テアトル・エコー「風と共に来たる」鳴門例会(2014年7月23日)で“ベン・ヘクト”役をされる多田野曜平さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。
- 鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
- 映画「風と共に去りぬ」を見てなくても、この芝居を楽しめますか?
- 多田野曜平(敬称略 以下多田野と略)
- はい、楽しめます。
- 鳴門
- あー良かった(笑)。
- 多田野
- というのも、私が演じるベン・ヘクトという作家の役は、この原作を読んでなかったんですね。それで初演に際しては、子供の頃には一応見たことはありましたけれど、あえて新たに見ることを拒絶して一切見ないでいたんです。お客さんと同じようにね。セルズニックが、知らない私に説明してくれるんですが、そこのところでリアル感が出たらいいなと思ったんですよ。
- 十分に(笑)楽しめると思いますよ。
- 鳴門
- この芝居の中で、ヴィヴィアン・リーとかクラーク・ゲーブルとかは、もうすでに役が決まっているんですか。
- 多田野
- そうです、もうキャスティングは決まってます。撮影を何週間かやっての状態から、この芝居は始まるんですね。お客さんはそういうことが全く分からなくてもよい。むしろ劇を観たあとに、映画を見られたほうが、より楽しめるんじゃないかと思っている。そういう意見に対しては、勿論賛否両論あるんでしょうけど。
- 鳴門
- 1930年代、僕はまだ生まれてないんですけど、その雰囲気、その時代が感じられるでしょうか?
- 多田野
- 感じさせるようにしたいと思ってます。というのは、台詞の細部に出てくる時代を感じさせる言葉であったり、人の名前とか出来事だったり、だとか、アナログなタイプライターとか今ではありえないような小道具も出てくるし、そういった事で時代を感じて頂ければと思います。衣裳とかもそうですよね。
- 鳴門
- 今の時代とのギャップは相当あるんじゃないですか?
- 多田野
- 勿論ありますね。だからこそ観る意味があるんじゃないかと思っています。その時代に戻ることは出来ないので、是非この2時間でタイムスリップして頂いて、当時の雰囲気を感じて頂けたら最高だと思います。セット的には出てこないけど、今の映像ならCGを駆使してやりますけど、当時はそういうものもない、だけどお金はふんだんにあったので、手間をかけていたから、手づくり感がでている、そういうのが台詞の端々に出てきていますね。
- 鳴門
- この芝居をやるにあたって難しいところや楽しいところが色々あるんじゃないですか?私たちはこういうことをいつも聞きたがるんですが(笑)。
- 多田野
- この役をもらった時に、図書館へ行ってベン・ヘクトってどんな人なのか調べたんですけど、何せほとんど資料がなくて、生年月日とこれらの作品を書いたぐらいしか調べられなかったんですよ。一応彼が脚本を書いた映画を、「フロントページ」とかヒチコックで2,3本あるんですね。「白い恐怖」だったかな。雪山を舞台にした作品が何本かあって。その人の顔をじーと見ながら、元新聞記者だったので、脚本の中に、そういう役を作るにあたってヒントになることを探したら沢山ありましたね。それをやっていくうちに少しづつ掴んで生かしていけたと思うんです。資料がなかったので手探り状態でやっていたというのが本当のところです。こうやって髭とかも生やして(笑)。
- 鳴門
- ふだんは生やしてないんですか?
- 多田野
- 生やしてないですね。髪の生え際は真似しなくても、丁度似てたんですよ(笑)。
- 鳴門
- 劇中の好きな場面とか、ここぞという力を入れられている所はありますか。
- 多田野
- このベン・ヘクトという人は、要所要所でキーになる台詞を言う人なんですね。ものすごく物語の骨になる台詞も後半になってから言いますけれど、何と言っても僕はオープニングが好きなんですよ。皆さん一幕は余り乗れなかったとか難しかったとか、おっしゃるんですが幕開きに事件が起こる。開いた瞬間に。あのシーンで僕はあーあーあーという台詞を4回言うんですけど(笑)。そこが僕の一番好きなシーンですね。
- 鳴門
- ベン・ヘクトは余りしゃべらないんですか。
- 多田野
- わーっとやりとりで喋るんですが、そのオープニングに関しては、あーあーあーとしか言わない(笑)。オープニング、といっても芝居が始まるとすぐです。
- 鳴門
- 多田野さんの個人的なことを聞きたいんですが。まずこの道に入られたきっかけは?
