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風を打つ

トム・プロジェクト プロデュース公演

鳴門市民劇7月例会
 2024年7月24日(水)
 感想集


鳴門例会カーテンコール

本物の「劇」らしい劇を観たとの感想だ。
 事前に台本も読んだが、それ以上に深い演出、演技であった。
 最後の男衆3人がシンクロした太鼓演奏と謡い様の詩の語りが印象に残る。
 それより何より、5月例会で入会した親子と「最前列」で並んで観えたことが大きな感動也。こんなに間近で、舞台を観たのは久しぶり。役者の表情・息遣い・眼の動きまで見て取れる。目と目が合う時など、ドギマギした(^^;)
 熊本の凄か母ちゃんにも、負けない東京育ちの長男嫁の演技力にも感動した。

おっとりされているイメージの音無美紀子さんがエネルギッシュに肝っ玉母ちゃんを見事に演じられていました。寄り添うように太川陽介さん演じるお父ちゃんがやさしく見守っていました。夫婦の仲のよさがとてもよく伝わってきました。子供達に長年差別されている事を隠し通さなければいけなかったお母ちゃんの心情を考えると胸が押し潰されるような思いがしました。どんな事があっても「母は強し」で子供達を守りぬくものなんですね。大きな母の愛を感じました。小五の孫にはちょっと難しい演目かなと思いましたが、「水俣病」の事は聞いて知っていたようで、ストーリーはしっかりと理解できていたようです。特に漁に出るシーンを描いたところ(お母さんと長男のやり取り等、家族の中での意見の相違等)が面白かったようです。
 色々と劇中で彼なりに感じ取り吸収していってるのだと思うと嬉しく思います。小学生の授業で「水俣病」の事を学習した際には劇中で感じ取ったこと、家族の絆や人を思いやる気持ちを思いおこしてほしいなと、婆ちゃんの切なる思いです。

「芝居は生もの、見る側と演じる側が一つになる」
 「風を打つ」は、この言葉がぴったり重なった生きた芝居でした。私たちの思いが役者さんたちに伝わったと思えた素晴らしい舞台でした。人権侵害も甚だしい公害病「水俣病」まだ認定されていない沢山の人たち、差別や偏見を乗り越え未来を見据えたあの力強い太鼓の響き、そして音無さんの力強い叫びにこれからの未来に勇気を頂きました。

年令を重ねると感動する事が少なくなりますが、久しぶりに見応えのある舞台をみた気がしました。ともすれば忘れ去られる水俣病も当時の事を思い出し涙しました。太川さんと音無さんの自然で温かい雰囲気も良く、太鼓も素晴らしかったです。

とってもよかった。
 「役者さんは何でも出来ないといかんのだな」と、その大変さを思いました。最後の太鼓、別の人が叩いているのかな?と思っていたら、3人の男の役者さんが叩いていたんですね。びっくりでした。
 水俣病のことは知っていましたし、最近あった「マイクを切った事件」は、腹を立てましたが、地域、家族の苦しみ、分断を深く考えることは不十分でした。今回の舞台は私の心に響きました。水俣病をテーマにして舞台にあげたトム・プロジェクトプロデュース、そして役者さんに感謝です。

登場人物同士のセリフの掛け合いの中で物語が進んでいくスタイルが新鮮で面白かったです。最後には、和太鼓の演奏があり迫力満点でした。逆境においても大切なものは忘れない。家族の物語に胸を打たれました。ありがとうございました。

