平幹二朗さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問14

リリック+幹の会公演「冬物語」鳴門例会(2005年5月23日)に“リオシティーズ(シチリア王)/時”役で出演される平幹二朗さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

平幹二朗さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
春の叙勲、おめでとうございます。(注:2005年春の叙勲で、旭日小綬章受賞)
 
平(敬称略)
ありがとうございます
 
鳴門
最初に作品のことについてお尋ねします。この冬物語の魅力と言うか。ご自身が、演出されているので、どういうところを会員に楽しんでもらえればいいか、お聞きしたいです。
 
そうですね。前に観ていただいたのは、確か十二夜とリア王ですね。
  十二夜は喜劇で、リア王は悲劇の最高峰といわれるものですね。
  この「冬物語」はシェイクスピアのロマンス劇という4本の作品の中の1本で、その中でも特にこの「冬物語」と「テンペスト」はとてもよく語られる作品だと思うのですが。
  で、人間がいろんな誤解とか憎しみとかでお互いが離れ離れになったり、壊れた過程がやがて十数年の月日の流れによって、いろんな思いが浄化されて、そしてもう一度再びめぐり合うことができて、ハッピーエンドになるというのが、このロマンス劇の共通した創り方だと思うのですね。
  ま、シェイクスピア自体がだいたい向日性というかオプチミスト的な、希望を人生に持つタイプの作家ですけど、この4本はそういうものが特に強く、晩年というかシェイクスピアにとっては最後の方ですから、筆をおくに当たってそういう信じたいという気持の強い作品です。  
  僕も自分が肺がんになったり、それから離婚がありました。離婚の時には『俳優としてはお互いに尊敬しあっているけれど、家庭生活を共演することは失敗したので、もし、月日がたってもう一度仕事で共演できたらとても人生はすばらしいと感じられる』というようなコメントを出して離婚したのですが、それが、不思議に「鹿鳴館」という芝居で佐久間さんと17年ぶりに再会して子供まで一緒に参加して芝居を共演できたんです、この冬物語も、そういうばらばらになった人間達がもう一度「月日の浄化作用」によって再会しうるという内容で、そういう部分は、僕も癌の手術の際に蜷川さんと誤解を生じて、やはり17年くらい一緒に仕事ができなかったんですね。ですけど、僕が実は癌であったということを発表してからお互いの誤解というかその間のしこりがとれて、再び「テンペスト」という芝居でもう一度一緒に仕事をし合って、「メディア」とか「近松心中物語」とかいろいろな作品を再演して、「グリークス」という9時間の大きな芝居で二人とも読売演劇賞をいただきました。そういう面で、やはり十数年の時間が人間の心を浄化してくれるという、すごく自分の人生とダブル作品なので、また自分が初めてシェイクスピアを演出するに当たりこの「冬物語」をやってみたいなと思ったのです。
 
鳴門
実は、先日徳島で先に拝見しましたが、演出が従来のシェイクスピアとは変わっていて、結構楽しく観させていただきました。演出で気を使った点とか、こういうところを楽しんでもらいたいという点についてお聞きしたのですが。
 
そうですね。シェイクスピアの作品は、男を描いたものが多く、シェイクスピアはたくさんの男を描いた数少ない作家だと思うのです。
  テネシー・ウイリアムスの作品も好きですが、女を描いた作品ですね。チェホフも好きなんですけれど、メインは女を描いていますよね、三人姉妹とか。男も描いてはいますけど。
  ただ、シェイクスピアは男が中心なんですね。女優さんがいなかった時代ということもありますけれど。男のあらゆる人生が描かれているので、シェイクスピアが好きなんです。シェイクスピアが好きだというと、名前が難しくって、セリフがいっぱい、形容詞とかがいっぱいあって、長くて込み入った筋で、ちょっと眠気が誘われる芝居じゃないですか、という風にちょっとお客様が引く感じがあるのですが、それはとても残念なんですね。
  ですから、面白く見て頂きたい。そこで一番大事なのは、シェイクスピアはセリフ劇ということ、ま、芝居はすべてセリフですけれど。芝居で一番大事なセリフというものが、劇場の隅々まではっはきり聞こえて、しかもそれが、絶叫したりしているだけではなく、意味がちゃんと伝わるように、ニュアンスが深く伝わるような発声方法で、とにかくセリフが、みんな聞こえなければいけない。それがなかなか聞こえない芝居が多く、今回も聞こえない、今回も聞こえないと腹立てながら帰ることが多くって。そういうものをまずなくしたいということですね。
  次に、できるだけ観たことのないような芝居、どこかで観たなあ、前のシェイクスピアの劇と似ていたなあという風にはなりたくないということ。
  そのために、音楽とか踊りとかそういうものの価値をできるだけ多用したい。 この「冬物語」は特にファンタスティックというかおとぎ話っぽい面を持っているので、なんでもありというか、許されるものがあると思うので、そう言う仕掛けを方々に作って、それによって芝居をどんどん運んでいって。というのは、時・・、月日というものが、この芝居では主役なのですね。時の流れをはっきり感じてもらえるようにするためには、運びが速くないといけないので、嫉妬するのも急激に嫉妬し、判決を下すにも直ぐ判決が下って、そして16年がたって、赤ん坊だった人が娘になって恋するという風にして、その辺をいろいろ工夫しています。前半はやや悲劇っぽく重い劇、そして中盤はボヘミアになるので、割合ミュージュカルっぽい明るい展開で演歌まで使って、最後に奇跡のようなちょっと信じがたい場面で、でもそれが感動的であるという風に3段階に、くっきり分かれるように、演出を試みたつもりですのでその辺を楽しんでいただけたら、と思っています。
 
