長崎代表幹事よりご挨拶
五代目代表幹事の長崎です。
今日は週末でイベントも色々ありますし、このように晴れて、皆様いろんな計画もあったかと思いますが、この講演会に来ていただいてありがとうございます。
青年劇場はこれまで鳴門に5回来てくださっています。1回目は「翼をください」でした。その劇のカーテンコールは今でも忘れられず、実はそこから私は青年劇場のファンになりました。2回目の公演は「愛がきこえます」、鳴門市民劇場独立時の例会でした。3回目の「菜の花らぷそでぃ」では食育の大切さを感じました。またこのとき、菜の花を見に行くバスツアーをしたのも思い出です。4回目は「キュリー夫人」、5回目は「族譜」でしたがこれが2011年です。今回は6年ぶりの公演になりますから、是非会員を増やしてお迎えしましょう。
人生は何が起こるかわかりません。私は夫をなくして3年半になります。夫はA型で何事もきちんとする人で、予定なども全部メモをしていましたが、死ぬ予定はできていなかったと。ですので、夫が亡くなってから私は、「そのうちに」ではなく「今のうちに」と思うようになりました。
今日6月10日は「時の記念日」です。時間を大切にしましょう。今日福島さんのお話をたくさん聴けること、今ここに居られることを幸運に思います。永易(司会)より経歴紹介
福島さんは、資料にもありますとおり1953年東京のお生まれです。1977年に、秋田雨雀・土方与志記念青年劇場に入団、1989年に、製作部長に就任された後、1997年から劇団代表に就かれています。
製作畑を一貫して歩んでこられていますが、同時に劇団協議会、芸団協などで演劇文化政策を中心に文化芸能の社会的地位向上の課題に積極的に取り組んでおられます。講演
写真を撮られるとトシをとったなあと。60歳を過ぎるとこういうことを感じるようになりましてね。ここにいる皆さんもそう思うこと、あるのではないでしょうか。
鳴門は初めて来ました。ここに来るまでにうず潮のことなどを聴いたのですが高所恐怖症なのでダメかなあと。まず個人の話をしますと…。何も考えずに普通に大学に入って卒業をして、特に演劇の学校などに行くこともなくまっすぐに劇団に入りました。周りからは「何年もつ?」と言われましたし、親からも「いつ諦めるのか」と言われましたが、その親もなくなりましたし…。40年もやってきたことになります。高校で演劇をやっていまして、後輩に野田 秀樹がいるんです。僕の人生の自慢は、彼を演劇部に入れたことと彼に女形をやらせたことですかね(笑)。彼がのちに僕のことを「高校時代にひどい先輩がいまして…」と言ってることがありましたが、さもありなん。きっと僕の影響は無くても彼は演劇をやったでしょう。そこで自慢は潰えたわけで。
青年劇場に入ったときに製作をやれと言われましたが、その仕事は全く知りませんでした。作家や演出の方をやりたかったのですが、その道の学校に行っているわけではなかったので「まずは製作」で。そのまま動かずずっと…ということになります。
芝居というのは、最初に台本ができ、キャストが決まって、稽古が始まります。そのあたりから照明や音響や美術などのスタッフが入ってきて作り上げ、本番になるわけです。その流れの中で、「稽古場で起きている作業以外をすべて」やるのが制作です。でもこの仕事の範囲は劇団によって全然違うんです。チケット周りのことをする人もいれば、宣伝や広報活動をする人、営業活動をする人、さまざまです。自分も最初2年くらい学校公演の仕事をしていました。それはそれで面白かった。中国、九州から東北地方、全国行きましたね。楽しかったのですが、自分の関心は学校で出会う先生の仕事の方に向いていました。そちらに興味がいって、演劇を学校に広める普及に貢献ができず、クビになりまして。その後、東京公演の手伝いをするようになりました。
「ブーフーウー」の作家である飯沢 匡と出会ったことは大きいんです。彼は「キュリー夫人」の演出もしていますよ。飯沢先生と話をする時があったんですがね。“偉大なる人は健啖家”とよく言いますがそのとおりで。そば屋に行って天ぷらそばをご馳走になるんですが、その後、「トンカツ屋に行くぞ」と…。「若いのだから食えるだろう」ということで食べましたが別れてから(苦しくて)うずくまってしまいました。