小学校で勉強した水俣病が、まだまだ現実の世界のことだと思ったのは、「マイクを切った事件」をニュースでみたときでした。 そして、劇をみて、昔も今も無知からくる恐怖により病気にかかった人を虐げる、必要以上に遠ざける、いじめる人々の対応は変わってないんだと思いました。最初にコロナにかかった方が家を追われるように出ていかなければならなかった話を思い出したからですが、悲しいことですね。 そんな、いじめが続く中、戦い続けているご夫婦の姿に感動しました。
 そして、「治らんもんには、慣れるしかない。ばってん、治せるもんに、慣れる訳にはいかんのじゃ、わしらは・・・」の言葉に大きく同意します。人生において、どうしても自分の力では変えられないものもあります。それは受け入れたほうが楽に生きられます。しかし、変えれるものは変える努力をするべきだと思っているからです。逃げずに戦ってきた勇気を、私達のこれからの未来が優しさにあふれ、互い立て合い助け合って生きていける世の中になればいいなと思いました。

水俣病の差別や偏見を患者やその家族目線から追ってみてみると、同じ家族であっても色々な思いやそれぞれの苦労が分かる。この舞台を見たことで、水俣病の症状で苦しい思いをしている当事者、またその家族のことを考えるきっかけになりました。ラストの太鼓を打つシーン、母の演説に自然と涙が出ました。素晴らしい劇をありがとうございました!!

家族もみんな悩みを抱えながら、生活しているが、少しでも話ができる家族でありたいなと思いました。

水俣病のマイナス的な要素だけでなく、現実に基づいた素晴らしい公演でした。バラバラになりかけた家族の希望あふれる再生の家族模様に引き込まれてしまいました。
 私は前方中央の座席だった事もあり、男優3名の全身を使った太鼓演奏にも圧倒されました。劇場でないと味わえない興奮を感じました。
 太川さんのお芝居は初めて拝見しました。普段の印象とは違い九州男児の強さ、音無さんはとってもチャーミングでとても可愛くたくましい女性、痛みの演技も、この痛みは、息を吐く時「針千本」刺すくらいと聞いています。その演技素敵でした。 ラストシーンは引き込まれてしまいました。

水俣のお話だと聞いていたので暗い劇だと思っていたのですが、主人公の明るいキャラクターで素晴らしい劇でした。今なお苦しんでいる方がいる現実とそれを受け入れながら、分断を取り除こうとする主人公の姿勢は今の世の中のあらゆる所で必要な事ではないかと思いました。ずっとセリフを話し続ける音無美紀子さんの演技には、さすがはプロと本当に感心しました。

水俣病という重いテーマで、被害に遭われた人達は一生、そして、子孫にも影響を与え、誰も幸せでなく、その苦しさの中で何とかしようとする力強さに感動しました。和太鼓も心に響き素敵でした。
 同年代の俳優さんである音無美紀子さん、太川陽介さん、これからも長く続けて下さい。

夫婦のやりとりが自然体、ユーモアもあり、息がピッタリ合っていた。後半には、家族がかかえていた苦しみが伝わってきた。

水俣病がテーマということで、くらーい感じの舞台かと思っていましたが、俳優さんのテンポよい掛け合いで、退屈することなく観劇できました。ありがとうございました。

市民劇場で観劇した中でも、一番素晴らしかった。藍住で観続けてきて、本当に良かったと思う。

高校以来、何十年ぶりに生の舞台を見ました。やっぱり生で演じているのは訴えてくるものがあり、素晴らしい。
 女優さんは、おばさんの役でも嫁の役でも綺麗です。
 水俣病って昭和におきた公害ぐらいの感じだったけど、令和になった今現在も色々辛い思いや言えないこともある人達がまだいらっしゃるんだろうと、出来事の根深さを感じました。

水俣病、時代とともに風化して、遠くに感じていましたが、皆さん必死に戦い、生きてこられたのですね。

感動しました。泣きました。音無さんの演技は素晴らしかった。太鼓の演奏もプロ並み、凄かった。

水俣病から時は経ている。
 人の心から忘れ去られようとしている。
 肝っ玉母ちゃん、しらす漁で家族を支える父ちゃん、両親と暮らす四男坊、地元に戻った長男と嫁さん。
 病に対する差別や偏見、風評被害、家族の織り成す葛藤。
 水俣湾は埋め立てられて安全宣言された。それでこの問題は解決したのでしょうか。
 祭の日、家族の気持ちが“ひとつ”になり太鼓の音は打ち上げられた。

