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音楽劇「わが町」

俳優座劇場プロデュース公演

鳴門市民劇場2013年5月12日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

1.音楽劇を初めて見たような気がした。一世紀前のよき時代のアメリカの、小さな町の平凡で素朴な日常生活のイメージによく合っていた。そこから滲み出てくる若さや幸せを充分感じることができた。教会の聖歌隊の音楽に通ずるものがあったからかも……。 最初の雨の中の葬送シーンが何かわからないまま見ていたが、三幕目でやっと納得することができた
  2.第一幕、二幕の「日常生活」と「結婚」‥平凡な生活の繰り返しの中で子供達はのびのびと育ち、両親を尊敬し、素直に「わが町」に愛着を持っている。幼馴染に恋心も芽生え、初デートはみずみずしい。結婚式には町中の知り合いが集まり、二人を祝福してくれた。
  3.九年後の第三幕、主人公エミリーは二人目の子供のお産の際亡くなった。黄泉の国で父母に再会するが、黄泉の国からエミリーが見たものは、両親の深い愛情と、夫ジョージの変わらぬいつくしみの心であった。しかしもうそこには自分はいない。
  自分の一生は永遠の宇宙の大きな流れから見れば、極わずかな一瞬に過ぎないが……。
  「わが町、グローヴァーズ」はいつまでも幸せの町であり続けるだろう。そんなメッセージが伝わってきた。

舞台は暗く、装置もシンプルで変化に乏しく感じられた。ストーリーも盛り上がりなく単調。しかし、ピアノ演奏、歌声はすばらしかったと思います

現在,結婚式,死後の世界の3部構成。そして、現実と空想の世界を動と静で表現したお芝居であった。日常の生活は各種のパントマイムで分かりやすく表現されていた。料理のしぐさ・コーヒーを入れるしぐさ・飲むしぐさ等であった。ミュージカルと表現されているように初めから終りまで流れる歌声。まさに全場面、絵になったキャンバスを見るような錯覚におちいるお芝居でもあった。 第二部の結婚式の中で、これから結婚する新郎・新婦の心の葛藤を表現したシーンが見応えがあった。そして、その真剣さが私たちの若い頃の結婚式を彷彿と思い出させた。
  死後の世界は照明をうまく使い重々しい雰囲気を醸し出している。   
  もうひとつ発見のあったことをお知らせしたい。今回は双眼鏡を持参して役者さんの表情をちらりちらりと見た。今までは役者さんの全体の動きを見、せりふを聞きさえすればいいと思っていた。今回双眼鏡で役者さんの表情を見たことで、もっと深い心の動きが分かる気がした。そのことは役者さんのせりふと表情を創りだす苦労に触れたように思える。やはり、お芝居と言えども心の深い部分を表現することで私たち観劇者を感動させるものだと改めて感じた。

美しい歌声が非常に心地よかった。

進行形式が、予想と違っていたので情景がよく理解できた。
  途中途中を劇中劇のような感じで演じていたのが良かった。もう少しのっぺらぼう(退屈)かなと思っていた。
  背景はなにもなく、置物もない状態で、状況は理解できた。演劇ってこんなものかな。
  また、100年前でさえ、日常があのように忙しいのなら、現代はどんなのだろうか。 人間いつ何時死ぬのかも分からない、でも死があるということが「永遠不滅」なのかな。
  音楽劇とミュージカルの違いはなにだろう。音楽(歌唱)がのべつまくなしであればついて行けないが、今回は前者かな。
  でも、下手の前の方で座っていたせいか、ピアノの音量が大きく、台詞が少し聞き取りにくかった。

世界の片隅(クローバーズ コナーズ)で生きる私たちにとって「日常」がいかにかけがえのないものかを教えてくれる普遍的な物語でした。「今、ここに」生きていることを大切にし、ありきたりな毎日を、共に生きる人々を大切にしたいと思いました。

