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「静かな落日 広津家三代」

劇団民藝公演

鳴門市民劇場2012年3月24日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

祖父、父、娘三代にわたる作家の自由人としての生涯を思いを描いた作品であった。そこには静かながら広津家三代の絆と細やかな家族愛有り、多くの友人有り、時代に応じた社会への働きかけ有りで、夫々の人生に誇りと満足感があった。
  舞台は落着いた住み家で、和服姿の桃子の元へ志賀直哉の訪問・思い出話から始まる。「広津君ほど亡くなったことを世間から惜しまれた人はいないねー。」又全体を通じ桃子の和服姿が凛として非常に印象に残っている。
  戦前・戦中そして戦後の松川事件へと思い出場面が次々と変わっていくが、母と別れた父へのこだわり、戦中 傍観逃避を決め込んだ父の「三無主義」への反撥、戦後、松川事件を見過ごせない父の葛藤の日々を見守る。14年もの頑張りで全員無罪が決まった後、家族・友人を思う父を見て桃子も又作家としての道を決意する。
  父、家族への思い出と敬意・親愛を乗せて一時間は淡々と流れていく。
  振り返って、人生の峠の下り坂に入った自分の残りの人生、自分の心に正直に生きて悔いを残さない落日を迎えたいものである。

「10/10をつけてもいい」と仲間に話すと評価はいろいろ…それを面白く感じました。
  脚本も俳優のセリフ回しもGooでした。

「松川事件とはこういうものであったのか」ということを改めて知った。戦後すぐのいろいろな裁判で、その後再審になったのがたくさんある。
  伊藤孝雄さんにインタビューさせてもらった中で『「広津」さんは裁判資料の矛盾から、無罪を勝ちとった』といっていたので、それを注意してみていて理解できた。

無実の罪の被告を救うため奮闘する、広津和郎の姿を思い描いて観劇に臨んだが、そういった面では少し期待外れの感じ・・・。事件を扱った重苦しいイメージをもっての観劇であったが、広津家三代の家族をすがすがしく描いた物語であった。
  不器用で病身の父を助け寄りそう桃子「好きよ、お父さんが好き」のつぶやき、ほのぼのしたものを感じました。

やはり樫山、伊藤さんにはいくつになっても華があると感じました。しみじみと良かったです。

松川裁判を通して広津家の父娘愛が描かれていて心温まる内容でした。
  もっと松川裁判の内容を詳しく知りたくなりました。

作家広津和郎がペン一本で松川事件に挑むという話だが、私の心に残ったものはもう一つ違ったものだった。私には、娘桃子と広津和郎の父娘のつながりというところがとても気になった。
  和郎にとって桃子は先妻との子供であり、その子供を置いて、はまのところに行った父親である。そのうしろめたさもあると思うし、なにより桃子がかわいくてしかたなないという雰囲気がいっぱいだ。
  松川事件にかかわっていくときも、もちろん友人の宇野浩二に言われたこと、被告の手記を読んだこと、自分の心の中に、無罪かもしれないということを知りながら、見過ごすことができない気性ももちろんあるだろう、しかし一番おおきな理由は、娘桃子に後押しされたこと、桃子から自分の生き方に迷いを持って欲しくないと思われていることに、答える父親でありたいと思う気持ちが、一番のきっかけになったように思う。
  桃子も自分の父親の好きなところを見つけ、そのまっすぐなそして正義に向かって立ち向かう作家としての強い心にひかれ、父として好きになって行く。なかなか正直に父親に迷っているのはだめだとか、「好きよ」などと言えるものではない。
  その心、気持ちを抉り出して見せてくれたお芝居だった。
  人間としてダメ、頼りがいがない、そんな人でも作家として人として最後まで、正直に立ち向かったその生き方に感動 を覚えた。
  もう一つ、はまさんが気になった。とても素敵な女優さんだった。   

複雑な人間関係で、ほのぼのとした父と娘の愛情を通いながら一生を終る。それぞれの人が自分の立場を大切にしながら、お互いの生き方を認め合う。今の索漠とした世の中の潤滑剤のようなひとときをくれた舞台でした。
  松川事件など遠いことになってしまいましたが、その歴史の流れに私たちが生きているということを考え、自分の生き方と重ね合わせて観劇しました。
  久しぶりに樫山文枝さんの若々しい、じっくり落着いた演技に元気をもらいました。前に向いて少しずつでも進んで行こうと後押しをしてくれた思いです。