今回は、水俣病を通して「夫婦」「親子」「兄弟」「姑と嫁」など、いろいろな家族の関係を垣間見ることができた作品でした。
 「言葉にしなくてもわかるだろう」ではなく、「話し合うこと」「信じること」「お互いを思いやること」が大切だということを改めて感じました。何でも言い合える関係はすぐにはできません。日々の積み重ねがあり、生まれるものです。そのためには「夫婦の絆」がしっかりしていれば、おのずと子供たちの関係もうまくいくと思いました。
 そして、太川陽介さんは同年代で同じ年月を過ごしてきた方です。華やかにデビューし、私たちにとってのアイドルでした。いろいろな番組や舞台に立たれて、円熟味を増し、ステキに年齢を重ねてこられたんだなと今日の舞台を拝見して感じました。そして、太川さんと同じ年月を過ごしてきた私の人生はどうだったんだろうと振り返った時、私なりにいろいろな経験をして今日の私があるんだと思いました。
 これからも健康に気を付けて、楽しい人生を送りたいなと改めて思いました。

テーマは水俣病、しかも実在の家族の話と知り、例会担当としてもこの間のニュースや記事等で気にかけており、知っているつもりでした。観劇して、治らない病気の痛みや苦しみだけでなく、偏見や差別、家族がそれぞれに抱える問題があり、それらをはね返そうと闘っている姿に心を揺さぶられました。
 音無さんご自身も乳がん、統一協会とさまざまな体験をされ、困難に耐える強い人を演じられ、杉本栄子さんとぴったり重なりました。素敵な女優さんですね。
 太川さんの「バス旅」はほとんど見ましたが、舞台は初めて観ました。お母ちゃんにやさしく寄り添い、家族をまとめるお父ちゃん、太鼓の演奏はすばらしく、たくましい姿も見せてくれました。
 これからも舞台を通して水俣を伝え続けてください。「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」の闘いを応援し、見届けていくつもりです。

いわゆる公害病として水俣病が認知されてから30年以上経った1993年の熊本県の水俣を舞台に描かれた家族の物語。海の汚染や病気のみならず、差別や偏見など水俣病がもたらした地域社会への大きな爪痕とも終わることのない闘いを強いられ、翻弄されつつも苦難を乗り越えようとする家族の有様を、5人の役者さんたちが見事に演じきったそんな舞台でした。作品のテーマの重さを感じさせないコミカルな演技を交えながら、時には優しく語りかけ、時には激しく声を荒げて、対話を重ねていくうちにやがてお互いに理解し合う家族の姿に、自分自身も家族の一員として一部始終を見ているような感覚になりました。特に、音無美紀子さん演じる栄美子の「治らんもんには慣れるしかなか。ばってん、治るもんには慣れるわけにはいかんのじゃ、わしらは」という台詞は心に刺さるものがありました。また、最後の祭りの舞台で栄美子が水俣の海で死んでいった魚たちの代弁者となって語る場面では「祈りの言葉はありがとうたい」としたうえで、「水俣好きなもん、もどってこんなー」との呼びかけに明日の希望を感じたラストシーンでした。

何気ない家族の日常描写がすごく繊細に表現されていました。
 音無美紀子さんの演技力の高さに圧倒され、さすが大女優だと思いました。
 水俣病や様々な公害病の原因と被害について再度、深く考えるきっかけになりました。

