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進藤健太郎さん松浦唯さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問63

  無名塾「ロミオとジュリエット」鳴門例会(2014年1月29日)で“ロミオ”役をされる進藤健太郎さんと“ジュリエット”役をされる松浦唯さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

松浦唯
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
シェイクスピアの有名な戯曲ですが、無名塾がこの作品を選ばれた経緯、理由、こだわり等をお聞かせください。
松浦唯(敬称略 以下松浦と略)
いろんな経緯があるんですが、一番大きな理由としては、仲代さんが若手を中心に、若手が活躍できるものとして選んでくださった。それがロミオとジュリエットを選んだ理由です。
鳴門
今の時代に合っていると思いますか。またそういうことを考えましたか。
松浦
それもあったかもしれませんね。
進藤健太郎(敬称略 以下進藤と略)
時代にということで言えば、やはりシェイクスピアに限らず、現代でも上演される古典と呼ばれる作品というのは、どの時代にもメッセ−ジが残るし、普遍的な部分はあると思う。そこは自分たちがロミオとジュリエットをやろうとなったところから、後から掘りおこしていくものだったりする。たぶんテーマありきで選んだという訳ではないかもしれない。
鳴門
これまで沢山の劇団がロミオとジュリエットをやられているが、お二人はロミオとジュリエットをどういう形でつくって、また演じていますか。役づくりをどのように進めていますか。
松浦
稽古に入る前の段階で、それぞれに準備というか心構えがあったと思いますが、面白いのは、進藤さんと私の稽古前の準備段階が全く真逆で、私は過去のいろんな作品ですとか、ロミジュリ関係のものを調べまくったんですね。観に行ったりですとか、映画を借りてもう一回見たりとか、人から舞台のDVDを借りてきて見直したりした。私とは違って、進藤さんは全く見ない。 進藤健太郎
進藤
僕は完全にシャットアウトして、純粋に台本と、共演者と稽古場で起きることを見ようと思った。そうではなくとも、勿論自分が演じるとは思ってもみなかったですし、ロミオとジュリエットという作品のイメージがずっと若い、その時旬の役者というか、若くて頭角を現した役者がやるイメージがあった。僕も三十歳の半ばを超えているので、自分のキャリアーの中でロミオ役に触れる機会はもうないだろうと思っていた。そういう意識が最初にあったので、逆に他の人のを見てしまうと、他の人のものから引っ張る作業になってしまうのが怖くて、今出来上がっているものを、改めて見るという作業はしないようにしようと思った。
鳴門
特に難しいとか、楽しいとか、あるいはしたくないとか(笑)、あったんじゃないでしょうか。楽しいことばかりじゃない?
進藤
やりたくない所とは(笑)どうかとおもいますが(笑)。僕は何だろう。この作品の稽古をやっていたのは、夏で、夏に稽古して秋から旅がスタートして今日に至り、またこの後中国地方を回ってというスケジュールで、まだ三分の一位残っています。この場でいろいろお話をしていて思ったのは、最近自分のなかで、稽古場の時に自分がどういうふうに思っていたのかなーということを忘れつつある(笑)。毎日やっている舞台の本番で、一杯思うことがあって、当初の頃を思い出しているんです。稽古場の時に自分がどう思っていたかが少し希薄になり始めている。もしかしたら、その時にはやりたくないとか、やりづらい、わからないということが一杯あったと思う。今でも勿論わからない、やりづらいことがあるのかもしれないけれど、本番やっている最中にやりづらいなと思うと本番が出来ないので、やっている時にはそういう意識もなく、ただただガムシャラにやっているということです。やりたくないところがもしかしたらあったかもしれないけど、今となっては思い出さなくなちゃった。うまくいかなくて日々がっかりしたことはあったが、じゃーそれがいやかといわれたら、違うことのような気がする。楽しいイコールENJOYとは言えない。そういう事も含めて毎日楽しんで舞台に立たないと、特にこの作品は出来ないような気がしてならない。僕はそうじゃなくても日ごろが元々落ち込みやすいタイプなので、一々落ち込んでいたら、人前で一言もしゃべれなくなる(笑)。
松浦
最初私は市民で出ている、ジュリエットではなくて。始めは市民で出て、途中で着替えてジュリエットになる。最初それをやれって言われた時は何ということかと思った。楽屋で最初からジュリエットとしては出られないんだと思って、残念な気持ちだったんですけど。いざ本番をやってみると、それは気ばらなくて済むというか、最初から自分の場面じゃないのをみると何か肩の力が抜けていける。それは、もしかしたら演出家がそういうことを見越して役を作ったかもしれない。最初はいやだったけれども、やっているうちに楽しくなった(笑)。今では市民の方が遊べるので。
鳴門
町娘みたいな感じで。ちょっとナレーション的なこと言ってる?
