雁の寺

鳴門市民劇場感想集

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舞台写真 撮影=谷古宇正彦
撮影=谷古宇正彦

京都での見学が大変良く、今日の観劇も見ていて親しみを持ちながら見ました。

少し暗めな題材だったせいか、高橋惠子さんの演技力と美しさが一段と際立っていて作品に締りがあり、素晴らしい作品に仕上がっていたと思いました。

雁の寺』は本当に素晴らしかったです。水上勉の作品は暗いイメージがあり、どのように表現するのか興味しんしんと見せていただいたのですが、深層心理をみごとに表現しきったすばらしい作品でした。理想と現実、本音と建て前のギャップを純真な慈念の心の動きとしてとらえ、純真さ故にそのギャップを理解し消化する事ができずに、バランスをとるため池の鯉を捕らえ食し、最後は和尚まで殺してしまい、やっ と現実というか、俗世に戻れるという内容をあの小さな舞台を使って我々に切々と訴えていたすばらしい作品でした。
二時間五十五分が本当にあっという間で、まだ余韻が残っています。

個人的にはあまり好きでない暗いお芝居だったけど舞台に引き込まれるような感じがするくらい、力の入った演技でよかったと思います。
高橋惠子さんが遠目にも本当に美しかったです。

一人入会で前席で観させて頂きました。とても良かったです、と同時に「原作本が読んでみたいね」と友人と話しました。

無垢な少年僧がさまざまな現実を知り、目覚め成長すると同時に解決できない苦悩へと追いつめられいくさまが、悲しく印象的でした。大人になる過程の中でどうにも処理しきれない矛盾が、少年を破滅的行為に追いやってしまうことは、環境・時代を超えた普遍的な事象であり、いまの若者たちのことも胸に去来して切ない気持ちになりました。
高橋惠子サンはもちろん、したたるようないいオンナで、それはそれで圧巻でしたが、私の中では慈念のテーマに彩りを与えてくれたような存在に思えました。

一寸後味の悪い怨念さを感じるものでしたが、作者の体験した修行生活がモデルと言うこともあり、禅宗の理念と現世の矛盾を感じるには納得できるものでした。慈海の声と演技すばらしかった様に思います。
舞台装置の工夫もよかったです。

高橋惠子さんの演技に圧倒されました。声もよく聞こえ、情緒あふれる演技、さすがですね。テレビで観るのとはまた違った雰囲気を味わいました。結末はどうなるのかとはらはらしましたが『ごぜ』になったのは驚きです。

芝居の醍醐味をじゅうぶんに堪能しました。長時間でしたが、時の経つのを忘れるくらい舞台に引き込まれていきました。ストーリーの展開も面白かったのですが、三人の役者さんの熱演は本当に素晴らしかった。特に高橋さんの美しさに魅せられた会員さんが多かったようです。
水上勉さんの原作は以前に読みましたが、演劇として上演されると、又違ったニュアンスがあることは、今回新発見でした。文章だけで想像した主人公の人間像と、心の葛藤の多い内容だけに舞台で再現される演劇という世界の人物像の違いを感じ、あらためて、演劇の魅力を再認識しました。演劇の世界のファンタジックな魔法にかかったようでした。
最後列という座席でしたが、セリフも大変よく聞こえ、あの回り舞台のすごさに感動しました。一回だけの上演でこわされていくのかと思うと、「勿体ない」と思ったのは私だけでしょうか。せめて昼夜二回公演が夢ですね。

舞台がすすむにつれて、慈念のことばでは言い尽くせないところの悩みや想いが伝わってきた。
最終シーンは以前観劇した「はなれ瞽女おりん」がダブっていた。
またまた「地人会」のファンになりました。

はた目から見ると坊主というのは奇妙な仕事ですな。二幕目冒頭の「三周忌」というセリフは「三回忌」の間違いでしょうね。

高橋惠子さんのリンとした美しさと、皆様のすばらしい演技で見ごたえのあるお芝居をみせていただき感動いたしました。

作品の良さと高橋惠子さん他の演技にひき込まれ、とても良 かった。

高橋惠子さんの演技には素晴らしいの一言!!知らぬうちに物語の中にすいこまれていった気がした。でもひとつ、慈念は何故慈海を殺したのか?厳しいしつけにいかりをぶつけたのか、里子を自分のものにしたかったのか?あらすじに目を通していないので、わからなかった。