被害者の家族には一人一人に色々な葛藤の歴史があると深く感じた。
 最終的には家族が本音で話し合い、互いの胸の内を知ることが出来、家族の温かみに心を打たれた。

「水俣病」自体は子供のころから新聞で知っていたが、観終わって改めて「水俣病」のことを詳しく調べた。その結果、詳しい患者数はいまだにはっきりとはわからない。現時点で認定された人が約2300人、その内既に亡くなった人が1650人である。非認定の人を含めると10万人近くなるらしい。でも本当に水俣病かどうかは分からない人も多いという。
 今回の主人公は初期から水俣病として訴訟を起こした家族である。その時は人数が少ないので村八分のような扱いを受けたようでそれが今例会のテーマと思った。例会の中では比較的ハッピーエンド的な終わりに見えたが、実際はこれからも後遺症と戦いながら暮らさざるを得ないのだなと思った。
 最後の方の太鼓の演奏は迫力があり、良かった。
 追記 実は、身近には森永ヒ素ミルク事件も体験している。自宅から2Kmの工場が発生元だった。
 最初は近所の酪農家で牛乳を納入していた人たちが疑われたが、実際は製造工程で使われた薬品の中の不純物が原因と判明した。(工業用第二燐酸ソーダの納入業者は「まさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかった」と言っている) 被害者は約13500人、その時の赤ん坊がであった。死者も130人以上でている。

すごくよかったです。音無さんも太川さんもキュートですごく魅力的でした。ぐいぐいタイプの嫁もよかったし、水俣の辛い過去を扱っていましたが、ちゃんと前向いて、人を好きでいて。個人的には(今までで)一番よかったです。
 だんだん年取ってきて、悲しい結末に耐えられなくなっているので、音無さんがめーっちゃ可愛くて、あんな風に年取りたいな~と思いました。

もっと暗い話だと思っていましたが、所々に笑いもありとても観やすい劇でした。物語も長い台詞も自分のものにしていて、演じているようには見えないほど素晴らしかったです。
 当時、ニュース等でよく目にしていた「水俣病」のこともすっかり忘れていました。何もない普通の幸せのありがたさに気付かされた劇でした。

今年3月の入会時に一番楽しみにしていた作品でした。期待にたがわず、“さすがプロの演劇”でした。

もちろん“水俣病”を取り上げた作品だったのでしょうけれども、観終わった今は、そのテーマを超えた「家族の物語」だったし、より一般化もできるような、人の心に巣食う“人を差別する、ねたむ”黒い部分や、根拠ない情報に流されていく人間の愚かさを問いただすような物語だったなあということを強く感じました。そこが、この作品の素晴らしさだと思いました。
 「家族の物語」としては、最初のどこにでもありそうな夫婦の日常会話からは想像できないような壮絶な経験を乗り越えてきた夫婦であることが、その後太川さん演じる孝史の独白から徐々に分かります。でも本編ではそれは描かず、舞台の主なシーンは“他愛ないやりとり”で構成されていたことが素晴らしい。また、兄弟も、それぞれに歩んできた年月の違いから両親や家族への想いや苦しみは違っていて(そういうことはよくあることかもしれないけれど)クライマックスに近いところで互いに心の内をブチまけて、モヤモヤしたわだかまりを溶かすことになりました。家族でも分かり合えていないことは一杯あるので、たまにはこんな正直なぶつかり合いは必要!と、頷きながらとても感動したシーンでした。
 また、ニンゲンの黒い部分や愚かさを突き付けられた部分については、コロナ禍が始まった頃のことや、ネット上やSNS上で止まない誹謗中傷の問題なども頭をよぎりました。社会の中では多様な人間がそれぞれの立場で生きている、そういうことを、理解尊重しないような行動に無意識にでも加担しないようにしなければ…。このような劇を観る意義は、改めてそんな意識も強くすることにあると思いました。それぞれの立場を想う「想像力」を育てることかな…。その最たるものが最後のシーンで栄美子さんが詠んだ“おはなし”でした。自ら耐えがたき苦痛を得ているにも関わらず「海の中の魚」に思いを寄せる。“毒”からの逃げ場もない魚の気持ちになってみる、なんとすごいことでしょう。この物語からのメッセージを凝縮したような“おはなし”だったと思いました。

