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「さんしょう太夫」

前進座

鳴門市民劇場2011年7月22日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

「さんしょう太夫」、徳島で観たが、久しぶりに泣いてしまった。
  その場所は、随所で展開される、同じ人買いにさらわれの身の奴らが安寿とづし王を手助けする場面である。拷問にかけられる場面などはそんなに思わないが、私はこうゆう場面には弱いのだ。
  ところでこの話は我々の年代にとっては当たり前だが、どうも40歳以下の年代ではまったく知らないようだ。
  そこで舞台では展開がどのようになるのか注目していたが、太鼓やその他の楽器に合わせ、説明調の語りがはいり、ところどころに「安寿かわいやホーヤレホー」などの聞き覚えの場面がでて来るなどして、記憶がつながり、断片的に覚えていた50年も前に聞いた話がよく理解できた。
  また、演出も良かったです。
  最初は編笠をかぶった僧たちが客席から舞台に上がり、舞台上では照明によって体中に経文のような文字が浮かび上がり、その光の中で着替えをして登場人物に変わる。
  終わりも、最初と同じような光景で実に綺麗かったです。

以前「本当は怖い日本おとぎ話」という本を読みました。今晩それを思い出し、ねむれそうにもありません。
  幼い時の記憶の「さんしょう大夫」とは違うんだといった思いと最初の詠歌や古い楽器の音色等の演出に驚きました。

観客席からの説経師の登場、そして語りつつ説経師が去って行く終幕にとても強烈な印象を受けました。
  また終始、舞台を盛り上げていた楽器演奏に生の舞台の醍醐味を感じました。
  人買いに売られていく船上での動きが格別良かった。
  同一舞台でありながら、登場人物が向きを変えるだけで場面が変化するなど時空間の使い方にさすが前進座だと思いました。

なんと悲しい物語でしょう。ほっとする場面で一息つきました。
  楽器の音色が場面の雰囲気をかもしだしていたように思います。
  真剣に最後まで観劇しました。

物語を通して、悲しみや憎しみ、怒りなど人間のどろどろとした情念がよく表れていた。これが、副題にある「説教節」の特徴だろうか。
  さんしょう太夫の長男・二郎の善人でありながら優柔不断なところに、「人間の本来的な弱さ」がよく表現されていた。そこに勧善懲悪の劇とはちがう、人間味のあるこの劇のおもしろさを感じた。

ダイナミックな舞台で感心しました。
  最初と最後の映像が目にやきついています。
  ロビー交流会もとてもよかったです。

突然に後方からの読経から始まり、文字照明で驚き、悲しげな演奏も加わって遠い昔に読んだ「あんじゅとづし王」とは違うかの様な舞台でした。
  2時間がアッという間に過ぎていました。

「さんしょう大夫」といえば「安寿と厨子王」そして「安寿と厨子王」といえば「安寿恋しやホーヤレホー、厨子王恋しやホーヤレホー」の一節が思い出される。幼い頃、本だか、読み語りだか、映像だか思い出せないが、強く記憶に残っている。
  それはさておき「説経節」よりということで、漂泊の説経師たちの語りから劇は始まる。おはやしの伴奏も含め日本の古典の世界にひきこまれていった。比較的後ろのほうの座席で役者の顔まではよく見えなかったが、動きや声はよくわかった。人買い、身がわり地蔵、汐汲み、焼印、のこぎりびき、などなど当時の社会の様子、民衆の苦しみ、怒りなどもよく伝わってきて、最後まで楽しめた。

舞台構成といい、話運びといい、とっても感動しました。前進座の公演はいつもすばらしいですね。

18名の役者さんがいろいろな場面で出演し、すべての役者さんの声が本当に良く聞こえて素晴らしかった。特に「づし王」の竹下雅臣さんの成長していく姿、凛々しい若者への早変わりをする場面はハッ!としました。 
  音響が時には心臓に悪い?と思う時もありましたが、久方ぶりに良い作品だった。とにかく期待どおりでした。

