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十二人の怒れる男たち

俳優座劇場プロデュース

鳴門市民劇場2015年5月13日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

休憩のない劇なのにあっという間に時間が過ぎて作品に入り込めました。
  内容もどのように進んでいくのかと考えながら楽しく観劇できました。
  思い込みを皆持ってしまい、平等に物を考えるということは難しいと、改めて感じました。
  出演しっぱなしの役者さんの集中力に驚きです。

おもしろかった。
  昔の映画も何も見ず芝居の世界に飛び込んだので良かった。
  事件の内容も話が進むにつれて明らかにされていき、どんどん引き込まれていった。
  時代、国、人種問題、年齢・・・日本じゃないと頭の中できりかえて当時のアメリカを思い描くと
  張り詰めた2時間が暗く重くならなかった。日本の裁判員制度で身近なおばちゃんが選ばれたがさんざん悩んだあげく辞退した。「自分は選ばれない」はない。
  「もしも・・・」だったら軽い気持ちでは受けられない。

12人の陪審員達の有罪から無罪への投票が転じていく過程。一票の重みをひしひしと感じながら食い入るように観ました。2時間があっという間に終わってしまいました。
  裁判員裁判の重さを考えさせられました。

語り合うことで本音が出る。自分を解放していく。12人は無作為に選ばれさまざまな階層、背景を背おった人たちである。語るに落ちる場面もあり、一人、また一人と意見が変わっていく。そのおもしろさに、すいこまれ2時間10分があっという間に過ぎていった。
  鳴門が千秋楽ということを知り、貴重な時間だったことを重ねて実感した。

陪審員十二名による評決、有罪か?無罪か?結果無罪へと進む。
  「人間の命の重さ」を基盤にし白熱する討論の場面は、迫力ある演技によりいつのまにか引き込まれ2時間はまたたく間に過ぎていました。良い舞台でした。

命の重さ、真実とは何かを改めて考えさせられる作品でした。陪審員全員が無罪票を投じるまでの一つ、一つの検証過程はとても見応えがありました。いつのまにか自分も陪審員になったような気持ちで観劇していました。
  人が人を裁くことは本当に難しいことだと思います。真実を見抜き確かなもの{こと}を積み上げていくことの大切さを教えられました。

言葉が鮮明で楽しい2時間でした。

「疑わしきは罰せず」司法の基本を示すための教材のような「十二人の怒れる男たち」。お芝居で見たのは初めてだ。映画ではモノクロ版のオリジナル、カラーのリメイク版、そして三谷幸喜の邦画と3本見ている。映画の場合はせりふの合間などに再現シーンが描かれるのでより分かりやすいが舞台は台詞のみでイメージしなければならないので、初めての人には分かりづらいかも知れない。それに本音をぶつけ合う会議は人々の感情にどうしても触れることになるので皆怒ってしまう。偏見を拭えぬ人と子供の扱いに苦悩する父親とのキャラクターの違いがあまりなかったように演じられていたのが残念。

この度、鳴門市市民劇場に入会させて頂き、久しぶりに本格的な舞台を楽しませて頂きました。内容的には、自分ではどうするだろうか?と色々と考えさせられました。
  初めは観客側に与えられている情報は少なく、話が進むにつれてどんな証拠があるか等が明らかにされていきます。
  被告人の命がかかった判定は全員一致で有罪かと思いきや、11対1で有罪からのスタート。たった一人で無実を訴える8号も、ただ無罪だという確信が持てていない状態から〜
  被告である少年の育った環境、素行、そして裁判での証拠で父親を殺したと決めつける陪審員たちに、証拠の疑問点が次々にあげられていきます。
  不確定な証拠の中、陪審員たちに疑問が出始めて、有罪票が一つ、また一つと減っていき、最終的には全員一致で無罪の評決が下される。
  2時間がとても短く感じられ、勧善懲悪ではなく、揺れ動く気持ちの中、間違いかもしれないと思いながらの無罪評決は、人の命の重さを感じられるお芝居でした。

父親殺しの容疑の少年の有罪無罪の最初の予備投票で有罪11対無罪1、1人の反対から議論を重ねる度に反対票が増えていきまさかの1対11となり最後の1人も無罪に同意する白熱した議論であっという間の2時間でした。

個性的な12人の男たちの会話劇であった。 人の罪の重さを決めるなど不可能なこと。それ故の陪審員の葛藤が苦しかった。いつ裁判員に選ばれるかもしれない私たち。他人ごととしてすまされないと思った。

ひとりの人の意見によって全員の考えが変わっていく過程に注目した。しかし人の運命が掛かっているにもかかわらず、他人のこととはいえ結構、投げやりで面倒くさそうなのには驚いた。

内容はとても良かった。
  ただ最初後向きの時声が聞きとりにくかったのが残念でした。

少年の命を左右する陪審員の審議。自分も13人目の陪審員になった思いで引き込まれあっという間の2時間10分でした。
  素晴らしい演出、演技最高でした。「疑わしきは罰せず」の言葉が頭を過ぎり、「良い舞台」を鑑賞出来て本当に幸せでした。