鳴門例会カーテンコール

本劇は「水俣病」を題材として扱っているとの事前情報から、私は勝手にその有機水銀(メチル水銀)による中枢性の中毒性疾患に侵された家族の悲劇を描いたものと思っていました。ですが、いざ蓋を開けてみると、今回演じられた内容は、多少の波風はあるものの、一般家庭でもよく見かけるのと同様な水俣病を患った家族内での平凡な日常を描いたのに過ぎないものであったことから、私の勝手な思い込みが見事にも打ち砕かれてしまいました。そして、そんな状況下に置かれた結果、この演劇でのテーマというものが何であるのかが、全く掴むことが出来ずに会場を後にしたというのが、偽りのない正直な感想です。
 それに加えて、本演劇タイトルの「風を打つ」とは、一体どんな意味があるのか?最後の方で演じられた和太鼓を打つ演技が、これに当たるのか?そう考えても、個人的には合点がいきませんし、私の理解が追いつきません。ですから、これもまた私にとって「はて?」との事柄でした。 それに併せて「風を読む」とのセリフも幾度となく役者から発せられましたが、この意味するところは、私なりの解釈として「空気を読む」でしょうか?もっと良い意味に言い換えれば「相手の立場に立って物事を考える」あるいは端的な表現での「思いやりの心」でしょうか?いずれにしても、本劇のメッセージとして、何を伝えたかったのかが、いまひとつピンっと来ませんでした。
 かように、これら諸々の理由から「はて?はて?はて?…はて?はて?はて?」が、最初から最後まで私の脳内を駆け巡り、今回の「風を打つ」を観終わってしまったのです。
 そこで、上述のような内容では、今回の演劇の感想にもならないと考え、役者の各々のセリフから私が抱いた印象と現在の社会状況(事件等々)とを照らし合わせてみることにしました。
 まずは、「水俣病」に対する関心等々が長い年月を経て多少薄らいできたとはいえ、その被害にあった人々や地域では、今現在でもその痛手から解放されることもなく、令和の現在になっても数々の訴訟問題が繰り広げられています。その一方で、先人が被ったそんな痛ましい歴史から現在の私たちは何にも学んでないという事例が、つい先日にも起きたことに気づかれた方々も多いのではないかと思いました。それは、小林製薬の紅麹の成分を含むサプリメントを摂取した人が腎臓の病気などを発症した問題です。水俣病という「公害病」とサプリメントによる「健康被害(あるいは薬害?)」という違いはあるにせよ、初動対応の拙さが被害の拡大と重大さを助長したという共通点があるように思うのです。過去の薬害等々の事例から「コンプライアンス遵守」や「品質管理・品質保証の重要性」、さらには「因果関係の有無にかかわらず人命を最優先」等々の重要性を、過去の痛ましい事例から我々は学んできたはずであるのに、経営者の己自身の保身と会社の利益を最優先としたことによる誤った判断によって、迅速かつ適切に対応すべき事柄が後手後手に回って、取り返しのつかない重大な結果を招いたという事は、小林製薬の件をもってしても、歴史から学ばない人間の愚かさが露呈したものと思いました。
 次に、この演劇から思い抱いたもうひとつの事例は、水俣病患者への補償金を得たことに起因する妬みからの嫌がらせ電話や仲間外れ(村八分)等々の行いです。これも、先の東日本大震災での原発事故による避難民への補償に対するやっかみや妬みの心情と相通ずるところがあるように思いました。本来ならば、原子力発電所からの放射線漏れで帰郷もままならない悲惨な状況に置かれていることへ思いを馳せるべきであるはずなのに、大金(補償金)が労せず転がり込んだという面にのみにフォーカスを当て、嫉妬心のみを肥大化させるという人間の醜い一面を見るようで、なんだかやるせない心持になってきます。もちろん、こんな妬みの感情が沸き起こるのもある意味において人間として当然であると理解できないこともないのですが、やはり人の嫉妬心というものは澱のように人の心の奥底にねっとりとへばりついており、他人が大金を手にしたといった何かが刺激となって心の奥底から湧き上がってくるという様を見るにつけ、時代を経ても人の本質は全く変わらないものだというなんだかモヤモヤとした思いを抱きました。 その他、役者の種々のセリフから、現在の私たちの身近で起きている色々な事象や厄介事と繋ぎ合わせることが出来ました。一例を挙げると、水俣病患者が差別を受けて「石を投げつけられる」ということから、現在のSNS等での誹謗中傷による炎上の嵐を思い浮かべました。つまりは「石」=「誹謗中傷」と置き換えることが可能かと思います。
 とまぁ、今回の観劇も私のツボにあまりハマらなかったのですが、それに加えて、お恥ずかしい話ですが、最後に父役の役者が見せたポーズで、「おぉそういやぁ、今回の劇には『太川陽介』が出てたんやな!」と気づき、改めて舞台上に見入りました。それと同時に、「確か彼は私と同年代」との記憶が思い出されて、彼のかつてのヒット曲「Lui-Lui」や私が若かりし頃に観入っていたNHKの「レッツゴーヤング」での彼の司会者としての姿が私の脳裏にまざまざと蘇ってきました。そして、彼の発した「アゴヒゲを伸ばしたら、思いのほか白髪が目立ちまして、かつてのアイドルもこうなりました(老けました?)」との最後の挨拶で、我が身を思い返して、「ご同輩!私も老けましたよ!」との思いが私の心に浮かび上がってきて、何とも感慨深い「舞台の終幕」となりました。 

