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中西和久さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問56

  京楽座「中西和久のエノケン」鳴門例会(2013年1月29日)で“エノケン”役をされる中西和久さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

中西和久
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
若い頃聞いたことがあり、今聞いても新鮮さや驚きもありますが、今なぜ「エノケン」を取り上げたのでしょうか。
中西(敬称略)
時代や舞台の上でのたうちまわっている榎本健一という人物に魅力を感じました。エノケンも僕も同じ舞台人、芸能人です。役者の大きさが違いますけど。
  いわゆる新劇というのは台詞劇ですね。でも演劇にはいろんな表現があって、エノケンさんがやっていた浅草のレビューも演劇です。わが国ではずーっと昔から演劇にランクを付けて来ました。時代の権力を握った人たちはいつの時代でも成り上がり者ですから、自らの文化を持っていない。天皇家は中国からの輸入芸の雅楽を式楽にしたし、武家は能楽を、次に時代を支配した町人は歌舞伎・文楽を自らの文化としましたね。それぞれがそれぞれの芸のパトロンになった。いまだに、同じ舞台芸術なのに垣根があります。同じような芸を伝承していくのが「良し」とされ、「革命」が許されなかった。それは、お上から下々まで一貫しています。「前例至上主義」ですね。
  この国は世界中でまれにみる芸能の宝庫なんですが、お互いの交流がない。せっかくこんな恵まれた国に生まれて自由な時代に生まれたんですから、いろんなものに触れてみたい、僕は役者ですから、できたらこの肉体に取り込みたいと思っています。それがどこまでできるかわかりませんが…。
  演劇にはいろんな表現がある。自由です。僕のやっている京楽座の芝居は、もちろん台詞劇もありますし、ミュージカルみたいな芝居もあります。いろんなことに僕は挑戦してみたいと思っています。たまたまジェームス先生から声かけていただいたのがきっかけでエノケンに挑戦できました。時代の要請ではなくて、元々やりたかったジャンルなんです。
鳴門
何かエノケンに似ていると言われたのではないのですか。
中西
最初そう言われた。あなたエノケン出来ますねと。僕はそんなことは思ったこともなかった(笑)。で、2年ぐらい考えました(笑)。ジェームス先生に声かけられてから。
鳴門
2年ぐらい考えて、中西さんの方からやりたいと言ったのですか。
中西
そうです。出来上がった台本見たら、題名に個人名が入っていた(笑)
鳴門
非常に楽しい芝居でした。楽しくてウキウキしてくるような芝居でしたが、そういう見方はいけないかもしれませんが、歌とか踊りとか、楽器演奏もあって大変だったんじゃないでしょうか。
中西
そうですね。稽古期間は普通の芝居の3、4倍はしますね。それだけ役者にとってはとても荷重のかかる内容です。しかもそれを軽くやらなきゃいけない。ある程度では許されない。特にジェームス先生は元々ジャズ歌手ですから。ジャズに関してはプロです。詳しいです。
鳴門
芝居では、ヴァイオリンや三味線を弾き、トロンボーントランペットを吹きと大変そうですが、元々やっていらしたのですか。
中西
トロンボーンは、中学・高校とやってた。でも数十年ぶりです。結構大変だった。
鳴門
出演者全員の楽器演奏もものすごくよかったのですが、皆さん楽器のプロじゃないですよね。
中西
はい、誰もプロはいません(笑)。
鳴門
すごいですね。フォーメーションもさっささっさとこなし、やはりすごいですね。
中西
そうです。ある程度できるのではなくて、それを軽ーくやらなきゃいけない。お客さんに一生懸命やっているのをみせちゃあ駄目(笑)。冗談でやっているくらいに見せないと。
鳴門
この芝居の見どころはどこでしょうか。また、こういう所を楽しんでもらいたいと思うところも教えてください。
中西
見せる前に、人に言うことじゃない(笑)。お客さんの楽しみを奪います(笑)。
鳴門
私は長く芝居を観ていますが、芝居の見方としては、そんなに上手ではありません。何か私の鑑賞術のレベルアップになることがあれば教えていただけませんか?
