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芦田昌太郎さん今本洋子さんに
開演直前インタビュー

楽屋訪問83


  劇団朋友公演「吾輩はウツである」鳴門例会(2017年9月12日)で“夏目金之助”役をされる芦田昌太郎さんと“吾輩(猫)”役をされる今本洋子さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 猫と会話するという奇想天外な物語ですけど、お二人がこの作品をどう捉えているかを教えて下さい。

今本洋子

今本洋子(敬称略 以下今本と略) じゃあ猫からさきに(笑)。今は、いろいろ悲しいこと、思いもしなかった出来事があるご時世です。ここで辛いからといって、ああ駄目だと思わないで、生きるんだという力が少し弱くなっちゃってるなあ。でもそういう人へ、手を差し伸べることも大切だし、待ってあげることも大切だと思います。そこでこの作品を観て、人間の生きてきた意味っていうか強さというかそんなことも感じてもらえたらいいなあと、猫の立場としては(笑)

芦田昌太郎(敬称略 以下芦田と略) まずは猫がしゃべるという状況を一瞬で認められる人間でいること。これを大事にしています。最初に喋れるのかと言って、3つ質問します。あれですべてを僕が受け入れることによって、観ている皆様にも受け入れて貰える状況をつくりたいと思いました。

鳴門 登場人物の生き方も面白いと思いますが、何か工夫したことがありますか? 猫役はなかなか難しいと思いますが。

今本 猫役は難しい…わっはっはっは。これはね、よく行く先々でお話ししていることなんですが、3年前の初演で、演出家の西川さんから、「洋子、可愛い子猫の役をやろうと思うな!ふてぶてしくやれ」と言われました。台詞を読んでそれはそうだなと私も思いました。でも、稽古を進めていってもどうもふてぶてしい猫というのがよくわからなくなって、行きづまってしまいました。稽古で劇団の先輩に聞いても、同期に聞いても、演出に聞いても、「いつものお前でいいんだよ」って言われて…(笑)。
 猫が手も足も出ない状態になって、がんじがらめになってしまいました。3年前の初演の時は自分の中で出来たなあと思う前に終わっちゃって。でも、今はふてぶてしさというのは意識しなくても出来るようになっている自分が怖い(笑)。ただ、吾輩の役は、金之助より一歩先に先にと行って、導いていくというか話相手になるというか、その仕草はやっぱり猫だからクールなんですよ。私は熱い人間なので、そこのところはまだちょっと難しいかなと思っています。

鳴門 3年たって、再演するにあたって同じ役をされるということでしたが、初演と比べて特にどんなことが難しかったか、反対に楽しいなあと思ったことなどありますか?

芦田昌太郎

芦田 再演なんですけど、僕はこれは新作だと思って挑んでいて、時間が経てばもう作品は変わると思いますし、3年前と同じことは出来ません。やりたくとも出来ない部分と、一緒であったら駄目だと思っている部分があります。前はこうだったというのを本当にきれいさっぱり忘れるわけにもいかないですが、新鮮にやらせてもらって、今日一日が一番いいステージになるようにと思ってやっています。特に苦労はないかなあ。

鳴門 やってて楽しいでしょう。

芦田 楽しいですけど、それ以上に苦しい思いが強いです。ものをつくる、何かをするって終わると楽しいし、充実感、達成感は勿論あるんですが、アプローチしている最中やその前っていうのはもう大変な苦しみ、産みの苦しみでしかないです。目の前に何百人とお客さんがいて、結局両の目があるわけですから、千人いたら二千個の目で見られてて、それに耐えうるだけの精神力と腹持ち心持ちがなかったら、そこは耐えられない。それはこの作品だけではありません。どの舞台をやっても、苦しいなあと思っています。
 苦しいことも楽しい、それが舞台の達成感につながっています。

今本 演劇的には苦しみはありません。お任せって言ったら大げさですけれども、まあ一人で考えることもあります。でも考えたことはお部屋の中だけに留め、せーのって舞台に出ていった時は、舞台上でのライブに集中しているので、本番始まってしまえば楽しいものです。3年前との違いと言えば、念入りに筋をずっと伸ばしていることですね(笑)。じっとしていない。ずっと動き続けて、いつでも舞台に出て行けるようにしています。ずっと舞台袖でストレッチしています(笑)。

芦田 そうねえ。してるね。

今本 してるでしょう、私(笑)。もっと動ける若いのがいるんですけどね。演出の西川さんが、人生いろいろ経験している人たちを使うというスタンスです。人間を猫目線で見るということなので、そこそこの中堅が筋を伸ばしながらやっています(笑)。

鳴門 個性的な役者さんが集まっているんですが、公演中の役者さんたちの日常どうしているかとかやり取りなんかあったら教えて下さい。

芦田 劇団朋友は動物園みたいですね(笑)。皆本当に個性的でね、素敵なんですよ。舞台上では、演出がいろいろ組み立てられているのですが、時々隙間というかフリーゾーンみたいなものがあって、その瞬間に生まれる衝動でお芝居が作られていくのです。それもこれも朋友の皆さんとだから出来うることです。お陰様で貴重な経験をさせて貰ってます。

鳴門 俳優になったきっかけは何ですか?