インタビューにて男の生き様が見える気がした。

大変良かったです。

本来は弁護士が明かしているであろう疑問点を少しずつ解明していく。このことから、一種の推理劇かなと思いました。そういう意味では、疑問点の解明にけんかしながら取り組み迫力がありました。
  途中の雷鳴は何でしょうか。やはり話が伯仲したからでしょうか。見入りました。

鳴門例会カーテンコール

粒ぞろいの役者さんたちの熱演に感動した。迫力のある面白い内容であった。陪審委員の責任の重さ難しさを考えさせられたが、内容的には疑問を感じた。陪審員制度というものをよく知らないが、あの陪審員たちが戦わせた議論は、事件を立証する上での核心部分だと思われ、裁判の中で吟味されるべき事だと思う。陪審員達の推理推測だけで、確証もなく、「疑わしきは罰せず」的に被告を無罪にしてしまったことに合点のいかない思いがした。

とても良かったです。2時間舞台にくぎづけでセリフひとつひとつ聞きもらさないほど集中できました。
  人は、一人では生きていけません。いろいろな環境の中で、そして人間関係の中で生活しています。一人、一人考え方や ものの見方、性格も違います。それを話し合いの中でどう折り合いをつけるかがとてもむずかしいものです。威圧に負けず、自分の思いをはっきり言えることが大切ですが、勇気がいることです。
  大きな視野の中で、お互いを尊重し、自由に発言できる力を付けたいと思いました。

今日の劇は?と期待を胸に座席に着いた。
  劇は、始めから自分をのめり込ます様に始まり、一語一句聞きもらさない様に聞き耳を立てていた。生まれ、育ちの違う12人の集まりよく見ると今の自分の身近な周辺にもこのような集まりは幾つも存在している。
  考え方、性格、育ち、職業の違いのサークルは、もめ事、喧嘩、愚痴もありますが、やはり話し合うことがお互いの心を開く一番大事な事と思った。ひょっとしたら、自分が13人目になり観劇{演劇}していたのかなあ〜
  2時間10分、あっという間の時間でした。

「12人の怒れる男たち」は以前、映画で見たことがあります。でもストーリーはほとんど覚えてませんでした。アメリカの陪審員制度下で一人の少年の有罪か無罪かを12人の男性陪審員が話し合うということ。そして、いちばん最初に評決を採ると有罪支持が11人で無罪支持が1人というところから始まって、最後は無罪支持が全員という結末になるということだけは覚えていました。
  アメリカは陪審員制度、日本は裁判員制度と少し違いますが、観劇しながら考えたことは、もしかして私が裁判員に選ばれたなら、この演劇のように喜怒哀楽を出しながら一生懸命、被告のために議論するんだろうなと思いました。

12人の陪審員のうちたった一人だけが、無罪を主張しそれに対して、理路整然と説明していくのに対して、絶対に無罪はありえないと思う他の審判員が反発し、証言者の言葉に対して、目、耳、時間{秒}に至るまで議論し、喧喧ごうごうと、やりあう様は、迫力満点で、見ごたえがありました。最後に、全員が無罪を決めた瞬間の“あの場面”は、ずっと心に焼き付いています。

見応えがあり。久しぶりに脳をしっかり働かせました。迫力がありました。時間が過ぎるのが早かったと感じました。それだけ面白かったということでしょうか。

12人それぞれが議論を深める中で、「人間」をさらけだしていくその緊迫感。息をのみ目を凝らして耳を澄まして観ました。
  「事実というのは、その出所で、ある人間の個性によって色がつく」というセリフがあったように偏見差別意識、生き方、人間関係などによって、事実は、ちがってくることの怖さと重さを見せつけられた気がする。どの役者さんも力量があり、すばらしい舞台でした。後ろ向きのせりふが少し聞き取りにくいこともありましたが、舞台設営上、机はあのように置くしかないと思うので、立ち位置を移動させての発声でカバーしていました。またトイレの場面を明転させていたのも、とても良くできていた。見応えのある充実した舞台だった。

初めての例会でした。見応えがあり、あっという間に時間が経ちました。とても面白かったです。楽しい時間が過ごせました。入会してよかったです。

引き込まれました。
  司会進行まで一般人から集められた人が行っていて、今の日本の裁判員裁判と違うなあと思いました。(日本では裁判員や裁判官もあの場にいます)
  真犯人が誰なのか気になります。

少年の生命の尊さを主張する無罪の一票を投じた陪審員が、11名の有罪を主張する人たちと対応をしていく姿や、言葉のやり取りに興味を持って観劇できました。
  12名が演じている白熱した議論はひとり、一人の個性を引き出していて、見る側にとっては心に残る作品だと思いました。

