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小林祥子さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問48

  前進座公演「さんしょう太夫」鳴門例会(2011年7月22日)で“あんじゅ”役をされる小林祥子さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

小林祥子さん
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
『さんしょう太夫』は芸術大賞受賞作品ですよね。早速ですが、作品についてお伺いしたいと思います。
小林祥子(敬称略以下小林と略)
前進座は5月22日が創立記念日で、今年で80周年を迎えさせていただきました。一番上演数が多いのが約1300回『鳴神』二番目に多いのがこの『さんしょう太夫』で、今日の公演で956回目となるんです。
鳴門
前進座の中でも、古い作品なんですね。
小林
そうなんです。今から37年前に初演されました。『さんしょう太夫』という物語は、教科書に載っていた時代もありましすし、森鴎外先生の文学作品として世に知られた作品です。ある程度の年齢の方にとっては、比較的ポピュラーな作品ではないでしょうか。もともとは、中世の時代の説経節がもとになった物語です。しいたげられた民衆の自由や解放への叫びが全国各地で起こり、各地域に根付いた信仰と結びつきいろんな物語が各地で生まれていったんです。由良丹後地方では、語り伝えられた金焼き地蔵という身代わりのお地蔵さま伝説に、民家の解放への祈りや願いを託し、物語を色付けし、肉付けされて生まれた物語が『さんしょう太夫』だったんですね。人の集まる境内で説経師が伝え伝えた説経節のスタイルをお芝居に組み込んだのが、前進座の『さんしょう太夫』です。なので、舞台装置もお寺の境内の前の様な造りになっているんです。「今日は鳴門のどこかのお寺で語りますよ」という演出なんです。説経師達は昨日は阿南のお寺、今日は鳴門のお寺、そして明日は次のお寺へと去っていくんですね。また、各地に説経節として語り継がれている物語はたくさんありますが、『さんしょう太夫』は文字として残っている数少ない作品のひとつなんです。幕開けに文字がスライドで映し出されるのですが、原本からとった文字を投影しています。その中に説経師集団が溶け込むように入り込んでいく。他の芝居と違うのは全員が説経師という設定なんですよ。生の説経節を知っている人はいないので、おそらくこうであったのではないかと、日本人のDNAの中に慣れ親しんだ日本語の美しさをメロディ化しらたこうなんじゃないかと想像して平井先生が作曲なさった説経節を軸に説経師が、安寿役・厨子王役・さんしょう太夫役という役割を担い、象徴的な衣装をまとって、それぞれの担当者が中央で演じ、上手と下手に分かれ日本に古来からあった素朴な楽器を演奏しながら、物語は進んでいくんですね。
鳴門
説経師の声をされているのはどなたですか?
小林
芯を取っている、武井茂さんと、前園恵子さんです。これが958回も続く所以なんでしょうね。先輩方が積み上げられてきた歴史の中で私たちは演じさせていただいているんですよね。
鳴門
生の語りがとてもいいですよね。
小林
役者が奏でるので、せっかくだからお客さんに見せようと上下に配置し、生で演奏し、生で歌わせたんです。前進座らしいところですよね。演技スタイルを造られたのは演出の香川良成先生と、去年襲名した嵐芳三郎のおじいちゃん、先先代の芳三郎さんですね。歌舞伎のセリフ回しの説得力を利用しながら、時空と空間を自在に使い、お客様の想像力をかきたてているんです。お堂の扉を開ければ海原になり、舟はないのに舟に乗っている様子を表現したり、歌舞伎・能・狂言のエッセンスを上手に取り入れ、身体の動きひとつで様々なものを表現しているんですね。
鳴門
確かに、能に似た動きが取り入れられていましたよね。
小林
一歩踏み出すにしても、右からか左からかとか全て決まってますし、向きや、目線も決まっています。この芝居には隙間がないんです。波の音は歌舞伎で使う波音を使っています。流された桶と柄杓と取りに行くシーンを取っても、足の運び、息を吸う間も吐く間も、セリフを言う間も全て計算されているんですよ。ですので、太鼓を叩く人、演じる人、全員が同じ呼吸をしないと、同じタイミングで音が出ないんですよね。
鳴門
簡単にやっているように見えて大変なんですね。
小林
