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宮川浩さんに
開演直前インタビュー

楽屋訪問84


  イッツフォーリーズ公演「青空の休暇」鳴門例会(2017年11月8日)で“早瀬光男”役をされる宮川浩さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) まず作品について、お伺いしたいと思います。「青空の休暇」は戦争を思い起こさせるので、ちょっと重いかなあと思ったんですが、結構あったかい気持ちになれます。宮川さんはこの作品をどうとらえていますか。

宮川浩

宮川浩(敬称略 以下宮川と略) よく言う戦争ものでは全くなくて、背景にたまたま戦争があったというだけです。全然重くもないし、どっちかと言うと前向きな明るい作品ですね。僕は戦争は勿論経験もしてないし、ただそういうものを知識として、これをやるにあたっていろいろ見たり読んだりはしました。でも、これで戦争を知った気にはなりたくないです。

鳴門 別に暗い作品じゃないですね。

宮川 全然。僕は明るい作品だと思うし、とってもうきうきわくわくする作品です。

鳴門 最初の方をみれば、若い時代にタイムスリップしたような感じがありますね。

宮川 タイムスリップ? どうなんですかね。ある意味タイムスリップの瞬間もあるかもしれないですけどね。余りタイムスリップという感じ方で捉えたことは無いですね。

鳴門 いろいろ舞台作りで苦労されたんじゃないですか。

宮川 舞台作りは、皆が一致団結して創っていくものですから…。僕自身、九州生まれですから、九州弁が巧みにしゃべれるという意味でははまり役だったというのがあります。僕は長崎出身で、この早瀬という役は熊本出身なので、近いけど。でも徳島と高知じゃやっぱり言葉違うのと同じでしょうね。余りいい加減な九州弁もしゃべれないし、僕らが知っている熊本弁は、ご存じだと思いますが、巨人の星の左門豊作が喋っている、「これは何とかですたい」みたいな、あれが熊本弁だと思っている方もすごく多いのではないでしょうか。でも長崎弁じゃない、本当の熊本弁を喋りたいなあというのがあります。今回で3回目で、毎回追求してますけど、どうしても気持ち入ったりすると長崎、博多にも居たことあるので、博多の言葉になってしまっているところがあるんじゃないですかねえ。ただ実際熊本の方に観てもらっても「あれは熊本弁じゃなかばいって」言われたことはないですけど。

鳴門 言葉の指導はなかったんですか。

宮川 元々の脚本にすごくちゃんとした昔のおじいちゃんがしゃべるような熊本弁が書いてあるんで、後はイントネーションですね。今回劇団に熊本の子がいるんで聞いてもらってはいるのですが、ただおじいちゃんの世代と言葉が全然違うらしくて、原作に書いてある台詞はもう全然使いませんとか言って、今の子は、余り参考になってない感じです。

鳴門 時代設定としては70年近く前の設定ですか。

宮川 1991年です。今から20,30年前ですね。

鳴門 発端は戦争が始まった時ですがメインはその後のことですね。

宮川 そうですね。1941年のことです。パールハーバーでのことは、50年前のことです。パールハーバーを攻撃してから丁度50年たったところです。戦時中の回想も全然出てきませんし、終始75歳の役でやってますね。

鳴門 25歳の時にパールハーバーがあったんですね。

宮川 そうです、そうです。

鳴門 10~15歳位上の年齢を演じられていたんですね。

宮川 そうですね。おじいちゃんを演じればいいというのであれば簡単なんでしょうが、実は75歳というのは、今あなたは70歳ですか、そんなによぼよぼにはなってらっしゃらないと思うんですね。あと5歳年をとられても。だから85歳ぐらいの方が良かったかなあと思います(笑)。75歳というのはまだ若いですね。20何年前とはいえ。やっぱり年輪が刻まれた75歳、そこを今僕は53歳ですけど、そのまま表現することは出来ないので、多少重くしゃべったりしたりはしてます。