歌あり踊りありのはなやかな劇と異なり、しかも大声を発せず大きな動作もない、父娘二人の会話を通しての重厚な演技であった。
  舞台装置は多くの場面が設定されており短時間で変化する。熟練の裏方の努力があり、見る目を楽しませてくれた演劇であった。

広津和郎、広津桃子、はまの絆の表現は面白かった。
  松川事件はちょっぴり覚えているが、志賀直哉等作家があんなに関わっていたなんて知らなかった。

樫山文枝さんの声で劇中に引き込まれていきました。
  松川事件は遠い昔の話と思って心の片隅に追いやっていました。裁判員制度が導入され今は正しく?裁かれているのでしょうか。 「人が人を裁く」苦しいですね。
  重い内容でしたが心に残る舞台でした。

松川事件の場面が少なく、少々意外だった。
  とにかく静かなお芝居で、樫山文枝さんのとても澄んだ声が印象的でした。

松川事件という重いテーマの中にもユーモアあり家族の絆を考えさせられ楽しく観せていただきました。
  樫山文枝さん、伊藤孝雄さんのよく通る声、名演技に感動の舞台でした。

実在の人物、事件を題材に演じられた点でドラマ「運命の人」と重ね合わせて観ていた。
  警察での事情聴取の場面はリアルでよかった。
  また親子の心のふれあい、気持ちの変化がよく感じられた。

松川事件という暗く重い題材を背景にした芝居ながら、広津和郎を取り巻く人達が皆おおらかな気持ちの持ち主ばかりで、人の温かみを感じる芝居であった。広津和郎があれだけのことを出来たのは、本人の努力だけでなく小説家をはじめ多くの友人の支援があったればこそ出来たことだと思うし、和郎にそれだけ人間的魅力があったのだと思う。また、桃子の支えもさることながら、桃子と和郎の間を取り持って和郎を支えた松沢はまの存在も大きかったと思う。
  一方、桃子と和郎の仲が最初からうまく行き過ぎていて、芝居の展開に少し物足りなさを感じた。自分の産みの母親とは異なる女性と暮らしている父親と娘桃子の葛藤がもう少しあってもいいのではないかと思った。   

なかなか落ち着いたしんみりした作品でした。
  前半はわかりにくかったですね。
  後半になってえん罪のつくり方、リアルで分かりやすかったです。
  伊藤孝雄さん、いい味出していました。

『娘役及び父親役』が本当に良かった。テレビでも見てみたいです。

静かに静かにすすんでいく芝居でしたが、たくさんの、印象的な台詞やシーンがありました。文学の人でありながら、「書かない」時期(ブラブラしている時期と言われた?実は真摯な気持ちであったからこそ書けなかったのだと思いますが)が長く、そんな時間が逆に人生の後半を賭けることになる裁判に関する仕事につながったという話から、中途半端に日々アクセク忙しくしている私は、ゆとりの時間(アソビの時間)も持って本当に大事なことを見つけて実行しないといけないなあということを思わせられました。「小説は人生のすぐ隣にあって、裁判の仕事だってその先にある」といったような台詞がありましたが、一見脈絡ない仕事や行動も決して無関係ではなく無駄でもなく、意味があって繋がりがある、そしてそう思うことで人生が意義あるものになると、広津和郎という人の人生をみせられて、そう思い、何か勇気づけられました。父と娘の複雑な心の変化は、あんな特殊な家庭環境ではなかったにしろ、今おもえば色々と共感できるようなところもある自分の父親(昨秋逝去)との関係が重なって感慨深いものがありました。
  松川事件という重い題材を背景にした作品でモデルの父娘の事情も決して普通のひとの生活に通じるところはあまりないにもかかわらず、温かい気持ちでひきつけられるところが多かった…。演出のすばらしさと役者さんたちの柔らかな演技のたまものでしょう!

鳴門例会カーテンコール

期待通りの内容で出演者の方に目が釘付けとなりました

今回の例会で松川事件を知りました。
  広津和郎等多くの作家の支援で20人の有罪が無罪になったということを知り、真実をつきとめた作家達の偉業に心を動かされました。
  広津和郎の事はほとんど知らないのですが、一度本を読んでみたくなったという会員さんもいました。

一人一人の語るせりふが長く、内容も難しかったです。
  志賀直哉が出てきましたが、広津和郎や松川事件は知らなかったので勉強になりました。

60歳を過ぎて、正しいと信じる行動を取り続けた広津和郎の生き方には、現代のわれわれにとってもそういう行動がいかに難しい課題であるか、考えさせられるものがありました。