高橋惠子さんステキでした。前の席で幸せでした。

作品の奥深さも良かったけど、高橋さんのしっとりした動作、あでやかさが心に残りました。

お三方の芸のうまさに感心しました。

高橋惠子の演技がとてもすばらしかった。

悲しい物語でしたが、照明・音響も含め、心に残りました。良かったです。

水上勉の作品は暗いので余り好きではないのですが、今回は久しぶりの文学作品の舞台ということもあって、楽しませてもらいました。

舞台になった昭和八年は自分が生まれた年、まだまだあのように貧しく悲しい世界が存在した時代であったことが、身体の中で無意識の記憶としてよびさまされる気もして、苦しい思いもありましたが、それ以上に作品の深さ、演出 ・ 演技のすばらしさに魅きこまれ、たいへん感動しました。

舞台からお香の匂いがただよってきたような(気のせいかも)。こんな臨場感はテレビでは無理だなと、しみじみ思いつつ観ました。

シリアスな内容の中に高橋惠子さんの迫真の演技が生かされ、これまでの作品の中で最も良いものだと感じました。

生母を知らぬ少年捨吉は口べらしのために寺に入門、与えられた名は慈念、毎日過酷な日常にたえていたが、老僧慈海の妻になった美しくてやさしい里子に母の姿を重ねてゆく。そのうちだんだんと慈海を憎むようになり、そして殺してしまう慈念の心情がとてもあわれで、かわいそうでならない。

サスペンスはサスペンスのまま、謎解きはしないでほしかった。
禅寺の日常がおもしろかった。

今回はまず感じたのは台詞が大変よく聞こえたということです。(座席ての16、少し横詰できた)
回転式の舞台も斬新で良かった。
慈念少年が里子に母の面影を感じ、そして惹かれていく様子とか、又里子が少年を思う心の変化等、とてもリアルに演じられていて本物の芝居に出会ったような気がしました。

久しぶりの大舞台でした。華も実もあるほんとうにすばらしいものを見せていただきました。
里子役の高橋惠子さん、慈海と慈念とのからみ、女の性と母の性、どちらも美しく着物を着た内にひめた妖艶な色気、立ちふるまいの品のある身のこなし、瞽女になった姿にもオーラを感じました。
舞台装置もすばらしいけど暗転の中で仕事をする裏方さんもたいへんと思います。
雪州役の仲恭司さんの一人で坊さんの着付けをされたのに感心しました。たいへん勉強になりました。
地方でこんな舞台はなかなか見られません。すばらしい夜でした。

大変よかった。舞台の上では今までにない色っぽい作品で楽しませていただきました。

人の心の深い情がとてもよく表現されていて感動しました。
慈念ほどではないにしても、生まれながらに重い運命を持っている人もいることと思います。慈念の心情にはとても同情できました。
里子の優しさは禅の修業をつんだ僧の教えにまさる人間の美しさだと思い感動しました。

真っ暗な舞台の中から何が出てくるのか、効果音の高い、音楽もこの後に何か起こりそうな怖い感じが良く出ていました。
人間の弱さ、煩悩、慈愛又は非情なまでの冷酷な心の闇、そんな暗い雰囲気の芝居の中で唯一目を奪うのが桐原里子役の高橋惠子さんの儚い美しさでした。
何か考えさせられた芝居でした。又お会いする日が来るのを楽しみにしています。

