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「夢千代日記」

劇団前進座

鳴門市民劇場2013年3月15日例会 感想集

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鳴門例会カーテンコール

歌、日舞も見事でした。芸がすばらしかったです。

前進座女優陣の熱演で楽しい舞台だった。いまむらいずみさんの演技はさすが。胎内被曝の夢千代が身体的苦しみだけでなく社会的差別に耐えながらも強く生き抜こうとした姿は印象的であったが、話の焦点がボケて深みのない話に終わった感があった。

舞台俳優さんの美しい芸妓さんにみとれていました!
  時間がたつのが早くてあっという間に終わった気がします。内容的にたいへん良かったと思いました!笑いあり、たのしかったです!たのしい舞台もいいですね!

NHK放送の「夢千代日記」は毎回かかさず楽しみに観ていたせいか、どうしてもその印象が強くて最初は入り込めませんでしたが、皆さんの熱演に感激しました。
  当番で座席もよくて楽しい観劇でした。前進座の現代劇(?)もいいですね。

後部座席だったので言葉が聞きとりにくかった。

戦後生まれの私には広島、長崎に落とされた原子力爆弾については「黒い雨」とか多くの書物の中でしか知らない、そして被爆した人々の様子については想像すらできない。「夢千代日記」はその様な背景を描きながら、夢千代の人生を縦軸にとり、夢千代をとりまく善意の人々を横軸にして展開していく。
  お母さんの胎内で被曝した事実を持ち、それを隠して生きてゆく人生、それ故に悲しく見える、また芯の強さを感じる。最後に被爆手帳を手にし、政府の保護が約束される。このことは経済面だけのことでしかない、夢千代自身の被曝による苦しみは軽減されない。今の私達には環境の影響で白血病になることは確率としては非常に低い。恵まれた環境に感謝しつつ苦しみながらも強く生きている夢千代さんに拍手を送りたい。私達は夢千代さんに頑張れとエールを送るより他に言葉はみあたらない。「頑張れ、頑張れユメチヨ!」
  “私達の人生に、この作品は波紋を投げかけた!”と思う。

立ち振まい、所作からして、また内容も盛り沢山で安心して見ることができました。
  どうもありがとうございました。

人はいろいろな人に接し、支え合い、人各々それぞれの過去を抱え、それでもけなげに前向きに生きれば幸せになることもあると思いました。

ドラマを見ていたので期待して舞台を見た。
  それにしてもシリアスなのは苦手だ。
  中国残留孤児、被爆体験、夢千代の周囲で戦争の傷跡が語られていく。八月六日に生まれた夢千代。胎内被曝という運命を背負いながらも生きている夢千代、桜の散る中「私はもっと生きたい」と叫ぶラストシーンが印象的だった。

はるか昔(私がまだ幼かった頃)にNHKで吉永小百合さん主演でドラマ化されていたようなかすかな記憶があったので、今回の例会をたのしみにしていました。
  はる家のさびしいけれどたくましく生きる人々から命の尊さや胎内被曝の恐怖、親子愛など沢山のことを教えられました。

待ちに待った「夢千代日記」感動しました。
  戦争を知らない私ですがあらためて原爆の恐ろしさを知りました。いつまでも忘れないで欲しいと訴えているように感じました。
  胎内被曝を受けながらもいつも自分のことより周囲のことを思いながら生きる夢千代。
  舞台でなければ味わえない演技(踊り、唄なども良かったです。)に感動しました。
  ありがとうございました。

テレビで見た夢千代日記と重なり場面設定に少し無理がある様に思ったが舞台でしか味わえない場面の雰囲気が大変良かったです。
  役者さんのセリフまわし、体当たりな演技に感動!
  胎内被曝という重いテーマでしたが原爆を身近に感じた。
  素晴らしい舞台でした。 

