怒りの葡萄

鳴門市民劇場感想集

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悲惨な物語りなのに大勢の役者さんがそれぞれの役を精一杯やってて、又幕間の生演奏などその演技に見とれ、臨場感にあっという間に終わりました。

前半は内容が入り組んでいるみたいでわかりにくく、後半には見ていた人が後の方が半分弱帰っていました。
  でも後半から舞台の下から本当に水が出てきたり、ピストルの音が本当にピストルから発砲音と煙が出てたりと、全体を合わせて見、話の内容もわかり面白かった。

会場から声が聞きとりにくいとの声があった。内容及び劇団が伝えたいことは理解できた。女性の強さを再確認した。スタインベックが生きた時代も、同じなんだろうなと思った。コロラド川での本物の水を使った水浴び、砂漠の満天の星空など楽士による音楽も含めて、演出は素晴らしかった。

女性は前向きでたくましいと思いました。

台詞が聴きづらかったです。
  今回は、明日の見えない暗い内容の芝居で、胸が締め付けられました。 同じ農民を題材にした小説でも、パールバックの「大地」は未来に明るさが感じられ、読後充実感を持った記憶がありますが、「怒りの葡萄」は本当に表題のとおり怒りに満ちた内容で、救われない気分になってしまいました。
 今後は、明るい劇を期待しています。

その昔原作を読んだ記憶はあるものゝ、内容は全く覚えてなく、でもどんな形で劇作としているのかと思っていた。大勢の出演者で退屈せず、考えさせられるものでした。

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音響が悪かったのでしょうか?よく聞きとれなかったので、内容がよく理解出来ませんでした。
  出演者も多く、しかも舞台のセットも凝っており、せっかくの生演奏だったのに、ひとつ感動が得られませんでした。

期待していましたが役者さん達の声が小さく言葉が聞き取れなくとても残念でしたが、舞台で奏でる生演奏はすばらしくとてもよかったです。

本物の水を使っていて、びっくりしました。

今回も翻訳本を先読みして観劇に入りました。この翻訳本が上・中・下巻と長編で、これをどの様に上演するのか、又この広大な土地・ニューメキシコからカリフォルニアへの3000キロの長旅を凝縮していかにみせてくれるか、大変興味ありでした。翻訳本のスタートは、演劇と同じ、トム・ジョードーとジム・ケーシ牧師の出会いから始まります。しかし劇中では、なぜ小作人がカリフォルニアへと追いたてられたのか、その背景(これが一番大切なところであります)が殆ど演じられてなかったように思いました。時代は1930年代で、ジョードー一家の住んでいた土地は大砂嵐で農地が荒野化したところへ、銀行資本家や大農園主が土地家畜会社を作り大型機械の導入をしたことなどにより、小作人は職を失い生活が困難となり、この地から追い出されることに…。西(カリフォルニア)へ行けば、農場では人手が幾らでも必要とされていて、バラ色の楽園が待っているように言われ、長い苦しい旅に出発するのです。
  劇では、このあとの場面、オンボロ自動車を上手く作り、又途中での休憩時には本物の水を使い川に見立てて水浴びをしたり…:。狭い舞台での工夫のあとがみられたのはよかったです。皆が力を合わせ、苦難を乗り越えカリフォルニアに着くも、すでに何千人もの労働者があふれ職に就けなかったり、賃金が不当に安くされたりで生活が苦しくなり、中には東へ帰る者も出てくるようになります。劇はここまででしたが、その後のジョードー一家は、北に行けば綿摘みの仕事があると聞き出発します。しかしここでも労働者があふれており…。最後にジョードー一家も家族ばらばらになっていきます。
  この長編で原作者ジョン・スタインベックはアメリカの1930年代社会をリアルに描いていて時代の病弊をえぐると共に苦難に立ち向って戦う人間の姿を感動的に物語っていると思います。

