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「父と暮らせば」

こまつ座

鳴門市民劇場2011年9月8日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

笑いと涙ありの舞台でよかったです。
  広島弁もすごくよかった。じーんと伝わってきました。

戦後あまり戦争のことを聞いたりする機会がなかったので笑いと涙の演劇を観ることができ良かったです。
  二人は息のあった父娘を演じており、当時の様子が痛ましくわかりました。
  二度と戦争は起こしてはなりません。若い人に伝えていくことも大事だと思いました。

色々期待しすぎたのか、あらすじ通りの展開で思ったより感動が少なかった。
  後、辻萬長さんの演技がうるさかった。ただ重すぎない語りが井上ひさしの魅力なのかな? とも感じた。
  それに代わって栗田桃子さんの演技は可愛らしく父への優しさが伝わってきた。
  戦争を経験した方の思いは計り知れないが震災や原発問題が起こっている今、たくさんの方が観てくれたらと思う作品ではありました。

二人だけの舞台で大熱演!! 役者さんの意気込みをひしひしと感じる、すばらしいお芝居でした。人はそれぞれ思いをかかえて生きている。一人だけ生き残った後ろめたさにひっそりと生きる娘さん、燃えさかる炎の中に父親を置き去りにした苦しい思い。娘だけは生きてほしかった父親の願い、そして何とか恋人と結ばれてほしい思い、死後もその思いを伝えたく現実の世界に帰ってくる父親の切実な思いと、いろんな愛情が交錯して親子の心の糸がほぐれていく。
  恋人の男性は少しも顔を見せなくても、その存在がじゅうぶん理解できる井上ひさしの脚本のすごさにも感動しました。
  心あたたまる舞台に出会い、とっても幸せな気分になりました。ありがとうございました。

悲しい話なのに、ちょっと笑いもあり、次々と木下さんなる青年の人柄が想像できたし、うまく恋が実りますように、と思いました。
  二人だけなのに長い芝居を演じ、しかも退屈させないのはすばらしいと思います。サークルの皆も「短かったね」という位アッという間でした。

二人芝居ということで、あまり期待していませんでしたが、当番でA席だったので、主人公の良い声が心地よく響きとっても良かった。

今は亡き井上ひさし作の舞台作品、映画は黒木和雄監督・宮沢りえ・原田芳雄出演ですごく感動したので舞台ではどう表現されるのか(舞台装置、木下青年の存在…)とても興味があった。
  一幕で休憩なしであったが集中して観劇できた。
  原爆投下の地広島が舞台であるので父娘の会話も広島弁。
  最初、美津江のセリフがききとりにくかった。竹造の辻萬長の声は根太く、強く、娘を思いやる父親の心情をよく表現していた。
  後半は栗田桃子の美津江も木下青年の故郷行きに同行する決意したあたりからセリフがよく通るようになった。
  亡くなった人が生者への応援団として姿をみせて、こんな父娘のように話ができたらいいのにと思う。
  死者と生者の関係、生き残った者は、死者の分まで生き続けること、まして原爆による悲劇は、舞台や映画で語り継ぐことで次世代や全世界にメッセージを送ることの大切さを思う。福島の原発事故の核の恐ろしさも含めて・・・。

ユーモアのある表現の中に深い内容がどんどん伝わってくる。
  辻さん・栗田さん、お二人の名演技にひきこまれました。
  若い人達にもっともっと観てもらいたい内容だったと思いました。

映画も観ましたが、舞台では臨場感があり良かったです。

観劇中の私語、寝ている人もみかけました。演じている人に悪いです。迷惑です。演目を決める前にマナーの勉強が必要ではないのでしょうか?