千田 是也という人のことも…。彼のこの芸名の由来は、関東大震災のあと、千駄ヶ谷で韓国人と間違われたときの体験から「千駄ヶ谷のコーリャン(朝鮮人)」をもじったと言われていますが、この人も80歳を過ぎても朝から肉を食らうような方でした。
その他、小山内美江子さん、ふじたあさやさん、ジェームス三木さんといった色々な作家、脚本家たちと付き合うように…。そして付き合うと、僕の企画に乗ってくださったんですね。しかも、勝手に書いてくれた。劇作家というのは大変なんです。思うままに書いていくのではなく、最初から色々と設定を決めないといけない。なので1年に数本しか書けません。それが、そうやってしゃべっているうちに立ち上がってくるならラクだなあ、面白いなあということに気付いて。そんなことがわかると、今から作家はもう…となった。
営業活動で人と多く会いますからドラマの素材は多く転がっています。そういう素材を観客の人生にどう重ね合わせるのかというところが大きい。広報活動をしながら次の芝居を考えるようになりました。今まで100本くらいやっているでしょうか。
青年劇場は全国の青少年に向けて…がひとつの活動です。その一例が「翼をください」です。もうひとつには社会の色々な問題に目を向けて、できれば、お客さんの“半歩前”に問題提起ができれば…と思っているところがあります。そうできないか!と思って、作品づくりをしています。社会問題を追っかけています。
「臨界幻想」という作品があるのですが、原発の被ばくを扱ったものです。しかも町が消えていく…芝居。これは1981年に作ったものです。ふじた(あさや)さんと千田是也先生と話しながら作りました。最後に事故で町が消えるという話。この芝居を当時全国の原発立地予定地でやったんですよ。やったことで…かどうかわかりませんが、23ヵ所中7〜8ヵ所は(原発が)できなかった。その30数年後にあの福島の事故は起きた。“半歩前”に行ったが実際あんな事故が起きるとは。当時もっとやっておくべきだったか?とも思ったけど、そう(長く)続けられるものでもありません。この作品を2012年に再演しています。
そのほかに、教科書検定を扱った芝居や、日本でコメ作りをしていい?という「遺産らぷそでぃ」という作品もやっています。色々な方面の問題を扱うので、だいたい半年に一度、自分の専門が変わるんですね。医療、経済、労働問題といった風に。教科書検定を扱った芝居(1985〜1986年)をやった関係で10年くらいあとになって朝日新聞から電話があり、文科省の方針発表にコメントを求められたことがありました。でも10年も経っているので、今コメントする立場ではないし…そういう、まるで政治家のような言質で(笑)答えた覚えがあります。
「サンデーモーニング」というテレビ番組で「風をよむ」というコーナーがありますけど、今の社会で「コレってどうなの?」ということを抱えていて、そして、作家と話があったら作品になっていきます。ひとつエピソードを。栃木に足利南高校という学校があり、特別な取組みとして市民も参加する講座、市民と高校生が一緒になって芝居をするということをやっています。うちの劇団も指導サポートしているんですが。そこでは、参加している市民、特に主婦の方々は実に真面目に稽古をするんですね、一方高校生は全く不真面目!でも、公演の日が近づくと高校生がグングン上達して主婦の方々を超えてしまう。そのときの主婦の方々の寂しそうな顔といったら…(笑)。この公演のあと、高校生に感想を聴きますと、開口一番言うことには「楽しかった」とかいうのではなく「足利の町を歩いていて知り合いが増えた!」だったんです。中・高生が知っている“大人”というのは普通ごく限られています。親か親戚か先生か…せいぜいそのくらい。そして“大人”はむやみに若い人に声をかけてはいけない時代です。高齢者は家に居るとき、電話に出てはいけない、呼び鈴に応じてはいけない、なぜならヘンなセールスや騙しに合うから…。そういう時代です。「外界と関わらないように生きなさい」の時代です。子供と高齢者はそこのところは同じ。でも、人間ってそんなんで生きられますか?大人にどういう思いをもって子供は生きているのでしょう。