- 多田野
- 俳優になったきっかけですか? 小さい頃にですね、母の言葉がきっかけだったと思いますけど、刑事になりたいとか、車が好きだったんでレーサーになりたいとか、俳優はいいなあ 何回も結婚できるし、犯人になって捕まる事もできるし、何回も死ねるし、いろんな人生を送れると。おふくろはそれを聞いてオタオタしていた。あっそうか俺がなりたいのは刑事とかレーサーでなくて、それを演じる俳優だったんだと小さい頃思った。それ以来ですね。小学生の頃から映画が好きで映画ノートをつくり、監督の名前とか制作年代とか付けたりしてたんですよ。高校を卒業した段階で親の反対を押し切って、日活の芸術学院っていう映画の専門学校に入ったんですよ。その時に、僕はこういう顔なので、また背も小さいし、俳優になりたいと恥ずかしくて言えなくて、大監督になりたいと言っちゃったものだから、監督コースに入ちゃったです。でもやっぱりしばらくしてから後悔して、辞めちゃったんです。親の手前もあるし、親は大学へ行けと最初から言っているので、親の言うとおり勉強して、だけど私立に行くお金がないと言われたので、国立大学の中で安いところを探したら、北海道教育大学か琉球大学だった(笑)。それで琉球大学へ行きました。
- 鳴門
- 向こうで劇団関係のことやっていたんですか?
- 多田野
- 当時、渋谷に「ジャンジャン」っていう小劇場がありまして、それの支店が沖縄の国際通り(メインストリート)のど真ん中にあったんですよ。そこでアルバイト募集の記事があったのでスタッフとしてアルバイトで入りました。そうしたら寺山修司さんの最後の遺作となった「百年の孤独」をやることになったんですよ。そこで劇団を作ったらどうかという話が出て、ジャンジャンのスタッフでこの劇団を作ると、寺山修司さんが「演劇実験室観客席」っていう名前をつけてくれたんです。それで舞台に全く興味のない僕が舞台に立つことになっんですね。挫折して沖縄へ行って、さあ何かやろうかと思ってたんですけど、舞台をやるとは思ってもみなかった。
- 鳴門
- エコーに入られたのは、どのようなきっかけですか?
- 多田野
- それから色々紆余曲折があったんですけど、友人の勧めでいろいろ受けて・・・、青年座も落ちて、どうしようかと悩んでいる時に、エコーの幹部を知ってる友人がいて受けたらどうかと言われました。エコーは全然知らなかったんですよ、勿論観たこともなかったです。それで受けてみたら受かった。
- 鳴門
- エコーに入られてから長いですね。
- 多田野
- 25年ぐらいですね。大学を卒業してから4年ぐらい就職していましたし、年に一度、春になると試験があるんですけど、文学座を受けてみたり無名塾を受けてみたりと、色々あってどこにも受からない時代を過ごしました。
- 鳴門
- でも毎年受けていたのはすごいですね。演劇を志していたんですね。
- 多田野
- アマチュア劇団を間に入れながらやってましたね。
- 鳴門
- エコーは喜劇専門ですよね。やっててどうですか? 大変じゃないですか?
- 多田野
- 僕的には大変じゃないですね。友達の言った通りだったなあと思って、縁があったんでしょうね。二見忠男さんという大先輩がいらして、後で聞いた話ですけど、僕は顔が二見さんと似てたんで受かったと聞きました。それで合格して、顔に特徴があったということでしょうね。入ってみたら、僕が子供の頃から好きでテレビで見ていた映画はほとんど吹き替えだったんですね。そこで聞いたことのある声がいっぱいいたんです。納谷悟朗さん、熊倉一雄さんとか、その他にも色々いて、全部声で知っている人がばーといた。ジョン・ウェインはいるし、チャールトン・ヘストンがいて、アニメで言えば「秘密のアッコちゃん」はいるし「魔法使いのサリー」はいるしと。それまで全くそういう世界には興味がなかったですよ。今はそういう仕事で食わしてもらっていますけど。喜劇をやることは苦ではないですよ。むしろ嬉しいぐらいです。是非笑って下さい、今日は。お願いします。
- 鳴門
- 声優としては有名ですね。ものすごく。そういえば山田康雄さんの声に似てますね。
- 多田野
- そうなんですよ。山田康雄さんの代わりを、最近やらせてもらってんですよ。
- 鳴門
- 似てますよ。
- 多田野
- 有難いです。清水の次郎長一家じゃないですが、これも先輩が築きあげてきたものなんです。舞台じゃなくて、声の世界でも、大先輩の作りあげてきた芸があるんです。それは口では言えないが形にならない芸なんです。それをみすみすよその声優さんにとられているのが現状なんです。後輩が沢山いるんですがなかなか声がかからない。悲しいけど、その現状を打破できない。その中で少しでも、一つの光明というか、大分とられましたけど、クリント・イーストウッドだけは何とか死守しようと思っている(笑)。一生懸命している(笑)、しゃべり方とか、イントネーションとか工夫している。
- 鳴門
- 声でイメージが決まりますね。
- 多田野
- 結構重要なんですよ。
- 鳴門
- その人が長いことそのイメージでやってきているから、僕らにはそれが焼き付いている。
- 多田野
- 外人に聞こえますものね。日本語で喋っていても。そういう声だと思っていたという人は一杯いますものね。本人の声がVHSが出るまでは分からなかったですからね。実際は全然違う声なんですよ。クリント・イーストウッドは山田康雄さんみたいな声じゃないですよ。
- 鳴門
- コロンボはどうですか?
