボンカレー、さらに店内の壁にオロナミンCとオロナイン軟膏の懐かしいポスターが貼られていたのが、徳島での上演のための配慮であったのかもしれないがその細かい配慮にも感動を覚えました。

何が高き彼物なのかと期待して観させてもらいました。そして、皆さんの演技のすごさを感じ、又、そのテーマの重さがズシリと感じさせられました。アリガトウございました。

なまりのためか、言葉が解りにくかった。

誰でも若い時過ちはあるものです。最近はこの様な事件がよくありますが、高橋長英さん演じる猪原正義先生の様な人物が一人でも多くいたら、若者たちは人生をあやまらずに成長できると思います。
  人間にはいろいろな悩み、迷い、人それぞれにあるものです。涙あり、笑いあり、美しい純真な人々の人間模様を知る舞台でした。
  題名も「高き彼物」吉野一雄氏の一首からとわかりなるほ どと思います。
  「ディシプリン」訓練、規律、しつけ、風紀懲罰、家庭のしつけ(辞書)より、今の世の中この言葉が、一番必要なのではないでしょうか。
 七名の出演者で、清流豊かな自然と緑に囲まれた田舎の様子、 純情な人たちの語り、素朴な日常生活の営みが伝わって来る舞台を作り上げているのはほんとうにステキでした。

やっぱり芝居に〃笑い〃は大切。
  悪人が出てこなくって善人ばかりの芝居はもりあがらないかなあと思っていましたが、充分でしたね。
  たのしめた、たのしめた、二時間余りでした。

マキノノゾミ氏の優れた脚本と鈴木裕美氏の演出のすばらしさに〃高き彼物〃をはっきりと感じとりました。最近で最も感動した劇でした。

おもしろかったです。皆さん芸達者ですね。
舞台右手に大村昆のオロナミンCと浪花千恵子のオロナイン軟膏の琺瑯の看板がありました。あれは徳島だからなのでしょうか。

観劇後、何かすがすがしい気持ちになった。「高き彼物」を求めまじめに生きようと考え悩んでいる姿は現在の何かいいかげんな方向に進んでいる者にとっては新鮮に感じられます。
  SLが走る大井鉄道沿線ののどかな風景が目に浮かびます。寝転がっている部屋に聞こえてくる汽笛、せみの声、夕立、窓ごしに見える石垣のひまわり…等々
  劇中ふっと静かになった一時を思い出しています。

☆最初の場面は、伏線とは言え、正直言って退屈な思いがしたが、一幕の後半からニ幕にかけて、ひき込まれていった。少年が自ら加害者だと告白し、自分自身と向き合った時、胸があつくなり、涙が出そうになった。
☆結末はありえないような事実がストーリーをもりあげて面白くしていた。
☆深刻な場面の中にコミカルな場面を入れていたのがよかった。
☆ひょうひょうとしたおじいちゃんの演技にエールを送りたい。

「高き彼物」。タイトルは難しそうだったけれど、いやいやこれが、とても楽しい。
  笑わせる場面もあり、涙を誘う場面もあり、最後にどんでん返しありの、楽しい舞台でした。
  高き彼物の意味は、お芝居の中でははっきりと教えてくれなかったけれど、私たちがお芝居を通じて感じたことが答えなのかもしれません。

ただ、残念だったのはせりふが聞きにくかったことと、携帯電話の音がしたこと。携帯電話の音は、舞台に集中している人たちのジャマになるし、何よりも、一生懸命に演じている俳優さん方に対して失礼です。いつも、開演前に「携帯電話の電源を切ってください」とアナウンスがあるのですから、それをちゃんと守って欲しいと思いました。鳴門に来られた俳優さん達に、「鳴門市民劇場の人は、マナーが良くて、舞 台も盛り上がって、良かったな」と思って欲しいですから。

高橋長英さん演ずる先生の人間模様がだんだんわかるうち胸が熱くなり、今の時代に一人でも多くこんな先生がいてほしいと思いました。

派手さとか、躍動的なお芝居ではなかったけれども、上演後の胸の中に温かさやさわやかさがじわっと出てくる感じで、心のリフレッシュが出来た感じです。

期待どおりの舞台だった。人のさまざまな生き方を、自分の人生と照らしあわせて、考える場だった。いろいろと失敗もあるし、不運ということもあるが、それらのことを乗り越えて生きてきた。人を許すこと、寛大な心で前向きに、本当に元気が出る芝居だった。
  セリフが細かい部分が聞きとりにくく、早口だったことが残念でした。席の関係でしょうか、会場の問題でしょうか。

何かのことで誰しも心に傷を負うことがありますが、打ちひしがれず「高き彼物」を忘れず、前向きの指向で生きてゆきたいと思いました。題名だけからはどんな内容かイメージが湧きませんでしたが、舞台にどんどん引き込まれてゆき思わぬ展開となり素晴らしい演劇でした。
  役者さんに花束贈呈と握手することができ最高でした。

期待していなかった作品だけに展開のおもしろさに後半は息をころして見入りました。(少々セリフが聞き取りずらい部分もありましたが)
  現在の教育界の人々にぜひ見てもらいたい作品だと思いま した。

