■ 白猫のシロくんが赤ちゃんをカラスに襲われて死なせてしまった時の台詞。「ただ、かわいがってばかりで、カラスの恐ろしさを何も教えていなかった―――――自分が悪かった」子育てする者として一番必要なことだと、再確認させられました。
■ 夏目漱石といえば、明治の文豪で「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」などを書いた有名な人。そんな歴史学習で得た通りの知識しかありあませんでした。今回の観劇で漱石の人となり、また「吾輩は猫である」が世に出るまでのいきさつがよく分かり、漱石の存在がぐっと近くに引き寄せられた気がします。それは夏目金之助、妻鏡子を演じた方をはじめ、すべての役者さんの演技力によるものだと思います。観劇って本当に素晴らしいです。
■ 今年は漱石生誕150年。没後100年とか、家庭では朝日新聞を取っているが、「吾輩は猫である」を連載していて、切り抜いて保存している。この例会までに精読しなくちゃと思っていたのにかなわず、例会ニュースでみどころを仕入れて観劇した。休憩を入れて2時間40分の劇であったが、少しも飽きずに(途中で少し居眠りしたが…)ラストまでねことの話ができたころは、被害妄想で癇癪持ちで鏡子夫人への暴行があった。あの場面では本当にアクションで舞台いっぱいに動きが激しくどうなっているのかと心配もしたが、芦田昌太郎、荘田由紀の好演でリアルであった。鏡子夫人の漱石への言動(やりとり)が面白かった。奥様然としていず、自分の思いを表現するところが明治の女性でないのだと思った。作家の道を歩み始める頃に猫との会話もなくなり、猫は猫の風情で、夫婦としても落ち着いてきたと感じさせるところで幕。女中てるさんの猫を大事に、ないがしろにしてはいけないとの会話があったが、黒猫が夏目家に幸せを運んできたのかな?
■ 漱石の生涯を通じてウツになるまでの様子とそれを解消する対策などのヒントが表現されており、非常に勉強になった。
■ 夏目漱石の処女作また代表作といわれるこの作品を「吾輩はウツである」に変えたという今回の芝居は観劇前からどう変わったのか興味津々でした。時折笑いを誘う場面はそこここに笑顔が見られ楽しい時間でした。猫語がわかるのが主人公だけという場面も工夫され、終わりまで目が離せませんでした。漱石先生もこのお芝居をご覧になってどう思われたかなと思いつつ会場を後にしました。
■ 何を言っているのか聞き取りにくいとサークル全員が言ってました。
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今年は漱石生誕150年、生誕地の東京には記念館が今月オープンする。そんな折、「吾輩はウツである」を観た。夏目金之助は漱石の本名で、演じる芦田昌太郎はあの芦田伸介の孫、松山栄太郎の長男であるし、テレビではいろんな出演作品があるが、私は初めて見たという感じだった。
荘田由紀はあの鳳蘭の次女で以前「オカンの嫁入り」でも娘月子役で出演されていたが、今回の方がよりツレちゃんの娘を意識させる演技で特に夫から暴力を受けるシーンが良かった。
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劇団朋友の皆様、楽しい、また難しいお芝居をありがとうございます。
劇の流れはともかくとして、印象的な言葉があります。「生きる意味」を藤村操さんより聞かれた教授。そして、観劇している私たちに聞かれた言葉とも思える? そして、自分の答えは、いくつも頭に浮かびますが、決定的な回答はありません。あなたならどう答えますか?