太鼓、感動しました。

題材的に言い方がおかしいかもしれないけど、楽しかった。

水俣病をテーマにした劇ということでとても重苦しいイメージがありましたが、栄美子さんのとびっきり明るい性格がそれを吹き飛ばしてくれました。そして、音無さんがその役にピッタリとハマっていてとても見応えのある劇でした。
 町の人々に自分自身の体験や意見を伝え、皆と仲良くなろうと努力する前向きな姿には心を打たれました。 しかし、私は「寝た子を起こすな」の方が良いと高校時代から思っています。水俣病とは関係ありませんが「同和」の話を高校の時に先生から教わりその歴史や差別のことを知りました。知ることにより、その地区の人々を差別することはないとしても「ここはそういう地区なんだ…」という目で見るようになりました。今は何も思いませんが。私は知らない方が良かったです。今もそう思っています。
 私は人の意見をあまり聞かず、いつも自分が「正解」だと思って生きています。皆それぞれが「正解」を持っているんじゃないですか?! あの時の両親の考えや決断、そして、長男や弟それぞれの思い…みんな「正解」だったと思います。「正解」は「ひとつではない」と思います。 そして、今を生きている私達は「いつまでもどこまでもキレイな海を守って行くこと」が最低限の「正解」です、きっと……
 最後になりましたが……
 太川陽介さん、太鼓もステキでしたよ。
 アイドルも感じました、ルイルイ♪

