佐々木愛さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問26

劇団文化座公演「二人の老女の伝説」鳴門例会(2007年8月25日)で“雲雀(部族の集団から見捨てられた老女)”役をされる佐々木愛さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

佐々木愛さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
今日はお忙しいところどうもありがとうございます。もうずいぶん前になるんですが、佐々木愛さんに来ていただいたのは『サンダカン八番娼館』ですね
佐々木(敬称略)
そうですね。
鳴門
たまたま不運なことに『遠い花』というのが四国で分かれてしまって鳴門では観れなかったのが残念ですが、あの作品も大変感動しました。では早速ですが、作品のことについてお話をお伺いしたいと思います。実は7月例会で『壁の中の妖精』を観せていただいたんですが、その演出が福田善之さん・演出補が福原圭一さんなんですよね。福原さんとお話したときにも『二人の老女の伝説』も全く同じですねという話をしたんですよ。高松や丸亀、今治では公演を終えられていますが香川での反応はいかがですか?
佐々木
この作品での旅は初めてなんですが、中国ブロックの方も観に来ていただいていて、彼らと舞台が終わったあとに飲んだ時、期待していた以上だった『二人の老女の伝説』を観てパワーをもらったといこうとを言っていただきましたね。来年5月例会の『天国までの百マイル』もそうですけど、今の日本人は何となくパワーを無くしていると思うんですよ。本来持っている人間力というものをね。それがとても残念だなと思うので、元気がでるお芝居を作ろうと心掛けて作品選びをしているんですよ。ですので観られた方からパワフルなお芝居ですごく元気をもらったと言っていただいて嬉しかったですね。それから自然の中では人間とその他の生物が一つとなって生きているんだという法則みないなものがあるんですが、今の時代は自然破壊することに対してしっぺ返しが来ているんだと思うんですよね。このお芝居を見ていただくことによって、ちょっと立ち止まって考えていただけたらなと思っています。またこのお芝居を観られた方もそんな事を感想として言って下さるのでよかったなと思いますね。
鳴門
とてもタイムリーなお話ですよね。元気を出しなさいと言うメッセージが伝わってきます。
佐々木
その通りです。私もちょうど60を越えたところでしたので……。『今日は死ぬのにもってこいの日』という詩集があるんです。南米のネイティブの方が書かれた詩集なんですね。この詩集と『二人の老女』の原作を2つくっつけて福田先生に書いてくださいとお願いしたのがこの『二人の老女の伝説』なんです。
鳴門
そうなんですか。ところで、この作品を上演されるにあたってアラスカに行かれたと聞いたんですが。行かれたことによって作品に対して考えが変わったことや、忘れられない体験談などがあればお聞かせ下さい。
佐々木
この『二人の老女』の原作者が育ったところは完全な北極圏なんですよ。フェアバンクスからチャーター機で行くんです。25名で行ったのかな。とにかくこんなに大量に日本人が来るなんて初めてだ、しかも普通日本人はオーロラ鑑賞と犬ぞり体験で来るのに、住んでいる人に会いたい、自然と出会いたいという目標を持って来た人達は初めてだと、到着時から新聞記者が2人一緒に寝泊まりまでしてずっと追っかけで付いてきて取材されました。2日間に亘って新聞にでかでかと載ったりしましたね。また、住民から印象的な言葉も聞きました。実は、彼らは今もまだ犬ぞりを使っているんですね。そこで、アラスカは自動車も入ってきているところなのに何で文明の利器を使わないんですかと聞いたんです。その答えが「文明の利器は故障しますから」との事だったんです。あちらには大きな河があるんです。ユーコン河というのですが、凍ったユーコン河を自動車で渡って壊れたらどうしようも無いじゃないですか。犬ぞりなら一頭が死ねばその一頭を切り離せばまだ走るわけですよ。彼らのその「故障しますから」という言葉がすごく印象的でしたね。私達なんかにしても冷房が壊れちゃったらまあ大変とかなってしまうでしょ?
鳴門
頼りすぎているってことですよね。
佐々木
そう、そうなんですよ。アラスカに行ってユーコン河のほとりで本当のサバイバル体験をさせて下さったんですね。ヘラ鹿の肉や、熊の肉を食べさせて下さって。この熊の肉は今年9月にしとめた熊ですとか言って、調味料もないので焼いて塩だけで食べたりしたんですよ。行くまではあの寒いところでよく生き延びたなと思っていたんですが、アラスカに行ってみたらあの2人は寒かったから生き延びられたんだと思いますね。食べ物はみんなカチンカチンに凍ってしまって腐らないんですから。そして彼らの家の回りの木の下には小さな罠が仕掛けてあって兎とかを捕っているんですよ。
鳴門
それは今現在の普通の家庭でのことですか?
