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からまる法則

劇団銅鑼公演

鳴門市民劇場2017年5月18日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

ホームレス支援をめぐって真理子の変容がよくわかった。ホームレス問題もよくわかった。いろいろ考えさせられた。無体装置もリアルにつくられていた。

今回のお芝居では、物語の環境よりも、2組の親子の織り成す人生模様に焦点を当てました。夢のような、そして現実に起こりうるかもしれないお芝居でした。劇中の親子は、お互いに我慢して言いたいことも言わずの対面でした。言いたいことを声に出してのち、お互いの気持が分かり合い、日常の人生に帰っていくお話です。親子の和解の場面では、感動のみです。それも2組です。只、わたしは「私たちの人生の中では中々このように素直に和解できるのかな?」と思いながら自問自答しています。お芝居は、ハッピーエンドで良かったです。暖かい気持ちになりました。“人は、はっきりと言葉に出すことで、お互いを理解できる”と信じています。

前日、義兄の葬式があり、人間の一生は人それぞれだけど、みんなどんな人も死んでいくのは一緒なんだ、と改めて感じていた時に観たお芝居だったので、色んな人の立場や考え方、生きざまなどが、いつもよりよく分かり、理解できたような気がします。みんな死んでしまうのであれば、今をどう生きたらいいのだろうと考えさせられました。
  私事ですが、若い頃は家族や友達に色々迷惑をかけてしまった気がするので、せめて今からでも人に迷惑かけずに、出来れば人を喜ばせるような事を少しでもして過ごせたらいいのに、と思っています。
  以前の「はい、奥田製作所」も今回も、身近に感じられて分かり易く、とても良かったです。

鳴門市民劇場へ入会するきっかけは、2013年11月「はい、奥田製作所」をぜひ観たいと思ったからです。初めての観劇だったのでとても感動したのを覚えています。今回もその時の劇団なので楽しみにしていました。現代社会を写し出す内容と人間の奥深い心模様を表現するすばらしい演目だったと思います。キビキビした動きに、ハキハキした台詞に、劇団の「若い力」を感じました。より一層、劇団銅鑼のファンになりました。

それぞれ事情があっての人間関係の絡み、わだかまり、もつれ・・・共に生活し関わり合っていく中で、徐々に理解が深まり、ほぐれていき、天から舞い降りたような素晴らしい桜のもと、笑顔でお花見ができてよかったです。
  セットに生活感があり、崇高な精神で明るく楽しそうに、ホームレス支援に取り組んでいることに感銘を受けました。

親子関係、身近な社会問題を取り上げ、関わり合うことの大切さ、絡み合いながら信頼関係をきずき、努力してゆく、見ごたえのあるお芝居でした。大変よかったです。

一幕ものであったが集中して観れてよかった。色々な社会的問題を劇中にいいかして、「からまる」法則を描き、そして「からまる」から穏やかな生活に変化していくところが興味深く納得した。

正に「人情がからまる法則」でした。涙がこぼれたのは、住田が買ってくれた赤い服を真理子が着たときでした。(その後も、涙、涙・・・)
  大変な状況に置かれている者の内面に触れるための対話をしようと歩み寄ることで、心が開かれてゆき、分かり合えた。その爽やかなラストを桜の花が象徴していて見事だった。
  劇団銅鑼は前回の「はい、奥田製作所」もすばらしかったし、今回も「本当に見てよかった」と思える作品だった。

ひとつ屋根の下で、そこに登場する人たちの生き方と関わり合いが分かり易く表現されていました。終盤の互いを理解していく場面では、ホットして明るい気分になりました。

舞台装置の素晴らしさにびっくり、登場人物の多さににも驚き!「からまる法則」って“何なの”と思ってみていると、次々と出てくる登場人物がホームレスの支援や、心の支えとして関わっていく様が、疎遠で愛情関係が薄い親子の仲をも修復するという結果になり、主人公の「からまった物を見るのが大嫌い」と言った意味が何となく分かるような気がした。

