時代の真実は虚偽と嘘だらけ。
果たして、吉良上野介は本当に悪者だったのか、
赤穂浪士は本当に義士なのか、忠臣蔵はほんとに美談なのか…
歴史のからくりと人間のドラマ、
現代(いま)を鋭く見つめる井上戯曲の神髄が東憲司の手によって再び!
討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。 吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、作者の目で見た忠臣蔵のもう一つの側面を浮かび上がらせる。大石内蔵助の登場しない忠臣蔵は逆に“彼”を鮮明に浮き立たせ、移り気でそして見えない“大衆”の力によって美談として今に伝聞されるべき、作られた「忠臣蔵」になったのか。さて、その真実は…。
1988年の初演から32年が経過しながらも、なお現代の我々に問いかけ続ける「忠臣蔵」異聞。
公演ちらしより
時は元禄十五年(1702)
12月15日の七ツ時分(午前4時頃)
有明の月も凍る寒空を、裂帛の気合、不気味な悲鳴、そして刃に刃のぶつかる鋭い金属音が駆け抜ける。 大石内蔵助以下赤穂の家来衆が、ついに吉良邸内に討ち入った。狙う仇はただ一人。
「吉良上野介義央」
ところが、やっとの思いでたどりついた上野介の御寝間は蛻の殼だった。上野介は、家来、側室、御女中たちと御勝手台所の物置の中に逃げ込んでいた。赤穂の家来が邸内を二時間にわたって、三度も家探ししていた間、身を潜めていたというあの物置で、彼らの心に何が起こったのか。
――討ち入りから318年、歴史の死角の中で眠っていた物語が今、明かされる。
公演ちらしより
思えば、あの白髪の品のいい老人が気の毒でならぬ。ある日、些細なことを根にもたれ、いきなり切りつけられたばかりか、あげ句の果てには殺されて、壮大な貴種流離譚のために、300年間、悪く言われっ放しのあの老人を、私はときどき 手を合わせて拝みたくなる。
――井上ひさし
公演ちらしより
井上ひさし版忠臣蔵『イヌの仇討』には浅野内匠頭も大石内蔵助も出てこない。 仇役・吉良上野介に光を当てた異色作である。討ち入られてからの2時間、逃げ隠れた物置のみで進行する物語の台詞の数々は暗中で光り輝き、豊かに広がり、人間の生きる性を問い正してくれる。
権力に忠実なイヌとして生きてきた一人の老人を慈しみながらも、滑稽に笑い飛ばし、厳しく残酷に打ちのめす。この物語は300年前に起きた事件を通して今現在の日本の恥部をも晒けだしているようにも思える。
僕にとってこの戯曲は挑戦である。赤穂浪士のごとく武者震いし、そして吉良上野介のように怯えている。いずれにしろ覚悟を決めて、作者の愛溢れる言葉の渦に飛び込んでゆくのだ。
――東 憲司
公演ちらしより
大谷亮介 | 彩吹真央 | 俵木藤汰 | 植本純米 | 田鍋謙一郎 |
吉良上野介 | 行火 お吟 |
榊原平左衛門 | 清水一学 | 大須賀治部右衛門 |
石原由宇 | 大手忍 | 尾身美詞 | 原口健太郎 | 西山水木 |
牧野春斎 | おしん | おしの | 新助 | 御女中頭 お三 |
作:井上ひさし 演出:東憲司
音楽:宇野誠一郎 美術:石井強司 照明:小沢淳
音響:湊大介 衣裳:中村洋一 所作指導 :花柳けい
宣伝美術:安野光雅 演出助手:宮田清香 舞台監督:白石英輔
制作統括:井上麻矢 制作:松岡渉 立石萌衣 千葉光一
鳴門市文化会館 2020年3月12日(木) 夜6:30~ 上演時間 約2時間30分(休憩15分含む) ※約250台の無料駐車場あり |
あわぎんホール 3月10日(火) 夜6:30~ 3月11日(水) 昼1:30~ (徳島市民劇場) |