松浦
いえいえ。市民としての登場は一回ぐらいで、ほんとチョロとしか出ていないんですけど。
進藤
市民の役でも、一回出れるとこがあるのはいいなー(笑)。
松浦
うらやましいでしょう。
進藤
うらやましいです。ロミオは最初から出ずっぱりなので。でも密かにこれが狙い目かなという場面が一つあるんですよ。パーティーの準備で大わらわのところで、ここだったら私も出られるはすという(笑)、意外に楽しそうだしね。
松浦
ジュリエットは感性の豊かな、感情が豊かな娘なんですね。やっていると、どうしても役に引きずられてしまって感情がうわーと出てしまう瞬間が沢山あるんです。そうするとシェイクスピアの詩のような台詞が崩れてしまうので、その台詞も伝えなければいけないし、ジュリエットとしての感性の豊かさも表現しなければいけないので、こう感情はどうしてもうわーと出るんですけど、それを如何に押さえながら演じるかというところが難しいですね。
鳴門
台詞を覚えるのが大変だったんじゃないでしょうか。
松浦
いやーそんなに(大変でもなかったです)。
鳴門
パッと出てくるものなんですか。
松浦
さすがに、四国地方を回らせて頂く前に一ヶ月位間がありまして、その時三日間位、思い出し稽古をしたんです。その初日の時はちょっと出てこなくて、あせってしまいました。入ることは入るんですが、すぐに忘れてしまう難点がありまして(笑)。
進藤
台詞の覚え方は、役者それぞれバラバラですけど、うちの仲代さんはじめ先輩方、松浦さん、皆バラバラです。僕は相手の声とセットで覚えるので、相手の声さえ聞けば割と出てくる。
松浦
相手の声がなければ自分も出てこない(笑)?
進藤
出てこないですね(笑)。だから極端なことを言えば、彼女が今日お腹が痛いというので、代わりの人がジュリエットやります、台詞も覚えていますとなっても、僕は(台詞が)出ないです。すらすらとは。あくまで彼女のジュリエットの声として入った言葉に対して、自分があるので。そこが崩れると出なくなる。
松浦
それは分かる気がする。私も相手の台詞を受けた時に、自分の感覚、感情で覚えたことなので相手が違ってしまえば、同じ台詞を言ってたとしても、私の台詞が思い出せなくなるかもしれない。
鳴門
それが自然体なんですね。
進藤
それでも、たまにおかしなことを口走ることがあるんですけど(笑)。たまに言ってからきづくんですよ。今何か変な事言ったんじゃないのかと。そんなに意味は間違ったこと言ってないけど、全然違ったこと言ってたと。自分で自分が信じられない時がある。
松浦
いつも同じ意味のことを言っているので、大して気づかない(笑)。
鳴門
お二人の、ここぞという場面があったら教えて下さい。
松浦
勿論、バルコニーシーンと薬を飲むシーンが見せ場だと思うんですが、私が個人的に好きなのは舞踏会のシーンです。ほとんどのキャストが出ていて、本当は出てない役の人も客として出ているので、二役、三役やっている方が。台詞を言っているシーンは前でやってるんですが、その裏でいろんなドラマが生まれている。みんなその場で芝居をしているんです。どこを見てもいろんなストーリーがあるので、是非台詞を言ってる人以外のところにも注目して観てみると面白い(笑)。あちこちで話をしている、その喋ってる人を見る目線であったりとか、その人たちは仲が悪いんだとか、あっ気になっているんだとか、そういうのが見えるんですよね。こう、見てても面白いんですよね(笑)。
進藤
僕はいつも喋ることが決まってて、ジュリエットの部屋に行って、最後ジュリエットの部屋から町へ逃げる時に、僕が生きた表情のあるジュリエットを見るのが最後なんです。次やる時は、死んでいると思い込んでいる状態なんです。最後に見た顔と、次は薄布のかかった状態から薄布をめくった時に見る顔。能登でやっている時は、お墓のシーンで後ろの扉を開けて、その奥から松明を持って走ってきてとあった。今の旅公演がはじまってからは、後ろの扉は開かないので、ちょっと高いボックスの上からはじめてジュリエットの姿を見る。上から見ると、薄布がかかって胸の上に花が置かれて、丸で結婚式の花嫁みたいに見えるんですよ。それが本当に悲しい気持ちになって(笑)。そこは僕にしか見えない。僕だけが好きな場所で、どうしても客席からは見えない。高いとこから見たときに、あーそれこそ花婿を待つ状態の花嫁みたいに見えて何ともいえない気持ちになる。これは僕だけの告白ですけど。
