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浜名実貴さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問89


 劇団前進座公演「柳橋物語」鳴門例会(2018年9月22日)で“おもん”役をされる浜名実貴さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 今回の作品は、いわゆる“世話物”と?

浜名実貴

浜名実貴(敬称略 以下浜名と略) 歌舞伎ではないので世話物という言い方はしません。ただ、時代設定は江戸時代なのですけど、中身は“現代劇”といってもいいくらいなんです。演出家もそのように。

鳴門 ストーリーは、今風に言えば“遠距離恋愛”みたいなものですかね(笑)。そんなこの作品の中で、お好きな場面はありますか?

浜名 もちろん自分が出ているところは(好き)…(笑)。出ていない場面では、私が舞台そでに居るときのシーンなんですが。幸太はおせんちゃんが好きでしょ。で、火事場でおせんちゃんとおじいちゃんを逃がすところで、おじいちゃんの背中に荷物を置いて楽にしてあげようとすると、おせんちゃんが頑なに「私が…」と拒否するんですね。そのときの幸太の台詞で「そうか…わかった」というのがあるんです。自分の心を抑えて気持ちを切り替えようとする様子に胸がキュンとするシーンですね。一瞬ですけど、私自身が楽しんでいるところです。

鳴門 そのシーンは見落とさないようにしないと…ですね。

鳴門 浜名さんが演じられる“おもん”は厳しい運命にさらされますが、その生き方をどう感じられますか?

浜名 おもんは生まれながらのお嬢さん。おせんちゃんとは違って、裕福な暮らしをしています。とても明るく、2人は仲がいいんです。でも、そんな裕福な暮らしをしていても、ひとたび災難に見舞われると人生は一変します。このことは現代にも通じるのではないでしょうか。この作品は久々の再演なんですが、今、災害が本当に多い。東北もまだまだ大変だし、この間は北海道の地震、西日本の豪雨災害もありました。そういう中での庶民の底力、というか、苦しい中でも人と人との繋がりで、いたんだ心を少しずつ回復していくのがおせんちゃんです。おもんはなかなかそこから抜け出せないんですが、最期は、大好きなおせんちゃんの家の中で過ごすことができて、十代の楽しかった日々を思い出して、本当の自分を取り戻して、旅立っていきます。悲惨ですが、少しは幸せを感じられたのが救いです。おせんちゃんも「これでもか…」というくらい辛い目に合いますが、不幸や悲惨さだけではなく、先の希望や立ち直っていくさまを、作者の周五郎さんは描きたかったのではないかと思います。

鳴門 今の世の中でも震災など、悲惨なことがあり、女性がひとり生きていくのはたいへんです。

浜名 周五郎さんは、敗戦直後の惨状を見てこの作品を書いています。庶民が大変なときに、助けてくれるのは“お上”ではなく、人と人との繋がり。そういったところに周五郎さんの思いがあると思います。

鳴門 私は山本周五郎の作品を読んだことがなく、この作品も知らないのですが、今お話をお聴きしただけで、現代と同じだなあと感じました。逆に現代との違いはあるのでしょうか?あるとすれば、どんなところにあるのでしょうか。

浜名 作品をどう観てくださるかはそれぞれのお客様の自由かと思います。演る方も、想像力を働かせていますので、観ていただく方々も想像力をかきたてて、ご自分の人生と重ね合わせて、共感できるところもできないところもあると思いますけど、心をフル稼働して観ていただきたいですね。

鳴門 時代背景は(現代と)違いますね。どんなところを見れば面白いでしょうか。

浜名 原作では、時代は元禄時代なんですが、劇では時代を幕末に持ってきています。そうですね、違いといえば、やはり風俗でしょうか。時代考証としては幕末を想定していますが、たとえば、「おうち」ひとつをとっても違いますし…たくさんありますよ。通信手段の違いも大きいですね!当時は(今のようなツールがないので)思いがなかなか伝えられません。でも、変わらないのは、誹謗中傷が人を傷つけてしまうこと。昨日まで仲がよかったのに、ひとつの誤解で悪くなる。でもまた誤解が解けたら元に戻るとか、そういったことは今と同じですね。

鳴門 私は約10年劇を観ています。時代劇も多い前進座さんですが時代劇において皆様が気をつけられていることはありますか?