人は一度偏見の目で見られると、ナカナカそこから抜け出せないという話だったように思う。

祖父が母(音無)に諭した「・・周り人を変えられないなら、自分を変える・・」とは・・。
 おそらくおのれの主張と都合をまえにおしだすと、周りとの比較は不正確になり、調和もできずに、得られるものは少なく/劣る。必要なのは愛情であり、おもいやり、なのだと・・。
 たしかに人にはふしぎな感覚があり、敬愛をむければ親和がかえってくるし、憎悪をむければ険披(けんぴ「険しさを披(ひら)く」)がかえってくる。用心すればむこうも用心する、ということになろうか・・。
 この芝居のタイトル「風を打つ」の本当の意味がそこにあるような。
 “human rights(人としてあるべき姿)”を“人権”と訳してから、なんでもかんでも「権利、権利」と叫びながら、利権を追い求める輩(活動家≒パラサイト/寄生虫)が跋扈する時代(今の世)では、この種の輩の攻撃の(格好の)的になるような“概念”を芯/軸に展開しているように感じる。いろんなメッセージがあり、見応えもあり、素直にお芝居を楽しませてもらいました。 法を知れば、お上を恐れなくなり、だれもが争う心をもち、その条文をよりどころに、犯罪者は罰をのがれようと、法のぬけ穴をさがすようになる。争端を知った人は、“人としてあるべき姿/礼”を棄てて法の条文を引き、一字一句の末まで争うようになり、同時に鼻薬(賄賂)とバラマキ(利権)が跋扈する世の中になる。(国が亡びに向かっているような・・)
 人を思考で割っていったとき、割り切れずにでた余りは、理では量ることができず、いわば経験をそなえた知識の出番になる。(勿論、経験のなかには、感情の経験もふくまれている)
 一方で、「これ以上、何を望む?」というのは、欲望を抑えた美質のあらわれのようもみえるが、人が恐れもせず望みもしなくなれば、かならず努力の方向を見失うのも事実でしょうね。
 「治らんもんには、慣れるしかない。ばってん、治せるもんに、慣れる訳にはいかんのじゃ、わしらは・・。」 「1959年、水俣で発生した公害は海を汚し、そこに生きる魚だけでなくそれを食べた生き物にも甚大な被害を及ぼした。その被害を受けたある実在する一家の34年後を描く物語」とあり、「わぁ、(演劇人が好むような題材)社会派(?)の、また重い/暗い舞台なんだろうなぁ・・」と知人とも話していたが、一方で“ルイルイ”の太川陽介のキャラとしては「ちょっと違うかも」とも思い、またそのように臨んではいましたが・・。
 現実は、こちらの方が当たっていたようなので、よかった、よかった。
 外の世界を知り冷静な情報を伝える者はむしろ孤立する。新聞社も報道すべきことを報道せず、当局の言いなりに・・。そのなかで、破滅に向かうことを知りながらもインテリや官僚も結局は無力で止められない。(水俣という)閉じられた小さな田舎での出来事ではなくて、その時代の日本社会には、不利益(究極の不利益は死)を与えてよい人と、いけない人がいるという意識があったのでしょうか・・。そして自分たちが属する集団を守るためという大義名分があれば、(この集団の利益を損ねることになる)彼ら/彼女らに平然と不利益を与えることに・・。
 そうした差別は不正義だとわかっていても、強烈な同調圧力のため、集団の意思に抗えなくて、この意識や構造について批判も反省もせず、身を任せてしまうのが人間だとも。その行き着いた先は・・、これは私たちすべての歴史、そして現在なのでしょう。(関東大震災での○○村事件を重ねて思いださせられました)
  “天上天下唯我独尊/いじくられキャラ”で“下手うま”の漫画家(蛭子能収)と“バス旅”に出演していた印象しかなかった太川陽介さん(父)の演技(あれだけの台詞をよくもまぁ・・と)に、“バス旅”での太川のリーダーシップと計画性、さらに正反対の性格である蛭子との絶妙なやりとりは、台本通りではないアドリブ/実力が、そうだったのだと気付かされもしました。
 “信念を貫く強い女性・家族に愛情を注ぐ母”を演じた音無美紀子さんは、言ってみれば“それが当然”な経歴の方だとお見受けしましたが、(あの年齢で、あの迫力)プロ中のプロを目の当たりに実感させてもらいました。流石にプロですねぇ。
 息の合った5名のキャストがあってのことで、このプロデュースに本気の拍手を送りました。
 最後にもうひとこと・・。
 劇中に“太鼓”前振りが何度もあり、なんだか“しっくり”こなかったのだが、最後の(この演劇の本筋とは離れたところでの)単なる“エンタメ”のような和太鼓が、どこか暗示的で劇的なパフォーマンスであったようで・・。
 “人としてあるべき姿”からかけ離れた“風”(酷い差別や偏見など)を受けなから、帆舟が蛇行しながらも風上にも前進することを“打つ”とすれば、この和太鼓に「風を打つ」の真意を暗示しているのでは・・、とも。見事な演出のエンターテイメントでしたね。
 家族のいろんな想い/思いを風に乗せて、いま舟が動き出す、かぁ・・。
 余計なことかも知れないが、引き締まった足首と太っとい“ふくらはぎ & ふともも”を持っている太川さん(和太鼓披露で露見)、ロコモアの効果のごとき宣伝に乗るのは反則では・・。
 最後の最後での「ルイルイ」のジェスチャー、エンタメの神髄にも魅せられましたよ、太川さん。