お稽古は大変ですよ。958回も続くのは、そぎ落とされるところはそぎ落とされ、磨かれるところは磨かれ、何度もお客様に観ていただいて洗練されていくからなんでしょうね。
鳴門
厨子王役は以前、女性が演じられていたと思うのですが。
小林
厨子王は、基本的には女の子が演じていたんですよ。と言うのも、幼い少年時代のいたいけな、あわれな子供が、美しく凛々しく成長する姿を描く意図でね。今の厨子王は8代目なんですが、そのうち男性は3人、女性は5人です。
鳴門
厨子王役は、若手の有望株なんでしょうね
小林
そうですね、若いということに限定しませんが、華奢じゃないとね。愛されるためにはね(笑)。ただ、めぐりあわせもありますし。
鳴門
小林さんも厨子王をやられていたんですよね。
小林
ええ、6代目の厨子王をやっていました。もう、200回近く。
鳴門
安寿としては、どのくらいの舞台をふまれているんですか?
小林
安寿としては160回ぐらいでしょうか。私は厨子王として、安寿として、『さんしょう太夫』でいろんなことを学び、この作品に育てられました。
鳴門
この世界に入られたきっかけはなんでしょうか。
小林
実は私、前進座を知らなかったんですよ(笑)。2歳のころから日本舞踊をしていまして、舞踊家になるために、演劇の勉強も必要だということで演劇の学校へちょっと行って帰ってくるつもりが、こんなことになってしまったんですね。
鳴門
それで前進座の養成所にいかれたんですか?
小林
確か当時の前進座の養成所はお休みをしていたので、三船敏郎さんの養成所へ行きました。その後、前進座が新人を募集していたので、師匠の紹介で前進座に入ることになったんです。でも、前進座に入っても演劇のことは、出来ない・分からない・知らないの連続で大変だったんですが、みんなでひとつの作品をゼロから作り上げるすごさに魅入られ、日本舞踊の幅を広げるための演劇が正面に来てしまったんですよね。そうこうしているうちに、國太郎と結婚しましてね(笑)。國太郎の家内です。いつも主人がお世話になっております(笑)。
鳴門
そうなんですか。では、鳴門には以前にもお越しになられてるんですか?
小林
いえ、私は初めてですね。あまり旅には出ていないんです。子育てをしながらでしたので。
鳴門
お休みの日はどのように過ごされていますか?
小林
一番息抜きになるのは、韓流ドラマを観ることです。どうして、あんなに惹かれるんでしょうね。不思議ですね(笑)。
鳴門
これからやってみたい舞台や、将来目指すところがあればお教えください。
小林
舞台を続けていきたいと思いますね。お芝居は、創って演じて片づけたらゼロに戻るじゃないですか。残るのは、みなさんの心の中だけですよね。その心に残ったものが生活の力になっていくのは素晴らしい事ですよね。
鳴門
東北の市民劇場も、お芝居を観ようとみんな頑張っていますからね。
小林
そうですね。元気になっていただけるような、いい作品を創っていきたいと、特に震災以降は考えるようになりましたね。
鳴門
ところで、お子さんはもう大きいんですか?
小林
お芝居の勉強をするため、大学に通っています。180cmもあるんでね、女方は無理かもしれませんが(笑)。もし、息子がこの道に入ることになるのであれば、親として出来ることをしようと思います。その為にもまず、今の私達が、今の前進座をしっかり守っていかないとと思っています。未来の子供が夢を叶えるためにも、演劇鑑賞会、学校公演、都市公演など、いろんなものを維持するためにいい作品を創り続けていかなければと考えています。
鳴門
最後に鳴門市民劇場の会員へ一言メッセージをお願いします。
小林
こんなにいいものが観られるならあの人を誘ってみようと思われる方、新しく誘われ今日初めて例会を観られた方が、よくぞ誘ってくれたと言ってくれる、そんな方が1人でも多くいらっしゃるような作品を作っていきたいと思っています。
鳴門
この作品はそれに値しますよ。
小林
ありがとうございます。もちろん好きなジャンルや、好みもあるでしょうけど、親子の情愛・姉弟の情愛を扱った作品なので、きっとどこかに共鳴できる部分があると思いますので、是非みなさんに観ていただきたいと思います。お芝居って、お好きな方は自分で時間作って、お金を出して観に行かれると思うんですね。でも、そうじゃない方に観ていただくには、背中を押す力が必要だと思うんですよね。その、背中を押す力の源になる栄養源を今日観て下さった方が持って帰って下されば、嬉しいと思っております。
小林祥子さんとインタビューア

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