鳴門 長崎のご出身と言われましたけど、お芝居を始めるきっかけ、俳優になられたきっかけは何だったんでしょうか。

宮川 それを鳴門で話すことになるとはねえ(笑)。僕はずっと音楽をやってまして、ハードロックバンドをやってました。ちゃんと隠さないで言うと、大学までヘビメタバンド、ハードロックバンドをやってまして、芝居なんかやったことがありませんでした。歌しかやってなかったですよ。当時の彼女が勝手にオーディションに応募して、一次に受かったから二次に行ってくれと言われました。それはレ・ミゼラブルというミュージカルの初演だったんです。1986年に決まって、それから急遽違う養成所へ行って、そこで演技をちょっと勉強し、そこからですね。しかし役者になろうと思ったのはもっと後かもしれませんね。その時はなりゆきです。レ・ミゼラブルって台詞がないんですね。歌を歌えればいいっていう考えでした。でも実はとっても芝居ができなきゃいけなかったんですよ。多分30年前は普通に歌だけ歌っていたんだと思うんですよ。

鳴門 ハードロックバンドで何を担当されていたんですか。

宮川 ボーカルです。オリジナルの曲をやっていました。中学まではギターとボーカルをやっていたんですが、やっぱり高校、大学へ行くと、ギターがうまい人が沢山いるので、ボーカルに専念したほうがいいなあと思って、ジャンジャン歌ってました。  

鳴門 役者やることになって、すごい感動とかあったんですか。

宮川 きっとあったんだと思いますが、その時のことを鮮明には覚えてないんですよ。必死だったんでしょうし、緊張もあっただろうし、それから、あ、こんなものかと思った記憶もあります。すごくなめ切っていたから…。だからすごくいじめられましたよ(笑)。いまだにそういうところがあるけど、今はなめていませんよ。

鳴門 今は舞台をずっとされてますよね。どうしてそのモチベーションが保てているのですか。

宮川 うーん。どうなんでしょうね。今となってはこれしか出来ないっていうのがあります。やっぱり挫折を何度もしてますし、そのたびにもう辞めようって思ったことだってあります。それこそこの作品じゃないですけど、縁みたいなものがあって、もう辞めようとか思っている時に、今こういう話があるんだけどな、と知り合いの知り合いの人から話を頂いて…、そういうのでつながって現在に至っているとしか思えないですね。何かモチベーションがあって、絶対この世界辞めてやるものかというわけではありません(笑)。やるからにはいいものを作ろうという気持ちはありますけど、なにか女房と子供にひもじい思いをさせて、「あなたもう役者を辞めてよ。」と言われたら考えたかもしれないけど。幸い家内はそんなことを言いませんでした。それで今に至っています。

鳴門 舞台は大体ミュージカルですか。

宮川 そうですね。メインはミュージカルですけど、ストレートのお芝居だけで1年間ミュージカルをやらなかった時、歌わなきゃいけないのに何やってるんだろうと思いました。文学座さんとか俳優座さんとか青年座さんとかじゃなく、出身がハードロックなんで(笑)、お芝居がうまいとは全然思ってないし。やっぱり私は歌ってなんぼというのがあります。

鳴門 印象に残っている舞台は。

宮川 そうですね。舞台は全部心の中に残ってます。思い出せないやつは残ってないですね。その中でも、これは何度も言うんですけど、30年間もう数えきれない程の舞台をやってきて、この作品は5本の指に入るぐらいだと思うんです。でもひょっとしたら一番になるかもしれない。それくらい3年が待ち遠しかったし、この早瀬という役も好きです。

鳴門 座右の銘というか自分の好きな言葉とかありますか。

宮川 余りないんですけども、ずっと自分のブログにサブタイトルとして書いていたのは「明日は明日の風が吹く」という言葉です。なんかすごくいい加減な言葉に聞こえるけども、常に前向きで、良い風が吹いてくれるといいなあということです。挫折した時とかへこたれて過去を振り返ることが多いんですが、一晩寝たら又新しい風が吹くよと言って、自分に言い聞かせていたかもしれないですね。

鳴門 やはりそういう風に思ってお仕事されているんですか。

宮川 板の上に乗ったら、やっぱりお客様にお見せる仕事ですから、間違えちゃいけないということもきっとあるでしょうし、何百人という方が観てらっしゃるので緊張もしているでしょうし、単純には楽しめないですよね。昨日松山で初日だったんですけど、初日は大体皆さんから頑張ってねといわれますが、「頑張らない、楽しむよ」と言っています。それを自分に言い聞かせている。一生懸命やるというのは、頑張っちゃうのとは、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。

鳴門 ちょっと話は変わるんですが、日常生活で芝居を離れて、趣味とかありますか。

宮川 実は(笑)。これは趣味ではないでしょうけれど酒ですね、それとその酒の場です。昔は大勢でわいわいというのが楽しかったけど、最近は少人数で、男どうしで飲んだりするのがとても楽しいです。