前進座は10回目の来演とか、最初の「鳴神」にも新鮮な感動を受けたが、毎回上演される演目も時代ものあり、現代物あり、さすが前進座!の感あり観劇後の満足感が得られる。
  今回はシンプルな舞台装置の中で役者の方が何役かをこなし、日本古来の楽器の演奏、語り、唄を通し説経節「さんしょう大夫」を展開していく。ストーリーは子供の時から知っているが実際に目の前での巧みな役者の演技にひきこまれていった。
  づし王役の若い役者さんが体調不良で舞台中、西條内科の先生がずっと見守って下さっていたと後日談で聞きました。先生は山ア辰三郎さんと同級生とか、辰三郎さんの奥さん主演の「夢千代日記」も楽しみである。

鳴門例会ロビー交流会

2008年に神戸で観劇した時の感動をもう一度味わえました。
  自信をもって企画にあげましたが、会員の皆さんはどう観て下さったかな?とまだ少しの不安が残っています。
  23日、ホテル前にお見送りに行きました。
  安寿を演じられた小林さんが一度はバスに乗り込んだが降りてきて下さって暑い中私達と立ち話をして下さいました。
・古典楽器の演奏と歌がよかったですね。
  「生ですから、合わせるのが大変です。私たちの動きに合わて演奏し、唄ってくれます。何人もがやるので、呼吸まで合わせなくてはうまくやれません。緊張してやっています。千回近いステージ数をこなしているからできるのです。波の音も、風の音も楽器で出ます。」
・それだけやってこられても開演前にはみなさんで合わせてられましたね。
  「会場によって広さや響きが違いますから。きのうのホールはよく響いて気持ち良かったです。」
・幕開けが印象的でした
  「あの文字は今残っている説経節の原文の文字を映し出しているのです」
  気さくに熱心に話して下さり、素敵な女性でした。
  劇団の皆さんは物語の発祥の地宮津に向けて出発して行かれました。劇団の方と親しく話ができ、お芝居のことを知ることができ、とっても良い時間でした。   

幻想的な幕開け、音楽に引き込まれていきました。
  さすが前進座と思いました。
  期待が大きかっただけに台詞にもう一工夫がほしかった。

説経師による日本古来の楽器演奏、語り、唄。様々な場面、場面が一本の糸をピーンと張ったように緊迫感があり、えっ!こんな表現の仕方もあるの?とその斬新さに魅了されていました。
  とにかく、ものすごい迫力でド〜ンと私のこころに迫ってくるのを感じました。

オープニングで大勢の出演者が背景のセットと一体になった場面は非常に印象的でした。
  後で知った「説経節」のこともなるほどと思うところが多く感じられました。知らないでみている時も独特のリズムが心地よく聞こえ、それ自体が説経節というのかと思っていました。
  ただ、あそこまで見せられると昔であった「安寿と厨子王」の印象が少し違って思い出されました。

演出が良かったです。
  悲しいお話でしたが見応えがありました。

幼少のころ、祖母に「安寿」と「づし王」の話を何度も聴きながら。兄弟愛のすばらしさを感じていました。時代は平安時代の話であるが、その当時から「子とり」とか「子女誘拐」などの反社会的な風習が生きづいていたことを学ぶことができました。現代も今なお北朝鮮の拉致問題があげられますがこの「さんしょう大夫」の演劇を通して人としてのあり様を深く考えさせられました。
  前進座のキャスト・スタッフの皆様の名演技に感動し自らを律していかねばと考えました。

古い昔の絵物語の記憶が甦りました。(40何年前のことです)
  その挿絵はあくまでも美しく、旅する家族達四人の美しい衣装や庭先に干された穀物に群がる雀達を追い払う嫗の姿、忘れられぬ子供達を忍び呼びかけます。「安寿恋しやホーレホイ、厨子王恋しやホーヤレホイ」と悲しいお話でした。
  今回の「さんしょう大夫」の舞台が正にそれでした。「説経節」の調べを下地に無慈悲と悪の扱いを骨子とした演出が珍しく思わず引き込まれました。
  舞台は出演者各位の演技への日頃の精神を感じさせ、随所にそれが現れていたと感じました。力の籠った良い舞台であったと思います。次の舞台がより良い舞台であります様に……心より待ちたいと思います。