松浦
あの時は、手の上に置かれた花が落ちないように待っている(笑)。
鳴門
次に個人的なことを聞きたいんですが。ドラマや映画などに活躍されていますが、演じ方、演技が舞台とは違うんじゃないでしょうか。
進藤
作品でも舞台でも、時系列がばらばらで場もとびとびだとしたら、もしかしてそれは映像で撮っているのとそんなに変わらないかもしれない。違いがあるとすれば、カメラかお客さんかもしれない。それが分かるのは音楽で言うところのライブかレコーディングかということの差なので。要求される技術があると思う。テクニック的な。舞台で言えば声が全く届かないとか、どう見える見えないかを含めて。映像の場合、表情のすごい細やかなところを撮ってくれるから、そこを使おうとか。そういう技術の問題はあると思う。演じ方ということになると、違いってことで言えば、恐らく監督や演出家によって大分左右される。舞台だとしても、演出家が変わればルールが変わって、この稽古場においてはこうやるべきだと皆が踏襲していることがあるとしても、演出家が変われば、そんなのはやらないでくれということが間々あったりする。でも出来上がったものには、それぞれの面白さがあったりする。それは映像も一緒だと思うので。監督や演出家の唱えるルールというか、そこに違いがある。違うとすれば、そこかなという気がする。
鳴門
テレビや映画はやり直しがきくでしょう。あっちょっとまずかったなーと思えば。
進藤
やり直しは僕らから「すいません、もう一回やり直して下さい」と言うわけではないので。
鳴門
あくまで大女優とかが(笑)。
進藤
そうか、今の私の言い方はおかしかったかもしれませんね。NGは基本的には監督が撮っていてもっとこうしたいっていうものだと思う。
鳴門
事実として違っていたらNGがでる?言い間違いはあるにしても。
進藤
そうですね。そこの差はあるかもしれないけれど。もしかしたら演じ手においてはそんなに、技術の差はあれど、構えとしては一緒なのかなと。僕たちも何回ミスしてもいいんだという意識でカメラの前に立たないでしょうし。実は一緒なのかなという気はします。ただカメラの前か、お客さんの前かという差はものすごい差だと思います。全然違う技術論というか感じ方のような気がする。
鳴門
舞台だと全身が見えますね。映画とかテレビだと部分的に撮る場合がありますよね。そういう違いも大きいですか。
進藤
そう思います。舞台のほうが大きく動ける部分があって、もしかしたら表現が自由かもしれない。でも映像のほうがすごく細やかな表現が出来るかもしれない。結局、最後そういう技術論におちいってくるような気がする。舞台の場合は全身が見えるかどうかよりも、特に今回のシェイクスピアをやってて痛感するというか再確認させられたのは、観客が入って初めて完成するんだなということです。こんなに実感できるのか、シェイクスピアはと、強く感じた。
鳴門
やはり舞台のほうが好きですか。
進藤
僕は舞台のほうが好きです。
鳴門
お二人に伺います。俳優になりたいと思ったきっかけは何ですか。
進藤
話すとすごく長くなるので。要約すると、きっかけは進路相談です。僕は高校が演劇科だったんです。なので進路相談の時に、普通進路相談というのは、大学の資料があったり、短大、専門学校あるいは就職先とあったりするんですが、そこに劇団の養成所というのがあったんです。進路相談の先生といろいろどうしようと相談した先に無名塾がありまして。要約するとこういう事です。そこに至るまではいろんな事があったんですけど(笑)。
鳴門
無名塾には簡単に入れないでしょう?簡単に入ちゃったんですね(笑)。
進藤
僕は、とにかく勉強が全然出来なくて、高校の演劇科に入ったのも、演劇科の単願推薦の基準が面接と作文だったからです。頭悪くても、そこなら高卒になれると思って。先生から大学とか行けないからどうするの?と言われて、どうしようね先生と。えんえん話をしていてもらちがあかないし。お宅の息子さんは、失業してフリーターになるそうですよとは親には言えないよ、と言われてちょっと何かを目指しているという感じでいこうじゃないか、という話になり、丁度その時無名塾が募集してて、これだったら多分受けても落ちるから、落ちて一年間自分のやりたいことを探せばいいじゃないかという話になり、じゃあ先生、おれすぐ受けるよという話になって受けた。
鳴門
でもすぐに入った?
