中村梅雀さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問12

前進座「髪結新三─梅雨小袖昔八丈−」鳴門例会(2005年1月26日)に“髪結新三”役で出演される中村梅雀さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

中村梅雀さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
お忙しいところ快くインタビューを承諾していただき、ありがとうございます。1月3日から23日の京都南座の公演、ごくろうさまでした。そのままの舞台を鳴門にもってきていただき、感激しております。お疲れは出ていませんか?
 
梅雀(敬称略)
千秋楽に怪我をしてしまいまして、4針縫って参りました。普通あってはならないことですが、力が入って…。傷口丸出しで舞台をやることになってしまいました。
 
鳴門
大丈夫ですか。ところで南座公演の反響はいかがでしたか?
 
梅雀
たいへんよかったですね。珍しいことに、髪結新三は、京都では歴史上始まって以来の公演なのです。歌舞伎の方々もしていないし、前進座は通しでの公演だから、あらすじもわかりやすく、喜んでもらいました。それぞれの配役のバランスもよかったし、梅之助もたいへん元気に出ていたものですから、好評でしたね。今回は四国に来られなくて残念ですが、親子対決も話題になってたいへん好評でした。私個人としても、2度目の挑戦ですが、まるで違ったもののように役がみえてきたものですから、安心して楽しみながらできたので、思い出深い公演になりました。
 
鳴門
歌舞伎をメインに活動されている前進座ですが、これからの方向性を教えてください。
 
梅雀
歌舞伎から分裂してできた劇団ですから、それが主流ということになりますね。前進座で育った歌舞伎は、時代のニーズに合わせた、時代に反映していける歌舞伎にしていきたいと思います。
 
鳴門
髪結新三を演じるにあたって、梅雀さんが描いた「髪結新三像」はどんなものですか?
 
梅雀
なるべくオリジナリティを持ちたいです。今やっているのは六代目菊五郎さんの作られたものに近い。やる人によってみんな違ってくるところに面白さがありますね。昭和に入って以後、先代の松禄さん、先代の勘三郎、現代の菊五郎さんと、亡くなられた辰之助さんと今度勘三郎さんになられた勘九郎さん、これだけしかやっていない。菊五郎さんの関係の方ばかりで、前進座も一昨年にやるまで1回もやっていません。何故だろうと思っていましたが、やってみてわかったことは、ものすごく難しいということです。道具を使っての髪結いをしながら相手を話術で落し込んでいく、不安定な下駄で片足立ちをしながら相手をふんづけて長い台詞を言うとか、舞台上で着替えたり、とても長いつらねの啖呵をきったり、大家さんと問答したりと、新三には各場にものすごいハードルが待ち構えています。それを平気の平左で演じて、観ている人が格好いい、気持ちがいい、楽しいと思えるところまでいかないと話にならない。それは何度もやらないとわからないことですね。だから菊五郎関係者以外はやらなかったということじゃないかな。
※つらね 歌舞伎で、顔見世狂言などのとき、おもな役者が、自分の名乗、物の趣意・由来・功能、名所づくしなどを、縁語・掛詞を使った音楽的なせりふで述べたもの。また、そのせりふ。 国語大辞典(新装版)小学館 1988
 
鳴門
菊五郎さんの形を基に、新しい新三を考えていったということですか?
 
梅雀
菊五郎さんはすごい方ですから、究極の段取りというか形をなさる方です。このときはこうするのが一番いいというのを割り出している方なので、すばらしいと思ったところはそのまま僕の意志で生かさせてもらっています。
 
鳴門
新しい梅雀さんの形ができるということですね。
 
梅雀
「生世話(きぜわ)に型は無し」という言葉があって、形というものはないのです。よいものをいただいてその上に私のオリジナリティをのせて、新しいものを創っていきたい。それが身についた時に、初めてオリジナルの「髪結新三」になると思いますね。まだ発展途上にありますが、今回の20日間の南座の公演は私にとっては非常によい公演だったと思います。
 
鳴門
毎日が同じじゃなくて違ってくるということですね。
 
梅雀
これはどんな芝居でもそうですよ。毎日全然違いますよ。同じことをやっても、お客さんのノリで違っていたり、役者の体調や相方との息の合い方でも違いますね。特に中村梅雀という役者はやるたびに違いますね。テレビの収録も、リハーサルもテストも本番もやるたびに違います。「そのときの瞬間に生きたい」というポリシーがありますから、同じことをなぞっては決してよいものは生まれないと思ってます。
 
鳴門
映画やテレビに多数出演なさっていますが、雰囲気の違う歌舞伎の舞台との気持ちの切り替えはどうされていますか?
 