平穏な日常の素晴らしさ、なつかしさ、人生、先は分からない誰にでも訪れる死、素晴らしい地球、そんなことを考えました。
  ストロベリーアイスクリームソーダの歌や扮装は気に入りました。
  亡くなった人に自責の念をいだいている人に、そんなことは気にしなくていいと伝えてあげたい。

出演者全員の美しいハーモニーがとてもすばらしくて心地よかったです。特にエミリー役の土居裕子さんの歌声の美しさに魅了されました。
  舞台は全体的にモノトーンで地味な感じだったので、はなやかなミュージカル風を期待していた私には少し違うような気がしましたが、構成上はそれはそれでよかったのだと後で感じました。
  アイスクリームソーダの歌の所はアイデアがおもしろくて、明るくてたのしくて私の好きなシーンでした。
  今度はまたちがった作品も見てみたいな……

自分の住む町を愛する人々のお話でしたが。平凡なように感じる日常の中にもドラマがあり、平和に過ぎていく毎日を当たり前のように思ってはいけないのだと感じました。いつ何が起きても後悔のないよう一日一日を大切に生きていきたいと思います。

「わが町」ラストセクションでのエミリーの歌唱、透き通った声、心洗われる思いで感動的でした。
  音楽劇なので舞台や演技より、歌唱・音楽を楽しむ珍しい構成になってました。
  進行係の巧みな背景の概説の後にキャストの歌唱があり、それらがうまくマッチして、イメージが拡がるいい舞台でした。
  でも、なんせ舞台装置がシンプルなので、やや難しいところもありましたが、後半は盛り上がって「わが町」見事に仕上がってました。

音楽はピアノのみ、そしてわずかな舞台装置、それを演技力・表現力で補う、これも演劇。そんな感じを受けました。しかも第一幕はありふれた日常生活、第二幕は結婚、第三幕は墓場、これも意味のある流れだと見終わった後で思った。
  それにしても携帯音が途中で鳴ったのは残念でした。自分だけはと思って切ってなかったのでしょうか……係りがあれだけ「切っておいてください」と呼びかけているのに残念です。

わが町、皆さん「歌がうまい」というのが失礼になるほど、すばらしかったですね。俳優さんについて調べましたが納得でした。

ピアノ演奏と共にスーと出てきた黒い集団!“これは何なのだ”と一瞬、息を呑む。ごくシンプルな舞台とシンプルな衣装なのに、舞台は素晴らしく、三部構成が実に判りよくて、家族、愛、死について、深く考えさせられました。また少しコーラスに関わりのある私にとって、本当に堪能できた舞台でした。単純な二部合唱なのですが、とても素敵で、歌詞の一つ一つがよくわかり、間の台詞もはっきりしていて、良い勉強になりました。
  ☆当番で突然、花束の係りをすることになりました、ジョージさんと握手できて、すごく“ラッキー”でした!

原作を知らなかったし、第一幕と第二幕は、田舎町のごくありふれた話の展開にちょっと拍子抜けの感がしていた。ところが第三幕はかなり趣が変わって示唆に富む展開。
  どんなに平凡でありふれた毎日でも、同じ日は二度とない。むしろ平凡で何ということはない日常のなかにこそ、かけがえのない幸せがある。それに気がつけば、日々よく感じるちょっとした不満やストレスフルな出来事にまで人は感謝できるのではないだろうか。
  土居裕子さんの美声にも心を動かされ、まずはこの劇と出会えたことに感謝。

上演時間が長く間延びしていた上に、ストーリーも退屈でした。

日々の暮らしが描かれていて、エッセイを読んでいるような気持ちで観始めました。
  その後、子供だったエミリーも、だんだんと大人になり、結婚し、エミリーは不幸にもお産で亡くなってしまいますが新しい命が誕生する、といったシーンでは、生きることや、命のつながりの素晴らしさを感じさせられました。
  途中、「宇宙」というキーワードが出てきましたが、私は、生命がずーっとつながってきた、というところに宇宙の広がりを感じました。
  日ごろは、ドラマティックに演出されたドラマや映画に接することも多いですが、 この作品は、決して大げさに演出することもなく、自然に作られている感じも気に入りました。
  「日常」というテーマも、生命が誕生した時から、生物すべてに共通する普遍的なテーマに思えて、壮大だと感じました。
  まだ二回目の参加でしたが、この作品に出会えてよかったなぁと胸がいっぱいになりました。

