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「あなまどい」

劇団前進座

鳴門市民劇場2010年9月13日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

期待どおりのよい舞台だったと思います。
  なによりわかりやすい。
  私にとって心に残る作品の一つになりました。
  武士としての有様…夫婦としての有様…人としての有様…さらに国の有様…さまざまな意図が感じられ、力強いメッセージが伝わりました。
  原作者乙川優三郎の他の作品“喜知次”“霧の橋”等読み返してみたくなりました。。

時代劇という事であまり期待していませんでしたが、前進座の皆さんのすばらしい演技に感動させられ心にしみ入るいい芝居でした。
  「あなまどい」の意味もよくわかり、人間の生き方を教えられたように思いました

あらすじを読んだ時は時代劇ということもあって。こんなにすばらしい芝居とは思いませんでした。でも見ているうちに段々と引き込まれていきました。
  新婚2カ月で仇討ちに出て行かれて34年間も待ち続けた妻・喜代の愛。今の時代に生きる私には生きているのか死んでしまったのか何も分からない夫を待ち続ける自信はないです。
  人の命の尊さと夫婦の絆と愛を見せて頂きました。

久方ぶりの時代劇、それも「仇討ち」武家の仕来たりのため34年間もの長い年月、仇を追い続けての旅、人生のほとんどを費やしてしまった夫、一方家を守り、もしかしたら帰って来ないかも?と不安を抱きながらも、どんな時でも凛として夫の帰りをひたすら待ち続ける妻。長い年月を経て夫が我家に帰って来ることができ涙々。老いた二人が旅に出る場面は本当にほほえましく、思いやりと愛を強く感じ良い時間を過ごす事ができました。

「あなまどい」
  今年の夏の暑さは、格別です。でも彼岸を過ぎれば涼しくなりました。
  舞台の蛇は冬眠の穴を見つけて入ったでしょうか……
  身分のちがいで平伏というルールによって妻を亡くした男、仇討ちのため若き妻を残し34年間も長い年月を費やした男、同じく夫を待ち続ける女性、二人の再会の場面には涙があふれてきました。今も昔も夫婦の愛は変わらないと思うけど私には少し疑問です。
  関蔵・喜代の二人には、第二の人生の旅立ち、幸せになってほしいものです。
  足軽・寺田金吾も山里で静かな余生を送ってほしいと願います。

日本にもあの様な時代があったのですね。
  とても不幸な時代です。
  65年前は戦争がありましたが、現在は幸せな時代です。
  無事本懐を遂げ、34年振りに喜代と再会する事ができ、最後に手を取り合って江戸に行くシーンがとても良かったです。
  帰りの車の中で、主人が「最後がよかったなあ」と二人で話し合い乍ら帰りました。今でもあのシーンを何時も思い出します。

「あなまどい」の劇中にぐいぐい引き込まれ、後から後から涙がとまらなかったものでした。
  「人とあらば武士がいかほどのものでありましょうや」との言葉に最近の自分になぞらえて、すごく同感いたしました。
  年と共に今後もすべてを楽観して過ごせればと願っています。

「あなまどい」よかったです。前半はそうでも無かったのですが、後半になると俄然良くなって……。
  実は前半寝てしまっていたんです。後半、あんなにおもしろいのなら、前半寝てしまったのが残念で……。

夫婦について考えさせられた。待ちつづけた一生でも二人で添いとげる。とても感動した舞台でした。

主人公よりも願人坊主のほうがドラマチックでした。人の一生を考えさせられました。
  時代劇などほとんど見ない子供には「仇討」などわかるわけがありません。感想は?と聞くと「……」でした 。34年も主人を待っているなど、子供にとっては現実的でなく、お話の世界に感じたようです。内容と少し距離があったかしら……。

親の仇を追いながら長い年月が過ぎ去っても夫の帰りを待ち続けている奥さんはすごい人だと思います。現在では考えられないと思います。
  最後に二人して旅に出るシーンに感動しました。

久しぶりにじっくり考えさせられる舞台でした。
  老いた人の動作がとても良かった。特におばあさんの演技はすばらしい。名演技に大拍手です。

久しぶりの時代劇、大変よかったです。
  夫婦愛を描いたしんみりとしたよい芝居だった。
  話の展開が分かり易く、キャストも良かった。
  老夫婦が手を取り合って旅立つ最後の場面は感動的だったが、関蔵が30年ぶりで仇と再会した場面は追う者、追われる者それぞれの苦難の道が偲ばれて、これも感動的であった。