救われたのは、「失恋という袋が空になっているということで、またその袋に詰め込めばいい」この言葉である。私たちはいったいいくつの袋をもっているのだろうか? 日々空になる袋、そして満たされていく袋。それは取りも直さず、喜怒哀楽を感じているのが私たちと納得できる言葉である。
肩の凝らないストーリーが良いと思った。
■ 夏目漱石の違った一面を垣間見ることができて楽しく観劇しました。少し難しい感じもしましたが、作品を生みだす作家の苦労が理解でき、よかったと思います。
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漱石、鏡子、吾輩… 特にこの3人の絡み合いが面白かった。当日吾輩役、今本洋子さんのご両親が広島から車で来られ観劇され、翌日の劇団お見送り後は、一家団欒をたのしまれたよし、ほほえましく感じた。交流会での役者さんとの話も楽しかった。
そんな温かい人のつながりを実感できる、市民劇場と劇団との関係性が好きです。
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今年は夏目漱石生誕150年ということで、TVドラマでも取り上げられ、漱石に知られざる一面があることは知っていた。時に横暴でわがままな人物像は、偉人としての明治の文豪のイメージを崩すものだが、学問に一途であるが故の悩み多き教師でもあった。胃潰瘍の激痛にも耐えながら学生ともまともに向き合えない漱石を支えていたのは、何があっても、何を言われても「実家には帰りませんここが私の家です」と言う、気丈な妻の鏡子だったということがよくわかった。重く暗くなりがちなこの劇の中で「吾輩」である黒ネコの存在は、漱石と彼をとりまく登場人物との緊張感を和らいでくれていた。漱石を世に知らしめた「吾輩は猫である」の誕生秘話でもあり、最後は漱石だけでなく、鏡子もハッピーになれ、「苦労はあったけど、あーよかったね」と思えた劇だった。
観劇後の交流会で「吾輩」役の今本洋子さんが隣の席になったという幸運に恵まれ、いろいろな話ができ、さらに楽しい時間を過ごすことができた。再来年1月の「ら・ら・ら」が待ち遠しくなった。
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「金之助 vs 鏡子」、「金之助 vs “吾輩”」、「金之助 vs 帝大生(とりわけ、藤村操)」…という風に、いろんな角度から、観劇後も含めて色々な思いで(思い返しながら…)楽しめる作品でした。
中でもやはり、一番引きこまれたのは、鏡子さんのキャラクターでしょうか。あの時代にあって、ちゃんと我も通し、言いたいことを言って。それでいて本当に漱石にとってはなくてはならない人になっている、底の底でしっかりと支えている、天晴れでカッコいい妻と思いました。漱石の(受け止め方によっては…あきらかに罵声や単なる怒鳴り声にしか聞こえない)「きょうこ~!!きょうこ~!!!」という声も、後半は、「なくてはならない人」に甘えているように聞こえてきたから不思議です。一番好きだったシーンは、最後に「ネコの目線で世の中を描く小説の構想ができたぞ」と言うことを一目散に鏡子さんに報告するところ。「あなたっ!それは面白いですよ!」「そうかっ!!面白いかっ!!」という掛け合いです。大事なことは一番愛する人にいち早く伝えたい、そして、愛する人の話なら心から肯定・応援してあげたい、そして…2人で喜び合うのが一番、と常々思い、感じ、(多分)実行しているので、とても共感できてジンときて、この夫婦の絆本当の強さを最後に見れた気がして、温かい気持ちになれて、よかったです。
“吾輩”からは(漱石だけではなく)私もたくさんのことを教わりました。とにかく「クヨクヨしすぎる」私なので、それに気づいたときには“吾輩”の言葉を思い出したいと思います!結構勝手なことを言っては「ネコだからなっ!」と言い放つ台詞が面白く、ネコ好きの我が家ではちょっと流行っています(笑)。今本洋子さんの「ネコ」っぷり、最高でした!
藤村操が「自分は、死をもって(金之助が言ったところの)“からっぽになった袋”を埋めたい」と言ったのは、その意味がどういうことだったのか、わかるようなわからないような…でした。「何のために生きるのか?」そういうところはこの劇で難しいところのひとつでしたが、難しいことをちょっと考えつつも、全体を通しては、痛快に楽しく観れたので、脚本・演出・そして役者さんの演技の素晴らしさのたまものかなと思いました。
■ とにかく、オープニングに驚かされました。客席を使っての学生たちの登場。大きな声での大演説。思わず終わって拍手しそうになったら周りはしてなくて…だんだんフェードアウト。そして幕が上がる?と舞台左右に部屋が。演説の声が大きすぎて最初のセリフが聞こえにくくなったのが残念でしたが、そのうちに芝居に引き込まれていきました。そして、幕間のスクリーンを使っての舞台転換。飽きさせない猫の足跡にまた心が持っていかれました。話の内容では、夏目金之助と奥さんの鏡子さんとの会話が最初からだんだん時が経つにつれ変わっていくのが夫婦のあり方を考えさせられました。苦しい時は一緒に考え、嬉しい時は一緒に喜ぶ、大事なことです。金之助と猫の掛け合い、幕が変わるごとにだんだん猫が増えていくのも面白くて。お母さん猫が背負った子猫が飛び回る度に生きているかのように動くのが可愛くて、つい目で追いかけてしまいました。また、猫の登場シーンに流れているjazzyなBGMにもジャズ好きな私にはヒット。残念なのがその音が客席前では大きくてセリフが聞き取れないことも…音響さん頑張って欲しかったのですが、お1人で全国を回っているのでそれも大変ですかね。でも、最後には、お芝居の間ずっとずっと気になっていた風鈴の音に吾輩(猫)の思いが入っていたなんて…すてきな感情で終われたお芝居でした。また、観てみたくなりました。終わってからの交流会で金之助役の芦田昌太郎さんが「舞台は映画と違って、平面から奥行きが出てくるけどセットや目線は変わらないので、観ているお客さんが想像して一人一人感じる事が違う」だから、何度でも観られるんでしょうね。