佐々木
そうです。あちらはホテルも無いので普通のお家にホームステイさせていただいたんですね。私達とは別の家に泊まった方が言っていたことですが、お父さんが3歳くらいの男の子を連れて仕掛けた罠の見回りをするんですよ。毎朝何か捕れてないかってね。それから見回りの後はまき割をしている姿を子供に見せているんですね。そうやって小さい頃から生きる術を教えているんだそうです。そういう姿にすごく感動しましたね。今の日本ではそういうことはなくなってしまってますからね。私もうちの子供を育てる時に、もし地震とかで食べ物が全く無くなった時なんかには、どうやって身の回りのもので命を繋いでいくかを伝えておこうと思って、いろんな話をしたことを思い出しましたね。子供がまだ小さい時には、この野草は食べられるのよ、ザリガニは水を吐かせれば食べれるのよ、私達なんかが小さい時は食べていたのよ、ちゃんと自分の力で生き延びなさいよって言う話をしたりしてね。
鳴門
確かアラスカに行かれたのは日本の秋くらいでしたでしょうか?その頃はもうかなり寒かったのでしょうね?
佐々木
11月ぐらいだったと思いますね。零下40度にもなるんです。服などは向うで借りましたね。靴からして違うんです。靴の中にもうひとつキルティングのようなものを履いて二重になっているんです。寝る時には布の部分を脱いでストーブにかけて夜の間に乾して寝たりするんです。暖房が無いお家に泊まった人は寒くって靴を履いたまま寝たそうですね。他にも電気のない19才の男の子のお家に泊まった人は、その男の子が寝たらストーブが消えちゃったんだって、夜中の12時くらいに。その後は寒くって寒くって。翌朝ランプの宿に行った人はどうだった?って聞いたら、ランプじゃないのよ蝋燭なのよなんて言ったりしてね。他にも向うに行ってすごくショックだったのは飛行機を降りたところにティモールなんかで手柄を立てた軍人さんの写真があるんですよ。先住民の人達にも徴兵がくるわけですよ。アメリカ国民ですから。星野道夫さんの本にも書かれているのですが、文明の行き届いてないところからも徴兵された人達もいたそうです。しかも彼らは最前線に送られるわけですよ。彼らは英語がしゃべれない人達ですから、いろんな目にあって精神状態にも異常をきたしたりするわけですよ。日本でいえば北海道もそうですね。沖縄決戦で一番多く亡くなったのは北海道の人ですからね。その中でもアイヌの人達がいっぱい犠牲になっているんですよ。寒い国の人達があの8月の暑い沖縄の中で開戦したんですからね。旅をするということはいろいろなことが目に入るということなんじゃないでしょうか。
鳴門
その経験が今回の作品にもいかされ、今までの文化座さんの作品に比べてとても趣向をこらした舞台になっていますよね。歌も踊りもあり、現在と過去が行ったり来たりして。
佐々木
そうですね。文化座だからそういうのは全くやらないとか言うわけではないんですよ。うちの作品の今度九州を回る『瞽女さ、きてくんない』には三味線が入っていたり、男の子が中心となる『青春デンデケデケデケ』とかもありますしね。ただ文化座だから選ばれるという作品もありますよね。『サンダカン八番娼館』とか。今回は福田先生の作品をすることによってある程度覚悟はしていたのですが、まさか私まであんなに歌ったり踊ったりするとは思ってなかったんです。
鳴門
新しいことをするのは楽しみでもありますよね。
佐々木
そうですね。お芝居と言うのは何か新しいことに一つずつ挑戦して行くことが緊張感を生み、楽しみにもなりますしね。お客様にしてみれば毎回同じ役者を見ているわけですから、今度は何を見せてくれるのかというのが楽しみなわけですよ。私達もいつも自分に足りないものは何なのかということを考え、常に挑戦の気持ちを持ってお芝居をしていますから……、身体に鞭打ってがんばっています。
鳴門
先ほどロビーで役者の方が三味線の練習をされていましたね。
佐々木
ああ、そうですか。それがさっきお話した『瞽女さ、きてくんない』です。帰ってすぐ、9月中旬から九州での公演があるんでね。主役をやる子は東京に残っていますけど。そこで私も三味線とか持って出てくるんですよ。
鳴門
それは楽しみですね。ところで佐々木さんはやはりお父様やお母様の影響を受けていらして、小さい頃からこの道に入られると決めていたのでしょうか?
佐々木
いえ、そうじゃないです。高校の先生に勧められてですね。
鳴門
ご両親からのというのではないんですね。
佐々木
ずっと両親を見ていましたけど、大変だというのがすごく印象としてありましたから、とても私なんかにはできないと思ってました。
鳴門
大変と言えば『冬華』でしたでしょうか。戦争末期の劇団の大変な様を描いた作品がありますね。確か実話をもとにした作品だったと思ったのですが。
佐々木
そうです。文化座は戦争末期に満州に行って敗戦4ケ月後に昔の新京、今の長春でお芝居をやっているんです。公会堂でちゃんと。その顛末を描いた作品です。
鳴門
その作品から推察するには、ご両親のご苦労は本当に大変だったんでしょうね。
佐々木
大変なんていうものじゃないですよ。うちの劇団がよそと違うのは芝居を満州にもって行き、敗戦になって昭和21年に引き上げて帰ってきましたから、中国の内戦や戦争というものを目の当たりに体験して、戦争とは如何に残酷なものかというのを実感として持っていることですね。だからうちの芝居作りの中にはそういうものが根強く残っていますね。
鳴門
佐々木さんが初めて舞台に立たれたのは『荷車の歌』でしたでしょうか?
