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原康義さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問70

  俳優座劇場プロデュース公演「十二人の怒れる男たち」鳴門例会(2015年5月13日)で“陪審員8号”役をされる原康義さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
映画を見て、脚本も結構面白くて、スリリングな内容ですが、原さんはこの作品をどういう風に捉えていますか? 原康義
原康義(敬称略 以下原と略)
この作品は喜んでもらえると思いますよ。 東京でも学生たちが観て感動していますし、観る方の範囲が広いというのが名作だと言われる所以じゃないかと思います。これをやり始めた頃は、日本は陪審員制度がなくて、日本とは無関係だったんですが、今は観る方も、もし自分がなったらどうしようと考えます。一人の人間を裁判するのは非常に難しいです。そういう事も含めて皆がいろいろ考えるんではないかと思います。一人の人間の命の大事さや、日常のことをいろんな角度で見ていただけるんじゃないかと思います。素直に陪審員の事を見学に来た、のぞきに来たと思って、まず気楽に観てもらえばいいんじゃないかな(笑)。多分そうしたら入りこんでいけると思います。
鳴門
最初、8号が一人だけ有罪に反対しましたね。あれは勇気がいると思うのですが…。
実際演ってても、いやですね。舞台上では味方は誰もいなくて、僕だけ手を上げると、周りも何か冷たい目線でね、分かってはいるのですが何か冷たいんですよね。徐々に(有罪に反対が)増えてくると、こっちも楽になるんです。不思議ですね、未だに慣れないんですよ。皆怖いんですよ(笑)。
鳴門
それだけに格好いいと思うんですが。
僕自身は格好いいとか思って演ってはないんですが、辛いですね(笑)。変な言い方かな(笑)。
鳴門
一人賛同して、もう一人賛同してという形になっていく、それで勇気が出てくると私には見えたんですが。
お客さんも多分最初は、一人の人間の命を5分で決着つけるのはどうか、もうちょっと話し合いましょうよと言うと思います。僕も無罪だとは言ってないんですよ。そう簡単に人の命を挙手で決めるのはいけないのでもう少し話し合って、有罪なら有罪に決めましょうよという提案だけなんですね。多分、僕の言葉でお客さんも、騙されているんですよ。本当は有罪かもしれないですよね。
僕が言っていることは、本当のところ、捻じ曲げて言ってるかもしれない。観ているほうも僕の言葉に段々騙されて、無罪のほうに気持ちも傾いていって、最後に無罪になるとほっとするんだろうけども、恐ろしい考え方ですね。でも非常にそれが面白いですけどね。藪の中というか闇の中でね。
真相は誰も分からないという。ただ疑いがあったら、やっぱり疑ってかかるべきじゃないかという事を言っているし、少数意見も大事じゃないかと思います。原子力発電所を造ろうよと言って、100人の内99人が賛成しても、1人の人が、もし何か事故があったらえらい事になるよと言って反対しても、99人の賛成があるんだから、多数決だからと言って造りますよね。
1人の人が、もし事故があったら何百年先までずっとそれを人間が背負って行かなければならなくなるから、何か他のことを考えようと提案しても、それはつぶれちゃうかもしれない。
ここでは一人の意見も大事ですよ、と言っているのかもしれないという芝居ではないかと思います。
鳴門
日本でこういう芝居をするにあたっては、色々のご苦労があったと思いますけど。
そうですね。僕だけじゃなくて皆さん台詞も沢山あるし、稽古しながらも今どこまで進んでいるのか、
普通のストーリーなら分かりやすいんですけど、やっているとどこまで進んでいるのかわかんなくなったりするんですよ。流れに慣れてくるのに、結構大変でしたよ。どこまで誰が賛成しているのか、舞台装置もあのままだし、そんなに動くわけじゃないから、事件があるようでないような。話し合いばっかりですから。 