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今回は2回目でしたが、楽しんでみることができました。
席も前の方で、実際に演じている人を間近で見ることができ、心に残る演劇でした。
これからも多くの演劇を見ていきたいと思います。
■ 冒頭では役者さんがすぐ脇を通って登壇したり、幕間のスクリーンの裏側もうっすら垣間見ることができたりで、いい経験ができました。自分が知っている夏目漱石という人物のエピソードと照らし合わせての鑑賞で、なかなか楽しかったです。次はどうなるのだろう・・・という興味を掻き立てる展開も「さすが」という感じでした。
■ 漱石が才能豊かな人物であるからなのかもしれないが、妻や友人たちといった寛大な良き理解者たちの支援があった。特に妻「鏡子」の家族や親類を受け入れ、前向きにたくましく生きる妻に感動した。また、猫たちは日々をひたむきに生きている人々である。その中に漱石は大切なもの見つけたのだろう。
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小説やテレビドラマ等でストーリーはあらかた解っており、すんなりと入っていくことができました。
姉が弟に金を無心するというのは、今ではあまりないのでびっくりだが、昔はよくあったのかも。
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とにかく、おもしろい劇でした。よく知っている「吾輩は猫である」というお話が、夏目漱石のウツによって生み出されたとは・・・。
最後に猫と会話ができなくなったことでウツが治ったというのも楽しいオチでした。
ただ、席が後の方だったせいでしょうか、役者さんのしゃべり方によっては聞こえにくいところがあったことを残念に思います。
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19人ものキャスト、3時間近くの熱演で大変面白かった。明治漱石時代も世の中の変化が激しく、身辺にも大きな出来事が次々起こり、まっすぐな漱石がウツになったのも理解できる。
猫たちとの対話、家族、友人たちの支えで回復していく様子、やりとりが面白い。
漱石作品劇は観劇後の気分がいつもさわやかで満足感を覚えた。
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猫が金之助としゃべるという設定がおもしろい。
登場人物の約半分が猫というのもおもしろかった。
そして、その猫たちが実に生き生きとしていた。
■ 夏目金之助(漱石)の若き日々の生活を通して、妻の鏡子と吾輩(猫)の三角関係を軸にして展開していくドラマは「吾輩はウツである」に相応しい物語になっている。文豪夏目漱石にも学生たちの冷たい視線に不満と苛立ちを抱え、精神的な「ウツ」の状態が続いていたことを赤裸々に表現していて、観る側からは感動を呼ぶ場面に満ちていた。観劇後は、漱石の作品を読み直したいと強く思いました。
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有名な小説の誕生の裏に、こんな熱いドラマがあったとは、想像以上に面白かったです。命という意味に、真剣に考え、悩み、どんどん複雑に絡まる人間たちと、あるがままを受け止めて生きている猫たち。同じ時間を生きているとは思えないほど時間の流れの違いが面白かったです。
漱石の、奥様、友人、猫にまで見放されることなく必死に向き合ってもらえる人間性をうかがえ、改めて作品を読みたくなりました。
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心に残ったのは、鏡子役の荘田由紀さんの美しかった事です。目鼻立ちがはっきりしていて、着物姿も、仕草も、とてもきれいでした。
着物を何回も着替えて登場するので、そのたび、見とれていました。
金之助役の芦田昌太朗さんも最後まで一生懸命声をふりしぼりセリフをいっている姿が、ステキで良かったです。
お芝居は、妻と猫と金之助がユーモラスに描かれていて、面白かったです。それと、おいしそうなお菓子が次々に出てくるので食べたくなりました。
また別のお芝居も次回観てみたいと思いました。
■ これまでの所では、今年一番の作品だった。登場人物が、実在した著名な文化人であるので、親近感を持って観劇できた。
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いきなり客席から現れて劇が始まり、びっくりしましたが、役者さんが客席に降りて来られると、舞台との一体感が出ていいですね。
全員が主役のようで漱石先生と夫人の掛け合いに冷めた感じの女中てるさん。阿吽の呼吸がとても素晴らしくこの絶妙感が何とも言えず面白かったです。そして、又猫の登場が素敵で「人間なのにネコ」になってましたね。猫の仕草がとても可愛らしくて癒されました。
先生が暴れて投げ出した布団をかついで走り去っていく猫ちゃん。インテリ猫ちゃんは講釈が大変良かったですね。偉そうなところが可愛らしかったです。
ストレスだらけの漱石先生を救った猫ちゃん達、ウツになったから猫たちとおしゃべりができたのでしょうか?すべての猫たちがとてもかわいかったのですが、特に吾輩は自分勝手で愛嬌があってすっかりファンになりました。
今回も時を忘れて楽しい時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。皆様の今後の活躍と又お会いできることを祈っております。
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夏目漱石の「吾輩は猫である」は名前だけは知ってはいるが、読んだこともない。
この芝居を見て破天荒な行動の夏目漱石の書いた「吾輩は猫である」を読んでみようと思う。