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川口敦子さんに演劇直前インタビュー

楽屋訪問30

木山事務所公演「出番を待ちながら」鳴門例会(2008年3月24日)で“ロッタ・ベインブリッジ”役をされる川口敦子さんを公演前に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

川口敦子さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
今日はお忙しいところどうもありがとうございます。川口さんには2002年に『黄金色の夕暮』という作品で来ていただきましたね。また私は個人的に『きょうの雨あしたの風』を京都で観させていただきました。
川口(敬称略)
そうですか。ありがとうございます。
鳴門
今回のお芝居では、既に何箇所か回られていますよね。
川口
高知が最初なので4、5箇所ですね。
鳴門
近畿の方は?
川口
近畿はこれからです。
鳴門
先に徳島で観て大変感激しました。大変力量のある女優さんがたくさんいらっしゃって、さすがにすごいなと。
川口
それが芝居をよくしていると思います。同世代の力のある人達が一堂に会しているというのが一番の魅力だと思います。
鳴門
各地の反応はいかがですか。
川口
ご好評をいただいておりますね。
鳴門
今回のお芝居ではセットもすばらしいですが、特に衣装がすごく綺麗ですね。
川口
ええ、衣装は脚本のト書きにあるものとはちょっと違いまして、演出家とデザイナーの意向で個人ごとに色が決まっているんですね。だから私は初めから終わりまでピンクなんです。
鳴門
すごくお似合いでしたよね。
川口
そうですか。ありがとうございます。普段ピンクやひらひらした服は着ないものですから、おもしろいですね。
鳴門
そのピンクというのは川口さんがピンクを着てみたいわと言うことで決まったのですか?
川口
いえいえ。ご存知かと思いますが、一昨年ですか、皆さんがこの作品をご覧いただいて例会に取り上げようとしていただいた時のロッタ役は私ではなく、南風洋子さんがなされてましたでしょ。昨年に南風さんがお亡くなりになられて、そのあとを私が継がせていただいたんです。なのであの衣装はほとんど南風さんが着てらしたものなんですよ。ただ、私のほうが身長があるものですから少しお直しとかはしていますけどね。
鳴門
場面が変わるたびに衣装替えをされていましたが、何着くらいお持ちなんですか。
ロッタはかなり衣装持ちですね。
川口
そんなことないんですよ。『私ってこのスカートしか持ってないのね』って言うぐらいスカートはずっとそれで、他にはブラウスを2回替えて、パーティーの時の長いドレスと、最後はあそこに馴染んでちょっとおばさんっぽい少しくすんだピンクのスカートに変わります。それも、最初はシルクですが最後はウールのベージュに近いピンクになっていくんですよ。シーンが変わるごとに衣装を変えなきゃいけないんで暗転幕が下がっている時にパパパっと着替えるんですね。
鳴門
幕が開く度に衣装が変わってらっしゃるんで、途中からはシーンが変わる時がすごく楽しみでした。
川口
ありがとうございます。今回私はピンクで、メイの方は黒とブルーで決まっていましたけど、他の方達も、いろいろキャラクターに合わしてご自分の衣装を使ったりと凝っていらっしゃいますね。
鳴門
そうだったんですか。衣装ももちろんですが、他にも何か舞台の中でここを見て欲しいとか、お好きなシーンとかはありますか。
川口
この芝居に参加して一番嬉しいなと思っておりますのは、志を同じくして成長した力のある皆さんと、木山さんのお力でここに一堂に会してお芝居ができるいうことですね。一つの劇団でこんなに同年輩で個性のある方々を揃えるということはできません。今回はロッタとメイのお話を中心に置いてはいるけれど、私は全体の群像劇だと思っています。だからこそ、私が一番嬉しいのは、そういう方達とご一緒できているということです。
鳴門
芝居のなかでも皆さんが個性を発揮していらして、歌や踊りで楽しませていただきましたよね。
川口
ええ、歌のお上手な方が揃えられていますしね。
鳴門
川口さんは現実世界でも長く女優として活躍されていらっしゃいますよね。それで今回のお芝居の中でも女優の役ですよね。その点で演じづらいことや共感されることなどはありますか。
川口
そうですね。彼女達は30年代から40年代にイギリスの劇団で活躍していた人ばかりで、本をお読みになってお判りかと思いますが、あの施設に入れるのは主演級の女優だけなんです。あるレベルの審査を通ってはじめて入れるところなんです。端役ではなくある意味で一家を成した人達が経済的に困窮してあそこに集まっているということですので、そこはちょっと我々とは違いますね。イギリスでの演劇界の人達の地位というのは日本とは段違いですし、そこは羨ましいところですね。あの施設もある貴族が郊外の別荘を寄付してできた施設なんですよ。ただ、そこで起こる様々な出来事は我々の身につまされることがありますね。
鳴門
ご自身の女優としての立場から、女優を演じることについて演じづらいことはありましたか。
川口
私やメイや他にも再演で何人か役者が替わっているので、初演の方に追いつくのに一生懸命で演じにくいこととかはなかったですね。
鳴門
ちょうど私も同年代で身につまされたお芝居でした。いろんな出来事があって葛藤もあったんですけど、最後には心安らかな毎日が訪れるというのはどのように感じられますか。
川口
当時は今よりも老人ホームに入ることが恥辱だった時代で、かつて主演級の人達にとっても大変な屈辱だったのでしょうね。今の時代はホームを利用されている方の方が多いかもしれないですし、舞台の中の世界は今の私達にとっては遠い世界かもしれないですね。でも、いつ私達もホームでこういう生活を送るかもしれず、その頃には頭がはっきりしているかどうか分からないわねなんて、みんなで話したりすることもありますね。(笑)
鳴門
でも、お芝居を観てこういう老後を送れたらいいなと思いました。
川口
ええ、羨ましいですね。あのホーム自体はいいですね。でも、お芝居では最後はお歌を歌って大団円になっていますが、やっぱりぞれぞれお部屋に帰れば孤独を抱えつつ、それでも平穏に暮らしていくのだと思いますね。
鳴門
このお芝居で川口さんが一番好きな場面や思い出に残る場面はありますか。
川口
親子の場面ですかね。息子が迎えにくる場面。
鳴門
あれは切ないですね。
川口
息子の方にしても本当に親を引取りたいという愛情があったのかというと、どうでしょうか。ロッタはそれを直ぐに見抜いてしまいます。
鳴門
打算があるような気がしますね。
川口
彼らの社会的地位からして当時親が老人ホームに入っていること自体が屈辱的なことだったんでしょうね。新聞に出なければ、多分、迎えには来ないでしょう。
 