中西
「マニュアル」や「ハウツー本」があるわけじゃありませんが…。お客さんはそれぞれの人生を背負ってそこに座ってらっしゃる。こちらから言うことじゃありません。舞台空間は信頼と責任で成り立っています。幕内では役者もスタッフも、例え親の敵であっても同じ板の上で喧嘩はしない。お客さまも客席に入ったからにはその演目を成立させようという暗黙の了解があります。もし、酔っぱらいが騒ぎ出したり、チンピラが客にちょっかいを出すようなことがあれば表方が即座につまみだします。また、上演日時を決めたら、万難を排して幕を開けます。お客様との約束ですから、親の死に目にも会えないということもある。
  時間と空間と役者とお客様、この条件さえそろえば演劇は何処でも成立します。今言ったのは古代から変わりません。気楽に何の心配もしないで遊びにいらしてください。演劇はプレイです。我が国では演劇をアソビといっていました。
鳴門
感じるままに、ありのままに観て欲しいということですね。
中西
人それぞれの人生があります。悪い人生なんてありません。お客様は自由ですから、ここが見所ですとは言えない。
  逃げてるわけじゃないですよ。特にこの芝居は、ご覧になるとわかるのですが例えば舞台装置。ほとんど妹尾河童さんの美術で時代を象徴するだけです。具体的には出てこない。役者の言葉や技量でお客さんに委ねている。しかも僕はエノケンさんの世代の人間じゃないし、戦争も経験していないし、もちろん戦前も知りません。ただその台詞や音楽や動きによってお客様が自分の人生にあわせて想像されます。だから、その邪魔をしちゃいけない。
鳴門
私たちのように60才代の後半になって、市民劇場にお誘いする時、自信を持って楽しみましょうということを言いたいわけですけど、私たちがお芝居のよさを伝える方法があれば教えてください。
中西
秘すれば花です。芝居のテーマを先に伝えたり、あらすじまで判ってたり…「じゃあ、見なくていい」って言われたらそれまでです。どうしても説明したいですか(笑)。
鳴門
やっぱり自分の感性で見ないといけないですよね。
中西
努力しないでください。疲れるでしょう。
鳴門
僕自身は楽しいものが好きなんですが、僕自身が会員になった頃は、年6本の内4本ぐらいは結構難しいのを演っていました。最近は半分位は明るいものになったのですが、会員の中には、仕事終わってきて深刻に考えるのはいやだと言う人もいます。
中西
僕のひとり芝居で「しのだづま考」というお芝居があります。これを好きだという人たちが、僕が「中西和久のエノケン」をやると、下品だって平気でおっしゃる。
  僕にとっては「しのだづま考」も「エノケン」も垣根はないんです。特に、僕の芝居はいろんな芸能を取り込んで演っているのが多い。エノケンのこの舞台でもいろんな芸能が入っています。「しのだづま考」は「伝承芸能トライアスロン」と評されるように古典芸能が十数種類出てきます。
  元々僕の家は大衆演劇の芝居小屋でした。僕は小沢昭一さんの劇団にいた後、サーカスに行っていました。キグレサーカス。そこでは、僕には何も芸がありませんから、チンパンジーの世話とか象の世話とかしている内に、一輪車に乗ってピエロが出来るようになって、ステージに立っていました。僕の中には芸能というものに垣根はありません。いろんな演劇があっていい。
鳴門
そう言えば、昨年も半分は新劇じゃない。
中西
そうですか。でもこれも新劇です(笑)。
鳴門
私も今年72歳ですが、子供の時にエノケンの映画を見た。走りまわって活躍するのをね。
  その時から何十年もの間エノケンは見てない。もうちょっと下の人だったらエノケンのこともう知らない。
中西
今日は高齢者が優越感を持って見られますよ(笑)。会場から歌声が響いてくるんです。「私は知ってるよ」と、若い人たちに優越感を持って観られます。
鳴門
あの当時、エノケンは最高のエンターテイナーだったのですね。
中西
そうですね。エノケンの歌は、ほとんどジャズです。エノケンが居なかったら日本にジャズは普及していません。ディックミネのダイナを「♪旦那、飲ませてちょうダイナ」こういう風に大衆的になるんですから。
鳴門
そうですね。
中西
僕らのやっている演劇は、芸能という広い沃野の一部なんですね。そこにはダンスも音楽も、もっと言えばお相撲も、プレイということでいえば野球も兄弟分です。
  それから比べると、エノケンさんはとても近い存在です。大衆的な人気を誇った「喜劇王」を通して昭和という時代を描いてみたかった。
鳴門
観る側から演じる側に変わられたのは、何かきっかけがあったのですか。
中西
僕は、小沢昭一さんが劇団をつくられた時に、受験して入りました。家が芝居小屋でもありますが、父親は戦後は高校の教員をやって、高校演劇だとか労演とか子供劇場とか作っていた。僕の周りには大衆演劇、児童劇や新劇や歌舞伎と、いろんな演劇があって、いろいろ観て育ちました。だからこの世界にだけは入るまいと思っていた(笑)。特に大衆演劇の芝居小屋なんかやっているとね。うちは炭鉱町でしたから、閉山になっていくと、お客さんは来ない。仕事がなくなっていくわけですよ。で、昼間から楽屋で花札をしたり、それまで舞台に立っていた役者さんが温泉センターを回るようになる。温泉センターには舞台がない。客席の宴会の相手をするような、そのうち芝居も出来なくなって、舞踊ショー、歌謡ショーでお茶を濁すわけです。舞踊ショー、歌謡ショーは、今これが大衆演劇の特徴のように思われていますけど、あれは非常事態だったんです。舞踊ショー、歌謡ショーでしか稼げない。そこでレイをかけてもらって、ご祝儀もらって、それがいやで辞めていった人たちが一杯いるわけです。だからこの道だけは入るまいと思っていた。
  大学卒業間際、小沢昭一さんが劇団をつくられて、これが面白い芝居だった。新劇離れしていて…。
鳴門
小沢昭一さんの思い出を語っていただけませんか。
中西
僕のホームページに載っています。小沢さんが亡くなられた時のことが。小沢さんは割とエノケンにも似てますね(笑)。普段は無口です。僕と一緒に食事してても、ほとんど2人共無言のまま食事します。お前としゃべってても金にならない(笑)
鳴門
ラジオの「小沢昭一的こころ」では、よくしゃべっていますね。
中西
あれは演技です。あれを日常生活でやってごらんなさい、大変ですよ(笑)。亡くなられたのは先月です。昨日四十九日だった。
鳴門
そうですか。小沢さんからはどのようなことを教えていただいたのですか?
中西
何もおっしゃいません。30、40年近くお世話になりましたけど言っていただいたのは、3回です。大事な時に、どうしようかという時にね。
鳴門
お休みはどうされていますか。
中西
何もしません(笑)。
鳴門
何か趣味とかありますか。
中西
ないです。僕らの仕事はね、休みと思えば休みですから(笑)。本番でない時は休みですから。
鳴門
私たち演劇鑑賞会に何かメッセージを一言お願いします。
中西
市民劇場が日本の演劇を育てていく一番の人たちだと思っています。
中西和久さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。