ホーム > これまでの例会 > 風を打つ > インタビュー

太川陽介さんに
開演直前インタビュー

楽屋訪問113


 トム・プロジェク トプロデュース公演「風を打つ」鳴門例会(2024年7月24日)で“杉坂孝史”役をされる太川陽介さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

太川陽介さん"

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 水俣病という重いテーマを扱った作品ですが、今の時代に上演し続ける意義を教えて下さい

太川陽介(敬称略 以下太川と略) 水俣病という忘れ去られていたものが、ここの所、久しぶりにニュースで取り上げられていて、忘れ去られているけどいまだに続いている。それをこうやって世間に問いかけられるというのは勿論意義があることです。
 僕は、あくまでも家族愛の芝居を、“杉坂孝史”というお父さんを演じることしか頭になくて、芝居をしているときは意義だとかは関係なく、ただ役作りをしているということです。そんな大それた意識をもっては演ってはいないです。演じることで、色んなことを与えられればいいと思います。台本の中のこの役の世界を演じようという気持ちで演っています。

鳴門 この作品は家族再生の希望の物語でもあると思います。この家族を通じて伝えたいことを教えて下さい。

太川 僕は、父親が亡くなり、母親が亡くなって6年半ぐらいになるんです。そうすると、母親も亡くなった後、凄く寂しくて、もう頼る人がいないんですよ。自分を守ってくれる人がいないんで、もう僕が守るしかないんだと痛切に感じました。やっぱり、一番守ってくれるのは家族、本当にいちばん大事な単位であると思います。だから、明るくていいなと思ってもらえるようにと願って演っています。何をどういったって家族はね、やっぱり味方ですよ。どんなことがあってもそれは感じながら演っています。

鳴門 息子をもつ父親役を演じられていますが、妻役の音無美紀子さんとの関係も含めて、どのような父親役を演じられているのか教えてください。

太川 私は、本当にこの台本にある父親を演っているだけで、ただそれだけなんです。台本はとても大事で、その台本の意図通りにきちんとセリフを言って、そうすれば伝わるという。だから演出家とは稽古中ここのところはどうしたらよいか必ず聞いて、その上で役を作っています。
 ほかの芝居と比べて、このチームは家族のような感じなので、それが出てるんじゃないですかね。
 音無さんが穏やかであったかい人だから、みんな楽に家族みたいになれる。音無さんがいるからとてもいい雰囲気なんです。今日もこの近くに“CoCo壱番屋”があるのを見つけたんです。“子供たち”を連れてココイチに行こうと思った。そうやって、離れてても一緒に食べたりして家族が出来上がっている、それがこの舞台の上に表れていると思います。

鳴門 今までに鳴門(四国)に来られたことがありますか?その時の印象と、今回の鳴門公演で楽しみにされていることを教えてください。

太川 勿論歌っていた頃は徳島に来てるし、大きな会館でイベントがあったり、デパートの屋上でサイン会をしています。でも、歌手(アイドル)の頃は忙しくてあまり記憶がないんですよ。
 何十年か振りに来ると、何かこの景色見たことがあるというか、何か覚えているという感じなんです。 「バス旅」をやってからはよく覚えています。地図を見てるから地理もどんどんわかります。蛭子さんとやっているときに、高松出発で伊勢を目指していたので、この辺を通ってから淡路島を縦断して行っていますから。ただこの辺はすんなり縦断できているはずです。
 高松には叔母がいますので、四国は僕にとって特別ですね。
 昨日は音無さんと鳴門観光をしました。鳴門駅前の観光案内に行ったら、「渦潮」のいい時間が書いてあったんですね。「13時30分ってこの時間を逃すと見られないんですか?」と尋ねると「そうです」ということだったんです。するとちょうど11時57分発のバスがきて、急遽「音無さん行こう」と渦潮を見に行ったんです。昨日はリアルなバス旅を音無さんとやってきました。ちょうど渦潮が一番きれいで、YouTubeをしている音無さんが写すのが上手なので、撮ってもらいました。 僕も「ルイルイちゃんねる」というYouTubeをやっています。とっても面白いですよ。最新のは蛭子さんと一緒に競艇に行ったやつです。