鳴門
ところで、この世界に入られるきっかけについてお話いただけますか。
川口
私の家は新潟県の越後平野の真ん中の長岡というところの田舎町で地主だったんですが、終戦で農地開放になったんですね。うちは自作農ではなく働かない地主だったものですから、開放されるといわば没落してしまいまして。みんな働く術をもたない人達ばかりで、これはチェーホフの作品『桜の園』みたいなものですけど、自分の道は自分で選んでいくんだという気持ちで、まず仕事を持たなければと考えたんですね。当時はあこがれていた男性の影響でジョルジュ・サンドなんかに興味があったものですから翻訳家になりたかったんですが。私が学生の頃は、ちょうど新劇が戦時中の弾圧から開放されて一斉に活動を始められた時期にあたります。三越劇場ではいわば三大劇団が連続でお芝居をしていました。その活き活きしたみなさんのお姿にあこがれたんですね、きっと。それが自分に合うかどうかも考えもしないで、これだと思ったんでしょうね。ちょうど自分の生きていく上での核となるものを何か持ちたいと探していた時でしたしね。それがきっかけです。
鳴門
いろんなお芝居に出られていると思いますが、お好きな作品はありますか。
川口
たくさんの作品に出させていただいてますが、舞台に立っている時はこれが一番と思ってしていますね。後にいろいろな評価をいただくこともありますが、それぞれの作品について様々な想いがありますので、どれが一番というのは非常に難しいですね。
鳴門
カラマーゾフの兄弟というのをされておりますね。
川口
ええ、カラマーゾフの兄弟では私はカテリーナという高慢な貴族の令嬢の役をしました。
鳴門
ああいう大掛かりなお芝居というのは最近されないですよね。
川口
俳優座は翻訳劇が多くてああいうものをずっと上演してきたのですけれど、千田是也さんが亡くなられてから、最近は大掛かりな作品をする演出家がいなくなりましたし、大掛かりな芝居にはお金がかかりますのでね、今の時代には難しいのでしょうね。他にも翻訳劇と日本の劇の境がなくなってきているのも要因でしょうね。
鳴門
そういうお芝居を私達は経験していないので、一度観てみたかったと思いますね。
川口
カラマーゾフの兄弟はこちらにはお伺いしなかったですものね。あれが千田さんの最期の作品でしたね。
鳴門
これからの作品についてもお伺いできますか。
川口
私のこれから先の予定は『春、忍び難きを』という斎藤憐さんの作品です。これが終わりますとすぐ稽古してまた旅に入ります。
鳴門
どちらを回られるんですか。
川口
甲信越ですね。来年は静岡です。ぜひ皆様にもご覧いただきたいと思います。
鳴門
では是非、今後の例会の候補にしていきたいと思います。
川口
早くしないと私は出られないですからね。私が生きている内にお願いします。(笑)
鳴門
『きょうの雨あしたの風』というのはどうですか。
川口
四国と東北の一部を除いてほぼ全国を回らせていただいたのですが、北海道を終了した際に一時解散というか、打ち止めになっていますね。
鳴門
残念です。
川口
また皆様からのお声があれば是非。秋に『三屋清左衛門残日録』で近畿を中心に回りますので、またそちらも観てください。
鳴門
確か希望していた『三屋清左衛門残日録』が静岡の『春、忍び難きを』と重なってお越しいただけなかったんですよ。
川口
今、俳優座で例会にとお声を掛けてくださる芝居には、たまたま私が出ているものが多いもので重なると来れないんですよね。来年の『出番を待ちながら』も私が別のお芝居で九州に行くものですから三田さんに替わるんですよ。ですので今観ておいた方がいいですよ。(笑)
鳴門
では、今日は貴重な作品になりますね。
川口
いえいえ、お人が変わればそれはそれで今とは変わった面白さがでるので、『出番を待ちながら』は神奈川を回りますので是非比べてみてください。
鳴門
本当にひっぱりだこですね。そんなにお忙しいなか健康管理は大変なのではないでしょうか。それに、とてもお元気でお綺麗ですよね。私の母は昭和9年生まれなんですが、川口さんの様にはとてもとても。
川口
そうなんですか。でも私のほうが年上ね。
鳴門
本当にお若いですよね。プロポーション維持の為に何か普段から心がけていらっしゃる事とかはありますか。
川口
特にないんですよ。何もしないことがいいんじゃないですかね。私はゴルフとかそういうスポーツは嫌いなんですよ。敢えて言えば階段があれば登るということぐらいですかね。
鳴門
階段ですか。
川口
そうです。あれはいいですよ。(笑)
鳴門
川口さんのような素敵な女性になれるよう、これからは階段を使うようにします。桜も咲いてだんだん暖かくなってきましたし、季節の変わり目のこの時期は健康管理も大変でしょうね。
川口
ええ、東京を出てきた時は寒かったんですよ。それでもこっちに着いたら暖かくて、コートなんかは送り返しましたね。
 
