劇団朋友公演「ら・ら・ら」鳴門例会(2019年1月23日)で“猪飼芳子”役をされる西海真理さんと“赤木伸彦”役をされる牛山茂さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。
鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 作品「ら・ら・ら」について、西海さんはこの作品の企画を担当されていますが、観ている方にどんなことを届けたいと思っているのでしょうか?
西海真理(敬称略 以下西海と略) 実はこの作品が上演されたのが2012年なんですね。その2年前くらいから、団塊の世代の人口が増えてきているので、その世代がこれからどう生きていくか、マスコミで話題になったと思います。そのころから女性の平均寿命は80歳を超えていましたから、定年から約20年人生があるんですよね。生まれてから成人するまでの長い期間があるので、その期間に私たちが元気に生きられる、なにか元気になれるお芝居ができないかと思ったのが最初のきっかけです。老若男女、次の日朝起きたら、さわやかに、ああ今日も一日元気でいようと思えるような芝居を届けたいなと思って作品をつくりました。
鳴門
牛山茂(敬称略 以下牛山と略)
初演の時ですが、台本の仕上りが遅くて、本番の1週間前に最終的にできたんですよ。だから、慌ててスタートした感じです。そしたら、観た人から聞いた感じがどうも違うんですよ。なんだろうと思っていました。徐々に再演をやっていくうちに、だんだんみんなが言うような夫像になりました。それにしても「嫌な男って」言われ続けて6年になりますので、その「嫌な男」にちょっと慣れてはきたのですけれども…。
僕は、最初はずっと観ているのですけれども、赤木家に僕が帰ってくる。
毎日毎日楽しそうなところに、僕の出番になるので、これもまたきついかなという話です。でも自分はお芝居はとっても楽しくできていますので、お客さんに共有していただけたらいいなというふうに考えています。
鳴門 そこを注目してこう思っているのかなと思いながら観させてもらいます。ありがとうございました。
鳴門 コーラスの練習はされたのですか。
西海 勿論、勿論。うちの劇団にずっと声楽のレッスンをつけてくださっている声楽家の先生がいるんです。それでその先生が合唱の指導をしてくれています。今回四国に入って73ステージ目から始めたんですね。今までの公演の中でも毎日、上演する前に必ず歌を歌っています。みんなで今日は大丈夫だ、この会場条件はこうだとか、ちょっとここはだけ合わせましょうとか、打ち合わせをしています。毎回1時間半前に集まって、今日の劇場条件はこうですよとか、舞台上の打ち合わせがあって、その後必ず2曲歌います。
鳴門 旅公演中の舞台外での役者さんの様子を教えてください。
西海 空き日があると温泉に行ったり、前日に調べていいところがあれば行ったりしています。高知では“ひろめ市場”へみんなで食べに行ったり、お城があったのでお城にも行きました。
鳴門 俳優になられたきっかけを教えてください。
牛山
小学4年生の時の教科書に戯曲という授業があったんですけど、普通の先生は飛ばしちゃうんですね。でも僕の先生は国語の担任で、これを生徒にやらせるんです。講堂に移動してわざわざやるんです。おまえ主役でこれをやれって言われて演じたんですよ。その授業が長引いて休み時間になってしまったんですね。そこに全校生徒が遊びに来て、すごい人だかりで円陣のようになって見られていたんです。それが大受けして、あの笑い声が忘れられず、そこで『そうだ僕は東京に行って劇団に入ろう』と思ったんですよ。きっかけはそれですね。高校になって我慢できなくなって演劇クラブに入りました。そして、卒業してどうするかと思い、じゃあ東京の養成所を調べて、現在にいたるんです。意志は固かったですね。ずっと劇団に入ろうと、そのまま思い続けてやっているわけです。それが、こんな歳になるまでやるとはまさかね。