「オールライト」という芝居があります。高校生の女の子が、お父さんが単身赴任で「一人暮らし」になるのですが、そこに“得体のしれないおばあちゃん”がやってきたら…という話で、そういうとき、高校生がどう変われるかという“社会的実験”です。この作品で高校をまわっていますが、大人にも刺激的なものですよ。作家は瀬戸山美咲という人です。今の高校生は、フリーターの人はこういう人、キャバクラの人はこういう人…という決まったイメージを持っているかもしれないけど、そういうのはすべてメディアから入ってきた情報が元になっています。でも実際に(そういう人に)会うと違うということはあります。そういうことは、でも、(自ら)発見するしかない。
こういう状況だと人間ってどうなるんだろう?舞台上では、現実ではそこまでやらないことでも、実験できます。「異化効果、同化効果」という言葉があります。自分があたかもそうなっていく感覚でしょうか。演劇で、自分が置かれている環境に近い状況をみることで、現実と対比しながら考えていくのが芝居の良さ。
「印象操作」という言葉もあります。私の頭の中は、半分はメディアネタで半分は自分の考えです。近頃はテレビのワイドショーなどは見ないようにしていますが、それでもネット上などでいろんなことがわかります。芸能界で誰と誰が恋愛中だとかなんだとか…。家族のことでも知らないような話ですよね(笑)。離れて暮らす息子や娘の恋愛なんて知らないと思いますが(笑)、芸能界のことなら知っているでしょう(笑)。変だし…恐ろしいことですね。ネットなどのマスメディアから入ってくる情報は圧倒的に多い時代です。
例えば若い人の非正規雇用が1/2以上という時代ですが、メディアが「今の若い人は正式に会社に入りたがらない、自由を好む」と報じたことがありました。これは明らかに刷り込み!これは皆さまおわかりのことだと思います。最近考えていることで、いつの日からか、文化が世代ごとに輪切りにされているという現象があります。紅白歌合戦やレコード大賞が大晦日に放映されますけど、僕はそれを見てその年の流行りを知るわけで…。ということは、自分の中ではその歌は決して「流行ってはいない」(笑)。1980年代には国民的唱歌というものがありました。そういうことがどんどん変わってきています。世代別になってきた。分化してきた。趣味が明らかに違ってきて、溝ができてきました。でも人間すべてがそうかといえば、そうでもない。ベートーヴェンとかモーツァルトとか聴くと、ベートーヴェンを嫌いとは言わないでしょう。モーツァルトを嫌いと言うと女の子にモテないですし(笑)。今では全世界に流れているビートルズも同様かもしれない。全世代共通の音楽にしたいずみたくも…。フォークソング世代もある程度はそんな感じでした。80年代まではそういうものがありました。そういうことがなくなったのはセゾン文化時代。大平首相の頃、日本のウォークマンが全世界に広まりました。ウォークマンは一人に一台です。あれで儲かったのはマイケルジャクソンと言われていますけど…。機械に加えてソフトも売って差別化する時代にもなりました。今、品物自体の質に大きな差はないけどもブランドで差別する時代です。一世風靡したのは「個々のライフスタイルは違うよね」という思想でした。テレビはかつて一家に一台でしたが個人で持つようになりました。ラジオも一人一台。なんでもひとりひとり自由にできたらいいじゃん、というのが今の商品開発のもとになっています。個々の違いを強調し始めました。そして文化も、それによって、輪切りにされてしまいました。
演劇鑑賞会は50代以上が中心でしょうか。60〜80代かな。30〜40代は、芝居から遠ざけられました。私は新劇はキライと平然と言いますよね。勉強もせずに…。シェイクスピアもチェーホフも読んでもいなく…。文学座に「女の一生」という森本 薫の作品がありますが、その文学座の入所試験で森本 薫について問うものがあったそうですが、まったく的外れの回答もあったようです。そのくらい、知らないのです。若い演劇人は先輩も歴史もみずに、情報源はすべてテレビ等のメディアで、「自分の感性でやっています」と言う…。音楽でも同じです。クラシックも聴けていない。全国47都道府県の中でフルオーケストラのクラシックのコンサートの公演回数が少ない県としては山梨、島根とあと1県があがっていましたが年に2〜3回とか。ナマで味わう感じを知らないんですね。文化が輪切りになっていると思います。