鳴門
ところでチームとしてみなさんはどんな雰囲気なんでしょうか
川口
みんな仲良しですよ。何でだかかわかりませんが、ここに来ている人達の中で5人は俳優座養成所出身なんですよ。新井純さん、荘司肇さん、大方斐紗子さん、高山真樹さん、そして私ですね。だから昔からよく知っているんです。それに加藤土代子さんは民藝、北村昌子さんは昴のご出身で年代も近いですし、皆、戦後、新劇が盛んな活動を始めた時期に志を同じくして始めた人達ですから、根っこの所が同じなんでしょうね。だから違和感がないんでしょうね。お一人、堀内美希さんが宝塚のご出身ですけど、俳優座に客演していただいたことがありまして、それに木山事務所にいらしたし、だからなんの抵抗もなくまるで昔からこういうチームだったように仲良くしてもらっています。『志』というのは今では死語になっていて、最近は『夢』というのでしょうけど、私達の世代では『志』といった方がしっくりくると思いますね。
鳴門
戦後の世の中が変わった頃ですね。
川口
日本の国の成長と自分の成長を重ねられる幸せな時代に育ったと思うんですね。今の青年達は何を信じて自分の成長の核を掴んでいいのか判らない状態だと思いますね。貧しい何もないところから同じ志で始めた絆は今も強く残っていますね。
鳴門
羨ましい限りです。
鳴門
最期に私達市民劇場の会員に向けて何かメッセージをお願い致します。
川口
私は去年、一昨年と一年の半分以上を旅公演で全国を回らせていただきました。この市民劇場の組織のおかげで私達が観ていただきたい芝居を持って全国を回ることができる有り難さを骨身に沁みて感じました。また担当された方のご苦心や、クリアしたときの喜びを一緒に感じることができました。これからも、私達の芝居を一緒に守っていかせていただきたいと思います。
鳴門
今日はお忙しい中、楽しいお話をありがとうございました。
川口敦子さんとインタビューア

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