温泉町に生きる置屋の女将、夢千代とその周りの人々の生活と人間模様がリアルに演じられ、大変見応えがありました。山あいの小さな町で、必死に明るく生きようとする普通の庶民に、被爆体験は重くのしかかっています。多くの苦悩を抱えながらもそこから逃げずに、冷静に向き合おうとしていく姿に感銘しました。
  私の住む町(洲本市五色町)は人口約1万人のただの農村ですが、大阪大空襲、神戸空襲、シベリア抑留、満蒙開拓団、特攻隊への志願等々の体験者がおられ、その人たちから戦争体験を聞く会をこれまで 6回開催してきました。 一人一人の生きた証の中にこそ、未来への希望があると思えるからです。夢千代の生きる姿と重なるように思えました。
  1月に行った観劇ツアーの『赤ひげ』に、保本登役で出ていた高橋佑一郎さんが、今回は記憶を喪失したマコト役で出演されていました。南座で一緒に記念写真に入ったという親しみとともに、次々と違う演目に 出演される役者さんに、プロとしてのすごさを感じました。

夢千代さんの人生はもちろん、それを囲むさまざまなひとたちのエピソードが散りばめられていて、エンターテイメントの部分も含め、豪華な芝居だったと思うのですが…何故だか、ピリっとくるものがありませんでした。それがどうしてなのかずっと考えていて…行き着いたのは、誰ひとり悪人(?)がいなかったこと!ちょっとひねくれた(?)私には、そこが、スパイスの不足と感じたのかもしれません。「やくざさん」ですら夢千代さんの前ではいい人に変わっていき・・・。でもさらに気づいたことは、それは、決して恵まれてはいないにもかかわらず自分のことはさておき、いつも他人(ひと)のことを考えて生きる夢千代さんからの善の連鎖なんだということ。静かにあたたかく繋がる理想の人間関係も、作家が描きたかったことのひとつなのではないかと思いました。

鳴門例会カーテンコール

最高に素晴らしく、感動しました。"夢千代さん"の熱演の時に、もっと拍手が多いとよかったのに!と思うほどでした。

奇しくもこの秋に山陰の城崎温泉に行きましたので、勝手ながら舞台を城崎とイメージして、楽しく観させてもらいました。

大変素晴らしかったです。
  演出、舞台装置など大変凝っていてよかったですね。
  温泉街での舞台でピカの恐ろしさを体験させていただきました。もう原爆の恐ろしさを語り継ぐ人がいない中で、舞台で教えていただき、感無量です。この劇団は舞台を通して全国の人達に原爆の凄さ、恐ろしさ、後遺症に悩む人たちの苦しみを舞台で語り伝えているのですね。
  本当に感激した舞台でした。ありがとうございました。劇団にエールを送ってあげたいです。

夢千代役の今村 文美さんの演技に加え、劇全体もとても洗練されていて、感動致しました

過去と向き合って、病気と向き合って、一歩前へ踏み出そうとしている夢千代さん、あと一年も生きられると、とらえる夢千代さん。貝殻節の唄や、芸者さん達の踊り、団次郎さんと副座長さんの踊り良かった。菊奴さんもすごく良かった。いまむらいずみさんと王永春さんの芝居も良かった。津田恵一さんの声はとても良い。マコトさん夫婦や玉子さん、みんなそれぞれ良かった。日本海の風のきつさ、厳しさ、恐ろしさ、雲や木や音で表しているのだけど自然の厳しさがすごくでていた。前進座の舞台は面白い。

胎内被曝という宿命を負った夢千代が余命あとわずかという病魔と闘いながら自身のことより周囲の人達のことを気遣いながら哀しい過去や心に傷を負った女性たちを支えながら気丈に生きている。
  記憶喪失の男性、ヤクザの男、刑事、旅回り一座など・・・登場人物が織りなす様々な人間模様、気品あふれる舞。ユーモアたっぷり民謡、唄や三味線のここちよい響き、目にも鮮やかな和服姿。前進座の舞台にはいつも魅了される。
  重いテーマにもかかわらずそんな気分にさせないのはオールキャストの成せる技か?「あと1年しか…」でなく「あと1年も生きられる。残された時間を大切に生きたい、もっと生きたい…」と渾身の力をふりしぼり放った夢千代のあの言葉がやけに悲しくむなしい。今の世の中あまりにも命を粗末に扱い過ぎているのではないか。二度と訪れない瞬間を大切に生きなければならない、この一瞬、一瞬を大切に有意義なものにしなければ・・・考えさせられた。
  20年ほど前、吉永小百合さん主演で“新夢千代日記”が放映された。ひたむきな生き方に涙したものだ。
  あの頃より、それ以前より毎年終戦記念日だの、原爆投下の日だの様々な行事が行われているがいっこうに原子力関連施設は減るよしもない。