伊藤孝雄さんと樫山文枝さんの発音(ことば)がよくききとれました。
  お互いにいいたいけど言えない、気持ちがよく表れていた

じっくり観た後半がとても良かったです。

観劇前にこの劇のポスターを見たのですが、大変しっとりとした父娘の写真の前に「好きよ、お父さんが好き…」という印象的な台詞が書かれているもので、この台詞がどんな風に言われるんだろうと楽しみにしながら劇に臨みました。
  始まってみると、父を初めとした文士達「中年のオジサン」達の、長いつきあいだからこそ伝わってくる友情、そして一人一人のチャーミングな描かれ方に惹きこまれました。
  また、肝心の桃子は、幼少時代から離れて暮らす父との距離をうまく測りかねながらも(終盤になってはじめて「父親とは服をくれる人だと思っていた」とあっけらかんと言えるようになるわけですが、女学生の頃の桃子は不器用にしか接することができません)、兄の死によって自分から父に近づくようになり、そして戦時中の「散文精神」を掲げて何もしない父の姿に父を背負うのは私だといきり立ちます。そして松川裁判が始まり急速に動き始めた父に、自分は父を見くびっていたことを恥じて、父に一生付いていくのだと誓います。そこで出てくるのが、「好きよ、お父さんが好き…」という台詞になります。この台詞の言い方はなんだか非常に艶っぽく、親子というよりはともすれば夫婦かと思ってしまうような距離感を感じさせるものでした。
  幼少の頃からずっと父と暮らしてきたのなら、この距離間は生まれないでしょう。少女の頃の桃子にとって距離の離れた父親は、「憧れの大人の男性像」であり、人間味があるものではありません。父親の情けなさと、かっこよさとを等しく見たのは自分も大人になってからでした。親子というよりは、対等になってからまともな人間関係を築きはじめたからこそ、この恋にも母性にも似た思慕の感情が生まれたのではないかと思います。(最後の、亡くなってしまった父の回想から、既に死者となった父とのかけあいにつながるシーンには、二人の関係が凝縮されていました)
  また、劇中に挟まれた松川裁判のシーンでは、陰惨な現場をあえてコミカルに描くことで感情がデフォルメされて表現され、時系列と因果関係が複雑に絡まった状況の中それぞれの立場の感情の移り変わりや思惑などを見てとることができ、非常に印象深いシーンとなりました。悪役となる警官のコミカルな動きや、証人たちのオーバーリアクションなど、なんとなく手塚治虫先生の漫画を連想してしまいました。また、だからこそ、事件の黒さや底知れなさが引き立つ描写だったと思います。

伝説の広津和郎が昭和43年まで生きていたとは知りませんでした。
  今回、劇は予備知識なく観るのがいいとわかりました。一体、誰がなにをやるのかもわからずに観ても、今回は最初の数分でいろいろな展開が想像できました。しかし、残念なことにインターミッションで不覚にも劇評を見てしまい、先入観が入ってしまいました。ページをめくる音が聞こえるほどの前の席はよかったです。

あの当時の警察の取り調べがあんなひどい物であったとはびっくり。
  広津和郎と宇野浩二のやりとりが面白かった。

「静かなる落日」期待していましたが少し残念でした。
  広津家三代・祖父・父・娘の三代作家活動を通じ、家族の絆や友人との友情を背景に舞台は展開していきます。
  現代の小説家・評論家として活躍したそうですが、広津和郎という人の作品は読んだことがありませんし、名前すら知りませんでした。友人の志賀直哉・宇野浩二などの名前で時代の状況はわかります。その時代に起きた松川事件にさいしては論説「松川事件」を広津和郎は発表する。
  国鉄の大規模な人員整理に反対する国鉄労組による犯行といわれています。赤間勝美さんは第1判決で「無期懲役」控訴審判決で「懲役13年」差戻審判決で「無罪」となりましたが真相はいまだに闇のなかです。昭和のニュースの中に下山・三鷹・松川事件の名が私の記憶に残っています。今、時々差戻し裁判で無罪判決が成立していますが事実を解明するという科学的調査・確実な聞き込みに基づいた取り調べが大切だと感じました。
  次回の舞台は往年の女優さん(失礼かな)どんな舞台になるかしら……

