高橋長英さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問4

俳優座劇場「高き彼物」鳴門例会(2003年10月17日)に出演される高橋長英さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門)
四国各地を回ってこられての印象、手ごたえはいかがでしょうか。
 
高橋(敬称略)
四国の前に静岡県内を回ったのですが、そこでは、劇中の方言が観客の方々にとって自分たちの言葉に近かったためでしょうか、ずいぶん反応がよかったですね。町内の光景をみているような感じだったのでしょう。すぐに芝居の中に入ってきてくれた気がします。最初の台詞が出ただけで、「わあー」っという盛り上がりがありました。もっとも、伊豆地方などはまた違った方言なんですけどね。そういうことを考えると、四国ではちょっと反応は違うのだろうと予想していましたが、やはり劇の前半で方言がたくさん出てくるところでは、しーんとしていて、少し戸惑いがありました。やはり観客の反応がいい方が役者はラクになれます。一体感がある感じですね。それでも、これまで、高知〜須崎〜徳島と回ってきて、だいぶ慣れてきました。最後にはすごくいい拍手をもらえて、芝居に寄せてくれる想いはあるんだな、と嬉しい気持ちです。交流会でも、「よかった」と言ってくれまして、ひと安心しています。
 
鳴門
横浜のご出身なので、近隣の県である静岡弁に違和感はなかったですか?
 
高橋
今も横浜に住んでいます。台本をもらって意味がわからない言葉はなかったですね。語尾が少し違うくらいです。でも徳島では「外国語を聞いているみたいだ」といわれましたよ。日本には標準語があり、ここで使われている方言は、その標準語をはさんで、関西の言葉とは反対側にある言葉なので、わからなかったのでしょうか。また芝居の前半はテンポも速いので溶け込めないということもあったのかもしれません。
 
鳴門
私は静岡県に住んでいたことがあるのですが、静岡県の県民性は、特に近隣の横浜などと比較するとずいぶん穏やかであるように感じていました。
 
高橋
マキノさんが描かれたこの作品の世界は特にそういう感じになっています。出てくる人たちはみんないい人ばかりという…。のんびり、ひなたぼっこしているような印象を受けます。台本を読んだときに、何か懐かしいような感じがしたものです。
 
鳴門
私は50代なので、この作品に描かれている時代が理解でき、作品に描かれている世界も共感できる気がしますが、今の若者たちにとっては、自分たちの世界と違っているので少しわかりにくいことがあるようにも思いますが。
 
高橋
今は、たとえば小学生が事件を起こしたりして、一種異常な世の中になっていますね。時代が違っており、この作品に描かれたような (純粋な) 話は、もしかしたら今の若い人たちには滑稽に見えるかもしれません。逆にいえば、それだけ今の世の中が病んでいるのかもしれませんね。自分自身を振り返っても世の中でいろいろなことがありすぎて、もはや、よほどのことがない限り驚かなくなってしまっています。
 
鳴門
高橋さんが演じられる猪原先生の生き方に、非常に共感を覚えます。
 
高橋
今は「良心」などという言葉が笑われる時代かもしれません。演じている自分自身も猪原先生のような生き方はできないと思っています。世界中で何万人の子供たちが死んでいっているような状況にも、知らん顔しているような異常な世界…。大人が異常なので子供もゆがんでいくのかもしれませんね。
 
鳴門
最近は自殺者、特に中高年の自殺者がたいへん増えているとききますね。
 
高橋
もちろんがんばっている大人たちも多いのでしょうけれど…。こういう芝居はもしかしたら単なるおとぎ話、甘っちょろいと言われるかもしれない、また自分もそう感じることがありますが、でもこんな世の中だからこそ、こういう話もあってもいいのかなと思っているんです。
 
鳴門
高橋さんは役者として舞台以外にもいろいろなご活動をされていて、とても情熱を感じます。たとえば、横浜で大道芝居などもされていますね。
 
高橋
やっています。去年、今年は最後まで付き合うことができなかったのですが、お手伝いしました。8年間くらい続いているのです。おもしろいから続いているのでしょうね。世代も、職業などもまったく異なる人たち、それこそ子供から高齢者までの素人が集まって、2週間ほどで1つのいわゆるドタバタ劇を作っていきます。野外なので、雨が降ると中止になりますし、いろいろな意味で面白みがあります。役者も、他の職業同様、「仕事」になると苦痛ばかりになるものですが、趣味だと楽しいんですね。素人のみなさんがとても楽しくやっていられるのを見ると、芝居って楽しいものなんだと改めて気づかされるのです。
 
鳴門
徳島では、「上海ムーン」、「日暮町風土記」に続いて3度目の公演ですが、どの作品で演じられた役も、高橋さんにはたいへんぴったりな役のように思え、存在感が大きいと感じています。
 
高橋
そう言っていただけるのはありがたいですが、本当のところは、舞台で心底楽しめる人というのは少ないのではないでしょうか。役者だけでなく、脚本家などでも同様で、あの井上ひさし氏でさえ、書き終えたあとはげっそりとしていますよね。ものを「創る」ということはそれだけたいへんなことです。たとえば画家などにしてもたいへん苦しいのではないかと思います。何でも職業になると苦しいものです。その中で、いかに楽しむか、ということですね。そういう風に意識的に変えていかなければならないとは思っています。
 
鳴門
仕事に懸命になればなるほど苦しいのでしょうね。
 
高橋
そうですね。天才といわれるイチローですらそのようですね。楽しいときは一瞬です。役者にも天才はいますが、そんな人でも苦しいときは苦しいのだろうと思います。たとえば本番5分前まで花札などをやっていて、本番になるときっちり切り替えられるような役者もいますが、それはその人なりのリラックスの仕方なのかもしれませんし。
でも、泳げない人は、いつまでも浮き輪に頼っているといつになっても泳げるようにはならないのと同様、いつかはそうしないといけない(頼るものを捨てて切り替える)と思っています。難しいですけれど。どんな人も必死にやっています。
 
鳴門
どの仕事にもプロ性が求められる時代でたいへんですね。本番前のジンクスなどはありますか?
 
高橋
特にはありませんが…。スッポンポンでやってみたいな、と思うようなことはあります。「準備」を捨ててまっさらな気持ちでステージに出て行きたいんです。それができない限り、ダメだと自分では思っています。

鳴門
苦しい中にも幸せややりがいを感じるときはありますか?どんなときですか?
 
高橋
やっぱり、今言ったようなスッポンポンの気もちで出て行けたときでしょうか。ほかの役者さんの演技を見ているとき、たとえば台詞をトチっていても素敵な役者というのはいます。つい「準備」をしてしまいますが、それはよくないと思っているのです。
 
鳴門
この芝居では最後に猪原先生の長い独白がありますね。いわば謎解きの部分だし、観客が集中するところです。あのシーンを演じられるときのお気持ちは?
 
高橋
あのシーンは、そのときそのときを生き、瞬間瞬間を生きる感じで演じていますね。禅でいう悟りの境地に近いような感じでしょうか。
 
鳴門
最後になりましたが、鳴門市民劇場の会員にひとことメッセージをお願いできますでしょうか。
 
高橋
熱心に観ていてくださっているのがよくわかります。全国的にどこでも同じで、会員が減少、高齢化しているようですけれど、若い人たちにもっと観ていただいて、若い人も増えてほしいと思いますね。

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。