11対1の予備投票から全員が無罪票への変化が面白い。舞台装置は変わらないが陪審員の動き(座る・立つ・衣服を掛ける・脱ぐ他)で時間の変化、心境の変化を感じさせ、白熱の議論も盛り上がっていく。部屋の時計が刻む時間もリアルであった。 人が人を裁くことの難しさ、命の重みということを考えさせられた。

初めて舞台を観ました。怒れる男たちが沢山いて面白かった
  後、トイレのセットがかっこよかったです!!
  自分の意見をはっきりいうことの大事さや怖さをまじまじと感じることができました。
  映画は何回も見たのですが、実際に人が演じている迫力は舞台で見る方がより感じることができるなと思いました。
  それぞれの主張の背景にあるそれぞれの人生が感じられました。自分の考えをひとりであっても主張し続けることで、多数派を動かすほどの力になるのだなと思いました。

5月13日は都合が悪く、前日に徳島で見ました。休憩なしの2時間10分は確かに長かったですが、事件の全容が具体的にさまざな角度から検証されていく過程は大変論理的で説得力があり、興味深く観ることができました。陪審員がそれぞれ個性的なのは良かったのですが、大声で怒鳴り散らすところは、白熱した議論というよりも品格としてどうかなという感想を持ちました。

自分が裁判員だったらどう評決するだろうと思いながら、白熱する議論(芝居)に吸い込まれました。
  とても面白かったです。

印象的だったのは、陪審員8号が最初につぶやいた「わからないんです」。話はそこから始まったが、ほかのひとたちの、声も大きくある意味自信たっぷりな「有罪に決まっている」とは大いに対照的な弱々しいものだった。にもかかわらず、“大きな声”のひとたちの論理をひとつひとつ崩していき、最終的には論破することになる(もちろん議論は勝ち負けがすべてではないが)。
  当然“ひとつ”である真実を見極めるためには「わからない」は「わからない」と正直に誠実に認めることがスタート時点で必須だ。特に状況が(今回のように)多勢に無勢では、そのスタートを切るには極めて大きな勇気が必要ということも、実生活のさまざまな場面を思い起こしながら改めて思った。陪審員8号の勇気にまずは感動したが、また、気持に正直に誠実に訴えていけば、“大きな声”“多勢”にも打ち勝つことができるということも学べた気がする。
  それにしても、いろんな意味で「怖いなあ」と思える題材だった。今さらではあるが人が人を裁くことの怖さ、議論して意見を統一していくことの怖さ(危うさ)、無意識的に人は個々のバックグラウンドや先入観をもってものごとを見ているという怖さ…。古い作品ではあるが普遍的な訴えがあるということでいまだ名作とうたわれる理由がわかる気がする。

今回びっくりした事
  1、役者さんが入場したのに観客誰も拍手がなかった。
  2、舞台の時計が舞台の進行に合わせて動いていた。
  男だけの舞台を盛り上げるのは大変難しい。アクションがなければ、単なるおやじの会話だけでしたので、残念であった。 阿波踊りでも同じであるが、普通の男踊りはつまらない。女の人とか子供が受ける時代である。ダイナミックな構成があれば、見ごたえするが、又陪審員制度のお話はもう形骸化されている。裁判制度が開始した前後は興味もあっていいが。
  私はなぜか舞台の時計が気になっていた。本当にうまく動いている。不思議であった。

壇上で行われる議論の熱気が客席に伝わってきて見ている私まで熱くなりました。
  窓の外の風景が雨や夕暮の場面で変化するなど劇の細かいところまでこだわっており、見ていて飽きなかったです。

ベテランの俳優の見応えのある舞台でしたが、台詞の聞きづらかったところが残念でした。

当番サークルとして準備会に参加しながら、とても期待をして観劇させていただきました。
  期待以上に迫力ある演技と、めまぐるしく変わっていくストーリーにとても感動しました。
  演劇が終わってからも初めて交流会に参加し、目の前の役者さんのオーラを感じ、私にとって忘れられない作品になりました。
  この度、「ハロードーリー」から根分けをして「夢うさぎ」としてできる限りお手伝いさせていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

最初から無罪を主張していた方のような人に、私は弁護士になってもらいたいと思いました。

今回が千秋楽でもあり、劇団との交流会に参加することができた。とても感謝!出演された俳優4人(4号、5号、8号、10号)さんから親しく話を聞くことができた。 それぞれの芝居との関わり方、来し方行く末などを聴くことでき、常にも増しての深い芝居体験、人生体験をすることができた。どうもありがとうございました。

特に人間の人生・命がかかっている等重要な問題の判断には、現実を見極めることの難しさ、真剣に向き合っていくことの大切さを痛感しました。
  12人の出演者のキャラクターが個性的で、それぞれの考えが変わっていく様子の楽しさも感じながら観劇させていただきました。               

十二人の陪審員たちが事件の有罪評決を無罪へと、どう評議していったかという劇でした。
  有罪の根拠を一つ一つ次々と覆して、評結を漸次動かしていく手法は説得力がありました。
  陪審員の役者さんの熱演に引きこまれ、時間が経つのが早かったです。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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