樫山文枝さんといえば45〜46年前NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」で日本国中を「とりこ」にした主人公を思い浮かべる人が大勢いることだろう。軽快なリズム着物姿で木の上に立つ、あの愛くるしい姿を…
  「静かな落日」では戦後間もなく起きた列車転覆事故に絡む「松川事件」の真相究明にペン一本で挑んだ作家・広津和郎を軸に父娘の作家三代の生き方を描いた社会性に富んだ作品で、桃子という20〜50代までの幅広い年齢層の女性を演じている。
  2月3日付、徳島新聞に談話が掲載されていた。『作者がせりふで年を言わせるのでそう見えなきゃいけない、メイク、衣裳、髪形、声、歩き方、あらゆることに気を使う。』200回近くも公演をしていると劇中の桃子とご自身が一体化されているらしい。
  親子の確執や普遍的な問題、父親の生き方に批判的だった娘が父を受け入れて変わっていく過程等、桃子にかける思い入れが実にリアルに伝わってきた。全身から放たれるオーラ、凛とした姿に圧倒され舞台から目を離すことができなかった。父親役の伊藤孝雄さんや他の役者さんも、みんな同じ思いで演じ続けているのだろう。
  交流会等でいつも役者さんから耳にする「何回舞台に立っても二度と同じものはない、みんなの思い入れがどんどん良い舞台に変えていく…」と どんなことがあってもめげずに忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず生き通していく(広津和郎・散文精神について)いつの時代も必要な生き方かも…

もう終わりましたがテレビ大阪で時間のある時樫山文枝さんの放浪記を見ていました。
  今例会で「静かな落日」を見せていただきましたが、声はいまもかわっていません。はっきりした口調で聞きやすかったです。
  松川事件のことは知りませんでしたが、今も冤罪事件でくるしんでいる人もいるのでしょうか。

この作品はせつないながらもユーモラスな父娘。又、男の友情(父親)が感じられました。
  松川事件の取り調べでは私の席が前列だったこともあり、すごく迫力があり感動しました。ありがとうございました。

観劇後なんとも言えない気持ちになっています。父和郎の歩んできた生きざまに娘桃子の父を思いやる心が、家族愛としての絆が描かれ、時にはせつなく、おかしな関係になっているが親娘の心のつながりは太い線で結ばれていてしっかりとした信頼し合っている状況がうかがえる場面が見られた。
  劇表現にはわかりにくい場面もあるが、ふりかえってみると「ああそうか」なる程と云った後で感じることも多い。

仕事もせず麻雀ばかりで家庭もかえりみない、そんなどこにでもいる隣のおっちゃんが人間国宝かもしれない。いや大人物だ。戦争に荷担せず、権力がらみの裁判を戦ったのだ。そんな隣の人間国宝が近所にいるかも知れない。……市民劇場を守っている方々も人間国宝です。

こんな男(広津和郎)どこに魅力があるの?
  前半終了してそう思いました。睡魔は襲ってこなかったけど、内容について行けませんでした。
  後半は、冒頭松川事件で芝居が変わっていきました。裁判に深く関わることで、ノンフィクション作家として名を残す仕事をしたわけです。
  それにしても作家としては、たいした仕事はしない、自由奔放な父親に、桃子は惹かれていく。
  なぜ?
  父親への憧れが、いつしかそれ以上の感情(ひとりの男性として)として桃子に芽生えてきたのではないでしょうか。
  最初の「お父さん、好き」とラストの「お父さん、好き」は、違ってたんですよね。これは、精神的な近親相姦(桃子の一方的な思いですが)と思いました。
  最後まで観ても、広津和郎の魅力がわからない…

親子の想いやりが出てよかったです。

例会ニュースの伊藤孝雄さんの言葉に共感しました。
  「芝居は一人で観ると趣味だけど、みんなで観ると文化になる」
  広津家三代の人達は正直、あまり詳しく知らない。ただ、広津和郎と「松川事件」のことは、新聞他の報道で関心があった。
  今も昔も冤罪事件が起こっている。舞台の中で取り調べを受ける場面があったが、恐かった。
  市民劇場の会員をお誘いする時、「重たいテーマの劇が多いなァ」と言われる時がある。商業演劇と異なり、市民劇場の作品群はそうかもしれないが、それがゆえに市民劇場の価値、存在意義があると思うが、 観劇者にはシンドイ時もある。理解が充分できない事もある。  

戦後最大の冤罪事件といわれる松川事件を扱った演劇ということで、興味と関心を持って参加しました。
  広津和郎、桃子の生活や生き方の中に、松川事件への関わりがあるという設定であったと思います。人間臭さのある和郎とその父に献身するやさしくひたむきな桃子を俳優の伊藤さんと樫山さんがよく演じていました。すごいなあと思いました。
  ただ、私としては松川事件との関わりに関心があったため、事件に挑む和郎の活動や思いをもっと多くとりあげる中身であってほしかったという思いが残っています。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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