進藤
こんなに不純な動機なので(笑)。
鳴門
どこの県の出身なのですか。
進藤
東京です。入ってからですね、僕が一生懸命やりだしたのは。勿論高校の演劇科に入るぐらいだから、興味はあったんでしょうけれど。入る時から、おれはプロになるんだという強い意思が欠けていたな、と今は思う。僕が本気でやらなきゃ駄目だと思ったのは、塾を卒業してからです。三年の養成期間を経て、外で仕事していいですよとなった時に初めてですね。その時に、初めて出た現場で何も出来なくて。僕はそれまでは、勉強もできなきゃ運動もやらないし部活もしない無気力人間だった。何かに熱中した事が多分なかった。初めての仕事で何も出来なかった時に、自分でもびっくりする位悔しくて、ということを体験して、おれの人生でこんなに悔しく思えるものがあったんだと思った。遅すぎますけどね。
鳴門
松浦さんはどうですか。
松浦
私はずっと演劇がやりたくて、小さい頃から。なかなかそういう機会はなかった。中学校の時に部活を辞めて、ずっと演劇科のある高校に受かるための受験勉強をしていた。受かって演劇部に入った。その時演劇部の活動の中で、演劇鑑賞団体が隣の市にあることを知りました。それで早速そこに入ってプロのお芝居を観るようになった。そこで、あー自分たちのしている演劇とプロって全く違うんだってことに気ずいた。進路を決める時、丁度うちの母が病気をしていて、母が「悔いのない生き方をしなさい」と言って背中を押してくれたので、じゃこのまま演劇を続けて、大学でまた演劇サークルに入るよりかプロを目指そうと思って、上京してプロを目指して、無名塾の門を叩いたという訳です。
鳴門
ご出身はどちらでしょうか?
松浦
青森です。青森から上京しました(笑)。
鳴門
青森のどこですか?
松浦
青森県の三沢の出身です。三沢高校です。十和田市に演劇鑑賞団体がありまして。
鳴門
三沢高校というと、太田幸司ですね。
松浦
この話題出すとすぐそれになりますね。
鳴門
私たちのような演劇鑑賞団体について(どう思われていますか)、また会員宛てにメッセージがありましたら、遠慮なく仰っていただいたらと思います。
松浦
私は、皆さんの活動を見て頭の下がる思いです。本当に大変な活動をしているなと思います。これからも活動を頑張って、演劇人口を増やして頂きたいなと本当に心から思っています。
進藤
時代がどんどん変わって情報社会になっていくと、それだけ選択肢が増えるということで、それは、きっと自分の町で演劇を観ようということが、もしかしたら昔に比べると段々難しくなってくるかもしれない。でも文化というのは、その土地に文化が芽生えるのは簡単なんですよ。それを続けることが難しく、文化が一度でも潰えてしまうと再び同じ土地に植えることが、とても難しいってことを言っている人がいる。実は演劇っていうものもそうだと思います。それは市民劇場の活動もそうですし、そういうものを絶やさないために出来ること、やれる事を僕たちも一緒になって捜していければと思います。
進藤健太郎さん松浦唯さんとインタビューア

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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