最後の最後で泣かされました。
  力強い演技で引き込まれた舞台でした。

父が原爆資料を使った昔話の読み聞かせの手本を娘に見せるシーンが印象的でした。誰もが知っている昔話を身ぶり手ぶりで実演する様が爽快でおもしろいのだけれど、原爆資料が物語る戦争・原爆の悲惨さが生々しく伝わってきて恐さも感じました。また、父の話を聞く娘も次第に恐怖を感じ、また回想してか、自分の腕をさするシーンがよりいっそう恐く感じました。
  戦争によって家族や知人を亡くした者が、美津江以外にもおおぜいが『自分は生き残って良かったのか。』「私よりもあの人が生き残るべきだったのでは。」などと、苦しい想いをしながら、戦後を生きていたのではないかと思うと悲しく、また心打たれるものがありました。

亡くなったお父さんや友達の分も生きて下さい。若いのにちゃんとしていて、しっかりしてますね、美津江さん
  原爆はたくさんの人の生命や生活をうばって恐ろしいですね。

美津江の心変りが観客席の空気を一瞬に変えた。セリフを聞き逃したのか不安に成りましたが、本を読み返してみても、一言もなさそうで竹造と美津江の絶妙な脚本を演じたこまつ座と井上ひさしの力なんですね。

「生き残って申し訳ない」という感情を持って生きていかなければならない、という事実が切ないです。
  あたり前のことがあたり前でない、戦争というものを我々も含め、若い世代に語り継いでいかなければ、いけないと思いました。
  ロビー交流会にも出席させていただきました。俳優さんのお話を聞いて、お芝居を見ただけではふに落ちなかったところがすとんと心に落ち、改めて感動しました。これからも時間の許す限り、交流会に出席したいと思います。

出演者2人だが、少人数とは思えない演劇であった。
  喜劇ということだが、内容が重く、笑えない劇であった。
  数々の賞に輝いていることが納得できた
  今後もこのような演劇が観賞できるようお願いをします。

劇が終わった後、余韻の残る演劇でした。
  劇が終わって、観客が流れて外に出ていく間、ぼんやりと、天井を見ながら劇を思い返し、その余韻を楽しみました。
  「芝居が終わったあと、幕が開き、二人の役者さんが、正座して深々と頭を下げていた。娘役をやった女優さんは、泣いているように見えたなぁ」そんなことを考えていました。
  テレビはCMが入るので、こうゆう贅沢はできません。
  この劇でも、映画でも気になったのは「食」へのこだわり。
  小魚を擦って、味噌をまぜているシーン。父親が、美味しそうに作っていましたね。映画でもラストでケンチン汁を作るシーンがありました。
  娘は恋人から「大福(?)」をプレゼントされる。父は娘から半分もらうが、食べることができない。それは死者だから。
  娘の恋人が食べ物を与えたのは、「生きてほしい」というメッセージだったのでは。「食」がこの芝居のテーマの「生命」と密接に関係があるのではと考えました。

知り合いに広島出身の人がおり、広島弁が耳になじんだ。
  もちろん言っていることは理解できた。
  父親と娘の軽妙なやりとりがもどかしくも楽しめた。
  一途な娘の幸福を願わずにいられなかった。

鳴門例会カーテンコール

大変感動しました。以前映画で見たことがあるのですが、なぜかあまり強い印象が残っていないのです。今回は演劇でしたが、二人の俳優さんの演技がとてもよかったです。
  父と娘の対話で話は進んで行きますが、父は亡霊であるため、実際は娘・美津江の回想であり、これからどう生きていくのかという心の葛藤でもあるのです。原爆投下によってもたらされた広島の姿、人々の苦しみと悲しさ、そしてそれらをすべて背負って生きていく生き残った人々の思いが舞台に凝縮されていました。
  後の交流会にも参加しましたが、あれほどの舞台を演じられたお二人の素顔がとても素敵で、すごいなぁと思いました。

まず、辻萬長さんの第一声「こっちじゃ、こっち…」にびっくり!
  何とよく通るハリのある声なんだろうと…
  生き残った被爆者の娘と、娘の幸せを応援し明るく楽しく生きることを願う父親役、とても素敵でした。

舞台のはじまりは激しい雷雨の音や光などで、今から66年前の大東亜戦争(太平洋戦争)が終結直前に広島・長崎に投下された原子爆弾の様子・被災体験者の現状や亡くなった方々の怨念などを改めて思いだされました。
  主人公の福吉美津江と父、竹造(亡霊)との会話で父は娘の幸せを望み、娘は原爆で亡くなった親友、父を火の中に置き去りにして逃げたものなど幸せになる資格はないという。平和な時代に私たちが忘れかけている戦争の後遺症(心の傷)に苦しむ一途な女性がいることを戦争体験者の一人として後世に語り継がなければと思いました。
  父役の辻萬長さん よくとおる声で広島弁もよくわかりました。
  娘役の栗田桃子さん 声はいいのですが、少し聴き取りにくい。蟹江敬三を父にもつ彼女のこれからが楽しみです。
  親子のやりとりは、いろいろあったけど最終場面で木下さんを迎える美津江の笑顔でハッピーエンディングとなるでしょう。