聞きとりにくい場面もあった。
  おじいさんの存在が何かホッとする空間だった。

「高き彼物」例会の後に
  正直言って、私、またまた、いつもの悔いと反省をかみ締めています。それは、市民劇場創立以来、何度くりかえしたことかと思われる後悔、「ああこんな良い作品と判っていたら、もっともっと多くの人に勧めるのだったのに、」という悔いです。会員拡大のためのサークル活動、一生懸命取り組んでいながら、観るまで判らない、劇団の素晴らしい演劇創造への努力の成果。
  私は、まだまだ劇団を心から信頼できていないのでしょうか。そんな筈はないと、言い返しながら、やはり、こんな反省をかみ締めなければならないと言う事は……。
  マキノ・ノゾミという人、NHK朝のドラマ「まんてん」の作者としか知らない不勉強さもさる事ながら、自身の事前学習のおそまつさに、いまさら忸怩たる思いです。
  脚本家の才能がひかる作品でもありましたが、ドラマツルギーテクニックを超えた、作者の哲学が粒選りの演技者によって、すごく生かされていたことも、異論のないところでしょう。作者の哲学、人間というものの素晴らしさ、数々の弱点を持ちながらもひたむきに功利をすてて生きる人間賛歌、作者と演出・演技者が力を合わせて盛り上げ謳いあげる舞台に、共感と感動の渦の輪を盛り上げる事に加わっていった市 民劇場の会員たちも、しっかり舞台芸術のささえ手として、たのもしい存在感を示していたのを実感できました。
 手放しの賛歌みたいですが、気になったこともありました。それは、多分、意見の別れるところかも知れませんが、やはり、男性の同性愛の事です。外国では同性愛者の権利が認められる時世と言う事もあるようですが、どうしても変態性欲、異常性から、正常?者の感覚からは、受入れ難いものがあります。不潔、異常、これらの事が、単なる趣味嗜好の問題として受け入れられないのは、それが種の保存という役割を担っている性の本質と言う事とともに、男女関係の乱れ、特に退廃的な人間関係のなかから発生しているように見える事からもいえるのではないでしょうか。
  そこから、あのような事についての、抜き難い拒絶反応が観賞者の側に多くあるとすれば、演劇の主題に取り上げる事の是非が問われる事になっても致し方ないのかも知れません。これは、きっと合評会でも、議論になる事かも知れません。無論、作者にとってそれは、計算済みのことかも知れませんが…。

爽やかな一陣の風を感じました。
  その後の「高き彼物」も観たいと思いました。私にとっての彼物は、天上の絵空事でなく、今こうして在ること(Dasein)。悩み、苦しみ、泣き、笑いの毎日が、自分や自分を取りまくモノたちが、高き◯◯です。

予想としては、少し暗いのかと思っていましたが、笑いもあり、涙あり、人間の生き方について考えさせられました。

おもしろかった、一人一人すばらしいし、メロン、メロン…よかった。

吉野秀雄の歌から題名がきているとのことであるが劇の内容と「高き彼物」の結びつきが、今一つ理解し難った。
  心に傷を負った少年が同じく過去に心に傷を持つ元教師と家族とのふれあいの中で過去が明かされ、ハッピーエンド的な結末に、すがすがしいものを感じた。
  場面の変化はないが人物の往来で時の経過を感じさせる舞台装置に感心した。
  元教師の父親役の役者は存在感がピカ一であった。

今回、台本を読んでいたので、いつも以上に楽しみでした。
  人のことを思いやる暖かい人達でとてもよかったと思います。
  毎回、ステキな舞台楽しく見させて頂いてますが、なかなか、携帯電話のマナーがよくならないですね。さみしく、そして出演者の方たちに申し訳なく思います。

再び、台本を読みたくなりました。人が演じると台本の言葉のひとつひとつに温かい血が流れますね。

前半は眠くなったけど、後半はドキッとして芝居の内容がわかって感動しました。
  高橋長英の味のある演技がよかったです。

はじめのうちはストーリーに起伏がなく、疲れもあってうつら、うつら。でも劇が進むほどに面白くなった。
  善人ばかりの人物でさわやかなムードであった。
  人としての高き誇りを持ち純粋であることを考えさせられたいいお芝居でした。

ちょっと重いエピソードをユーモアで包み笑いながら考える楽しい劇でした。
  テレビや受話器等に、もう少しゆったり時の流れていた昭和をなつかしく思いました。

二時間のお芝居の中に親と子、先生と生徒、友達、人と人のつながりが自然に描かれていると思いました。親の秘密が娘にばれてしまったことが小さい時でなく物事のわかる大人の女性として聞けたことを素直に見ることができました。(性問題だったことにはちょっとびっくりしました。)その教え子が娘の婚約者として、人の縁とは不思議な物ですね。

高き彼物
あの時代…
挫折感、絶望感、互いの傷を舐めあう…
昔よく使っていた言葉だ。ちょっとよみがえってきた!
今はこんな自分だけれど…志はもっているんだと…

社会の中で自分を確かめあえた時代
でも、時代に振り回されていることには、気がつかないでいた……

いつかは希望の光が、ということか。少しは見えていた。見えそうな気がした時代

マキノノゾミは、「元気だそうよ。」と私たちにエールを送っているように見えた。

時は移りゆきても、たくましく生きていくものもいる。
いくども荒波を乗り越えてきた老人(祖父)だ。彼は時代そのものである。

心の傷をいやしてあげたり、倒れそうな人を助けてあげられるのは、立派な態度や、高いところからの強い言葉ではなくて、同じ目線に立ってあげられること、共感できること、そして何より…みんな同じ弱さを持っているんだってさらけ出してあげることかもしれないんです。
  お芝居なので当然、「そりゃないだろ…」って誇張も一杯でしたが、でもなんかそのへんにいそうな人たちがこんな風にほほえましくドタバタするお話…とても好きです。笑いとシリアスの振幅の大きさも楽しめました。

楽しい夜を有難うご座いました。

よかったです。でも少し声がききとりにくかった。

軽みと重みのバランスが絶妙だったように思います。
  やはり舞台はよいですね!


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