熊倉一雄さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問23

テアトル・エコー公演「ルームサービス」鳴門例会(2007年1月29日)に“ブレーク上院議員”役で出演される熊倉一雄さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。
* 熊倉一雄さん、明日1月30日が80歳のお誕生日とお聞きして、お祝いに花束をお送りしました。おめでとうございます。

熊倉一雄さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
舞台前の忙しい時にすみません。早速ですが、代表もされているのですが、この作品を取り上げた理由はなんですか?
熊倉(敬称略)
ちょうど今の時代が、この作品が大当たりを取った大恐慌の時代のようです。日本は「大恐慌」というのではないが、じわじわそうなっている感じがします。この頃、演出家の酒井洋子さんがこういう芝居があるのだけれどと、一度提出した時は、お蔵入りをしていたのですが、もう一度上演してはとの話をいただいたのがきっかけです。
鳴門
喜劇は息がぴったり合っていないと難しいのではないかと思います。
熊倉
それは基本的なやらざるを得ない部分ですね。リズム、流れ、重さ、軽さによって、同じことをやっても受ける感じが違います。何十年もやってきた自分たちなりの「劇術」が手に入ってきたと思っています。
私たちの作品を少しでも皆さんに観ていただけるようになったのは、井上ひさしさんと一緒に仕事を始めたからですね。私の出会いは「ひょっこりひょうたん島」でした。それが非常に面白かったので、放送作家に徹しようとしていたのを「このタッチで芝居を書いてよ!」と迫ると、すぐに書くといってくれたんですね。といっても、詳細な打合せをしてから1幕があがるまで1年かかりました。それの稽古をはじめたですが、それをみて、比較的早くに第2幕を書き上げてくれました。それが「日本人のへそ」という作品です。以来6本立て続けに、井上作品と付き合ってきました。井上さんは、結構言いたいところがいっぱいあって・・・、この世のシステムへの怒りが全部出てしまって・・・、その辺がすごーくよかった。
鳴門
内容は重いが、軽やかってことですか?
熊倉
そこはうちもずっとやりたかった部分でしたので、とても幸せな時代を過ごしました。けれど井上さんが売れっ子になりうちに書く暇がなくなった。その後は井上さんはご自分で劇団を立ち上げましたね。
 
鳴門
お芝居はいつころからされるようになったのですか?
熊倉
子どもの頃は病気がちで、小学校低学年の頃は、長い間寝ていまして本ばかり読んでいました。東京下町生まれでいい家庭で育ったのですよ。ちゃんとしたサラリーマンでしたが。でも芝居なんてとんでもなかった。映画も見せてくれませんでした。
18歳の時が終戦でした。一応検査をうけたりもしましたが、行かなくてよくなったのだけど世の中がめちゃくちゃになっちゃって、疎開したりもしました。
演劇に出会ったのは、旧制都立高校の記念祭でゴーゴリ作の喜劇「検察官」にでて皆に喜んでもらえたのがきっかけです。喜劇でないと芝居じゃないと思った。初舞台で喜んでいただいてとりこになったようです。いろいろ苦労して、29歳ごろ、テアトル・エコーという劇団がその頃には珍しくコメディーをやっていたので、入団させてもらい、おかげでここまでになりました。
 
鳴門
声優と芝居のバランスはどうでしたか?
 