今は流れが分かりましたけど、最初は分かっているようで、やっぱりなかなか分からなかったですね。それだけにスリリングで、やる方にとっても人の台詞をよく聞いてないと。舞台に出たら全員一緒というか一連托生ですからね。2時間10分を本当に全員逃げられずにで出ているので皆一緒だなあという思いでやってます。だから終わるとホッとしますね(笑)。
鳴門
皆ベテランというか、うまい人ばっかり出ていますね。
個性的な面白い俳優さんは沢山いますね。
鳴門
やってて面白いんじゃないんですか。
面白いですね。毎回微妙に違うのでしっかり受けてやらなくてはなりません。余り間違えられないんでね。言葉尻を取って喋ったりとか、時間を取ってゆったり喋ったりとか、いろんな演技でお客さんに伝えたい。お客さんに考えてもらいたい。だからへたに間違えられないんですよ。
鳴門
映画では1時間40分ぐらいなのに、舞台では2時間10分あるのはなぜですか。脚本みせて頂いたら、ほとんど一緒なのに。
映画と舞台では大分色々なところが違いますよ。
鳴門
舞台のほうはどこか長くしたところがあるのですか。
映画の方が、結構テンポが速いですよ。映像だからパッパッパと行くんですよ。すぐに切り返しが出来るし、表情もポンポンと映せる。でも舞台ではなかなかそうは出来ない。台本にも書いてあるんですけど、間があったりいろんな場面で、一瞬シーンとするとかあるじゃないですか。そういう沈滞する間とか、次へ遅々として進まない間とか、イライラするところとか、それがすごく必要なんですね。
やはり人間が、暑さの中で思考能力を失いながらやっている、そこの面白さが出るんですね。その中で考える人もいるし、もういいよ、どうでもいいという人もいるし、いろんな人間模様が出る。条件も面白いですよね、普通のところじゃない、クーラーの付いているところじゃないから。そこにいる人間がイライラしたりする神経を逆なでするような状況に置かれている、そのへんが面白いですね。
鳴門
今日は7月の最高気温を記録しているという台詞もありました。映画では汗がにじみ出るシーンもありました。
そういうとこもやりたいんですけど、そこまでは仕掛けが出来ないですね。
鳴門
今日、舞台の上でどのように暑さを表現するのか楽しみにしています。
一人だけネクタイして背広を着ていた4号は、汗をかきません。ああいう人もいるのかな(笑)。
鳴門
登場人物それぞれ個性があって、スラム出身の人がいたり、セールスマンの人がいたり、東欧からの移民もいれば時計職人であったりと皆それぞれ苦労している。
アメリカの場合は移民と人種が多いですからね。その中で差別がある。日本でもあそこに住んでいるのはちょっとというのがあるけど、あいつ等は不良グループだからと決め付けて、結構偏見でいろんなことを言う。今回の場合、スラムは皆そうだ、あそこに住んでいる連中は皆嘘つきだとかね。そういう偏見っていうのは、僕が子供の頃には日本でも沢山ありました。あそこは行っちゃいけないよとかね。何でと聞いたら、あそこは部落だからよと。僕が子供の頃は意味がよく分からなかった。何であそこに遊びに行っちゃいけないの。僕の友達が沢山いるのに。だけど母親はあそこに行っちゃいけないよと言って。それが段々ああそういうことなのかなと。でもそれはおかしいと僕は思い、それは偏見だと感じるようになった。それによっていろんな差別があるのを知りました。それはどこの国でもあるのですね。
鳴門
この舞台はスリリングではあるが、それ以外にも出てくる人たちの生活感、生い立ちを云々する台詞がでてきますね。
僕自身の役はそんな台詞はないです。逆に言うと、僕は謎の人物ということになります。生活面では子供が3人いるということだけで、後はほとんど生活の話はない。他の役者もそんなに説明はしないですけど、それなりに工夫をして色々やっているんじゃないですかね。勿論、演出が言ったりとかはありますけど。僕の役は出来るだけ台詞に感情を入れないように、平静にやってくれと言われています。周りは乗っかったり、興奮したりするので、僕は余りガーンと言わないようにしてくれと。台詞に余り意味をつけて言い過ぎると演出家に怒られる。役者としては、色々なニュアンスで言いたいのだけど、それをやると演出家に怒られるので、正直言ってつまんないですけど…。