今までにない観劇でした。身を乗り出して観てしまいました。
和尚さんの比類のうまさと慈念さんの陰の演技、すごいサスペンスでした。
里子の美しさ、良かったです。

何ともいえない心境です。感動でもなく感心でもなく言い表せない虚無感というか、あっけにとられて言葉もでません。前回とは全く異なる題目なので、比べることはおかしいことですが「キュリー夫人」が軽薄に思えてなりませんでした。ほっとくと、のめりこんでしまって胸が苦しくなるので時々冷めた目をもちながら見ないといけませんでした。それだけあまりにもリアルでこわかったくらいです。あまりにも慈念≠ニいう人間の人間性に人間不信というか、人が嫌いになりそうな気持ちとそんな人間に創られてしまったという過程と事実にかなしみさえ覚え涙が出そうでこらえるのに大変でした。これが「演劇かぁ」という言葉につきるような気がします。
みなさん、それぞれの演技にのめりこみましたし、私が言うのはおかしな事ですが本当にすごいの一言です。もちろん高橋惠子さんってすごい!それよりわたしは慈念に見入ってしまって、あまりの大きさに心から離れそうもありません。
最後にこれは事実であったかのように思えてならず、こわかったので一言、役ではないそれぞれの皆さんの声が聞きたかったです。そうしないとこの演劇にふんぎりがつきそうになくて夢に出そうで怖いです。これが直木賞?なぜ?どこがどういう評価なのでしょう…。

劇中の里子の理性のなさが気になりましたが、演じる高橋惠子さんの美しさに目をうばわれました。

幕間なしの移動で早変わりする舞台や、廻り舞台、照明をうまく利用した部屋、舞台の下段、縁の下や上段に浮かぶ佛像の表情が柔和に浮かんだり、荘厳に見えたり幻想的でした。
俳優さんの芸が細かく、先日観劇した新橋演舞場のスーパー歌舞伎の延長のようでした。
いねむる間がなかった♀Fさんの声でした。

黒柳徹子さんの年令を感じさせない美しさとパワーに感動しました。芸能活動の他にボランティアもこなし、バイタリティーあふれる活躍に頭が下がる思いです。私達もあんな風に年をとりたいものだと帰りの車の中で大いに話がはずみました

「過ぎたるは…」
芝居らしいという意味では◎
演出としては慈念が慈海を殺すシーンや最後の瞽女を尋ねるシーンは、ないほうがベター。観客の想像に任すという手の方が興趣を湧かせます。観客をもっと信頼してほしいと感じました。
二年ぶりの再演、それもここ鳴門が初日とのこと。演出家の木村光一さんはじめ役者、裏方の皆さん、ご苦労様でした。

人の心の表裏がはっきり見えて、とても人間がいやになりました。慈念の傷ついた心はどうすればいやされるのでしょうか?また里子の生き方をみていて、今の女の人はずいぶんたくましくなったと感じます。でも里子の優しさは忘れないように残したいものですね。

大変よかった。解りやすく、美しく最高でした。

徳島で観劇しました。遠方の鳴門からきたかいがありました。

水上勉の傑作・前に読んだことがあり、たいへん楽しみにしていた作品です。
高橋さんの持つ母性的雰囲気が里子役にぴったりで、すごく色気を感じました。どうして老僧慈海の突然の行方不明?幕が下りました。舞台装置もすばらしかった。
最後が尻切れとんぼの様に思った。

久方ぶりにサークル全員そろって観劇できて大変良かった。
水上勉文学は有名ではあるが、原作をじっくり読んでいなかったので、理解できるかと不安であったが、例会ニュースや機関紙のおかげで、また何よりも実際に主役の三人の芸達者な舞台展開で水上文学の世界にひたれた感がした。事前学習のツアーに参加できていたら、なお感激が深まったことだろう。
禅寺の厳しさ、慈念への慈海の教育が仏道の厳しさだけでないように思われ、宗教人(禅者)の生活は仏への帰依だけではないのか、愛人を囲うなどの俗世間のことと同じようなことをして…と舞台中央に掲げられた「本来無一物」の軸が空しく見えた。
ミュージカルや一幕物のユーモアある喜劇もいいが重厚な二幕物の「お芝居」を「観劇した」という充実感があった。

入会して初めてなので感動いたしました。

内容がむずかしかった。

暗いテーマの作品でしたが、意外とすんなりと受け入れることができて、共感できる場面が多かったように思います。
庫裏にかかっていたお軸「本来無一物」がとても印象的でした。
そして、なにより高橋惠子さんに圧倒されました。よかったです。久しぶりにパンフレットが欲しいなあと思いました。
私はち列でしたが、声もよく聞こえて楽しめました。

当日の花束贈呈

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