浄瑠璃でもなく歌舞伎でもない語り口調と思いながら二幕目に入り見入りました。玉すだれの様な物をあやつり、拍子木を、太鼓を打つ(あれが当時の楽器)かと思いながらも達者な役者さん達の語り口調、不思議なリズム感に乗せられ最後まで見入りました。
  残酷な場面もあり会場が一瞬ざわめきましたが、その時代の優雅な衣装も見応えがありました。最後の幕切れはあっけなく終わりましたが解説によると説経節は東京都の無形文化財として伝承されていると言うことです。
  今回は一味違ったお芝居を観させて頂きなんだか得をした感じで帰路につきました。

古風な楽器が終始流れ格調高い演奏・演出で静かに観劇できた。ストーリーはわかっていても所々ジーンときてハンカチで涙を押さえる人もいた。
  舞台の動きはあまりなかったが照明をうまく使っていた。特に幕明け、最後の説経節の文字がバック全体や人物に大きく映し出され動きが出てすばらしい演出だった。

あのような演劇を観たのは初めてです。
  隣の友人と涙をふきふき観劇させていただきました。
  衣装、唄ともにすばらしかったです。

さすが前進座と思いました。
  舞台はシンプルですが、演出が素晴らしく、ストーリーを知っていたのでよく理解できて楽しめました。
  両袖のお囃子と歌とてもよかった。

舞台装置はいたってシンプル、あとは身体の動きと唄と生演奏であれだけの雰囲気を醸し出すことができるのに驚きました。特に母子が別々の舟に乗せられて別れ別れになるシーンは見事だったと思います。古い言葉づかいで100%はわかりませんでしたが(ストーリーは知っているので特に不便はなかったです:笑)、さながら絵巻物をみているような、雅楽をきいているような、五感に響いてくる心地よさがある舞台でした。

古文調のセリフや、最低限の舞台セットと音楽、効果音など、全てが綺麗に組み合わさったお芝居でした。
  特に、オープニングの文字が浮かびあがる演出にはぞくっとしてしまいました。まるで動く浮世絵を見たようです。
  この夏は、森鴎外版に手を伸ばして違いを楽しもうか、などと思っています。
  本を手にとる機会が増えるのも、観劇の楽しみの一つですね

綺麗で豪華な舞台を楽しみました。怖い場面もありましたが「安寿こいしや、ほーやれほー。厨子王こいしや、ほーやれほー」という聞きなれた台詞と最後の再会の場面にほっとしました。

題名だけ聞いたことがあるくらいで、内容を詳しく知りませんでしたが、結構怖い話なんだなと思いました。
  子供向けの昔話と思っていましたが、大人向けの歴史話ですね。
  ただ、最後まで見る側へのメッセージみたいなものがあったのかどうかよくわかりませんでした。

最初の登場から驚かされました。
  語りと言うか歌と言うかわかりませんがその人も劇団員なんでしょ?芝居をするには発生の練習はすると思いますが歌が下手だったら入れませんね。
  なんか芝居に入り込んで泣いてしまい、さんしょう太夫がのこぎりで切られるとこは目をつぶりました。
  それと二郎さん、味方みたいなこと言って何にも助けないので心のなかで「言うだけ」とつっこんでいました

ストーリーは分かったのですが、台詞がほとんど理解できずに五行くらいのあらすじがかける位の理解度でした。
  今度活字のものを読んでみようと思います。

もとは日本各地に伝わる長者没落伝説のひとつであったが、のちに安寿姫と厨子王丸姉弟が盲目の母親を救い出すまでの悲話物語を中心として、人形浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられて語りつがれている。
  「ただいまこれより語り申す御物語……」客席後ろより暗黒の中を説経師たちの哀調を帯びた念仏とともに、日本古来の古典楽器にのせて丹後に伝わる守り金焼地蔵の由来をご詠歌、和讃、念仏文学など幻想豊かに幕があきます。今までにない素晴らしい迫力ある前進座ならではの作品でした。
  人買いに騙された親子が潮路を二つに分けて別れて行くくだりは、ほんとうに海を舟が進むように櫓を漕ぐ船頭の演技が素晴らしく印象的でした。
  子どもの頃、母から聞きおぼえた物語で記憶はさだかではありませんが盲目の母が子ども恋しさに「安寿恋しやホーヤレホー」「厨子王恋しやホーヤレホー」と歌いながら、雀おどしの(びんざさら)
  綱をひくくだりは心に残っています。さんしょう大夫が処刑される場面は厨子王の悲しみと怒りがよく表れた場面でした。今回は、前座席で観劇をさせていただき最高でした。