- 多田野
- 全然違いますよ。本当のピーター・フォークの声とは。「うちの上さんがねー」という、すごい芸だと思いますよ。
- 鳴門
- 声優は難しいと思いますが?
- 多田野
- 難しいですね。結構沢山の作業があってね。台本を見ながらヘッドホンで英語を聞くんですよ。眼で画面を見てますよね。こっちの耳で相手役の日本語を聞くんですよ。これを同時にやるんです。英語でテンポをあわせながら、向こうの台詞の(日本語の芝居の)リアクションをとるんですよ。英語とは違う感覚がありますね。そういうことを同時にやるんです。向こうの口に合わせなきゃならないから、画面を見て。画面ばかり見ていたり、台詞を覚えてないということになる(笑)。最初は本当に出来なかったですね。
- 鳴門
- 何回も練習するんですか?
- 多田野
- 何回もやります。新人の頃は、100回はやってみろと言われて、そうすれば何とかなると言われて。本当に100回はやってみましたね。
- 鳴門
- 台本はあるんですか?
- 多田野
- 勿論あります。90分一冊です。120分なら分厚い台本があって。
- 鳴門
- 全部覚えているんですか?
- 多田野
- 誰もが覚えてないです。
- 鳴門
- それじゃ難しいですよね。
- 多田野
- 難しいですね。やっぱり。
- 鳴門
- 昨日観せてもらって、最初映画の話だったけど、なにせ私は映画も全然見てなくて、だけど途中からこうやりたいんだと説明的な場面があって、あれで大筋は分かった。
- 多田野
- 映画の筋は分からなくてもいいと思う。
- 鳴門
- 映画の筋は関係ない。映画にかける情熱をいかに3人が演じているかということだろうと思います。
- 多田野
- お時間があったら是非映画を見て下さい。
- 鳴門
- いつも皆さんにお聞きしているんですが、好きな言葉は何でしょうか。
- 多田野
- 『謙虚につつましく』です、はい。
- 鳴門
- いいですねえ。
- 多田野
- 一汁一菜でもいいですけどね。というのは冗談ですけど(笑)。
- 鳴門
- 一汁一菜を守っているんですか?
- 多田野
- いやいやいや。そうはなかなか行かないですけど(笑)。自分はやろうと思わなくても、そうなった時代もありましたけどね(笑)。長いこと不遇の時代もありました。インドの修行僧は朝昼食べて、夜は水しか飲まないと聞いてますけど。じゃあ僕のほうがまだましかと思ったけど(笑)。
- 鳴門
- 演劇鑑賞会に対して、また会員に対して何かメッセージがありましたらお願いします。
- 多田野
- 旅は、私は今回初めてで、東北6県と四国を回っています。どこでも皆さんに良くして頂いて感謝の気持ちで一杯です。どうか頑張って頂きたい。正直、もうその気持ちで一杯です。大変でしょうけど、何とかこういった活動を続けて貰いたい。素敵なことだと思うんですよ。映画や音楽を聴くことと違って演劇を観るのはしんどいと思うんです、勉強をしなくちゃいけないし、観るのが本当に大変だという声が時々ある。
- 鳴門
- それがいいんじゃないでしょうか。
- 多田野
- そうですよね。東京ばかりで演っててもしょうがないんで。これが実感です。
- 皆で会費を持ち寄って成り立つ会であることに、とっても尊敬をします。
E-mailでのお問い合わせは 鳴門市民劇場ホームページ nrt-geki@mc.pikara.ne.jp まで。