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「中西和久のエノケン」

京楽座

鳴門市民劇場2013年1月29日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

子供の頃「エノケン」と云えば(猿顔のハスキーボイス)というイメージが何となくあり、中西和久さんがその通り楽しませてくれました。中でもタップダンスは、最高に盛り上がった時間だったと思います。

歌あり、生演奏あり、ダンスありとバラエティに富んだとても楽しいステージでした。観客から笑いをとる「笑ってください」でなく、自然に出る笑いを引き出すことの難しさを痛感しました。
  中西和久さんのすごい演技力に引きこまれました。又、次の舞台もどんな出し物か楽しみにしています。

エノケンを知らない世代だけど、“昭和のエンターテインメント”を味わうことができた。ジャズの生演奏やコーラス、ラインダンスにタップダンス続々とくり広げられたのしかった。
  団員たちが若かったのでパワーがあった。

 役者さんの素敵な笑顔を観ることができました。 楽しそうに演じていましたね。

1.古き懐かしい時代の浅草ジャズと踊りをもり沢山に見せて貰った。これがジャズかどうか知らないまま、子供心に自然にすり込まれ、口ずさんだ歌・・・。当時食べ物も乏しく、未来もまだ考えなかったが、周りの人達みんなで生活し、笑い合い、夫々に頑張ってきた日常の思い出がよみ返ってきた。今でも面白い歌詞、一般庶民の心意気、ドスの効いた陽気な歌声など自然に顔がほころんで来るようだ。
2.早速帰りに記念CDを買った。「お客に笑ってもらうことが全てだ」というエノケンの生きざま。絶頂期の得意さと、晩年足を大腿部から切断、肝臓を患った壮絶な一生を思い出しながら、1、2曲はしっかり覚えて皆んなで一緒に歌い笑いたいものだと思った。
  ♪俺は村中でいちば〜んモボだ〜と言われた男・・・
  ♪せまいながらも、たのしいわが家、愛の灯影のさすところ・・・
  ♪ラメチャンタラ ギチョンチョンでパイのパイのパイ・・・
  ♪ダイナー飲ませてちょう〜ダイナ〜
何とホホエマシク面白い歌だろう、理屈は要らん、面白いものは面白く、笑いで喜び、一日一日を精イッパイ元気に送っていく。喜劇王エノケンの真骨頂躍如である。
3.中西和久は声色、唄、踊り、仕草、往時のエノケンに本当によく似ていた。又サトーハチロー、菊田一夫、山本嘉次郎等古いなつかしい名前も出てきた。エノケンの一生は浅草お笑い全盛の時代から、戦後復興初期までの庶民お笑いの歴史そのものだったと改めて感じた。

エノケンを知っている世代では、その風姿、にこやかな笑顔、しぐさ、唄声、ダンス等々、正に魂が(特に後半から)乗り移った感の熱演でした。私自身、今までにない高揚感があり、上演時間があっと、いつの間にか過ぎ音楽劇の醍醐味をたっぷりどっぷり、満足感でいっぱいです。
  作・演出のジェームス三木さん、中西和久さんはじめ京楽座の皆さんありがとうございました.。

エノケンさんの人生を色々な人に舞台で観せて貰ってその人の知らなかった生き方を初めて知りました。波乱な人生だったのですね。 少ない人数で色んな役をこなす舞台をみて感心しました。大変良かったです!

昔よく【エノケン】さんを見に行っていました。なつかしく大変うれしかったです。 歌って踊って、楽器演奏、タップ、バラエティにとんだお芝居で楽しい時間を過ごさせていただき、心も体もうきうきよかったね。ありがとうございました。

千秋楽だったのではなやかでよかった。

歌あり、ダンスあり、とても楽しかったです。
  その当時の浅草劇場の雰囲気を味わうことができました。

観て単純に楽しめた。
  純粋のエンターティメントも良いな。
  歌がなつかしく良かった。

タップやダンスがすばらしかったですが、世代の問題か、予習しなかったからか、登場人物や時代背景についていけないところが多かったです。

新年にふさわしい楽しい演目であった。
  例会日、会場に向かう劇団員の皆さんに会った。(午前)「夜見に行きます。」と声をかけると一斉に「待ってます。」と反応してくれた。若々しい雰囲気で頼もしかった。当日の公演、見ている私達も もっと盛り上がって拍手を送りたかった!!