でも、自分が思ったことは、思い続けていれば叶うんですね。だから僕はいつも研究生らに言うんですけど、道を決めたら頑張るんだよ、あきらめてはいけない、元気を出して。これだけで十分伝わります。やめなければ、そのうちいいことあるよって。
西海 私は、身体を動かすことが大好きで、中学校も高校も運動部にいたんですね。大学に入った時に、学生生活最後だから文化的なことをやろうかなと思っていたんですね。そしたら、私が入った大学の学部は女の子が1割しかおらず、ほとんど男子だったので、いろんな部活が誘いにくるんです。それで何にしようかなと思っていたら、演劇部の人が、毎日授業が終わると来るんですね。1回やりませんか、女性が足りないとか言ったので1回だけのつもりで出たんですね。そこから演劇に入っちゃって。そこからもう、授業が終わるとすぐ部室に行ってということが始まって、大学4年の時には、大学と劇団の養成所と両方行っていたんです。なので、大学を卒業して就職せず、即劇団に入った。そこからずーっとですね。
鳴門 現在の朋友に入られたきっかけを聞かせてください。
西海 大学の授業と両方やらなきゃならないから大学の地域で近くのどこかに受けようと思ったんです。養成所があるところをいろいろ調べて事務所が近いところに応募したんですね。ところが実際に受けに行ったら違った所だったんです。そのころは演劇が流行っていたので100人位受けに来ていたんですね。だからもう受からないと思っていたんですが受かっちゃったんですね。どうしようかと思っていたんですが、入所式の案内をみるともっと遠いところだったんですね。でもまあいいやと思って入りました。だから、養成所の授業が午前中にあったりすると、急いで大学に戻って授業を受けて部活やってみたいなことを1年続けたんですね。その住所が最初からわかっていたらそこは受けなかったですね。でもそこにずーっといるという不思議な縁ですね。
鳴門 好きな言葉や座右の銘がありましたら教えてください。
牛山 僕は普段よく思っているのが“自然体”という言葉ですね。
西海 私は、“続けるのも才能のうち”です。ずっと劇団にいますから若い子を養成することにも関わっているんですけど、入団後少し時間が経つと、私はここの劇団に合わないとか、この人とはやっていけないとか、いう人が何十人もいるんです。まだわからないのにね。だからまずは3年いなさいと言うんですよ。私も好きで入ったけれども、才能があるかどうかはクエスチョンなわけですよね。でも、続けるということができるのも、そういう才能をもっていなければできなくてやめてしまう。“続けるのも才能のうち”ということにつかまりながら続けているというか、その言葉に救われています。
鳴門 芝居を離れて日常生活での趣味や楽しみがありますか?
牛山 僕は、最近時間がなくてやってないですが、水彩画をやっています。人物画というのはあまり書いたことがないんですが、風景画とかが好きで、暇だと書いていました。静物画もいいですね。それが大好きですが、最近は本当に描けていないんですよ。
西海
私も、なかなかできていないですが…。
手芸が大好きなんですよ。刺繍も好きですし、編み物も好きです。役者になる前、本当は手芸家になりたかったんですよ。母の影響もあるんですけど、小学生の頃から好きなんです。でも絵がへたで、絵心がないんですよ。デザインを持ってきて、その通りやったり、真似はできるんだけど、自分でデザインするっていうことが苦手なので、それであきらめました。染色も大好きなんですけど、本業のほうが忙しくて時間がないんで、また、それをやりだすと、何にもやらなくなるんです。食事もいらない、ずーっとそれをしていたいになるんです。だから、あえて見ないようにしています。
鳴門 第三者として芝居の主人公をみてどう思われますか?