演劇鑑賞会は、人類の文化をどうやって次の世代に渡すかということで大切な役割を担っています。今の人は文学を全く読んでいない。彼らが彼らの子どもに対するとき、知らないものは渡せないのです。これが教師だったらもっとたいへん。書いてあるものを読むしかできないとしたら。黒澤 明も知らない。日本文化はそうなっているんです。たいへんなことです。歌舞伎でも全場上演は今めったにないですね。ぶつ切りでやってますよ。客が有名な俳優を見る目的だけで来るから…。派手なところだけをやるんです。こういう形で政府も大切にしようという伝統文化そのものの継承も困難になっている。常磐津などでも全曲上演する機会がないと聞いています。
鑑賞会を通すと世界中の“記憶”に触れられます。演出家は今の観客にどう手渡すかを考えていますよ。そこが冥利につきるところでもあり。近松をやるときには江戸時代というのはどうだったのかを考えながらやらないと…。ギリシャ劇であれば神の存在は絶対だったわけなのでそういう認識でやらないと。認識が違う時代のものを考えてやるのが演出家のしごと。
先日、全国交流集会で喋ったあと、ゲラが回ってきたのですが確認すると僕が言っていない言葉「熱い夢」というのがありました。良く考えると「篤姫」のこと(間違い)でした(笑)。ああ、まったく伝わってなかったんだと(笑)。篤姫が島津に養女に行った時、あるいは将軍家に嫁いだ時に、幕藩体制が終わるというようなことは認識できていないんですね。
私たちは後世から見ているから、こんな時に、と思うわけで。今の時代の価値観がいつまで続くかはわかりません。北海道でこの「みすてられた島」をやるのに、すみません、という状況で。それはJR北海道も、北海道の酪農や漁業も今“みすてられている?”状態だから。でも、そんな状態もいつまで続くか?は考えた方がいい。老後にいくら必要かということで「2000万円」とか「3000万円」無いと無理と脅かされたり年金制度が崩れるとか言われたりはしているけども、今の“円”が崩壊するかも?とは誰も言わない。そうなると貯めていても仕方ないのに、せっせと貯めて使わないようにしている。本当の予測はできていない。昔の人が大きな変わり目にどうぶつかったかを知ってみるとよいと思います。「みすてられた島」の話ができていませんね(笑)。
この芝居は中津留 章仁が書いてくれたんですが、この人は新劇とは全く縁がない人でした。TRASHMASTERSという劇団の人で。最初に新劇の印象を聴くと「古い、ダサい、暗い、つまらない」でした(笑)。でもこの人の書く芝居をみると時代を飛び越えて…みたいな話があって、そういうのって社会の縮図にもなっていて、それは新劇の王道であり「(作品は)新劇らしいね」という印象を持ちました。それから、2013年くらいから中津留君を説得、時間はかかりましたが話はつながり、作品作りはそこから…です。でも「で、どういう発注をされるんですか?」というような言葉を使ってくるんですけど(笑)、そのときは、「コメディ、笑えるもの」といったことを言いました。すると彼は「今の社会って、“距離”ありますよね」と。どういうことかというと、自分が手が届く範囲からの距離ということらしい。たとえば何かモノを作って売ろうとしても「それ、国際的な競争の中で売れますか」と言われる時代。「そんなことまで知らねーよ!」ですよね。平成の大合併というのがありまして、それも良い例です。自治体というのは最も国民が主権をハッキリしやすいところであるはず、それが、合併、合併で広がっていってしまった。すると、意見がだんだん通らなくなり、諦めに繋がっていくんですね。今、地方での選挙の投票率は10数パーセント以下ってところもありますよ。例のテロ等準備罪、腹たってるんですが…、「国民から支持を受けている圧倒的多数の議員が決めている」とか言っていますが、投票率が10数パーセントでそんなこと言えますか。まあ、投票しない側にももちろん責任はありますけど。民主主義というのは自分でやることなのに、“遠くなっている”んです。中津留君に「ひょっこりひょうたん島だよね」という話をしたとき、僕は全国民が知っていることと思ったんだけど、彼は途中からきょとんとし始めた。世代が違っていて知らなかったんですね。横で僕らの会話を聴いていた劇団の人間が(そういうこともわかっていない)福島には任せておけないなんていう雰囲気になったりしまして(笑)。でもそんなとき東京新聞が「大島憲法」の特集をしたんです。終戦直後、伊豆大島は本州に入っていなかったために米国が入ってきたときに「ここは独立だよ」と言った、そこでできたのが「大島憲法」です。1945年にできて、わずか7ヵ月くらいのことだったらしいですが、独立はしなくてよいとなるまでは数か月くらいの期間です。この大島憲法は、でも、日本国憲法の三原則も入っていて原型といえるくらいのものなんです。もっとも島民には東京の学者と交流がある人もいて指導もあったようですが。「中津留君が『これはこの史実を追う形でもドラマになる。』と言ったのですが、僕はやはり近未来に設定したいと言ったんです。過去のこととしてではなく、今目の前にこのことが提起されたらどうしますか、という問いかけを発したかったからです。