鳴門 いいですねえ。

宮川 あと料理もすごく好きで、大体、うちの晩御飯とか結構作ってます。包丁で野菜なんかをガーと刻んでいると何かこうストレスの発散にもなるしね。前に飲食店にいたりしたので、大好きです。

鳴門 得意料理は何ですか(笑)。

宮川 うちの子は21歳になるんですが、パパのハンバーグが一番好きと言いますけどね。僕はカツオが大好きで、普段週に3,4回食べているんですよ。カツオ料理も、塩カツオにしても何にしても、やっぱり生のにんにくですね、でもそうすると、舞台に上がった時どうしても臭いがするじゃないですか、だから食えないんですよ。よく家でやる時は弱火で揚げているんですよ。かりかりのガーリックチップスにして火が通っているので余り次の日まで残らない。それにポン酢をかけるんですが、それは絶品です。いつもやってます。この前も小栗旬がうまいと言って食べてくれたし。

鳴門 高知が楽しみですね。

宮川 いやいやここも楽しみですよ(笑)。ここは多分2回目なんですよ。10数年前に、前田美波里さん主演の「ジョセフィン」で来ました。

鳴門 どんな役でした。

宮川 ジョセフィンのライバルのミスターキッドっていう女性の役です。僕がやってるからおかまになったんですけど(笑)。でも立派な女性のエンターテイナーなんです。本当に随分前ですね。地人会のね。あれ以来ですね、懐かしい。あの時は渦潮を見に行ったんですけど、今回は時間がなくて行けなかったです。

鳴門 活動の場としては、こういう芝居とテレビ、映画などの場がありますが、どんな割合ですか。

宮川 一時期はずっと映像もやってたんですが、今は、事務所の方針で映像(テレビ、映画)は余り専門じゃないので、ここ10年くらいはテレビに出てないですね。もっぱら舞台とライブですね。今回出演している駒田と私と畠中と3人でユニット組んで、お芝居仕立てのライブをやってます。それと他の方のディナーショーのゲストに出たりしてます。

鳴門 今回は、宮川さんは客演という形で座員と一緒にやってどんな感じでしょうか。

宮川 いや、何の違和感もない。みんないい子たちですし、本当にフォーリーズの一員としてやっています。青空の休暇のメンバーの一人だと思ってやってます。

鳴門 宮川さんとインタビューする前、プロデューサーの𡈽屋さんとお話したのですが、宮川さんはやさしい人で、和気あいあいとやってますよと言っていました。

宮川 皆、仲がいいし、客演だからと言ってちょっと偉そうにしている人もいないし、ましてや皆よりちょっと年が上なんで、井上さんとかおれとか駒田さんとか、田上さんとかグレッグデールとかも皆50代ですからね。再演の後の今回ですし、絆みたいなものがどんどん深まってきているなあと思います。

鳴門 ミュージカルの場合は特に言葉が大事ですね。

宮川そうですね。勿論、すごい大きい会館へ行くと、すごくワンワンするから、いかにしっかり喋って歌うかっていうぐらいにしないといけない。自分が気持ちいいからこういう歌い方をするというのは出来ないですね。

鳴門 最後に、私たちのような演劇鑑賞会の活動について何か考えられていることがあれば一言お願いします。

宮川 地域の方と密着して活動していると思うんですけど、会員さんがどんどん減って、昔2日間やっていたのが一日だけになってしまったというのもお聞きします。もうちょっとミュージカル等をいれて(笑)、若い子たちが観て楽しいものをというのもいいのでは…。

鳴門 一年に一回やれればいい方ですね。だけど一年に一回以上はやって欲しいという要望はあります。

宮川 今、ミュージカルブームですしね。今の若い子たちもミュージカルは観たいといいます。四国でもそういう子は多いと思います。でも四国にはなかなか来ないんで、結局大阪に観に行くということになりますね。でも市民劇場さんで呼んで下されば、あー入ろうと思う人が増えてくるんじゃないのか。そうなれば日程が延びて、僕らも長い時間おれていいです。そういう相乗効果がいいなあと思うのですが…。全然知らなくて、こういうことを言って申し訳ないですけど。

鳴門 いいえ。どうも有難うございました。

宮川さんとインタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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