懐かしい歌がたくさん。でも、私たち世代には懐かしくても、若い人は?と少し思っていたところ、ホール外で、そんな若い人たちも「どこかで聞いたことあるよね」と楽しそうに話していて安心。役者さんが本当に一生懸命うたったり踊ったりしている姿にも感動しました。

昨日、初めての観劇となりました。お誘いくださった方Yさん、ありがとうございました。 こういう芝居を何と言えばよいのか、「音楽劇」とでもいうのでしょうか?
  幸か不幸か第一回目がこのお芝居でしたので、劇後の感想が「楽しかった」ぐらいしか・・・
  エノケンは現役では知りません。劇中歌は聴いたことがあるというか、懐かしいというか。
  生演奏のジャズやタップダンス、これは見所で当時のレビューの再現は人数が少ないながらも、中々の迫力でした。トロンボーンは上手かったですね。 俳優陣は肩の力が抜けていて、昭和初期の雰囲気がよく出ていたというか、劇に見事にマッチしていたように思いました。
  本物のエノケンが、中西和久演じる偽エノケンの舞台に入り込んで、最後まで舞台を演じきるという設定はかなり秀逸で、この辺がジェームズ三木の本領発揮なのでしょう。

初めての観劇は感激そのものだったです。ジャズダンスあり、歌あり、タップダンスありで楽しかったです。
  参加してよかったです。
  追伸:エノケンさん、お客様喜ばすのに苦労していたように見えました。笑いは難しいですね。

ラストの盛り上がりがたいへんよかったです。

ひとり芝居かと思いきやそうでない。
  今まで経験したことがないような不思議なお芝居でしたが、歌あり、ダンスあり、客席よりの登場ありで楽しいお芝居でした。
  いくつもの役をこなされた役者さんはさぞ大変だっただろうと感心しきりでした。

喜劇王と言われたエノケンの芸能生活を中西和久さんは本当に良く演じていたと思います。
  私などエノケンをいくらか知っている最後の世代だと思います。なつかしいメロディもだいぶ出てきました。ただ、今なぜエノケンなのかというのがよくわかりませんでした。

「中西和久のエノケン」は、一見すると歌あり踊りあり笑いありの明るい劇である。劇の始まり自体が、「中西和久のエノケン」に「本物のエノケン」が乱入して、不在の「中西和久」に文句をつけるというメタ構造から始まり、観客に話しかけながら劇が進行していく。
  しかし、私はこの劇を見ながらどうも「明るい」とは言い切れないものを感じていた。舞台に登場するエノケンは全盛期を過ぎてしまったエノケンであり、昔はよかった、今はもう力がないと言葉の端々にこぼしながら歌い踊る。途中から語り部として加わる劇団員たちは、団長を愛していることを臭わせながらも口にするのは女性関係のゴシップばかりである(エノケンを敬愛する青年を除く)。しかもその動きは妙に艶っぽく、また舞台裏や着替え途中といった舞台設定も相まって、非常に艶めかしい。見てはならないものを覗いている気分になる。そのくせ、彼女たちの存在は何だか現実味がない。
  現実味がないといえば、まるで役者の一人のように場面に合わせてくるくると姿を変える舞台セットもそうだ。真っ暗な舞台の上、建物や人だけがスポットライトを浴びる姿を見ていると、この舞台が何かに似ているように思えてきた――不思議の国のアリスで描かれるような、不条理で少し不気味な夢の世界ではないだろうか?
  そもそも、私は舞台の初めから、この「エノケン」はいつのエノケンなのか気になっていた。昔を懐かしむ言葉から、晩年に近いのは間違いない。晩年のエノケンが昔話をしているのだろうか?劇も終盤になると、何故エノケンが昔を懐かしむのかが語られる。年若い息子の死と、足の切断、そしてそこから同情され一歩引いて扱われるようになってしまった自分への絶望である。絶望したエノケンの足はみるみる力を失くし、今までの動きが嘘のように床に伏せたエノケンは、体を引きずりながら舞台の上を退場する――この、心が体に影響する様子は、一層「夢の世界」を思わせる。
  暗転から明けた舞台の上には病床のエノケンがある。今までの舞台は、エノケンが見た走馬燈なのか?ところがエノケンは言う。「今は昭和何年だ?」「失った足の感覚がまだあるのなら、体がなくなっても俺は残るんじゃあないのか…?」
  つまり、今まで語っていたエノケンの終着点はここではない。死後の世界で昔を思うエノケンが今まで私達の目の前にいたのか――と思ったところで、死んだエノケンの前にまた新しいエノケンが現れる。新しいエノケンはこう嘯く。「死んだのは俺じゃあない、中西和久だろう?」つまり、今までのは全部中西和久の演技であって俺じゃあない、という冒頭に続くメタ構造の落ちである。そこからは、本領発揮とばかりに踊るエノケンと劇団員の劇中メドレーが披露される。今までの総集編だけあって非常に華やかであり、エノケンはまじめな顔をして観客に三礼して幕を閉じる。
  しかし、劇の終わった後、私の中に別の解釈が生まれた。劇中でエノケンが語る「笑いは平等だ」という言葉や絶望は、やはりエノケンのものであり、そういった生々しい感情を「俺のものじゃないよ」と中西和久に押しつけてしまったのは、舞台の幕が降りるまで、喜劇役者「エノケン」であろうとした榎本健一のプライドではないのか。やはり私達が見ていたのは、死後のエノケンが見ていた、昔を懐かしみながら人間としての苦しみを繰り返す夢の世界ではなかったろうか。