いろいろな人生を背負い、お互いに認め合っていく大切さを知りました。一人ひとりの人権を認める、尊敬し合う大切さを学びました。大変良かったです。

「からまる法則」って何?と思いながら市民劇場を観に足を運びました。有名な役者さんも出演してないし、劇団銅鑼も知らないに等しかったけれど、観終わって、すごく良かったです。元気をもらえました。
  こんな舞台は市民劇場でしか出会えません。ありがとうございました。

住田さんが真理子さんに服を買ってきたこと、ゴミ箱から出して着た真理子さんが住田さんを迎える場面、ほんわか心が暖かくなりました。

鳴門例会カーテンコール

①最初から“どうしようもない状況”から劇は始まった。ホームレス、急に暴れだす精神障害者、過労働から妻子を失った変人・・・等々。 その人達を何とか励まそうと地道な支援活動を続けるボランティア達と、更にはこの活動に反対する地域住民とのぶつかり合い、からみ合い、もがき合いの中から、最後には前向きに信頼感と自信を回復していく奮闘劇であった。
②真剣に考えれば、非常に重いテーマであるが、ここでは素直にホームレス達の苦痛とその脱出方法、ボランティア達の粘り強い支援活動と気持ちの整理等いろいろと学ばせてもらった。
③当初ボランティア活動に無関心だった真理子が次第に「かけはし」の各メンバーの実状と家族同様の助け合いに心を惹かれていく過程が新鮮だった。
④それにも増して、弓田、矢島、佐山たちの、おごらず冷静で粘り強い対応は、素晴らしく、傷ついた心を解きほぐし、みんなの協力の輪を拡げるに最も強い推進力になった。何事にも冷静な先達が必要だ。
⑤ただ現実の問題として、普通の人間がこれだけ支援活動に自分を投入できるものだろうか?自己犠牲ではないだろう。人間愛か?過去の人生の克服の為か?家族、肉親、孫への思いの為か?一番強いのは、目の前にいる人の困難を唯助けたい為ではないだろうか。
⑥最後の桜の下の炊き出し会準備シーンでは、人間への信頼を取り戻してくれた。自立、やりがい、幸福とは一つ一つの細かい心遣いの積み重ねの中で育っていくものだと実感した。

いい出来映えであったと思うが、内容が真面目なものなので、もう少し気持ちの入った演技(パンチ力)があったら、と思った。

サクラ三部作を観る (^ ^)v
こんな風に副題を付けてみる (^_^;;
1月例会 死の予感 ・・・華やか
3月例会 終の棲家 ・・・安らか
5月例会 絆再び ・・・懐かしさ
どれも桜が芝居の背景にある。
よくよく日本人は,桜花が好きなのだ。
梶井基次郎の洞察を待つまでもなく  桜の樹の下には屍体が埋まっている!
そして,坂口安吾の「桜の森の満開の下」に繋がっていく。
父と娘が並んでキャベツを切る姿に,今日のメインテーマを観た。

観る前から「しあわせは あなたをこまらせて ちかづいてくる」というキャッチコピーになぜかとても惹かれていました(どういうことなんだろう~?!:笑)。そして、観終わってズシンと心に残った台詞は、「世の中で困ったことはたくさんあって、でも、人はそういうことはどこか自分とは離れた遠いところで起こってほしいとおもっている」というような台詞でした。確かに、そう。ホームレスの人たちのこと、リストラなどで生活に困窮する人たちのこと、さらに様々な原因で心や体を病む人たちのこと…。知っている、自分だっていつそうなるか…ということも薄々は思っている(でも、とりあえずは「見ないフリ」を…考えないように…しているのが実情)。そして、そういう、いわゆる今の世での弱者たちをどう思うかと聞かれたら「気の毒、救ってあげたい、そういう人たちも幸せになれるような世の中にしないと…」というようなことを、必ず言うでしょう。だけどホンネのところでは、真理子のような考えをもってはいないか? 自分の街にあんな「ハウス」があったら、あの商店街のオバチャンのような行動に近いことをするのではないか? 完全には否定できないと思いました。「自分から遠く離れたこと」であれば、どんなきれいごとも言えるんですよね…。だけどそれを身近なこととして考えるなら?自分は?どうする??ということを、こんな創作の世界をのぞき見ることでしばし考えてみる。演劇を観る価値や良さはそういうところにもあると、今回もしみじみ思いました。
  何が完全に正で何が完全に悪か、区別できればどんなにラクかしれないけれど、そうではないから、いろんな考えや価値観が絡まって、人生はしんどい。でもそれが生きているってことかもしれません。「こまりごと」だらけの毎日だけど、その過程は「しあわせがちかづいてくる」道だと思えばいいのかな。キャッチコピーの意味を今はそんな風に考えています。