面白くなかったというよりよくわからなかった。何を主張したいのか理解できなかった。
  あたかもマイクをしているように錯覚するぐらいの歌声はすばらしいと感じた。

極限まで、観る側の想像力を試される芝居でした。「音楽」というツールはあるにしても、ほとんどパントマイムのような身振り手振りで伝える演出は、役者の力量によほどの自信がないと無理だろうなあと、あとになって、そういったところの凄さもしみじみ感じました。
  歌、特にやはり土居裕子さんのソロは素晴らしく、もうちょっと聴いていたかった!
  ただ、ストーリーについては、時代、国、宗教、色々な要素が関係する背景に対して自分の受け皿が小さかったせいかもしれませんが、共感できないところも多く、特にラストは、静かで清々しいイメージを予想していただけに、それとは真逆で、重く後味が悪い印象すら少しありました。死者にいつまでも現世を見守っていて欲しいというのは妄想に過ぎず、あの考え方が或いは正しく、だからこそ、何でもない毎日でも大事に生きるという結論になるのかもしれませんが…。やっぱり、「死者が現世の人を忘れてしまう、そうしようとしている、そうしないといけない」…という結末は、もうちょっと「甘ちゃん」でいたい私、劇からは何か希望をもらいたいなあと思っている私には、残念でした。

鳴門例会カーテンコール

役者さんは歌い続け、ピアニストは弾き続け、生活の様子をみごとに身体ひとつで表現し、素晴らしかったです。 ラストは考えさせられました。

睡眠導入剤が入っているような歌声‥子守唄のように聞こえました。何とかして居眠りしないよう瞼をあけて見ましたが、居眠りをチョコチョコしていたようです。また舞台が暗いので、同調してしまったようです。
  悲しい物語‥きれいなソプラノの澄み切った歌がとても印象的でした。最後の舞台挨拶でおやすみなさいとお話しされていました(笑)。出演者も舞台から小生のような居眠り者を見られていたのかもしれませんね。でも、心と体を癒していただいた舞台でした。
  市民劇場は、いろいろな舞台をみせていただいて本当に楽しいです。
  内容的には第三幕が重かった様に感じました。
  客席まで使っての劇だったので、広さを感じました。
  音楽劇ですので当然かも分かりませんが、主人公の女性は声が出て、すばらしかったです。
  でも施設の音響の問題かもしれませんが(ワイアレスマイク、レシーバー)、他の出演者の声が大きすぎたり、明瞭でない部分があった様に感じられました(演者の立つ位置かも分かりません)。

気持ちのいい歌声に、一幕で不覚にも少しウトウトしてしまいました。二幕と三幕は楽しめました。この頃、自分が死ぬ時の事をよく考えるのですが、この劇を観て、残った人にいい印象を持ってもらえるように生きなければなぁと思いました。

大道具も小道具も何もなく、黒い直方体のフレーム(?)のみの舞台と、確かな歌唱力とピアノだけで展開されていくとても興味深い例会だった。何もないから想像力をはたらかせエミリーの2階の部屋の窓辺やそこから見えているであろうグローヴァーズ・コーナーズの風景も楽しむことができた。でももの足りない終わり方だと感じたのは私だけだろうか。
  パンフレットの右下に佐藤拓馬さんがピアノ伴奏ではなく、ピアノ演奏になっていたのに後日気付き大いに納得した。

そぎ落とした舞台装置や衣装にもかかわらず、各場面を充分想像できて違和感を全く感じさせない、役者さんの歌や演技がとてもすばらしかったと思います。
  さらに原作者のソートン・ワイルダーの世界観にも魅せられました。子ども時代から子育て時代を経て子どもの独立等、一見すると幸せそのもののようでありながら、苦味が混じった「普通の人生」を再体験するようでした。自分の病気で、一瞬でも死をそこに感じた経験からすると、「死者が、この世との繋がりや関心を失くしてゆくことで、次の世界へ旅立てる」というのは、死は平安でもあるとの福音のようにも感じました。