* ピストル・雷の音がやかましすぎ。
  * 雷・懐中電灯がまぶしすぎです。
    全体的に体に悪そう。
  * 音楽は良かった。

熱演だったのですが、残念ながらせりふがわかりにくかったです。音楽はすばらしかったのですが…。

テーマがテーマだけに明るくはなかった。しかし人間はどんな環境でもがんばれる(がんばらなければいけない)と思った。

後の席で声がはっきり聞こえない。ウェスタンの楽器が新鮮でよかった。

内容が難しくわかりにくかった。

第一幕最初からせりふが頭に残らず、内容が分りづらくもあり眠りに入ってしまいました。お隣さんも眠っていました。

タイトルはよく聞くのだけれど、内容は知らなくてこんな話だったのか~と思いながら…。重くて辛い話でしたが、結構疲れもせず、あっという間に終わっちゃいました。ラストがあれで終りとは思わなくて、あれ、あれ、みんなどうなっちゃうの!?その後は〜と気になりますが…。なんか夢から覚めたような気分になりました。

ラクに観れる芝居と疲れる芝居に二分するとしたら明らかに後者である。でも(ストーリーはどこまでも重いはずなのに)心にズシンと残る疲れは決して嫌なものではなかった。家族それぞれの生き方、言葉の数々、共鳴できることや教えられることがたくさんあった。また、舞台という限られた空間の中で、舞台がもつすべての力を結集して、観客に広大なアメリカの大地を想像させてくれた演出には圧倒され、感動 した。

初めて見る舞台劇に、ただ、ただ夢中の二時間四十分でした。
  舞台装置、音楽共に心に残り楽しいひとときを過ごすことが出来感謝しています。主人公の宮本充様(遠縁に当たる)とも話しが出来ました。

たくさんの出演者と、生の楽器演奏とてもよかったです。
  “家族”と言えども一個人で色々な想いがあり、“家族”がずっと一緒にと言うのもあこがれや理想であっても、家族皆の幸せではないのかもしれないなぁ なんて思いながら見てました。
  正直、え!?これで終り?て感じの終わり方でそれまでが良かったので残念です。

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見知らぬ他人に乳をやる若妻ローズのシーンでジ・エンド…。心に余韻を残しながら、劇場を後にしました。
  “権力の横暴よ!踏みつけにされ続けた農民の生き様を見よ!”抑え難い「怒り」がキャスト全員の迫真の演技からズシっと伝わってきました。特に母役の不屈のたくましさが「人間として本当に美しい」と思いました。
  劇中の陽気な生演奏は深刻でリアルなストーリー展開にアクセントになり、ふと“決してみじめじゃあーない”って観る者の心を軽くしてくれました。

聞き取りにくかった上に後ろの人の話し声が最初から最後までうるさかった。
  今だに携帯電話が鳴るのが……
  観劇マナーが悪い。
  劇は良かったはずなのにふつうになってしまいました。

今までにない多くの出演者や生の音楽演奏、本物の水を使った舞台演出。
  帆布と荷車だけの単純化された舞台でありながら、音響と照明で、それぞれの情景を十分に想像させる舞台展開の中、出演者の熱演も素晴らしく、二時間余りがあっという間に過ぎた。
  難しい内容かなと思っていた「怒りの葡萄」に改めて感動。

横暴な資本家と農民の関係は二十一世紀となった現代でも不法移民を不当な賃金で労働力としている。時代が変っても人間って、あまりかわらないものの様ですね。
  怒りは私の心にも渦巻く思いでした。

舞台という限られた空間の中での、いかにリアルに見せるかの演出方法に感心しました。当番で搬入の際に運んだものが舞台を見て、あ〜ここにこうやって使ってるんだと苦笑する場面がありました。