人情味あふれる、芝居らしい芝居と言えば良いのでしょうか、舞踊民謡いい味のある舞台でした。
  話しの筋道の展開が早いところがあって、そうなんだ〜と思ってると次の舞台へ入ってました。
  早坂暁さんの原作で、被爆者に強く生き抜いて欲しいとの願いが感じられました。

今まで「原爆」は怖いもの、悲惨なもの、故に決して三度繰り返してはならないものと、潜在的に思っていましたが、この作品を観て「原爆」の怖さ、悲惨さがすごく身近に感じられました。夢千代はもちろん芝居は素敵で芸者の“金魚”や“雀”の体当たりの演技、それにマコトさんの役柄、演技がとても良かったです

かって旅ツアーで湯村温泉を訪れ夢千代像や記念館を訪問したことを思い出す。テレビの「夢千代日記」は見ていないが今日の観劇で夢千代像がくっきりと私の中で出来上がり、精一杯「今」を生きる夢千代の姿に共感と感動を覚えた。
  余部鉄橋や湯村温泉の湯の温かさが身にしみるようだった。
  多彩な前進座の役者さんたちの熱演が伝わる舞台でよかった。

余命幾ばくないことに苦悩を続けた夢千代は、舞台の最後に「まだ2年も生きられる」と思いながら前を向いて生きることを選択します。
  夢千代の苦悩の元は原爆症ですが、舞台で描かれる、幸せになろうとする意志は普遍的なものでしょう。
  この舞台の中で、登場人物達は様々な選択を迫られ、幸せになるための道を選びます。
  特に胸を打ったのは、舞台半ばの金魚さんとアコちゃんが家族であることを選ぶシーンでした。金魚さんは気が早く、だらしなく、自覚しているように完璧な母親ではありませんが、それでもアコちゃんを育て愛情を注いだことは真実であり、2人は実の親子よりも本物の親子を選びました。
  その一方で物語の終盤、夢千代とマコトはお互いに惹かれあいながらも、夢千代はマコトに過去と向き合うことを諭し、マコトはかっての家族を選びはる家を去ります。ラストを飾るには少し悲しい展開ですが、夢千代は桜の舞い散る中すがすがしい顔をしています。その場の幸せを得たものと得られなかった者、対局のようですが、舞台で描かれる幸せは一貫して、「過去から未来までを通して、幸せであろうとする意志」なのかと思います。自らの未来が思い浮かべられない中、刹那的な恋を求めた夢千代ですが、自分がこれからも生き続けることを考えたとき、マコトの幸せを自分で選んでもらうことが、自分の幸せにつながると考えたのではないでしょうか?そして、夢千代と対になるのが「刹那の恋に生きる女」菊奴ですね。菊奴は恋を失った後、元の幸せを取り戻しますが、しかし、これはどちらが正しいというわけではないでしょう。その人の生き方なのだと思います。
  また、舞台の内容とは別のところでは、夢千代の所作の美しさに思わず目がいきました。着物を着て電話をとるときに袖をついとひく仕草など、何気ない仕草から清潔な艶っぽさが感じられ、顔が見えない舞台だからこそ、動きが生きるのだなと思いました。

夢千代さんが辛い人生に向き合って自分の弱さを感じ、それでもひとに優しく生きる様には励まされる思いがした。そして「人の縁」とは不思議で実にありがたいものだと感じた。

夢千代日記といえば、吉永小百合主演の映画があったということは知っていましたが、ストーリーは知りませんでした。原爆症に苦しむ夢千代のシリアスな劇かと思いきや、随所に笑いもあり、また、記憶喪失の男が出てきてミステリー的な要素もあり、いろんな意味で楽しむことができました。

被曝者である夢千代を始め、いろいろな過去を背負った人々が全力で生きている。もしも自分が余命1年と宣告されたら、一日一日を大切に生きれるだろうか…まだまだ無駄な時間を過ごしているなあ、もたっいない!

鳴門例会カーテンコール
鳴門例会カーテンコール写真は劇団の許可を得て鳴門市民劇場Webページ作成委員が撮影しています。

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