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田中壮太郎さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問53

  俳優座劇場プロデュース「東京原子核クラブ」鳴門例会(2012年7月6日)で“友田晋一郎(物理学者)”役をされる田中壮太郎さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

田中壮太郎
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
今回が最終公演ですが、初演の2006年からずーっと出演されていますが何か考えることはありますか。
田中(敬称略)
そうですね、まだ地方公演が始まったばかりなので、考えられないです。 四国は徳島が最初で鳴門はその次ですから。全日程が終わった時、何か感慨があるのでしょうけれどね。
鳴門
『友田晋一郎』のモデルとなった朝永振一郎さんが亡くなられて三十数年経ちますが、実在の人物を演じる上で難しいところはありますか?
田中
朝永さんになりきってセリフを口にすることは、おこがましくてできないと思っています。だからなりきれないし、逆になりきってはいけないと思うんです。僕自身は、セリフに込められたメッセージの代弁者であり橋渡しであると考えています。観に来ていただいた皆さんが、朝永さんに興味をもって、知ろうとされた時、僕を介して朝永さんに触れてもらえればと思い演じています。
鳴門
冒頭に「ちくしょう、先越された」って同じ言葉を繰り返すシーンがありますね。私が学生時代に朝永さんの講義を聴く機会がありまして、その頃のイメージではもっと天才肌な方と思っていました。
田中
そうなんですね。僕は、朝永さんは天才肌の研究者としての顔を持ってはいても、下宿先では、思う様な成果が得られなかったり、他人が成果を先に発表した時はイライラすることもあるという、意外に素朴で普通な方なんじゃないかなって考えています。演出者と様々な意見を交わしつつ友田像を創っていく過程では、実在の人物であるがゆえに大変苦労をしました。実は、僕の知り合いに朝永さんがご存命の頃を知っている小柴昌俊さん(ノーベル物理学賞を受賞された)がいらっしゃって、「似ているね」っておっしゃっていただいたことがあるんですよ。僕は実際に朝永さんが話をされている姿を見たことがなかったんで、そう言っていただいて素直に嬉しかったです。
鳴門
舞台の中で科学者としての立場であったとしても、こんなことを言っていいのかと思う様な衝撃的なセリフがありますよね。
田中
ありますね。
鳴門
どんな気持ちで演じられているんですか?すごく難しい言葉ですよね。
田中
すごく悩みました。以前、戦争を体験された方が舞台を観にいらっしゃった時があったんです。戦争ものを演じるときは、実際に戦争を体験された方から、「本当の戦争はそんなものじゃないよ」と一蹴される恐怖があるんです。ですので、悩み過ぎてこの芝居をすると僕、寝れなくなってしまうんです。朝永さんはあまり眠らない方だったと聞いたので、それならそれで僕は無理して彼を演じなくても今のこのままの僕でいいか、なんて割り切った時もありました(笑)。あのセリフは今でも恐いと思います。
鳴門
今日搬入をして感じたんですが、今回の舞台装置の荷物はやはりすごい量ですね。
田中
2階建ての下宿屋の舞台装置なんですね。2階建てに何か意味があるというよりは、マキノさんの作品のイメージを具現する為にあの舞台が必要だったんだと思います。あの頃の下宿といえばああいう感じなんでしょうかね。しっかりと下宿屋さんそのものを建てた舞台装置のなかで群像劇を展開したら面白いのではないかと思ったんでしょうね。
鳴門
お芝居を創る現場において、俳優座と俳優座劇場プロデュース公演の違いはありますか?
田中
今は、そんなに違いはないと思います。公演を重ねてメンバーも顔なじみになってきましたからね。最初の頃は他劇団の知らない俳優さん達と共演するわけですから、僕自身、俳優座の本公演に比べてかなり緊張しましたね。
鳴門
ところで田中さんは演出や翻訳もされるんですね?
田中
ええ。僕が読んだ英語の脚本のなかでまだ日本で翻訳されていないものがあったので演出家の先生に「これおもしろいと思うので翻訳して下さい」ってお願いしたんです。でも、待てど暮らせど翻訳してくれない。それで、しびれを切らして「俺が訳しますから」って啖呵を切っちゃったんです。訳し終わってみて考えたんですが、演出家に稽古を付けて貰いながら「先生それはそういう風に訳したんじゃないです」って言うのも変だなって思って、これは僕が演出をやるしかないなって思った訳です。 それで俳優が演出する企画は今までにあったのか確認してみたら、昔はあったけど今はないらしい。せっかく苦労して訳したのに演らないのはもったいないので、企画会議に出しました。封筒に自分の名前書いて出す時に、途中で開けられないようにきっちり糊つけて(笑)。2005年頃ですね。
鳴門
ところで、この道に入られたきっかけはなんでしょうか?
田中
「魔がさした」んです。大学は経済学部だったし、演劇というものが何処で演っているのかさえ知らなかったんですから。大学の頃に、自分に合う仕事が見つけられたら幸せだろうなって考え、そんな仕事を探すために片っぱしからいろんな仕事を経験してみようとして、たまたま俳優座の養成所が受験料無料だったので受けてみたんです。
鳴門
初めて経験するお芝居は、おもしろかったですか?
田中
ええ、おもしろかったですね。しかも、自分が思うように出来ないからってやめられないんですよ。私はご存知のように空手をやっていますが、空手なんかは、勝敗がつけば終わりじゃないですか、でも俳優は勝ち負けではないですから。ああでもないこうでもないってずっと続けているうちに、いつの間にかこの世界から抜けられなくなってしまいました。
鳴門
最後に、鳴門市民劇場の会員に向けて一言お願いいたします。
田中
僕たちが、全国各地でお芝居をさせていただけるのは、演劇鑑賞会の皆様のおかげです。さらに会員さんを増やして演劇の文化を広げていってほしいと思いますが、その為には、まず我々も皆さんに選ばれるようないいお芝居を創っていかなければと考えています。ソフトである我々劇団は、これからも努力を惜しまず頑張っていきますので、会員の皆さんもお芝居を観てその感動を多くの人に伝えて、さらに鑑賞会を盛り上げていってほしいと思います。
田中壮太郎さんとインタビューア

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