鳴門
セリフは、非常によく聞こえました。で、平さん自身のシェイクスピアは比喩を使った長いセリフが多いと思うのですが、そのリズムがここち良かったのですが、これは、演出上、平さん自身のしゃべり方とか発声の仕方なのでしょうか。
 
そうですね、せりふはかなりカットもしているのですが、言葉のリズムと組み立て方で必要なものが耳に残っていくようなしゃべり方を心がけているつもりです。
 
鳴門
このシナリオはほとんどもとの通り、忠実に、再現しているんですね。言葉のやりとりとか。
 
そうですね。ただ、もともとセリフで言っている部分を歌にした方がもっと訴える力が強いと思わる「フォーリーナの願い」のところは、そこだけ歌を作っていますね。そこの歌詞は、シェイクスピアに「ソネット集」という詩集があるのですが、その中からとっています。もちろんテキストレージはしていますが、それを歌ってもらっています。深沢さんの歌う歌は、本当は、オートリカス(深沢さん)と村娘たちが歌う歌で、毛皮祭りみたいな農村の牧歌的な歌なんですね。ただ単に。掛け言葉みたいな意味のない歌なのですが、あのシーンで前田美波里さんに踊ってもらっています。美波里さんがせっかく踊れるので、踊りを生かしたいこともあるのですが、もう一つ、前にお母さん役であったことがお客様のイメージの中に残っていることを利用しています。娘が一緒に踊りますね、連れ舞いになるのですが、娘が母性を感じる、まだ見たことのない母、知らない母の母性を感じながら踊っているうちに、母と踊ったような錯覚を持つということを狙っているのですね。お客様には娘と母が踊ったような、実はそういう関係ではないのですが、そういう錯覚を利用して娘の心に残っていくものを次の再会につなげるために利用しています。
 
鳴門
小田島先生の訳を使っておられますが、昔読んだ翻訳は、訳が硬かったと思うがいかがでしょうか。
 
そですね。昔のものは、わりあい学術っぽいですね。正確なのでしょうけど。小田島先生が訳されたころから翻訳も言葉遊びが流行った時代があったので、今になるとちょっと言葉遊びが多すぎるのではないかと思うところがあるのですが、わりあい自由に訳しておられます。
 
鳴門
シェイクスピア作品37品目を演じられようとしているのですが、シェイクスピアをやろうと思われたのはどういうことからでしょうか。
 
言葉というか、描かれている人間像、男のいろんな姿を男の俳優としてやりがいがあるので、演じてみたい、そういうことが一番おおきな理由ですね。言葉がすばらしいことが前提にありますが。
 
鳴門
人間のいろんな感情が非常にうまく描かれているということですね。
 
人間の感情が描かれているので、男の役としては、やりがいがあります。
 
鳴門
作品は1600年時代のもので、古いが、演じるに当たりむずかしいことはありますか。
 
シェイクスピアはキリスト教徒なので、すべて神のところで許されてしまうが、日本人は仏教徒とか神道とかあって基本的には多神教で、神に懺悔する気持ちはないので、シェイクスピアをやっていて難しいと思うのは、神の問題ですね。でもそれなしでは西洋史はできないので。
 
鳴門
演出上の問題ですか、演じていてもでしょうか
 
演じていてもですね。本当のところどこで神に許しを得ればいいのかという気持ちがありますね。最終的に神に許してもらって帳消しになるのかというところは、現代、特に日本人にとっては、クエスチョンとして残るところがあります。
 