鳴門例会カーテンコール

片付けまで含めて楽しむことができました。
  あまり見たことのないタイプの劇であり楽しむことができました。

元気をもらえる素晴らしい作品でした。
  舞台には以前から興味があったのですが、引っ越してきてから観る機会がありませんでした。今回、Hさんより誘って頂き、参加して本当に良かったです。

個人的には今までの劇よりはあまり楽しめなかったような気がします。所々ジョークが面白かったので少し残念ではありますが。

懐かしい歌と踊りにいつの間にか口ずさむ自分がいて少々恥ずかしかったです。
  毎度のことですが、主役の方の長い台詞に感心しております。

幕が開くといきなりの生演奏にまずびっくり。全員が楽器演奏が出来、ダンス、歌も素晴らしかった。当時のエノケンの人気をうかがい知ることが出来たようだ。

歌あり、踊りありでエンターティメントな舞台でとても楽しめました。「私の青空」は以
  前から好きな曲でしたが、ますます好きになりました。主人は「今年一番良かった。」と言いましたが、今年はまだ初めてですよね・・・(笑)

そんなにエノケンを知ってるというほどではなかったけど時代をおって、いろいろな出来事があって伝記みたいな一代記を見るようで、とても勉強になりました。
  タップダンスや昔の歌がきけて楽しかったです。休憩もなかったので一気にみられて興奮してしまいました。

昔を思い出しながら楽しく見させてもらいました。
  歌、踊りとよかったです。

喜劇王エノケンは私の青春時代に多難に打ち勝って彼独特な演技で民衆を魅了したことにより喜劇王として活躍した当時のことを思いめぐらすとき、目の前にあのあどけない姿が見えてくる。その演技を中西和久が表現する姿とスタッフ(演技者)全員で盛り上げようとしたこの作品は見ていて満足のいける劇団であったと感動している。

エノケンの説明が多すぎて私的にはおもしろさに欠けていたように思いました。しかし、中西和久のエノケンは歌も芝居もエノケンそっくりだったようでエノケンをなつかしく思い出され良かったです。
  衣裳や踊りもその時代を思い出し、時代考証も良かったので楽しかったです。

申し訳ありませんがコメントできません。期待していたのですが残念・・・。     

もっとストーリー性を重視してくれたら私たち世代にもわかりやすかったのではと思う 

余談ですが、今回のお当番はいつも以上に楽しく終えることができました。インタビュー専門とおっしゃっていた仲の良いご夫婦のおかげかもしれません

楽器の生演奏、タップダンス、「ダイナ」「私の青空」「買物ブギウギ」一緒に歌ったり、手拍子を打ったりと楽しかったです。
  一番前でよく見えました。

今回は妻とともに徳島市あわぎんホールで観ました。中西さんがエノケンになりきり「中西はどこだ?」とさがしまわる、その演出が面白いと思いました。またたたんだり、回したりしていろいろな建物にする工夫も印象に残りました。
  なつかしい曲を歌っている頃のエノケンは知っていますが晩年のエノケンは知りませんでした。
  上演時間は短かったですが充実していました、

名前だけ知っている存在だった“エノケン”。
  戦前戦後の笑いの少ない時代にたくさんの笑いを日本中に届けたくさんの人々が救われたんだろうなあと思いました。
  中西さんとどんな風に似ているのか、また劇中であまり詳しく知ることができなかった作品の内容など、もっと知りたくなり、帰ってネットで簡単ですが調べてみました
  こんな大活躍した喜劇俳優が大ケガをして自分のやりたい笑いができなくなったり、だんだん時代と合わなくなっていったり自殺未遂を図ったりショックでした。でもそのショックを払いのけてくれるのが、最後のタップダンスでした。あのダンスで救われた気がします。