鳴門 この世界に入られたきっかけと舞台作品にも出演されるようになった経緯を教えて下さい

太川 きっかけは高校2年生の時、桜田淳子さんの大ファンだったんです。月刊明星を見ていたら「桜田淳子主演『スプーン一杯の幸せ』相手役募集」の記事を見つけたんです。僕は田舎者だし、その時代だからオーディションのシステムもわからないから、応募すれば全員呼んでもらって、そこに淳子ちゃんがいて会えるんだと思って即応募したんです。落ちましたが…。
 その後映画は全く関係なかったんですが、うちのサンミュージックが松竹映画から履歴書を貰ってきて、その中から独自で「サンミュージックオーディション」をやろうということでした。その時の社長が僕の写真を見て、「この子呼べ」という一言でオーディションの通知が来たというのがきっかけです。
 舞台は、初舞台は19か20歳でやっているんです。当時「がんばれ元気」という漫画があって、その主人公に似ているということでオファーがきて演ったのが初めてです。その一本演っただけで、31歳のとき(当時は全く仕事がなかった)、東宝の大地真央さん主演のミュージカル「エニシング・ゴーズ」で、真央さんと最後は結ばれる役のオファーがきたんです。「なんであの当時の僕にそんないい役を」とプロデューサーに聞いたら、僕が若いころ司会をしていた「レッツゴーヤング」を見ていて、「この子いつか使いたいな」と思っていたんだということだったんです。そのプロデューサーが大地真央さんに「相手役は太川陽介にしようと思う」と言ったら、「えー、太川陽介ができるの?大丈夫なの」と反対したというのを後で真央さんから聞きました。本人から「ごめんね。わからなかったからそう言っちゃったのよ」というくらい、最後は認めてくれて、とても評判がよかったんです。
 それから、東宝のミュージカルを何本も演ったり、芝居も演りました。多いときは常時半年間くらい舞台に立っている頃があり、世間からはテレビから遠ざかっている太川陽介はどこに行ったと言われていたんです。ちゃんと舞台を演っていたんですがね。50歳過ぎまで年間何本も舞台をやっていました。
 半年も舞台を演っていると、テレビのレギュラーができないわけです。それで、どんどんテレビから遠ざかってしまって、その舞台の合間にできるのが旅番組なんです。それで旅番組をやっていたら、ある時テレビ東京のプロデューサーが台本のないバス旅をやりたいんだけど誰にする?となったらしくて。僕はその前からテレビ東京の旅番組をやっていて、それを楽しそうにやる太川さんがいいのではないか、相手は蛭子さんにしようということになって始まった番組なんです。舞台で旅番組しかできなかったことが、後にそういう人気のある旅番組になったという、人生わからないですね、どう転ぶか。

鳴門 仕事以外で好きなこと、趣味があれば教えて下さい。

太川 音無さんは活動的なんですが、僕は、休みの日は全く家から出ないし、パジャマのままで一日いるみたいな感じです。
 今好きなのはオンラインゲームの麻雀で、知らない人と戦うというのを毎日やっています。夕べも2試合やりました。
 バス旅で十分なんで運動はしないんです。この間も35㎞ぐらい歩きましたから。この歳でどんどんふくらはぎが太くなって凄いんですよ。だから、運動はあれだけで十分です。だから何もしません。
 家では料理はしています。得意は鶏のグリル料理や茶わん蒸しで、うどん系(鍋焼きうどん)も僕の担当です。

鳴門 私たちのような演劇鑑賞会の活動について、また鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。

太川 僕は東宝の舞台が多かったんですね。商業演劇だったので巡業に行くのは大都市ばかりだったんです。
 大都市でも遠い町はあるわけだから、「遠くていけません」ということも多かったけど、こちらのツアーだと、今まで行けなかった所で観てもらえるということは凄く楽しいし、嬉しいことなんです。
 極力いろんな所に(演劇鑑賞会が)隙間なくいっぱいあると、僕たちも舞台の良さや生の素晴らしさを伝えられるし、嬉しいです。是非もっと広げていってください。

インタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。