ストーリーの中に入り込むのに時間がかかりましたが最後のシーンが印象的でした。

一言でいうと「良くわからなかった作品」という印象です。 最初、葬式から始まって一部、二部とそれに至る過程を描くという手法なのは分かりました。しかし、第三部の描写というか説明があまりなされなかったこともあって、消化不良のようなモヤモヤした感じが残りました。
  エミリーがジョージと結婚して七年目(?)に出産の合併症で死んでしまうということで、当初は若くして死別する夫婦の悲哀を描くのかなと思っていたのですが、三部の描写で主に死後の世界でのエミリーの葛藤(?)を描いていることからその線はないことが分かりました。
  死後の世界の住民は皆、達観していて、死んでしまってから生前には見えなかったものが見えるようになったこともあり、冷たく生きている人間を見下しているような印象を受けました。
  また、最後の締めが「お休みなさい(?)」だったこともあり、この劇の伝えようとするメッセージが結局良くわからずじまいでした。

音楽劇おもしろかったです。
  シンプルへの果敢な挑戦で、見ごたえも聞きごたえもあり大変充実した時間でした。役者さんそれぞれの声量が十分に発揮された作品だったと思います。衣装もセットも観る側の想像力を掻き立て、細いストローとソーダ水の泡迄見える様でした。実際見えた!
  又是非とも別の作品をみせて頂きたいものです。

アメリカの小さな町の平凡な営み。どこにでもありそうな幼馴染との恋と結婚。舞台装置は簡単(簡素?)
  今回の当番は搬入や搬出はラクだったろうな?
  パントマイム的な役者さんの所作、表現のいろいろ、その中で最初から最後までピアノ生演奏が音楽的、音楽劇たるゆえんを表現する佐藤拓馬さんフィナーレで初めてお顔を拝見しましたがステキでした。
  「わが町」に住む人々との縁(えにし)や絆を考えさせられた観劇でした。

前半は退屈で、あくびの連続、(役者さんには申し訳ないのですが)だんだんと結婚式のあたりから盛り上がって舞台に引き込まれました。何故だろう?ときめくようなストーリーがないからでしょうね。
  毎日、当たり前のことが繰り返されていく、それこそが本当に幸福なのかもーと気がついた私でした。貴重な宝物をいただきました。歌声は本当にすばらしかった。ぐっと胸にせまってくるものがありました。生演奏も良かったです。
  情景説明のない舞台で観客に一生懸命伝えようとしてくれた役者さんたちの演技、一つ一つの動きの細やかさ、役者魂を感じました。心から大拍手です。

単調ながら深いストーリーが自分の趣向と合っていたような気がします。完全に理解できたとは思えませんが、音楽もすばらしく、何度か観てみたいと思える作品でした。演出面では第一幕、第二幕の細部に、第三幕の不安をさらに掻き立てるような部分はあってもいいかなと思いました(第一幕冒頭のみの演出で印象がやや薄くなってしまっていたので)。
  個人的には語り手は必要ないかな、とも感じました。元の戯曲や、映画版なんかもあるようですので、チャンスがあれば観てみたいと思います。

今回、運営当番になり、初めて「楽屋インタビュー」に参加した。相手は、土居裕子さん。
  ワクワク、ドキドキ。幸い、質問シナリオは幹事さんが作ってくれた。事前に役割分担タイムがあり、質問内容を確認。その時刻が来る。土井さんと制作が颯爽と現れる。金色ロゴが入った黒色Tシャツに、Gパンの出で立ち、カッコイイ!場所はロビーのソファ。この劇は精神世界のお話なの……などなど、深イイお話を聴かせていただく。中学一年まで、おままごとをした。芝居は、その延長かなあ?子供がないので、ミニチュア・シュナウザー(あご髭と眉毛が長い犬)を「坊(ぼう)」くんと名付けて飼っている。もう12歳。命を預かって、育てるって、思いのはか大変!生き物を育てる楽しさと難しさを実感してる。でもそれが癒しだとか●そんな背景を知っての観劇。感激もひとしおでした。 感謝!(^O^)V