終盤の老夫婦のやりとりがおもしろかった。
  「かたきうち」という武家のならわしに人生を変えられる、いろいろな立場の人々の苦悩がよく表現されていたと思う。

今月の例会が「坊っちゃん」に続き二回目の観劇になるのですが、今回も非常に楽しめました。
  敵討ちを成し遂げるまでは家に帰る事ができないという現代では考えられないような厳しい掟にも関わらず、敵討ちに向かうほどの決意をもった主人公が最終的には敵に情や同郷であるという思いを抱いてしまい殺すことができなかった。そこに至るまでに様々な伏線や「実は…だった」というような、どんでん返しがあり、見ていて飽きずに最後まで楽しめました。
  また敵討ちに費やした数十年という長い空白の期間があったのにも関わらず最後の夫婦のやりとりはそのような期間を感じられないようなホノボノとしたもので、心温まるような気持ちで見終わる事ができました。
  しかし、前半の坊主のくだりを聞き逃してしまった為か、残念ながら若干「?」部分もありました。しかし、全体を通して非常に楽しめたと思います。
  すみません、うまくまとめられていないのですが……次回の例会も楽しみにしています。

暑さのせいか、みんな眠いと言っていたが、芝居がはじまると舞台に集中しての観劇でした。
  何十年もかけての仇討ちを通して種々、貴重な人生勉強になりました。

今回は長い作品でした。後半も、時間が気にならずに見れたのは皆さんの熱演の賜物だと思います。要所要所で拍手が入り、安心して観れました。(いつも拍手が少ないのが気になります)。
  誰も悪くないのに悲劇が起こり、最後に、実際には、カタキに手をかけずに……というところは、昔、たくさん読んだ時代劇小説を思い出しました。家督を預けた叔父達に冷たくされたにもかかわらず、無事家督を継いだ後、叔父達の面倒もみる様にと、養子にいうところまで、優しく演じられていて、見終わった後、気持ち良かったです。

交流会で分家夫婦と話をさせて頂きましたが。大福はおいしく食べているが少しお歯黒の歯がついて大福が黒くなるとか。着物や髪は元禄時代のものだとか、舞台は床がじゅうたんなので着物の裾はらいが大変だとか、そんなことまで知る事が出来て得をした気分です。

30年以上もの間、敵を追いかけ続ける執念のすごさ……と思いましたが、仇を討たないと帰郷できないのですね。でも関蔵が人を殺してなくて、よかった。ラスト夫婦二人で歩いていく姿がほほえましかった。

時間がいつもより早く過ぎたような気がします。
  武士の掟の厳しさと理不尽さ、憎しみや復讐することの虚しさが伝わってきました。冤罪で何十年もたった後に無罪が証明され、釈放されるということがありますが、それに近いやりきれなさを感じました。

仇討ちとは30余年もかかっていたなんて知りませんでした。昔のしきたりに驚きました。
  舞台が予想外に明るく、幕合いが少し多かったかな……でも次を想像するのにゆとりがあってよかった、
  命の大切さ、家族愛が刻まれて満足しました。

父の仇討ちを決意した関蔵は34年後念願を果たして帰って来た。夫を待ち続けた喜代の胸中でどんな気持ちで再会したのかと思うととっても感動しました。すばらしい夫婦の絆の舞台でした。

とても良い作品でした。
  最後に老夫婦が手をつないで旅に出る所は特に心温まる場面でした。暖かい気持ちで会場を後にしました。

前進座は毎年のように市民劇場の例会にとりあげられ、「またか……」という思いがなきにしもあらずであったが、さすが前進座の時代もの原作に支えられているせいもあろうが見応えがあった。
  武士道の残酷なしきたりの為に34年間という年月を夫婦ともども失ってしまった。けれどその年月を犠牲にしたがゆえにみえてきた人間の生き様。ラストの方に手と手をとりあって旅路に出る夫婦の前途には「絆」という二人にしか判らない真実が待っていると思い、観劇後はほのぼのとしたものを味わった。それにしても34年間という年月を離れていても互いに思いやり健康にて再会できたのは心身ともに強健な精神をもっていたがゆえか、そこにも感心した。