二幕目より観ました。
  ホールに響きわたったという素晴らしい声(量)に遇えず、残念でした。
  どんな風にキャスト、スタッフをお迎えし、お接待(?)し、交流したらいいのかを考える契機となりました。観る側も楽しみながら、役者さんたちを楽しませる…いろいろ考えてみたいです。

さんしょう大夫があんなに悪人とは知りませんでした。自分がした事はいづれ自分に返ってくるという人生の教訓を学びました。
  声のすばらしさと和楽器の持つ味わいが印象的でした。
  それにつけてもつらすぎるお話でした。
  現代に生まれて良かったです

説経節が舞台全体に映し出され美しかった。
  前進座の芝居は全員が作り出しているという感じだ。
  自分は悪人よりも善人でいたい、時に奇跡が私にも起きたら良いのに。

子どもの頃に読んだ(というよりは観た)絵本「あんじゅとづし王」は人買いにさらわれ親子離ればなれになり、やがてづし王が成長し、みんなと再会し、さんしょう大夫をこらしめて、、めでたし、めでたし…ハッピーエンドの子供にも何となく理解できるストーリーだったように思う。
  わがままを言って大声で泣いていると兄や姉に人さらいが来るとなだめすかされ怖さ倍増で益々大声でわめき散らしていた自分を思い出した。
  小学生、中学生を経て成長するにつけ、小説や映画などで、様々な場面の山椒大夫や安寿と厨子王に出合った。そしてその都度、いろいろな思いが交錯した。今例会の「さんしょう大夫」は今までに出合った作品の“集大成”のように思われた。その時々でかすかに残っている記憶の部分が全て繋がったような気がした。松本清張の“点と線”というほどではないが…もうこの記憶はずっと消滅することはないだろう。(勿論、幸運な一生を過ごすことができたなら…ではあるが)
  それにしても、この舞台の完成度の高さはどうなっているのだろうか?小道具など使用する訳でもなく、演じている雰囲気が見事に観る側に伝わって来る。小舟で荒海を乗り越える、過酷な芝刈り。汐汲み、拷問…などの様子、能舞台のようでもあり、歌舞伎のようでもあり、巡礼が説経節を唱えながら進んで行くさまは霧や煙のように舞台の奥深く、観客も共に無限の世界に吸い込まれていくような錯覚さえ感じさせられる。
  あげれば切りがないが演出の素晴らしさもさることながら、一人一人の役者さんが色々なジャンルの舞台で、又同じ舞台で何役も演じ分ける才能と役を成し遂げるということは並大抵の事ではないと思う。
  観客にこんなにも感動を与えることができるということは相当な努力と頑張り、役者魂が込められているに違いない、頭の下がる思いでいっぱいである。
  毎回とても幸福な気分で帰途につく。市民劇場に感謝!!(皆様お世話になり、ありがとうございました。)

勧善懲悪の単純な話に、どうしてここまで引き込まれ感動するのだろう。地蔵菩薩のご加護で引き起こされる奇跡も、まったく違和感なく素直に喜ぶことができる、そんな世界に引き込まれた舞台だった。説経節に誘われ、幻想の世界に浸った心地よい2時間だった。
  小林祥子(あんじゅ)と竹下雅臣(づし王)の熱演に拍手。   

最初と最後の説経節とその映像が今も印象に残っている。ベテランの俳優さんたちの演技・語り・唄に重厚さを感じた。
  厨子王を演じた竹下さんはまだ若いと思うが、幼い子どもの時代から、威厳のある国司の時代までを大変上手に演じられていた。機会があれば何年か後にもう一度観賞したい。

たくさんの珍しい楽器の使い方や音色を楽しめました。
  暗いステージで怪しげな光の文字の見せ方といい、いろんなところが「凝っている」と思いました。

山椒太夫の首が飛ぶところ以外は小学校の頃に習った「安寿と厨子王」そのままで、懐かしさを感じながら楽しく観ることができました。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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