観劇を通してこれからもずっと原爆がもたらした苦しみ、怒りを次世代に語り続けていきたいと思いました。
  二人芝居ならではの役者さんのセリフのやりとり、間のとり方、呼吸等醍醐味がありました。

「族譜」に次いで今年二作目の戦争もの。日本人の記憶から消えいく「戦争」について時々考えることは、必要なのかなと思う。
  「父と暮せば」前半の父と娘のやり取りはほほえましくもあり、ついつい笑ってしまった。でも後半娘が語った原爆の現実は、とても悲惨で悲しいものであった。それでも最後は、その現実を断ち切って生きて行こうという明るく、暖かいものが残る終わりであった。
  この劇は平和ボケした日本人への警鐘も描かれている。苦しくも三月に大震災を経験した日本は、戦争について、原爆について、原子力について、そして平和(幸せ)について、もう一度真剣に考える時なのかと思った。
  いろいろな劇をみていると、このように「深い劇」に出会えることができる。それが続けて劇をみる楽しみのひとつでもある。

私は「幽霊もの」に弱い。劇に出てくる幽霊はたいてい「切ない想い」を背負っているからだ。娘と暮らす父・竹造の幽霊も例に違わずそんな幽霊だ。竹造は残った娘が幸せに生きていくことを願いながら死んだ。にもかかわらず、残った娘は父を救えなかったことに負い目を感じ、自分の幸せを考えられずに生きている。聞きなれない広島弁のやり取りでも、親子の切ない気持ちが次々に押し寄せてきてたまらなくなった。
  父の想いを知り前向きに生きていく決心をした美津江の明るい笑顔を見て、最後には切ない気持ちがいくぶん救われた。そして、「我々は戦争という過ちから学び続けるために、悲しみを語り継がなくてはならない」という作者の強いメッセージが心に浮かぶ。

父が既に亡くなっていることをわからないまま観ていたので気づいた時には終わったという感じで、少し唐突に終わった感がありました。

「自分だけが生き残って申しわけない」、「自分が幸せになっては申しわけない」。なんと切ない娘心であろうか。美津江の爪のあかでも煎じて飲まなければならない人間が多い今の世の中、心に染みる台詞であった。一方で当然のことながら芽生える「自分の幸せを願う娘心」との葛藤がとてもうまく表現されていた。でも、最後には応援団長の父親の説得に心を開いた美津江が笑顔で「しばらく会えんかもしれんね」と言ったのは、「もう応援に出てきてくれなくても大丈夫よ」という意味であっただろう、と思えて安堵すると共に、「おとったん、ありがとありました」には、思わず涙するとともに心温まるラストシーンであった。その前の「じゃんけん」の場面は、強烈な迫力で、残酷で悲惨な地獄絵を描いてみせてくれた。
  たくさんの被爆死した人たち、生き残った人たちの地獄の苦しみを、二人だけのそして1時間20分という短い舞台に凝縮させた井上ひさしの脚本は凄い。これも核廃絶を訴える井上ひさしの強い思いがあったればこそだと思う。強い共感を覚えた。
  辻萬長、栗田桃子の2人の熱演も素晴らしかった。

席が後ろの方だったのか女性の声が聞き取りにくかったです。

父親の娘への愛がえがけてよかった。

大変感動的な物語をありがとうございました。
  終戦前後の歴史的事実もふまえ、ズッシリと重い内容と感じました。お二人が真剣に演じられているのを見て、笑えるところも含み笑い程度で終わりました。栗田様の熱演とお父様役の辻様の娘を思う親心には感動致しました。栗田様の「生き残ってはいけない。倖せになってはいけない」と言われることの意味も物語の中で語られていました。広島で被爆された方々の気持ちの中に潜む、メンタルな部分と思いました。涙なくしては見る事の出来ない部分と思っています。また「生きる」ことと「生かされている」この言葉は哲学の問答に似て我々では結論の出せない中味と感じました。
  熱演された辻様、栗田様に心より拍手を送ります。