浜名 やるものによりますね。今との違いは身分差でしょうか。今回の作品は、出てくる人は皆庶民ですが、これが武家になると、立ち居振る舞い、言葉遣い、すべてが違ってきます。スタッフは、こだわって、色々と工夫しているんですよ。たとえば、武家の人の場合は、お客さんには見えないところですけども、着物の下の裾除けは「絹」です。これが、庶民になると「木綿」。おもんも、火事のあと、着の身着のままで逃げて、その後落ちぶれてから出てくる場面では、裾除けなどは粗末なつぎはぎになっています。でもその一部の布に、実際、裕福だったときの衣裳の着物のハギレが使われていたり、かなりのこだわりがあります。小道具さんは、お客様には見えませんが庄吉に“御守”を身に付けさせたり、夜鷹になったおもんが持つむしろも途中からボロボロになるなど。私たち役者が、少しでも役に近づくための手助けをしてくださっています。

鳴門 時代劇の場合は、練習もほぼ着物なんでしょうか。

浜名 そうです。今着ているような浴衣とか…。前進座は現代劇もやりますが、その時は(稽古時は)ジャージとかですね。でもそれでも足元は「足袋」だったりします。稽古で着物を着る理由は、やはり、裾さばきなどの所作があるからです。

鳴門 女優になられたきっかけを教えていただけますでしょうか。

浜名 私がナマの舞台を初めて観たのは幼稚園のときです。地元の劇団が来てくれて。その後、小学校でも、学校公演で年に一度地元の劇団が来てくれていました。講堂で観ましたが、そのときのワクワク感は大きく残っています。それで、(自分も)やってみたいな~と思いました。小学校の高学年で、演劇クラブというのがあって入りました。指人形で、ストーリーから考えて披露しました。そのとき、皆が喜んでくれたことにすごく感動したんです。人に喜んでもらいたい、という気持ちが芽生えたように思います。でも、そういう道に進みたいと思ってもどうすればいいのかは全くわからなかった。高校を卒業するときに、先生に相談したら「(役者は)生活できないからやめておきなさい」と言われました(笑)。それでとりあえず進学で東京に出たんですが、学生時代は興味の対象も多様化しましたし、芝居の道に進むことは現実的ではない気がして…。芸事は小さいころからやっておかないと(ダメだろう)…という思いもありましたかね。普通に就職し、OLとして満員電車に揺られて通勤する日々が続きまして。それが、あるとき、私の夢を知っている友人が「前進座が養成所を再開する」と教えてくれ、そこで、それまでおさえていた気持ちが再燃しました。このまま何もせず諦めて生きたら、死ぬ時に後悔するだろうなあと思ったんです。やってみてダメだったら仕方ないだろうと思いました。
 前進座の養成所を選んだのは夜間に講義を受けられたからです。誰の援助もないので、働きながら通いました。職場の西新宿から、吉祥寺の養成所に寄って。あと、講師は一流だったのに、比較的授業料が安かったんです。何も分からなかったけど、先輩方が色々教えてくださいました。養成所期間が終わり、劇団に入団するかどうかのときも悩みましたが、先輩方を見ると、ちゃんと生活できているように見えたので(笑)飛び込みました。その後も、なにも分からず、日々叱られてばかり。梅之助さんの専任助手、そばでお世話をするような役目もやったのですが、そこで教わったことが多いです。

鳴門 いつもこの質問をさせていただいているのは、役者の皆様がどういう風な道のりをたどってこられたのかに興味があるからで。

浜名 やはり、最初にお話した、「人に喜んでもらえた」経験が大きいですかね。拍手をいただく、観ていただく、というのは、中毒のような不思議な魅力があるものです。小学校のときに体験した、その思いですかね。「役者は3日やったらやめられない」と言いますけど。役者を支えるのはお客様の反応です。

インタビューの様子

鳴門 私は市民劇場に入って間もなく、今回が2回目の例会です。前進座さんは初めてなのですが、これまで浜名さんは「お登勢」や「あなまどい」で鳴門に来られていますね。それらの作品、またその他でも、気にいられているものはありますでしょうか。

浜名 『お登勢』はジェームス三木さんの演出で、テレビでも、沢口靖子さんが主役で放映されました。徳島藩が舞台で、阿波木偶人形と人間の共演もありました。人間のラブシーンが途中から阿波木偶人形になったり…。この作品では、私は、奉公人のお登勢役でしたが、お嬢さんの許嫁と恋に落ちて運命を共にする。