梅雀
今年で芸歴40周年になるし、芝居やドラマに入れば、それなりにその場で合わせていきます。
 
鳴門
テレビでは幅広く役をされているようですが(笑)。
 
梅雀
テレビや映画は大好きです。毎日台詞が変わり、相手が変わり、新しい場面になってそれがしかも1回の本番で残ってしまうという、厳しさ、スリル、緊張感から、そのワンカットのために、その場にいるスタッフ全員が集中しているというその撮影現場の心地よさが大好きです。舞台よりはるかに好きですね。舞台はもちろんお客様との交流があるから、これはこれでこたえられない面白さがありますが、同じ場所で舞台をやっていると飽きてしまうんです(笑)。
 
鳴門
親子三代で役者の道を歩んでこられましたが、代々継いでいるのですね。
 
梅雀
私は我が家では四代目の役者になります。結局はDNA・刷り込みですね。もの心つく前から強制的に、親がやってみせて、面白いだろうとのせられて、反抗しようが、もがこうが、苦しもうが、小さいときから身に付けた芸で無理やり舞台に立たされました。そのときのお客さんの反応が心地よかったり、子役として認められたりして、自分は役者に向いていると思ってこの道に入ったのですが…。小さいときからみているというのは、途中から入るよりはるかに強いですね。耳に入り、目にしたものは貴重ですね。名優の演技のすばらしさを見ており、それが今頃になって蘇ってくるので、その台詞まわしをやってみたりします。あの台詞まわしができているな、と思ってちょっと嬉しくなったものでしたね。実は南座では親子競演を初めて楽しめたんです。それまで、目指すところは同じなのに、心が通じないし、イヤでイヤでたまらなかった。間合いとか台詞まわしは違うし、息は合わないし、すぐ喧嘩になるし、本当にイヤだった。ところが南座の公演では、お互いの意志がわかるんです。こう言ってきた、こう言い返してやろうとすると、向うもニヤッとしながら台詞を言い出すのです。それがお互いに面白くて、これは生まれて初めての経験で、本当に思い出深い舞台でした。
 
鳴門
そこまでの域に達したということでしょうね。
 
梅雀
そうじゃなく、やっと気がついたということでしょうね。反抗して、まあやってみてもできないところもあったのですね。喉をこわしたり、アクシデントで声が出ないということがあったとき、いつも勢いでガァーッとどなっていたが、客席まで声が届かない。こういうとき、歌舞伎ではどうしたらよいか、台詞まわしで練って、練って、喉をいためないようにしながら、最終でピークをどこへもっていくかを計算しながら台詞まわしをやっていく。練って延ばしてえぐって、パワーや音量でなく、気持ちが乗せられるようになっていくということがわかったんです。これはすごい収穫だったなと思っています。初めて私は今歌舞伎を始めたな、という気がしたんです。父も気がついて、「おっ」という顔をして楽しそうでした。日々元気になっていく父の顔を見て、僕も嬉しかったです。
あと私の参加している音楽のCDも売っていますので、お買い求めください。
鳴門
CDはギターですか?
 
梅雀
ギターではなくベースです。「ギターブロス」という題名は松原正樹さんという、日本でナンバーワンのスタジオミュージシャンといわれている方が出されたCDですが、その中に僕の曲が1曲と、参加している演奏が2曲入っています。誰がみても日本で最高のミュージシャンで演奏しています。ライブもこのメンバーでしていて、7曲目と8曲目が僕の演奏です。東京でこんなことをしているのかなとその音をきいてください。
 
鳴門
ベースは中学校くらいからですか?
 
梅雀
中学校から始めましたから、ベース暦は38年ですね。
 
鳴門
歌舞伎をやっているときとベースを弾いているときと、どちらが楽しいですか?
 
梅雀
音楽が一番ですね。母がピアニストなので、歌舞伎の台詞まわしと一緒に小さいときからピアノを聞いて育った。国立音大のピアノ科卒業ですが、左手をしっかりと、低音をドーンと響かすという和音感覚が耳に残っていた。そこからベースへと入って、中学校から作曲もしていたので、曲もかなりたまってきています。いろいろの楽器で演奏して、メンバーに聞いてもらって、一緒にやっています。
 
鳴門
音楽活動はどのくらいの割合でなさっていますか?
 
梅雀
多い年で年間8回のライブですが、ここのところの忙しさでは年に2回できればいいかな。
 
鳴門
ライブするには何日間かの練習が必要でしょうね。
 
梅雀
いや、練習は1日だけです。あのメンバーは譜面渡して、デモテープ聞かせて、1日リハすればもう本番OKです。すごいです。家ではもちろん、クルマで移動するときも音楽をかけています。台詞を覚えるときも音楽を聴きながら。
 
鳴門
日本的でない音楽が歌舞伎に影響するのでは?
 