佐々木
ええ、1961年に『荷車の歌』の旅公演からですね。
鳴門
高校を出てすぐですか?
佐々木
高校3年の時ですね。高校2年に研究所に入って研究所の生徒の時に孫娘の役で公演について行きました。
鳴門
一番印象に残っている舞台や役とかはありますか。
佐々木
よそと違うという意味では『荷車の歌』ですね。九州の長崎だけでも 『荷車の歌』を4回例会として取り上げてくださっているんです。私は『荷車の歌』で最初は孫娘、次は長女、そして主人公と3代の役をやったんです。そういうのは他の劇団ではないと思うんですよ。よく『荷車の歌』はうちの母の代表作と言われていますが、実はステージ数では私のほうが多いんですよ。後は鑑賞会の方達で私のことを同級生のように思ってくれている人達、愛ちゃんとか呼んでくださる方達は、私が20才の頃にした『土』という作品を見てくださっていて、『土』のおつぎが僕の青春だと未だに言ってくださるおじ様達がいてくださって、とても印象に残っていますね。また一人芝居もやっていますので、それもいろんな意味で私にとって印象に残っている作品です。
鳴門
文化座さんというと弱者に視点をあてた作品が多いですよね。
佐々木
そうですね。それが文化座の個性というんですかね。
鳴門
今回の老婆の生き様もそうですよね。受け容れるのではなくて戦って生きていくという人間力が描かれていますよね。
佐々木
私自身のことで言えば、自分が日頃忘れていた感情であったり、知らず知らず視 野が狭くなっていたりした時に、お芝居を見ることによりふと目の前が開けたり、力がわいて来たりすることがあるんです、それをすごく大切にしたいですね。
鳴門
『天国までの百マイル』もそうですよね。
佐々木
そうですよ。あれは全くそうですよ。うちの鳴海のやるモデルの先生が素敵な方でしてね。諦めないというのは大事なことだと思いますよ。浅田次郎さんも書いておられますがインフォームドコンセント、今では誰でもすることですけど、可能性を求めて走ったという行動はすごいことですよ。浅田さんはあの時どん底のもう一つどん底だったけど、あの作品を書いたことによって立ち直ったと言われてましたよね。また私達にとっても『天国までの百マイル』で北海道と九州を除いて全国を廻らせていただけることになったのもものすごく幸せな作品ですね。『二人の老女の伝説』この作品には好き嫌いがあるかも知れませんが、『天国までの百マイル』は皆様に共感していただける作品じゃないでしょうか。だってお母さんがいない人なんていないでしょ?皆がお母さんのことが心配だったり、後ろめたさがあったりするでしょ。自分を動員させれらるんでしょうね。あれは絶対お勧めです。
鳴門
そうですか。来年が楽しみですね。文化座を代表してこれからの文化座についてお聞かせください。
佐々木
文化座は劇団制をとっていますでしょ。劇団以外でももちろんですが、少なくともうちの劇団の中ではお互いに支え合って高め合っていきたいと言うのが基本です。うちの俳優をどういう作品につけて、どういう演出家・作家をお招きしてうちの俳優の魅力をに皆様にどう伝えて行くのかというのがテーマですね。来年も魅力のある作品を準備しておりますので楽しみにしていてほしいものです。『天国までの百マイル』は今年12月に中国公演を行いますし、来年の秋は韓国で新作の公演を予定しています。文化座の持てる力で無理をせずチャレンシ精神を忘れないで取り組んでゆきたいですね。私にとって一番大切なのはうちの劇団員と劇団員を育ててくれているお客様ですからね。文化座が65年間やってこれたのは全国の市民劇場の会員の方が支えてきてくださったおかげだと思います。つまらない作品を観たら会員をやめたいと思うじゃないですか、だから自分が会員になった時の事を考えて、一つ一つ工夫を凝らした作品を上演して、文化座をまた観たいねって言ってくださるような印象を残せる舞台を造っていきたいと思っています。
鳴門
最後に鳴門には佐々木愛さんのファンが多いので、なにか鳴門市民劇場の会員に向けてメッセージをお願いします。
佐々木
昨日もお出迎えしてくださってすごく嬉しかったですね。このようにお客様と触れ合えるのは鑑賞会ならではのことですし。鳴門は2回目なのでもっと鳴門を知ろうと昨日は渦潮を観に行ったりもしたんですよ。こうやってインタビューを通して文化座を理解しようとしてくださっているのですから、私ももっと鳴門の会員さんのことを理解できたらなと思ってやっております。だから今度『天国までの百マイル』で来た時には今回よりももっと会員さんが増えていてくれたら嬉しいですね。
鳴門
今日はお忙しい中、楽しいお話をありがとうございました。
佐々木愛さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
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