今本 私はそんなにドラマチックじゃなくて(笑)、中学・高校とずっとバスケットをやっていて、高校一年生の時に怪我が続いたり、才能のなさでメンバーから外されて面白くなくて。一学期でやめて、夏休み家でゴロゴロしていたんですが、帰宅部ってやつですか、つまんなくてねえ。エネルギーを持て余していて、で何かしようかなあと思ったら、クラスに一番嫌いな、かおりちゃんというのがいたのですが、私そんなに人を嫌いになることは余りないので、どうしてこの人をこんなに嫌いって思うのかなあと思ったのですね。それでこの人に興味がわいて、「あなた何部?」って聞いたら「演劇部」って言うから、かおりちゃんを知りたいと思って演劇部に入ったんです。その高校はすごく演劇が盛んで、全国大会とか行ってたところでした。そうしたら(演劇に)はまっちゃって。全国大会へ行った日に桐朋学園大学に行かせて下さいと言って。もうすっかりはまったということです。
 かおりちゃんは今も大親友なんですよ。広島の市民劇場に入ってて、ずっと私を応援してくれている一生の友なんですよ。

芦田 僕はもう家族、一族郎党皆そう(俳優)なんで、家業を継ぐという意識ですかね。
 小さい頃から劇場も楽屋も出入り自由で、くっついて行っていました。行けば来たかと言って父も喜びましたし、僕はいずれブラウン管の中にたつ、このブラウン管の中に僕はいるとしか思っていませんでした。

鳴門 皆さんがご苦労されているところを見ていらっしゃるのですね。

芦田 そういう苦労している人を見てないんです。スターしかいないんですよ。だから大看板ばっかりしか知らない。勿論付いている方々とかお兄さんお姉さんたちもいるんだけど、劇場で辛そうな顔をしている人を見たことがありません。
 遊びに行けば、おーおー来たか坊主、坊主と言って喜んでくれたし、その当時は帝国劇場や日生劇場で終わったら、皆で座長の部屋でご飯を作って食べて、どんちゃん騒ぎをして、ひどい時には泊まって帰る人たちもいたぐらいです。それが許されている時代でした。
 森繁久弥さんの時もそうでしたし、その時、遊びに行ったら「坊主ちょっと手伝ってくれ」と言われて、2時間ずっとカキの殻むきをやらされて、それからカキが嫌いになりました(笑)。
 父、祖父の友達で家に来て下さる方々は、派手な人たちしかいませんでした。勿論皆頑張ってる、だから皆スターになっているんですけど…。
 実は、それが僕の一番不安なところなんです。子供の時から、このおじさんたちみたいになるとしか思っていないですから。

今本 今年の6月に若手中心の公演があったんですけど、その時芦田さんに主演で出てもらって、すごいアドバイスしてくれて若手を育ててくださいました。

芦田 『やるからには、もう一歩先に踏み込もう、出来なくてもいいから』、僕はそう思ってやっています。出来ない、ここらへんでと自分で限界を作っていくことが大嫌いなんです。限界はずっとずっと先にあるはずだと思っています。肉体の限界は精神の限界の先にあると思っています。

鳴門 今本さんは、朋友に入られたのはいつですか。

今本 桐朋へ3年行って、その後2年で広島へ帰ると言っていたんですが、その前に新人会の若手中心の公演を観行きました。今日の公演で白い猫の役で出ます水野千夏というのが主役をやっていたんですが、それを観た時に私はこの役をやりたいと思って、入団試験を受けて合格しました。最初に主役をもらって、天狗になっていました。クソ生意気な時を過ごして今に至ってます。

鳴門 芦田さんは、お父さんに似ているんですね。スラッとして背が高くて顔つきも似ている。

芦田 (親父の映像をみると)親父が死んだ気がしない。ずるいですよね。若いままですから。
 あっちは。僕も年はもう追いついちゃうからね。48歳で他界したから。

鳴門 最後は私たちのような演劇鑑賞会の活動について何かありましたら一言お願い致します。また鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。

今本 市民劇場の活動と劇団の活動はよく似ていて、今の私があるのは先輩たち、その前の先輩たちがいたからだったと思っています。人が人を育てる、人がいるから人がその場にいられる、人とつながりだと思う。市民劇場の活動も同じで、自分の家族とも職場とも違う方との出会いがあります。うちの両親も広島市民劇場に入っていて、まずは会員にしてもらって、次にサークルを作ってくれています。今日も観劇に来させてもらうんですけど…。
 やっぱり新しい人と出会い、出会えば何か刺激し合って、人と人とが育てあえる場所であるというのは同じだなあと思います。そういう活動は大切に続いていって欲しいなあと思っています。
 松山から始まって今日で四国の千秋楽です。これはなにか奇跡の時間だと思うんですよ。会員さんもその家族も、何事もなく皆元気で、観劇するために足を運んで下さっている。私たちも今まで怪我がなく、舞台を終えられることが…本当に奇跡ですよね。これからも頑張って下さい。

芦田 僕は今回この作品で四国へきて、実は鑑賞会は初めてなんですよ。僕のデビューです。鑑賞会デビューです。デビューというのは人生で一回しかないものなので、多分死ぬまでこのことは忘れないだろうと思います。四国の地から始まったことは本当にこれもご縁ですし、嬉しく思っています。今日お越しの皆さま、この活動に自分がたずさわることができて本当にいいものだなあと心から思いました。皆と一緒につくっていく、制作と俳優だけでなく、会員の皆さんと一緒になって創っていく、文化の両輪となって共に進んでいく。
 こういう活動が今この日本で行われれています。これから先も続いていくということがとても貴重なことだと思うので、是非この灯を絶やさないように、我々はこの灯が絶えないように、意味のある良い作品づくりを頑張りますので、皆さんと両輪として歩んでいけたらなあと思っています。

鳴門 どうも長い間有難うございました。

今本さん芦田さんインタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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