今回は、人間が生きていく上で避けて通れないテーマ(人によって大小の差はあれ…)が凝縮されていたようにおもいます。

世の中にはいろんな方がいて、お互いを支え合って生きていることをあの狭い世界でよく表していました。
  私は、リスペクト(尊敬)という言葉を常に気にしていますが、劇に出ておられた方々のようにはなかなかできないものだとも感じました。 いろいろ考えさせてもらう非常にいいお話でした。

いろいろな人が、それぞれの人生を、理想と現実、本音と建前、複雑な状況や想いを抱えつつ、・・・・・・・観ていて胸が苦しいほどでした。人はどうあっても何かの形で他人と関わらざるを得ないという事実。様々な問題と、どのように向き合っていくのか、正解のない答えについて考えさせられました。

観た人全員が感動した、良い作品でした。ボランティアと町内会会長の絡みも面白かった。荒れる息子と引きこもりの父親の関係もよくあることで興味深かった。

何が絡んで、どのように解いていくのかと興味津々で迎えた例会でした。どこにでも起こる日常茶飯事の出来事をテーマにした内容だけに、大変わかりやすく時間が経つのが、あっという間でした。
  ボランティアの思い、住民の不平不満、リストラされて引きこもり状態の人、過去から諸々の問題を抱えている人・・・一人ひとりがどうにもならない事態の中で生きています。今、私自身の周りに目を向けると、まったく同じことが起こっているのではないでしょうか。生死に関わる重大事では無いかもしれしれません。けれども、大なり小なり悩み、不満や不平をどこかでかかえて、ストレスが溜まったている日々のように思います。
  自分自身を反省してみると、加齢とともに、面倒くさいことには首を突っ込まず、消極的なかんがえになってしまう、当たり障りなくの生き方になりつつあるように思います。でも、舞台でのNPOの人の前向きな積極的な行動に目を見張りました。背中をド-ンと押されたような衝撃を受けました。
 うまく歯車が回らなくなっていく原因は相手の気持ちを分かろうとしないことではないでしょうか。誤解で絡んでしまった気持ちは話し合うことでほぐれていくことも、よくよく分かりました。一番大切なことは、諦めず、自分の思いを何度でもアタックすることで、気持ちを変えることができるのだと、感じました。この気持ちを変えることが、絡まった糸をほどいていくことになるんだと、舞台からのメッセージを投げかけてくれように思われました。
  正直なところ、このストーリーのようにハッピーエンドにはならないことが多いと思います。でも、日々、からんだ糸をほどくことができる生き方を心がけたいと思っています。
  今回はいろいろな家庭の事情でサークルでの欠席者があったことが残念です。全員で観劇ということに努力していきたいと思っています。
  普段の生活をちょっと立ち止まって見直してみる、とても良い機会になりました。自分の不平や不満を外にばかり見けるのでなく、自分の心に向けることの大切さに気付かせてもらいました。
  劇団ドラの皆さん素晴らしい舞台をありがとうございまいした。

タイトルからはどんなお芝居なのか想像がつかなかったが、始まるとテンポ良く役者さんのハリのある声、計算された動きなどで、考える間もなくどんどん引き込まれていた。
 ひもなど、からまった物を見ると、ついほどきたくなる私だが、からまった人間関係が第三者の温かい関わりによって少しずつほぐれていき、またいろんな人達の温かいかかわりの相乗効果で、からまりが次々とほどかれていくのが快感であった。

鳴門例会カーテンコール

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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