梅雀
音感という点では音楽だろうが台詞だろうが、人類共通の会話ですね。でも間合いは歌舞伎の場合と洋楽の場合とでは多少違います。日本の音楽の溜めの間合いは独特だから、それは練習しないと。5歳くらいからやっていますからそっちも染み付いています。長唄のCD、新潮社から朗読の録音が2部、ナレーション…。NHK教育テレビの「テレビ絵本」では、ペンギンシリーズ(斎藤洋:著)を30回放送していますが、19キャラクターを全部声で演じ分けていて、最高傑作といわれるくらい面白いです。再放送があったら是非ご覧になってください。
 
鳴門
多方面にご活躍なのですね。お話を伺ってよくわかりました。長期間地方公演に出るその合間をぬってこういうことをなさっているのですね。
 
梅雀
休む時間はないですね。今回も2月14日に四国公演が終わって15日から稽古、18日は大阪で「お登勢」の公演、3月1日の神戸が終わったら、5日から撮影、4月1日からシリーズものの撮影、5月の東京国立劇場の稽古、公演と6月は新しい火曜サスペンスシリーズ「枯葉色グッバイ」の撮影、7月は「温泉若女将」の撮影とずっとスケジュールがはいっている。途中1日か2日、休みがあってボーッとしていると、逆に疲れがドーッと出たり、頭が休まらないので、イヤなことを思い出したり、フラッシュバックして…。4〜5年前の2週間の休みをもらったときには鬱になってしまったのです。「人間の脳は急には止まれない、働き続けた人は半日くらい仕事をして半日休む方がいい」という医師の話だったので、だったらそこへ音楽を入れてしまえばよいと。音楽を演奏しているときは何も考えない、相手との会話だけ。やっぱり音楽は捨て難いなあ。
 
鳴門
これからのライブの計画はあるのですか?
 
梅雀
撮影の合間をぬって、7月には何とかやりたいなあと思っています。
 
鳴門
何の仕事が入ってきても本当に楽しまれているようですね。
 
梅雀
自分が一番よいという方向を見出して、自分もお客さんの気持ちよくなるようにと。その反応がかえってきたときが一番嬉しいのです。自分が創ったもので人が喜ぶのが好きなのです。芝居だけでなく音楽でも、拍手がかえってくる、それが嬉しい性分なのですね。
 
鳴門
スケジュールのお話を伺っていてもいかにも仕事が楽しいというのを感じます。
 
梅雀
僕が幸せに感じるのは、各現場が素晴らしい「現場」だということですね。集中度の高いスタッフに恵まれて、よい相手役がいますし、次の現場に行くのが楽しみです。
 
鳴門
テレビでもコミカルな役が多いし、楽しんでいらっしゃいますね。
 
梅雀
楽しみながらも時々頑張っていますがね(笑)。テンションを高めて、その時の人間になりきって、自然体でやっていく。それが僕のポリシーですから。特に創ってしまうと後で後悔するということになるから。
 
鳴門
これだけスケジュールが詰まっていると、特に健康面で注意されていることは?
 
梅雀
食べ物ですね。美味しいものをバランスよく食べる。特に朝はきちんと食べるように心がけています。お酒も飲むので、できるだけ肝臓に負担をかけないように気をつけています。
 
鳴門
最後に今回の舞台の見せ場を教えてください。
 
梅雀
全編見せ場があるのですが、特に当時の江戸の庶民の生活様式がとても色濃く出ている芝居です。髪結いの様子や材木問屋の苦労など実際にあった事件をアレンジしています。新三は小悪党ですが、悪は悪で一生懸命生きている、最後は殺されてしまいますが、その小気味よさ、黙阿弥独特の七五調の台詞を楽しんでください。格好いいなあ、と思ってもらえるように頑張りますから、そう思って観てください。
 
鳴門
鳴門市民劇場のファンにメッセージをお願いします。
 
梅雀
政治もこうなって、世界的にも戦争があり日本がそれに参加しようとしている。そんな中で経済が追い詰められていく。地球もだんだん破壊されようとしている。とんでもないことが起こるかもしれない。経済が追い詰められると、文化が切り詰められていく。何にもなくなったとき、人間の心を支えるのは文化だと思う。演劇でも音楽でも、演じたり演奏したりすることで、目の前の人の心を和ませたり、慰めたりして人々を救っていくし、心が伝わっていく。原点である人間同志のふれあい、かかわり合いを大切にする意味でも、演劇鑑賞の活動を絶対になくさないように、根強く、粘り強く広めていってほしいなあと、本当に心底そう思いますね。
 
鳴門
力強いお言葉をありがとうございました。
中村梅雀さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。
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