鳴門 たいへんだったのはどんなことでしょうか。

浜名 結構笑えるところもあるのですが、笑いって“間”がとても大事なのでそこが難しかったですかね。あと、パッと人形に変わるところも。今回庄吉役の中嶋宏太郎は“面遣い(おもづかい)”をしていました。『あなまどい』では武家の奥様役でした。夫が仇討に出て行ってしまい、新妻だったのに夫は帰ってこられなくなり、34年後に再会して失われた時間を取り戻そうと夫婦で旅に出ます。

鳴門 その長い年月を一人で演じられたのですか?

浜名 そうです。たいへんだったけど、やりがいはありましたよ。奉公人と武家の役の違いは…。たとえば、ものを見るというひとつのしぐさでも、身分の低い人は“目玉で見る”、身分が高くなると、キョロキョロせず、“鼻で見る”という感じ。そういうちょっとした動きも身分の差を表す表現のひとつですね。

鳴門 そのほかで、何か難しかったこととかありますでしょうか。

浜名 前進座は何でもやる劇団で。「演劇のデパート」みたいに言われたこともあるくらい、レパートリーの幅がとても広いんです。若いときに子ども向けのミュージカルでカエルの役をやったときには、カエルの動きを勉強したり。それぞれ(の役に)難しさがありますね。「これに出られたおかげで大きなものを得られた」と思えるのは『母』という作品です。三浦綾子原作で、小林多喜二のお母さんの半生を描いたものです。29歳の息子多喜二を特高警察の拷問で失った母のそばにいる長女、多喜二の姉の役でした。年老いた母が半生を語る。今回出演の今村文美の叔母にあたるいまむらいづみが、そのお母さん役でした。すごい大先輩のそばで、毎日毎日、息遣いや呼吸が聞こえるような経験、それが自分の中に蓄積していくのです。自分がしゃべるだけが勉強じゃないんですね。そういう意味では、今日このように会員さんと話すのも大事です。「引出しを増やせ」とよく言われます。演技をするにあたって、この場面はこの人のココをいただこう…とかね。そういう意味でも、鑑賞会の皆さんからも色々といただいています。

鳴門 前進座さんは『夢千代日記』で2013年に来ていただいて、鳴門市民劇場はそこからずっとクリアが続いています。

浜名 ありがとうございます。

鳴門 最後に、私たち演劇鑑賞会に一言いただけないでしょうか。

浜名 劇団に入るまでは、演劇鑑賞会・市民劇場のことは知りませんでした。入ってから知り、こんなに素晴らしい活動が…と。世界に類をみないことですよね。すごいことだと思います。
 たくさんの劇団がありますが、演劇鑑賞会の力で支えられている部分もたくさんあります。劇を観るといっても、どうやって?となると、地方だと交通費を払って都会(まち)に出てチケットを買って…しかありません。地元に劇団を呼んでというこの活動は、地域の文化の発展にも大切ですし、劇団にとっても無くてはならない存在です。
 現代は娯楽も多様化し、生の舞台を観る機会というのはずっと減っていますが、学校公演も減っている今、子ども時代に経験をしないと、一生観ずに終わる人もいるのかなと。益々演劇鑑賞会の存在は大切になると思います。現代で問題になっているいじめや戦争なども、想像力の欠如も一因…と言えます。相手の心や立場を思いやる、立場を替えてものごとを見るというのは、演劇で育まれる…というところがあります。たとえば、役者は、殺人犯の役をやることになっても、この人はどうしてこうなったのか…というようなことを考えるんです。経験だけがすべてではありません。想像力が大切なんです。人の心を豊かにする鑑賞会の活動は、とても大切なものです。私たち演劇人にとっても、演劇鑑賞会がなくなってしまうと大変です。商業ベースにのった舞台、有名な役者を出してチケットは即完売というの、それはそれで良いものもあるのですが、「売れる/売れない」を第一にしないで、観て欲しいもの、良心を体現するものを創るには、演劇鑑賞会が必要です。声掛けをして会員を増やしていくことはとても大変なことと思いますが、その活動が俳優や日本の演劇を守り育てているということを誇りにしてほしいですね。そして、仲間増やしをあまり負担には思わずに楽しみながら活動していただけたら嬉しいです。

インタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。