西海 私は企画者なので、この企画のもとになっている本があるんですよ。いろんなエピソードが出てきます。楽しみにしてください。その一つ一つのエピソードが実際にあった話なんですね。どの話を抽出してこの話に盛り込もうかと考えた方なので、客観的に観るということがなかなかできないかなと思います。でも、この芝居のなかで一番思うのは、こうやって年齢を重ねてくると一人では生きていけないですし、いろんな人と出会って今があるので、“ありがとう”がキーワードなんですけど、その気持ちはこの台本で忘れないようにしなければと思います。
牛山 わりとお客様に感動していただいたり、喜んでもらえれば、ぞくぞくして嬉しいんですけど、たまたま評判になってお客様に喜んでもらった芝居を客席から自分も観たいなと思うんですよ。
西海 私たち観れないんですよ。照明がどんなふうに変化しているかとか、自分がここにいるとき他の人はどんな表情をしているのかを観てみたいですね。
牛山 やっているときは必死ですから、セリフとかいろいろ考えますから。単純にそんなにいいお芝居だったんですか、じゃあ客席で観させてくださいって言いたいです。この芝居を観たらさぞかし腹がたつでしょう。
鳴門 映像と舞台の違いについてお聞かせください。
牛山 映画の場合は、カメラさんと監督との作り物のような気がするんですよ。ここはああしてくれこうしてくれといって。カメラもいいところになるとグーッとなるわけでしょう。自分で作っているというよりも、スタッフが作っているというような気がしてしようがないですよね。
西海 映画はカット割りになっていて、ここは絶対アップの顔、ここは後ろからとカット割りになっていて、その箇所箇所でやるわけですよね。だから、例えばここの会場がでてくるシーンだったら、1年先のシーン、3年先のシーンを今と一緒に撮ってしまったりしますので、逆に、その台本の中で、即その気持ちになれないと役者さんはダメということはありますけど、それは舞台と違うところですよね。でも、牛山さんがおっしゃったように、全部監督がアングルとか撮っていくわけなので、私たちの自由さというのは、その中でどれだけ役になりきるかというところが、舞台と全く違うものだと思いますね。テレビだと3カメぐらいで捉えていますから、自分がどこから撮られているかわからない、一応カメラワークを知っていますけど。舞台は一過性なので、そこで勝負で、生の観客と一緒にやっていくわけですから、まったく違いますね。舞台は観客が自分をフォーカスすることはできるんですよね。こういうときにこの人今どんな顔しているの、それは自分で選べるんです。
牛山 お客様はしゃべっている人の声を聞きながら、周りに人を観ている。だから、ボーっとしていると目だっちゃってですね、何もしないでボーっとしているとだめなんですよ。だから、話している人を聞きながらへーっと相槌を打ったり何かやってないといけないわけですよ。だから、肉体的にきついといえばきついんですけどね。しゃべっていないときもずーっとお客様を意識しながら、動くなり何なりしていなければならない。
鳴門 演劇鑑賞会についてどう思われますか?
西海
舞台の三大要素…いろんな言い方があるんですけど、鑑賞会である観客がその一つの要素なんですね。映画とかテレビにはないのが観客ですよね。一緒に作っているんですよね。鳴門はワンステージですけど、高知も明日もツーステージあるんですけど、ワンステージの観客が同じ地域でも違うんです。勿論地域性もありますけど、それによってその日の舞台が変わるんですね。一緒に作っていけるんですね。ましてや、鑑賞会と私たち劇団との関係は朝の舞台の仕込を手伝っていただいて、最初から一緒に作り上げていくっていう関係だと思います。だから、それは一般のチケットを買って観に来る観客とは全く違う関係。その中で、私たちはうちの劇団の一番のキーワード“人の琴線にふれる芝居”
“人のこころを動かす芝居”というのを作り続けたいと思っているんですけど。
そのことが共有できて一緒に作っていけたらと思うのと、松山がこのツアーの一番最初で、1年ぶりで73ステージ目だったんです。きのうも高知で交流会があったんですけど、その方たちは執行部なので、前に中国ブロックでやったステージを観劇した時とは、ぜんぜん違うっておっしゃるんですね。そのときと台本は同じなんです。お芝居は、ステージを重ねる毎に進化するんですね。もっともっとそれぞれの役が腑に落ちてくるというか、役として舞台上で動き回っているのは、結局何ステージも続けることで変わっていきます。私たちは鑑賞会とともに関わりあったり、みんなでコンタクトを取りながら創っているので、成長していくっていうか、特に人が大きな要素と思っているので、いつも有難いなと思いながらやっています。目に見えるところでお会いしながらやれるのは嬉しいなと思っています。東京と四国は遠いですけど、鑑賞会との関係は、そんなに遠くないという感じがしています。
牛山 今日のお芝居を観終わった後に僕にモノ申したいと思うならば、この芝居は成功したんじゃないかとおもいます。
鳴門 ありがとうございました。