鳴門
8号って感情を露にしないですよね。
そうですね。役者としては、自分の感情を出したいじゃないですか。役者個人としては、なんだお前とか言って喧嘩したり、君の事好きだよとか、本能的にいろんな思いでやりたいじゃないですか、そういう事を一切抑えられちゃう。どう思いますか(声を上ずった調子で)と言う所を、どう思いますか(ちょっと沈んだ声で)とこれくらいで柔らかく言う。強く前にでると、演出家は、それは駄目と言うんですよ。
鳴門
何か進行係りみたいなものですよね。
まあそうですね。運んでいって、進んでいってね。だから欲求不満っていえば欲求不満ですね(笑)。やり過ぎちゃうと怒られる。
鳴門
ところで、俳優を志したきっかけは何ですか。
親は理数系に行かせたかったみたいで、高校は工業高校だったんですが、演劇に興味を持っていました。そして役者はやるつもりはなかったのですが、演劇というものを勉強したくて、大学は玉川大学の演劇専攻に入りました。大学時代に演劇を勉強して、将来何になるのかを自分で選ぼうと思ったんです。大学の4年間で自分が何をやりたいか、将来自分の人生で何をするかを考えていました。僕自身は、テレビとか映像よりも舞台のほうが好きですね。やっぱり生の舞台、お客様と共に一緒に一つになって創っていくというのがいいですね。お客様がいなきゃ舞台というのは成立しないわけですから。いくら稽古をしていてもね。やっぱり見せるものがこっちになければ、何の意味もないんで。お客さんがいて、初めて緊張感を持って出来るし、拍手を浴びた時に喜びがあるし。そういう意味で、生の感じが今でも好きですね。
舞台は観た人が勝ちというか、ビデオに撮った舞台中継を観てもちっとも面白くないですね。やっぱり生で観ないと面白くない。それは観たもの勝ちですよね。だから僕も見逃した舞台があって、生で観たかったなあといつも思う。観られないという事がすごく悔しいですね。映像は、いい映画だったよと言えば、ビデオ屋へ行けば見られる訳だし、映画館でも昔のものをやっているから見られますけど、舞台は、あの俳優良かったよ、とか言ってももう二度と見られないから、観た人が言うと悔しくてしようがない。いい舞台は今でも観たかったなあと思う。舞台っていうのは贅沢でもあるので、反対に宝になると思います。いいものはその人にとって絶対残って忘れないし、二度と観られないけど、その人の中に舞台は残っているんですね。僕らは自分たちを観られないから、自分の舞台は一度も観られないじゃないですか一生。
演劇というのは沢山の方に観てもらって、沢山の方と一緒に舞台で共有できるという素晴らしいことじゃないかと思います。こういう仕事をやってて誇りです。映像は残りますけど演劇を仕事ととしている僕らは残ってもない。次にいいものをというか、だから、「十二人の怒れる男たち」が今回良かったとしても、それはここまでの原であって次の原ではないんで、もう二度と出来ない。次はまた新しい自分の舞台をやるしかないんです。過去の舞台を褒められても、ああそうかと思うだけです。過去は過去であって、それはもう今の僕ではないと思っています。ちょっと寂しいんですけど、僕はやっぱり次の舞台でいいものをやるぞということでしかないですね。役者は河原乞食というか、過去に何をやったからといって偉くとも何ともない。初めて会う人にとっては、原さんは昔すごかったよと言われても、今の原さんがすごくなければ、認めてくれないじゃないですか。だから、常に前を向いてやっていかないと駄目になると思っています。
鳴門
だから何回も観られるわけですね。
そうですね。観ているお客さんが、その日の状態とか色々な事があった時に舞台を観て感動したとか勇気をもらったとか、多々ありますし、舞台を観て人生が変わる方もいるし、話を聞くと結構あります。それも生だからですね。生の人間がやっているから感動して、よし!俺も頑張ろうとかね。たまたま舞台を観ないかと誘われて行ったところ、あー本当に観て良かったと、明日からすごく元気にやれそうだと思う、これが舞台だよね。生だから感動が伝わり勇気がもらえるんじゃないのかな。