こういうことがあったというのは確かに説得力があるのですが、自分の問題になるかどうか。さらに言えば、今の日本の現状をその中にかぶせたいと思ったということもあります。
劇中、島長が妻に「憲法ってどうやってつくるんだろう」と言うと妻が「なに、それ。どんな料理?」と答え、「憲法○条とかいうだろう。あの憲法だよ」「え?漢方の間違いじゃないの」と続いていくやりとりがあります(笑)。こういう事態になったら、「自分の出番だ」と思うヤツがいるかもしれないし「独立となると、自分の生活はどうなるんだろう…」と思うヤツもいるかもしれない。互いの人間関係の中で色々な思いが出てきます。娘の恋人が漁師とわかると母親が「それは絶対ダメ、(漁師には)未来がないでしょ」というシーンもあるのですが、こういうのも日常にありそうなシーンです。たとえばIT産業が花形だとマスコミが言うと、子供がそこに入ったという話に「よかったね」になってしまう、その会社はブラック企業かもしれないのに…。逆に先祖代々続いている職を継ぐとなると「そういうのは未来がない」となってしまうこともある。全部、メディア情報からきてるんです。直接(他人から)声をかけられると「騙されるんじゃないか?」と思うのに、メディアには「騙されない」と思っているところがある、これが今の世界ですね。何を大切にするかを考えるような世界が見たいな、というのがテーマです。
中津留君の芝居には官僚が出てくるんですが、うちの劇団にはそういうのをやれる俳優がいなくて(笑)。島民は似合ってますよ。ファーストレディはたいへん、「忖度」したりしなくちゃならないので(笑)。2014年(初演)から3年経ってますから新ネタも入れています。初演時に苦しんだ中身で、独立後の島の経済、産業をどう考えるかという問題がありました。劇中の台詞で『ネットで調べても何も出てこない』と言うのですが、これは実際に、中津留君と僕が陥ったことです。
独立ではないにしても、町おこしとか村おこしでは全国で様々な事例がありますが、なかなかうまくは行っていない。それでカジノ誘致なんて話も出てくるんですね。でもその未来への探求も描いたことで、この作品は評価されたんだと思います。
あれから三年、世の中はもっとこの作品に近づいてきたような気もしています。その時に何を大切にするのか、生きるとはどんなことなのか。私は、子供がいないこともあって、自分が死ぬときに宇宙が滅びるものいいとずっと思っていたんですが(笑)、考えは変わってきて、人類には(滅びないようにする)知恵がある、ということの片鱗を、せめて片鱗をみて死にたいと思うようになりました。次があるかも?というのを見てから死にたいですね。こういう作品って何かを表現しているもので、皆さんと意見を交わしたいですね。
芸術・文化というのは、美しいものを残したいからあるのでしょう。絵も音楽も、表現をする人の考えです。生きとし生ける者はすべて表現したいと思っている。森羅万象すべてがそうです。演劇というのは社会的仮説です。天岩戸の神話もギリシャ劇も。シェークスピアはときの人々に風刺劇を見せていた。自分たちのある世界を鏡のように映している(のが演劇)。フィクションなので何をやってもいい。美談であっても。表現しつつ伝えていく。これは、すべての人間がもっているものなんです。芸術を、ある人たちの(単なる)趣味ということで押し込めるのには反対です。音楽、クラシックもバレエとかもなんでも見ますよ。趣味の問題ではないんです。芸術が存在することで互いを広げられます。演劇鑑賞会は、人間が本来行うべき芸術活動に参加しているという意味で、もっとも人間的な営みなのだと思います。質問コーナー
Q:おはなしに出てきた「けんたんか」という言葉の意味は何でしょう?