自分の親のしたことに反発(正常な心の判断)それは人への思いやりや、なさけ(武士の情け)が主人公を中心として、人間の生きざまをしっかりと語りかけてくれた、すばらしい劇であった。
  ラストシーンは「あなまどい」の意味が良く表現できていた作品だった。

時代劇はちょっといつも全体的に暗い感じがします。内容はふつう。心に残る場面もありました。

ある何かを介してあかの他人が偶然出会ったその瞬間から時計の針は動き出し、二人をとりまく大勢の人々の人生を良くも悪くも左右してしまう。運命のいたずらとはこういうものなのか、何と凄まじい力、魔力を持っているのだろう、雨という接点から仇討ちという敵対関係が成立し、お互い過酷な第一歩を踏み出す……
  大勢の人を巻き込んで追う者も追われる者も双方被害者である。仇討を成就すべく長い歳月、若い日に出会った願人坊主や幾多の出会いや別れ、苦労や試練をのりこえて、おもいやりの心、人を信じる心、争うことの無意味、身分制度への疑問……人として一番大切なこと、命の尊厳を悟る。人は欲望を満たすため手段を選ばず誹謗や中傷を繰り返し、果てには人の命を殺めたりする。地位や名誉、財産を得るために愚かな行動を起こす場合が少なくない、今も昔も変わらない人間の弱い一面でもある。自分の生涯の敵は他人ではなく自分自身の弱い心である。自分の行動や言動には最後まで責任を持つ覚悟が必要であるなど改めて考えさせられた。
  願人坊主との出会い仇討ちを成就させれば尊い一つの命を奪ってしまう。自分の使命とは…と苦悩する。
  命懸けで家老と面会し思いのたけを訴える。様々な場面で命の大切さを私達に語りつづけてくれた。終盤にさしかかり金吾と出会った頃には観ている自分と関蔵の心が一体化し、仇討ちの気持ちはすっかり消えていた…が。
  願人坊主最後にどんでん返し、予想だにしなかった、まさか願人坊主の…
  当初、時代劇……はたして?という先入観も物語が進行するに従って、自分が登場人物の様に引き込まれていった。
  人生には色々な出会いがある。すばらしい出会いが…市民劇場でたくさんの素晴らしい作品、大勢の人との出会いがあった。(現在も進行中である、中でも今回の“あなまどい”は予想に反して〈失礼かも〉今までの例会で私の中では最上位にランク付けしたい程である。“あなまどい”との出会いに心から感謝したい。
  お世話して下さった皆さん本当にありがとうございました。

34年も待ち続けた妻、妻を思う夫、二人の愛の深さを感じることができました。
  いつの時代も愛する人と一緒に人間らしく暮らしたいという気持ちは変わりませんね。

素晴らしい感動と生きる喜びとを感じさせていただくと共に自らの人生を深く心に問うてみるべき貴重な時間でありました。

とっても感動的でよかったです。
  ひとつひとつの小さな動作がよく見えたこともあって、近くの人から「良かったな」の声が耳に残っています。

とてもよかったです。

いままで最高だった。

題名「あなまどい」の意味の珍しさ。穴惑いの蛇が冬眠の穴をみつけるぎりぎりの一瞬と夫と妻とのぎりぎりの再会とをかけている。
  当時の理不尽な仇討制度や家督問題にはらはらしたが、うまく解決できてよかった。
  ストーリーの運び方にもいらいらしたが、舞台装置や人物の衣装がとても美的で品格があったと思う。
  仇討ちのための、いや仇討ち制度のための三十四年間の苦労、その後も夫はお上との交渉に勇気と努力を重ねた。新婚三ヶ月で引き裂かれた奥方の三十四年の歳月も相当な苦難や悲しみがあったであろうに、その再会はなんとも初々しく温かい。愛らしい
  若奥様が老女の品格を備えた女性に変身している美しさ、清らかさ、なんとも言えぬかわいらしさに感動した。
  愛不変 そして、二人は生きて逢えたのである。願ったとおりのラストではあったが、後期高齢の私は胸内が熱くなるのだった。                                     

人の一生とは……。しみじみ心にしみる舞台でした。
  母にも見せたかった。

人間の既得権益にしがみつく、いやらしさと悲しさとそれを許した主人公の心の広さを感じさせる芝居だった。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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