戦前戦後と一世を風靡した喜劇王・榎本健一ことエノケン、今の世代の人達(戦後生まれの自分を含め)にはあまり馴染みのないスターであるが・・・しかしジェームス三木、妹尾河童のご両人となれば大抵の人は一度や二度は出合ったことのある名士だろう。作・演出ジェームス三木、美術妹尾河童。主演の中西和久のエノケン、そしてオールキャストの素晴らしいコラボレーション、老若男女を問わず舞台と客席の一体感、すべての人たちが過去の世界へと手繰り寄せられエノケンの世界へ・・・。エノケンを知る人も知らぬ人までも、ほのぼのとした温かい雰囲気と懐かしい気分にさせられる。何故なのか?中西和久のエノケンを楽しみ、エノケンを懐かしむ人、舞台の“中西和久のエノケン”を楽しむ人、世代を越えた人達が感動を共有する。まさにこれが市民劇場の根幹を成すものである。生の舞台の醍醐味である。
  榎本健一という人は只の喜劇役者でなさそうだ、知る程に実に奥の深い人物のようである。関東大震災、戦争、たび重なる病魔との闘い、そして不幸にも片足喪失、そんな最悪の状況にもかかわらず真摯に笑いを追及し、どんな時代にもいかなる時にも笑いは絶対に必要だ。笑いは人々の心を豊かにし、閉塞した世の中や人々に夢と希望をもたらすものだと・・・・戦争を否定し平和な世の中を願いつつ、不屈の精神で庶民にその人生をささげつくした真の喜劇王だということだ。
  今では“笑い”は医療現場、介護にも導入され、生物の脳内細胞を活性化し様々な分野で効力を発揮するということが科学的にも実証されている。(エノケンには先見の明があったのかも・・・)
  舞台では演出、音楽、和洋折衷のお洒落な衣装、装置に目を見はり軽快な歌やダンスに手拍子を打ったり軽妙な台詞に爆笑したり、共に演じているような楽しさを味わうことができた。前例会の“楽園”のフラダンスはなんと5年もの歳月をかけてマスターしたそうだ。伝統的な踊りの意味合いから学びスタートしたという。今舞台、フィナーレの息の合ったあの素晴らしいタップダンス・・・フラダンスに負けず劣らず、どんな秘話が・・・あとから知ることができるかも、そんな思いをめぐらしているうちに幕は下りた。 まだテレビのない頃に我家には天井から吊り下げられた棚に一台の四角い木製のラジオがあった。“・・・ちゃんたらギッチョンチョンでパイのパイ・・・”そんなメロディを家族みんなで聞いたような記憶がかすかに甦ってきた。小学生の頃の自分。
  “中西和久のエノケン”“エノケンの中西和久”いずれにしても素晴らしい舞台、たくさんの感動をありがとうございました。

幕が開いてすぐエノケンになりきった中西和久が「中西はどこ行った」などと話すので思わず「あんたやわぁ〜」とツッ込みをいれたくなってしまった。他の観客にもティシュを借りたりして、今までの舞台と少し違った、そんな雰囲気の舞台だったように思う。

大変楽しみました。

これ、市民劇場の例会??と思うような不思議な気分(やや違和感?)を味わいながら時間が過ぎていきました。それは、だんだん昭和の始めの浅草へのタイムスリップのせいだと気づき、最後にはなんだかレトロな気分になって、リアルタイムでは全く知らないはずの歌もアタマの中でグルグル・・・。
  あれだけ簡素な舞台装置だけで観客をそこまで引き込む演技と演出は、後から考えると、すごい。
  エノケンさんが残したたくさんの心温まる言葉が随所にちりばめられていて、華やか・賑やかなステージとの対比も心に残りました。

今回初めての観劇ですが、劇団員一人ひとりが稽古を積み重ねて鍛え上げられている事が実感されました。
  初めてなので前の席にいましたが、どの位置にいても同様に感じられた事でしょう。
  内容に関しては、榎本健一の生涯と反戦を交えた劇として見させて頂きましたが、良い意味で響く所がありました。この臨場感は、テレビやビデオでは無理ですね。

子供の頃によく耳にした歌や音楽、名台詞に懐かしく感じ思わず口ずさんでしまいました。

中西さんのパフォーマンスは凄かったけれどやっていることは心に届きませんでした。
  今なぜエノケンなの?今の時流とどう関わるの?やってる意味は何?疑問だらけでした。

あまり馴染みのないエノケンが、中西和久さんによって蘇る楽しい舞台でした。
  舞台、ラストのタップダンスは圧巻でしたね。特に、踊り娘ダンサー達は楽器もこなし、華やかで妖艶で魅入ってしまいました。
  今年はいい歳になりそう。
  舞台、これくらい楽しく華やかなら、退会する会員はなくなるのでは、とか思ってます。

懐かしい曲を沢山聞けて楽しかった。若い女性のダンスも楽しかった。
  エノケンの面白さはもう一つ伝わってこなかった。ストーリーも迫力に欠けた。

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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