熱演でよかった。

セリフが聞きづらくて、期待はずれでした。

「怒りの葡萄」とは?…題名について不思議に思っていました。
  去る四月二十二日のサークル代表者会で徳島市民劇場松浦章仁委員長さんから鑑賞のキーポイントあれこれを聞き、たいへん参考になりました。
  徳島新聞に移住70周年記念誌(パラグアイ移住者)のことが掲載されていました。一口に70年といいますが移民して原生林を切り開き耕地をつくり、食べられていなかった野菜を普及させた功績は並大抵ではなかったと思います。
  2000マイル先のカリフォルニアをめざした、トム一家たちの苦難の道のりもまた厳しかったことでしょう。お母さん(久保田民絵)一人で家族のまとめ役、劇団すべてを引っ張っていく演技力の素晴らしさ、「よくやるネ」と感心するばかりです。役者さんの生演奏で五弦バンジョー、フラットマンドリン、フィドル、ギター、ブルースハーブなどめずらしい音色を堪能しました。
  舞台では、土ほり、水浴びと、リアルなセットが組まれ本当に水の中に入るなど舞台装置の工夫がとてもよかったです。

四国巡演をブログで報告してくれた。こうした劇団の背後の活動を大事にしたいと思いました

遠い西への移動の旅に出た農民の苦労が胸にせまってきました。
  いつまでも心に残る良い作品でした。

初めて道具の搬入、搬出をお手伝いさせていただきました。
  役者さんも舞台から降りてから汗だくで道具の取りはずしに、搬出に頑張っておられました。ご苦労様でした。運営サークルの皆さんご苦労様です。
  精一杯家族を守りながら生きる母親に感動しました。

重い暗い苦しい場面の多い舞台でしたが、生演奏の音楽が流れてくるとほっとします。
  家族を守りながら強く生きようとがんばっている母親役の女優さん、セリフも良く分かり素晴らしかったです。

前の席でありながら、ハウリングを起こしたような感じで、言葉が聞きづらかったという人がサークルの中で何人かいました。大変残念でした。
  「生きる」ということの根源を考えさせられた。重いテーマの舞台でした。

暗くて重苦しく胸が痛みました。
  あのような過酷な時代に生きねばならなかった人達が居て、今のような平和な時代に生かしてもらっている自分達が居ることに深く考えさせられました。
  実際に大量の水を溜めた舞台設営に大変驚きました。臨場感があってよかったです。

座席は中央ぐらいだったので、声は十分に聞こえているが全員のセリフがはっきりしなかったので、内容は良かったのだろうが、残念な事に面白くなかった。

アメリカ文学の代表作といわれる長編「怒りの葡萄」を舞台でどのように表現するのか原作を読みこなしていなかったので興味があった。「普通の人々」の一家の中心となる母親の言葉、動きに、やはり家族の絆、要を受け持つのは母親なのだと再認識。
 本物の水(川)が登場したのと、劇中の音楽が巧みに舞台効果をもたらしていた。

浮浪農民の生活状況がセリフや舞台装置でよく表現されていた。特に小川の水しぶきが印象的だった。 早口で活発な言葉の対応が多く、バックミュージックも軽快で出演者も多かったのに暗い感じのまま早いパターンで終ってしまったように思う。

自動車や川の模型が登場して、それなりに工夫は見られたものの、広大なアメリカ大陸の迫力や当時の厳しい社会環境、農業事情といったものは感じ取れず、スケールの大きな「怒りの葡萄」を舞台劇にするには無理があったように思われた。
  台詞が聞き取りにくかったのが大きな原因と思うが、貧しい農民達のやりきれない悲しみ、苦労が綿々と綴られただけに終わって人間愛みたいなものの感動の盛り上がりに欠けたのは残念であった。

舞台装置は工夫されていたが、正直よくわからなかった。
  ラストシーンもこれで終り?という感じだった。テーマのむづかしさもあるが、わからなかった原因に声の聞き取りにくい人がいたこともある。
  パンフレットも欲しかった。いつも集めているのに、なか ったのは残念!

 台詞が分かりにくかったのが残念であった。

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