よかったです。
  幽霊がいる世界ですから、当然作り話と理解しつつも、途中で出てきた原爆瓦・時計などが幼少のころ訪れた平和資料館を想起させ、
  『展示品の中には木下が集めたものもあったのかな』
  と、実話のような感覚を受けました。

世の中は理不尽でもある意味理屈に合って、すべての人が幸せになるようにはできていない…と思います。「誰かの願いが叶うころあの子が泣いてるよ」って唄もありましたっけ。美津江ほどに極端な体験の中でなくても、日常の中で、自分がうまくいっているとき、いい思いをしているとき、幸せな方向に向かうとき、ふとそういう小さな(ときに大きな)胸の痛みを感じることが、私にはあります。結局は、だからといって自分の幸せを捨てるわけではなく、ありきたりの方向に進むわけだけど、それでもふっきれないとてもつらいこともあるので、そんなときには「押し入れ」の中から、「自分を一番応援してくれる人」(たとえばお父さん)が出てきてくれて「それでいいんだよ」と背中を押して欲しい…。そういうことを想像すると、美津江の物語は、単に戦争、原爆、ヒロシマに限った物語ではなくて、とても普遍的なことに思えて、流れる涙とともに大きな共感を覚えました。もちろん、作者井上ひさしの意図は、普通に(?)ヒロシマの現実をきちんと伝えること、平和の大切さが平和ボケの中で薄れないように繰り返し訴えていくことだったと思われ、それは、井上流のときに軽いタッチの中でうまくひしひしと伝わってきましたが、それ以外にも…こんなこともたくさん感じて、1時間20分という短い時間の体験とは思えないほど、充実しました。

戦争に関係なく、亡くなった方への思いは誰にもあるものですね。
  ただ、広島弁には違和感はなかったのですが、
  ず〜と、話つづけられて、ついていくのに、ちょっと疲れたかも。

最後のほうで、涙と鼻水が止まらなくなり、とても感動しました。
  ただ、演劇を見る前は、父の娘を思う気持ちを、前面にアピールしている劇だと思っていたのですが、実際に観ると、結構、原爆のときの悲劇(昔学校でならったような)を演じている割合の方が、
  多かったような気がするので、少し怖い感じを受けました。
  でも、このような原爆の悲劇を、観ている人に伝えたいという思いで、井上ひさしさんは作ったと思うので、すんなり、原爆の悲惨さをちゃんと受け止めなくてはならないんだなと思いました。
  私たちに伝えるメッセージは、奥深いものがあるなと、感性のない私の中にも、伝わってきました。

戦争の話だったので、少し重いお芝居かなと思っていましたが、始まってみると、ユーモアがあり、時々、笑いもあって楽しく観せて頂きました。ありがとうございました。

原爆投下から3年、死亡した父が不憫な娘が気がかりで天国へ行けずに実在しない父が亡霊となって現れ、何くれとなくおせっかいをやくと言う筋書き。戦後の雨漏りのするあばら家、心よい音楽の流れ郷愁を誘う流暢な広島弁、にんまりと笑ってしまいそうな親子の会話、娘は少し迷惑そうであるが、親として娘を幸せにしてやりたい、幸せになってもらいたい一途な親が子を思う父の思いが胸にじんとくる。悲惨で哀れな親子であるが、ちっともそれを感じさせない。ほのぼのと心が温まるさわやかですがすがしい作品。井上ひさしさんならではの最高傑作の作品、気持ちよく観劇する事が出来ました。
  帰りの車中、最後は幸せそうな男女の笑い声、それを見届けた父・竹造は黙って出て行く。もう二度と現れたりはしないであろう。そんな場面を想像しながら家路につきました。

恋の応援のため、帰ってきた父の亡霊、原爆で亡くなった父を助けることができなかった自分に悩むやさしい娘、人間ってどうしてこんなにあたたかく優しいのだろう。
  悩まなくていいからお前のようなやさしい娘はしあわせになってくれ、好いてくれる好きな人と結婚してくれ、生き長らえて幸せになることにためらわないでとあの世から応援に来た父。
  孝行娘のあの長いセリフ、父のことば、動作のあたたかさ、会場がシーンとなり涙がじわっとあふれるお芝居だった。