鳴門
ところで、全作品を演じられるということですが、まだ11作品ですね。
 
これについては、いつも弁解になってしまうのですが、60歳のときに、グローブ座という劇場が自主制作をしていた時代に、そこの支配人が、僕がシェイクスピアをやりたいという話を聞いて、「グローブ座で年間3本作って、小さな座組みでいっぺんに3本くらい稽古をしてレパートリシステム的に1年やってという風に、全作品に挑戦しませんか」という話があったんですね。僕もちょうど60歳であったし、俳優というのは、ウエイティングというか「待つのが仕事」なんですよ。チャンスがくるのを。そのため、自分がこの役をこうしてやってゆきたいという主導権は取れないですね。演出家なりプロデューサーが「この役をやりますか?」と言って初めて役者としての仕事が始まるのであって。ウエイティングだから、役者の一番辛いことは待つということなんですよ。
  いつくるか分からないものを待っているわけですから。しかも、日々準備なり勉強なりするのに当てがないわけですよね。ただ、歌だけを習いに行って、歌は上手くなるけど何の歌を歌うために習っているんだよ、といわなければ、発声練習だけになってしまう。俳優にとってそれは一番つらいことなんで、自分が自主的にこの役を演出する、作ってゆくという目的があると、それに向かって仕事なり、稽古なり、勉強なりを集中できる。60歳になったときに今後はそういう生き方をしたいと思って、演鑑(演劇鑑賞会)回りをはじめたんですが、年間3本というと60歳でしたから75、6歳ころまでには全部できると思ったんですよ。すでに、10本くらいやっていましたので、他のところで。それらを最初から計算すると全部できると思ったのですが、残念ながらグローブ座がつぶれてしまってジャニーズ劇団になってしまったんですね。制作母体が無くなってしまったんですね。でも、やると旗を揚げた以上降参しましたと旗を降ろすわけにいかないので、こうして演鑑に買っていただいて半年くらいかけて1本やるというのがやっとなんですね。しかも、これも再演ですけれど次の「オセロ」も3バージョン目なんですね。良い作品というのは10年くらい経つともう1回作り直してみたくなるんですね、ですから、今後も本数はちっとも増えないで、常にシェイクスピアはやっているけれど再演ばかりやっているような予感があるのですが。ですから、全部やるというのはもうラマンチャの男じゃないですけど「見果てぬ夢」と言うことになるのですが。どこか国立劇場でも全部やろうよといってくだされば、大急ぎでやれないことはないかとは思うのですが。
 
鳴門
日本では、どこかでシェイクスピアの37作品が全部やられているところがあるのでしょうか
 
シェイクスピアカンパニーというのがありまして、今もはもうないと思うのですが、そこで全部やられたと思います。その後、解散か劇団活動をしなくなったのですけど、一応やったグループがありますね。
 
鳴門
作品の中でも良いものとそうでないものがありますね。
 
そうですね。歴史ものとか、バラ戦争ものとか6部作上演するにはお客様が集まりにくい作品も多いですし、難しすぎるとかでお客様に理解してもらうには。
  すでにこれで11本目ですが、これから先、次は何をやればいいのか、10本くらいするとおいしいところは全て食べつくした感じがします。
 
鳴門
「テンペスト」も観たいのですが、蜷川さんのであったのですね。
 
そうですね、「テンペスト」は蜷川さんともう一つグローブ座で最初にやったんですよ。「テンペスト」と「マクベス」と「ハムレット」の3本。最初に一度は「テンペスト」をやりました。カナダの演出家でとても優秀な演出で、これは2バージョンやっていますが、とてもいい芝居です。
 
鳴門
みなさんが知っているような作品はほとんどやられているのですね
 
そうですね。有名なものでやっていないのは、「ロミオとジュリエット」だけです。これは、今となっては無理なんで、やるなら養老院のおじいさんが、夢の中で、自分がロミオになって、若い娘がボランティアで助けにきてくれたのをジュリエットと錯覚し、というような「狂気のロミオとジュリエット」ならできないこともないではないかと思うのですが。(笑い)
 