A:グルメと言いますか、何でも食べる人というくらいの意味ですかね。Q:アイディアはどういうときに出てきますか?常に何か考えていらっしゃるのでしょうか。
A:皆さんはどうなんでしょうか。たとえば部屋のもよう変えをひらめくのはどんなときですか?そう、思いついたときですよね。日常的に考えているものではない。ひらめいたときに「ああ、自分は天才だ」と思うか…謙虚な人なら「偶然かな」とか。日常の蓄積ですかね。あとはビールの1杯でもあれば。Q:劇の良さというのを考えているんですが。たとえば自分は戦争を知らない世代ですけども、色々な劇でそれを知ることがあり、考えさせられることもあります。自分では選べない劇や選ばない劇を、鑑賞会では観ることができます。そういう意味でも今回の「みすてられた島」もいい出会いと思っています。
A:高校時代「家を壊せ!父親なんか乗り越えろ!制約から飛び出せ!共同体を壊せ!」という世の中でした。それが50年経って家庭を大切に…になっている。価値観が変わっている。僕らは家からは飛び出せと言われていたんですが、今は家庭を大切にと言われ過ぎて飛び出せない若者、かわいそうかなあなどと思ったりすることもあります。時代によって価値観はすごく変わるんです。でも自然にそうなった、ではなくて社会の流れでそうなった。私は芸団協の文化政策担当なので、ロビー活動などもするんですね。政治家と会って話もします。そこで「いつもお世話に…」と言われますが何もお世話してなく違和感がありますよ(笑)。文化省設立の活動をしているのですが、それができるということは文化への国家の統制が入るというリスクもあります。コウモリ的という気もするし、リスクがあるのでいつか演劇界から裏切り者よばわりされるのでは…と思ったり。そのときは、今日ここでこういう話をしていたということで証言してください(笑)。価値観というのは、やっていることで、変わってきます。水割りを注文するとどこでも一律で500円と言われたとする。作り方などによって違っていいはずなのに…です。何故?と思います。言いませんけど(笑)。学校の算数では「1+1=2」と教えますね。リンゴ1個と1個を足すと2個だと。でもそれぞれ大きさが違えば2個ではないはず。そういう風に、社会は「できるだけわかりやすく」しようとしているんです。そこを、もしかしたら、ここがこうなったらこうなるのでは?とか考える。そういうのって、考えると楽しいから考えてますね。でもそれが芝居になるかどうかはわかりませんけど。多分なりませんけど。
「普天間」という芝居を坂手 洋二とやったときは、非戦のリーディングでやるべきだよ。と言った時に、坂手さんがいや、芝居にすべきだと言ったので、本当に出来る?と聞いて、全国でやるならと言われたことが発端です。到底かけないようなスケジュールで書いてくれましたよ。意欲が一致すれば実現します。そのときの爆発力というか集中力というものにはすごいものがあります。やろうと思ってやれないことはないという…。人間は生きる意欲があればできるもの、それはもうちょっと宗教に近いかな、科学的ではないですね。情報でコントロールされているのはイヤです。実際に会った人との会話で知りたい。金 正恩、プーチン、トランプ等々には会いたくはないですけどね(笑)。安倍さんも…かな(笑)。基本的には、好き嫌いは別として、対話することでやっていけると楽天的に思っています。
人間はひとりでは生きていけないので“集まる場所”が必要なんですよ。今日、フジタさんに運営サークル会のことなどをお聴きしたときに皆さん楽しく来ているでしょうと言ったところ「そうではない人も…義務的に来ている人もいるにはいる」ということでしたね(笑)。でも、たとえ義務と思って来ている人も、楽しいと思えるようにできればいい、まあ、催眠術のようなものかもしれませんけど(笑)。
“輪”を作ることは人間の本性なんです。人間が持っている未来への繋ぎ。今までもずっとやってきたこと。ゆがめられてきた価値観はどこからなのか…追及するのは面倒ではあるけども、題材は(そう考えると)いくらでも…。そういう風にみてほしいですね。永易(司会):私は高校時代に演劇をやっていまして、別役 実なんかも…。お話を伺っていてその頃も思い出しました。7月例会の運営担当で重い気持ちにもなっていましたが、考え方次第で楽しんでいけると、やっていったら何か見えてくると思え、ラクな気持ちにもなれました。今日は本当にありがとうございました。
福島:私が今日ここに来て、その上で7月例会で会員が増えなかったら「福島の責任だ!」と言われますので(笑)そこのところはどうぞよろしく!
E-mailでのお問い合わせは 鳴門市民劇場ホームページ nrt-geki@mc.pikara.ne.jp まで。