疲れていたので、何が幸せかを言っていると思いましたが、もう少しわかりにくかったように思いました。

今回の「音楽劇・わが町」についてのサークル員の感想は、「よかった」「ふつう」「面白くない」と意見が分かれました。日常の生活をていねいに見つめ、そこから未来を考え、創りあげていくことの大切さを示唆していたのがよかったと思いますが、やはり演劇としてはドラマ性が欠けていたのではないかとも思いました。 生のピアノ演奏は大変良かったです。

なにげない町の風景、なにげない家族の風景がよくえがけていてよかった。めのまえにあるふつうのしあわせがえがけていて、めのまえの幸せをいっしょうけんめい つかむ人間の心がよくえがけていた。すごいよかった。

音楽劇“わが町”演出の西川信廣氏(パンフレット)によれば、幕なし、装置なし、何もない空間で繰り広げられる斬新な構成、1938年初演以来、世界各国で上演され続けているアメリカを代表する作品の一つだと言われている。
  初演当時には“代用品ばかりの舞台が芝居と呼べるほど劇的であったかどうか”“主筋の展開に欠けるため劇的な体験など望むべくもない”“発育不全の作品”“三幕はつまらない神秘主義と幻想的な空想で満ちている”“基本的な発想が醜悪であり腹立たしい作品”と(当時の新聞・ニューヨーカー誌など)散々酷評される。一方ニューヨークタイム誌は“人間生活の単純な出来事を宇宙的な夢空間まで高め”“まさに永遠の心理の断片”であると絶賛した。又、サンデーミラー誌は“どのアメリカの演劇集にも入る価値のある傑作”と称えた。賛否両論の劇評、作者のワイルダーによれば“この作品は私たちの日常生活の一番小さな出来事さえ、測り知れない価値あることを理解しようとする試みなのだ”そうだ。
  “わが町”を音楽劇にという構想は西川氏と作曲家の上田享氏によってすでに20年以上も前から練られていたそうだ。お互いに色々なアイデアを出しながらたくさんの人たちの協力で完成したらしい。
  観客の想像力に全てを預けたワイルダーの想い、新しく生まれ変わった音楽劇“わが町”にかける俳優座のオールキャストの想い、両者の想いは私たちに存分に伝わってきた。この舞台には観客の想像力という(未だかってない)魔法のようなトリックがあらゆる場面で、企みに仕掛けられている。それをあばくのは他でもない私達観客なのだ。感性と洞察力、全て私達に委ねられている。終演後なる程、賛否両論観客の想像力、とらえ方によっては酷評にも称賛にも値する作品だと納得した。
  老化しかけた脳細胞、今回はいつもの何倍も活性化させられた。これだけ沢山の作品に出会いながら毎回新たな感動を味わうことのできる有り難さを今さらながら実感した。市民劇場をささえて下さる全ての方に感謝!!本当にありがとうございました。

歌は上手かった。舞台装置が殆どない中で、ちょっとした演技の工夫によって見る側の想像をかきたててそこに情景を思い浮かばせる。そこに面白さを感じた。
  しかし、ストーリーにはあまり共感を持つことができなかった。特に最後の死後の世界は、非常に暗く地獄を思わせるようであった。明るく、楽しく、希望が持てるような劇を期待していただけに、何か後味の悪さを感じた。
  劇の内容とは関係ないが、劇中に携帯電話がなったことには憤りを感じた。演じている役者さんに対して失礼であるし、観る側としては、最低限のマナーなので残念だった。

音楽劇とても良かったです。俳優座の皆さん歌がお上手で、歌いながら演技をして、すばらしかったです。歌って踊って大変すばらしかったです

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
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