鳴門
話はコロッと変わるのですが、どういうきっかけで役者になったのですか。40年前に「3匹の侍」でテレビ映画に出ておられますが。
 
最初から俳優になりたいという風にはあまり思ってはいなかったですね。昭和8年生まれで、小学校6年生のときがちょうど終戦の年で、疎開していたんですよね。。縁故疎開で広島の山奥のほうに疎開していたんでピカドンは受けなかったんですが。あまり芝居などは観たことがなくて、映画しか観たことがなかったんですね。映画監督になりたいという漠然とした夢は持っていたんですが、それには大学に行って助監督になってというのが普通の映画監督になるコースなので、そうしたいなと思っていたのですが、僕は、数学が苦手だったんですよ。全然分からないんですよ。超わからないので、これでは大学は無理だといので、どうしようかと思いながら、一応受験勉強はしていたのでけれど。その時に雑誌で俳優座養成所というところの記事を読んで、そこが3年間の俳優教育をする学校だったですね。いわゆる劇団が作っている研究所なんですが、学校形式を取っていていろんな講師の先生で勉強していくという学校だったので、そこを受けたいと思ったんですね。楽しそうだし、第一に数学の科目がないし。それで今思えば、受験勉強の辛さからエスケープしたかったのかもしれません。それを理由に。そこに入って3年間勉強して、俳優座に残って俳優としてスタートしたのです。そういう不純な動機で、俳優になったので、俳優座に残ってもたいして一生懸命やらなかったのですよ。不真面目な俳優で。それでも、背が高かったので、いい役には恵まれていたのですけれど。そのうち、東映の時代劇なんかで親鸞という作品で始めて時代劇に出て、中村錦之助(萬屋錦之助)さん、大川橋蔵さんとかの切られ役をたくさんやっていたのですね。劇団の芝居からは、わりあい遠ざかってるというか、そのころ劇団が劇場を建ててその借金が多かったので、東映とか、日活とかいろんなところからお金を借りて劇場を建てたので、俳優をいろんなところに貸し出していたんですね。僕は主に東映に貸し出されたのです。そういうわけで、あまり芝居をやるチャンスはなく、年に1回くらいで、だんだん芝居がから遠のきそうになった感じで、これでは自分は映画俳優になってしまう、映画俳優もいやではないのですが、芝居の俳優を続けたいという気持ちも強かったのですね。その時、たまたま浅利慶太さんが「ハムレット」という芝居をやるので出ないかとおっしゃってくれたんですね。「ハムレット」はやりたかったのですけれど、劇団四季の芝居なので、俳優座にいる俳優が劇団四季15周年記念の「ハムレット」に主役で出るのはまずいので、俳優座を辞めて出てくれないかといわれて、僕は、「ハムレット」ではないけれど「やめるべきかやめざるべきか」とすごく悩んだのですが、「ハムレット」をやるチャンスはこれしか無いと思って大決心をして俳優座を辞めて、劇団四季に入ったわけではないのですが、「ハムレット」に出演して、それから7年くらい日生劇場でずっと主役でいろんなものをやらせてもらいました。ちょうどそのころから劇団四季でミュージュカルが盛んになり、僕も1本越路吹雪さんと「結婚物語」という二人だけのミュージカルに出たりしたのですが、その後も、どんどん劇団四季の作るミュージュカルに越路さんと出ないかといわれたのですね。しかし僕は譜も読めなければ、音を録音してもらって歌を覚えなければならないという、いわゆる正式の音楽の勉強をしていないので、今後ミュージカルの世界では音楽学校を出た人たちが、あるいは踊りを専門にした人たちがどんどん出てきてやるだろうから、その人たちに遅れをとってしまうと思ったのです。自分が生きてゆくのはセリフ劇の世界だと思ってミュージュカルに出るのは止めて、その時たまたま出会った蜷川さんと11年くらい一緒にいろんな芝居をして世界を回ったりしました。それから先ほどの癌のところに話が戻って、癌をやって蜷川さんとロンドンのナショナルシアターに出るという約束を果たせなかったので、気持ちが食い違って一緒に十数年仕事ができなかった。そういう風にどうしても俳優になりたいというところからスタートしていないのですが。たまたま出会った人、人との出会が、運が良かった、機会に恵まれたんですね。
 
鳴門
今回は長丁場ですが、チームの雰囲気はどうですか
 
芝居をキャスティングするとき、俳優に必要なのは、技術も演技力も容姿、人柄とかも大切ですが、人柄の良さ、人間性の良さが一番大事ではないかと思います。俳優をやっている人で悪い人はあまりいないけど、たまにいることもあるので。配役するとき、団体生活にそぐわない方は遠慮してもらって、配役していないということもあり、とても楽しくやっています。毎年、問題なく、楽しくやっています。
 
鳴門
最後に、会員の皆さんへの呼びかけをお願いします。
 
そうですね。演鑑というか、市民劇場というか、こういう組織は世界でも珍しいと思うんです、これだけ各地にあるというのは。まあ、それだけ芝居をサポートしてくださる方がおられるので、これをもっと若い人たちにも広げて行ければいいんですがね(鳴門 笑い)。どうしても若い人たちは、色んなチョイスがありすぎて、本読むよりは漫画みるとか、劇画をみるとか、芝居も劇画っぽい方がいいとか。刺激性の強いのが良いとか、なってきますけれども、やっぱり自分たちの文化が優れているということではなく、いろんな世界の文化を知ってもらったほうが良いと思うし、若い方に会員として増えてもらえればと思います。
 
鳴門
長時間ありがとうございました。
平幹二朗さんとインタビューア

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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