これは私の好みの問題かもしれませんが、追い詰められ、今私たちがいる場所とは違う状況を舞台に話を描くとき、その悲惨さ、大変さを繰り返し強調されるより、日々の生活をきちんと描き、そこで笑い暮らす人々を生き生きと描写したほうがより胸に訴えられるものがあります。
  「父と暮らせば」は、一人で生きてきた娘の家の生活感、そして父との笑い、何に喜びを感じるのかが丁寧に描かれていました。
  終盤、お客様を迎えるために、娘が父親に晩ご飯の献立を説明するシーンがあります。じゃこみそ、野菜のたいたの、ごぼうのささがきの入った醤油めし・・・並べられるメニューは、今の私たちから見れば質素な料理です。それでも父親の嬉しそうな反応を見ていれば、それが何よりのごちそうに見えてきます。
  その時代の空気を、舞台を見る私たちも追体験している瞬間です。こうした空気を感じさせてくれる物語が、私はたまらなく好きです。
  また、原爆体験者を扱った作品では、「自分が幸せになってもいいのか?」という言葉はよく取り上げられるテーマだと思います。
  娘は、先ほど並べた料理のように、日々の生活の中に小さな幸せをとらえて暮らしています。素敵な人を見ればときめいてしまいます。
  それでも、将来、未来を見据えて幸せになることは脳が拒否するのです。
  彼女の時は3年前、親友の母親になじられ、父を見捨てた瞬間から止まっています。友人と交わした約束にしがみついて物語を変えることもできず、原爆の話を聞けば耳をふさいで図書館から追い出してしまう。それはあるいは、原爆以後、親しい人がいない状態で3年の間生きてこなければならなかったためかもしれません。3年たった今、父親が現れて許してくれても頑なになった彼女は受け入れることができないのでしょう。そんな娘に父は言います。「それならお前ではなく、子が物語を伝えられるようにしろ」と。自分が得た経験を、亡くなった人の思いを、未来に受け継ぐのが彼女の仕事だと。父が与えたものは、「許し」ではなく「使命」であり、「生きる意味」でしょうか。それを成し遂げるためには、彼女は「幸せ」にならなければならなりません。
  初めて「幸せ」になってもいいと思えた彼女に差す夕日は、刺すようなピカの光でも憂鬱な雨雲ごしの薄明かりでもなく、柔らかく優しいものに感じられました。
  この物語に共感された方に、こうの史代さんの「この世界の片隅に」という作品を薦めます。
  発表の形態はマンガであり、馴染みのない方も多いかもしれませんが、戦時中の日常と、生きていく意味と幸せと、そうしたものを感じさせてくれる素敵な作品です。

近年観た劇の中で最高でした。
  どうもありがとうございます。
  今後もこのような劇団を呼んでいただくようお願いします。

二人舞台は始めて観たがじっくり味があって大変よかった。
  こんな会話が現代の親娘にあり得るのか? と思ったが・・・。竹造は幽霊!                              
  表面快活だが、心の奥の一人生き残りの罪悪感と木下に惹かれ幸せになりたい美津江の娘心がしっかり伝わってきた。
  背景の原爆の残酷さ、生きた人間の傷の深さ・・・もうそろそろ脱却したいと思っていたが、この度の大震災・原発事故に遭って、改めて現実感が迫ってきた。・・・そんな世の中に我々も生きている。
  劇は小さな幸せだったが、非常に大きな幸せにつながっている。人を思う心、武骨ながらとことん娘を思う親爺心。笑いあり涙あり、励ましありの現実社会のすばらしさも予感させてくれた。
  怒ったような雲空、おんぼろ屋根と風呂焚きの煙、真夏の蝉の声、広島弁もよく合っていた。
  熟年の自分の郷愁だろうか?

父が娘を思う心と娘が思う心の葛藤がよく表れてよかったです。

おふたりの熱演、そしてストーリーの歯切れよさ、クライマックスには泣きました。
  10点満点で、もちろん満点です。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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