熊倉
声の仕事を始めたのは、そのころ、アルバイトするにはNHKしかなかったのです。そこでラジオの仕事をして、1本300円か400円もらってました。そこから民放ができ、テレビができ、アテレコが盛んになりました。それまで3時間ぐらいしか放送していませんでしたが放送時間を延ばすことになったのですが、日本の映画会社がテレビにはフイルムを貸さなかったので外国からテレビ映画を借りてきました。そこで、アテレコが始まったのですね。テレビでは画面が小さいので字幕を読むのはとても困難なので、若い新劇の俳優にやらせたらどうかといって始まったのです。
アテレコの仕事がいいアルバイトになりました。これはセリフを覚えなくていいと思って喜びました。なにしろ、時間的な拘束があまり長くなかったので、間に芝居の稽古ができるのですから。
今みたいに声優が売れる時代ではなかったのです。声は影のもので、演者がメインなんです。われわれは声をお貸ししているだけでした。でも、いつの間にか声のスターになっていたのでびっくりしました。
鳴門
「ひょっこりひょうたん島」は一種の吹き替えですが、外国映画とは違うものなのですか?
熊倉
人形劇は難しい。その頃、糸がついているマリオネット人形が主でしたが、「ひょっこりひょうたん島」の人形はピアノ線で下からで操ります。マリオネットはスローな動きですが、この人形は素早い動き・複雑な動きができるんです。人形の構造によって動かし方も違うし、声の出方も違うのです。丁々発止的なものがあって面白いが・・・。
映画は人間がしゃべっているので、ある程度推測できる。人間は息をしているから、ちゃんと動いているからしゃべり始めるのは判りやすい。しかし、アニメの難しいところは急に口が開くのでぴったんこあわせるのが難しい。あわせるとかは職人技といえるね。
鳴門
発声でそこまで読むのですか?
熊倉
やる方は面白みがある。
 
鳴門
資料をみているとゲゲゲの鬼太郎の歌も歌っていましたね。
熊倉
あれは幸いにもヒットしましたね・・。
鳴門
私が知ったのは「ひょっこりひょうたん島」でしたが、印象に残っている声優の仕事はなんですか。
熊倉
大山のぶよ主演の「ふしぎなパイプ」の連続ラジオドラマの「パイプ」役をしました。普通の人の声は想像がつくが、パイプの声をどうすればいいんだろうと悩みました。
 
鳴門
エコーが目指すものはなんですか?
熊倉
笑いはなかなかの武器だ、やばいことを半分笑いで飛ばす方法です。本当のところをつかめるのです。
鳴門
元気の秘訣は?
熊倉
一年中本番と稽古を繰り返しやっているからでしょう。
腹式呼吸もいいんですよ。声を出すのは大変じゃないのよ。いっぱい吐くこと。
みんないっぱい吸ってるけど吐いてないんだよ。頭のちかく、この辺りに穴がいっぱい開いているんだ。細かい部屋があってそれが重要。バイオリンも弦を弾くけど胴がなかったらいい音が聞こえないでしょう?
頭の中にあるの。そこにだすといいんだけどね。
鳴門
芝居や俳優さんにをどう見ていますか?
熊倉
それぞれ個性があるがお互いに大変ですね。こんな仕事を80までやっているとは夢にも思わなかった。運がいいだけ。仲間でもいろいろ。よっぽど運がよくなければこうはいかない。でも、僕より年上がいらっしゃいますからね。
森光子さんや北林谷枝さん。動いているから現役で元気でいられるのでしょうね。
鳴門
それでは最後に私たち演劇鑑賞会へのメッセージをいただけますか?
熊倉
芝居を見るのが好きな方が集まっていらっしゃるのでしょう?素晴らしいことです。昔、労演といわれていたころ(1971年)、「11匹のねこ」を持って来なさいと言われたことがありました。それで初めてお付き合いができたのです。11匹の男の猫がいろいろなことをして何とか食べ物を探す、そんな芝居をどうしようかと思ったのですが、当時の演出家キノトールが「井上ひさしの芝居は素晴らしい。全国の人に観てもらいましょう」と積極的に出て行きました。コメディーの活動は皆様に支えられてここまできました。ニールサイモンのコメディーをよくここまでお付き合いしてくださったと思います。
他の作品にもコメディーを取り入れるようになりました。わたしたちのやってきた道が間違っていなかったということなのでとても嬉しいことです。皆さんがどんどんやってくれればいいと思います。
鳴門
どうもありがとうございました。
熊倉さんとインタビューア

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