鳴門
そういうことで言えば、舞台は感動がストレートに伝わるものですね。映像ではちょっと空間が空いているようなところがあるけど。
映像だとやり直しがききますけど、舞台の場合はやり直しがきかないんで、それはきついけど、それが醍醐味というか楽しみですね。僕らも人間として、いろんな面で豊かになっていかなきゃならないし。
鳴門
舞台を離れて、日常生活の趣味とかありますか。
趣味ですか。僕はいろんな趣味があるんで、浅く広くっていうのが多い。そんなに凝っている趣味は余りないですが、麻雀は好きですね。あとは家でメダカを飼っているとか。
僕のは本当にもう普通の一番安いメダカですね。あまりにいいメダカを飼っても、すぐ死んじゃうし、高いしね。普通のメダカは安くて、その方が元気だし。それを狭い庭に飼ってて、今頃は丁度子供が増えるんですね。でもメダカは子供を産むと親が食べちゃうんで、生まれるとすぐ他のところに一生懸命移すんです。稚魚はすごく可愛いですね。最初は家の中で飼ってたんだけど、外の方がいいんじゃないかと思って外で飼うことにしてます。でもある程度は死んじゃいますね。たしかにメダカがそのまま全部増えたらえらい数になっちゃうけど、やっぱり生命力がある奴が生き残るんだなあと思うし、いろんな事を考えながら飼ってますね(笑)。
鳴門
広く浅くって仰っていましたけど、他に何かやっているんですか。
野球やったり、学生時代はサッカーをやってました。劇団に入ったら野球をやってました。動き回るのが好きですね。でも全部うまいわけでも何でもなくて、ただ皆で遊ぶのが好きなんです。個人プレーでやるよりもチームプレーでやるのが好きですね。
鳴門
好きな言葉、座右の銘はおありですか。
いやーないですね。自分でも考えなきゃならないと思うんですけど。まあ、平凡に頑張りましょう、頑張るだけですということかな。頑張るというのは、いろんな意味があるし、勿論嫌いな人もいるけど、僕はただ頑張るしかないなあと、辛い時でも頑張る、お前は出来る、やれるはずだと思っています。自分にはまだ沢山やる可能性があるんだと思って、それをまだ出してないんだと思いながら、可能性を信じている。自分の可能性を信じて前に向かって行くということ。役者やってても100の可能性のうち10しか出してない、まだ90が残っているといつも自分の中で思っている。ここで終わりじゃなくて、まだ90あるとしたら、まだまだ色んな役や色んな発想の仕方があるんじゃないかといつも考えている。そう思って自分はまだ可能性があるんだと信じている。
鳴門
最後に、鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。
2年間14ステージ続けて、クリアされて、素晴らしいことですね。さっき聞いて驚いています。鳴門の渦のように沢山の人を演劇に巻き込んでいただければいいなあと思います。僕らは観客あっての仕事なので、沢山の人にいいものを観てもらえれば、僕らにとって一番の喜びです。沢山観ていただけるということは、沢山四国にいられるということで(笑)、四国のいろんなところへ行けるし、
観光みたいになるけど(笑)、これは半分冗談ですが、でも1ステージ2ステージと徐々にでも増やしていただければありがたい。本当に一つ一つ、一人でも二人でも増やしていけば、きっと伝わっていくんではないでしょうか。僕はそう思います。これからの若い人にも必要だと思うし、今は個人プレーというか一人でやるものが多いですが、一つの椅子を買って自分の時間を作ることじゃないですか。演劇って座ったらそこの時間は大事な素晴らしい時間だと思う。そういう時間を大事にして欲しいです。何事にも替えがたい時間だとですね。何よりその時間を楽しめるのがいいですね。
鳴門
どうも有難うございました。
さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。