すごくよかったです。
 そして、内容はもちろんですが、自分より(少し)年上の音無美紀子さんが、長い台詞を完全に自分の言葉にして喋ったこと、また、その演技力に感動しました。

音無美紀子さんは、昔からテレビでよく拝見しておりましたが、今回のような少し男勝りのような役を演じられるのは少し意外な気が最初はしました。でも、観ているうちにすごいなとの思いに変わっていきました。演技がお上手で、すごいという意味です。 やはり、すごい役者さんなんだなと思いました。
 太川陽介さんは、昔はアイドルだったなと思いながら観てましたが、今や立派な役者さんになられたんだなと感じ、時の流れの速さに感慨深いものがありました。

風を打つ、非常に感動的でした。
 あの後半の空気感、気持ちよく号泣しました。
 長男の演技、素晴らしかったですね。

音無さんの迫力に圧倒された、けど、方言がキツくて??意味不明の箇所は想像で理解せよ!のことだと楽しみました。

太川陽介さんは、いい歳のとりかたされているなあと。クシャっとされた笑顔が昔のままで、観劇できて良かったです~。

水俣病をテーマにした作品という事で、10年ぐらい前に穏やかで綺麗だった水俣湾を見ながら、ここに水俣病という甚大な公害病があったギャップを感じた事を思いだしながら、鑑賞しました。 号泣実際にあったドラマをもとに、家族と人間関係が再生されていく様子を5人の俳優さんが個性豊かに演じていただき、感慨深い時間を持つ事ができました。 今年から45年振りに演劇鑑賞を始め、多様な内容の演劇を楽しみに参加させていただいています。

いつも早め帰るのですが、どうしたことか、最後のカーテンコールまで居ました。おそらく、ドラマ・テレビ長年活躍されている音無さん、太川さんがキャストだったからかもしれません。聴きなれている声なので、後ろの席にいても自然な感じで聴けました。出演者は5名でしたね。舞台(セット)も当時感があり、押し入れもあったし、たしか仏壇もありましたね。それと何度かナレーションがありましたね。良かったです。「大太鼓」が出てきましたね。サプライズのようでした。ですが、「風を打つ」ような素晴らしい力強い響きと音が伝わってきました。「風を打つ」とはどんなことかなと思いつつ、カーテンコールまで居ました。カーテンコールで大きな拍手がありましたね…。
 時が過ぎると記憶・意識から遠のくことが多いですね。多くの人が大変な苦しみ・被害を受けた「水俣・水銀汚染」を含め、改めて、意識する機会も必要な感じがします。よい機会になりました。

セットの奥の大きなガラス戸の向こうに、青空と海が広がっているような感覚に陥り、お芝居が始まった瞬間、舞台照明に目を奪われてしまいました。まるで舞台となっている杉坂家が、海を見下ろせる小高い丘の上に建っているかのように感じられました。あからさまに空の青と海の青を色分けしているようには見えませんでしたが、一色の青色として認識しようとしても、私の目には空と海の風景が映りました。
 いつも演技だけでなく、舞台照明や舞台演出も楽しみに観劇させてもらっていますが、今回の『風を打つ』の舞台演出は、本当に驚きと舞台演出技術の可能性を感じられるものでした。

鳴門例会カーテンコール

E-mailでのお問い合わせは、        鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。