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井上一馬さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問64

  イッツフォーリーズ「見上げてごらん夜の星を」鳴門例会(2014年5月14日)で“泉川”役をされる井上一馬さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
各地の反応はいかがでしたか?
井上一馬(敬称略 以下井上と略)
松山、高知次いで徳島、鳴門と来ています。 井上一馬
  ミュージカルなので、曲が何曲もあるじゃないですか。それについて、徳島の会員の方から「もっと拍手をしなきゃならないと思ったんだけど、一人で拍手するのが恥ずかしくて、どうしても出来なかったです。どうしたら良かったんでしょうか」と聞かれたんです。
  通常、ミュージカルは曲が終わる時、ショーストップという、芝居をちょっと待っている時間があるのですが、そういうのがあってもなくても拍手はいつでもいいんですよ。往々にして、外国から輸入されたミュージカルというのは、国民性もあるのでしょうが、非常に優れた歌い手のナンバーが終わったりすると、皆「わー」と拍手する。そして落ち着いた時に、お芝居が展開するというのが割りと多いんですね。だけどこれは日本人には余り合わないんですね。多分、いいなあと思っても回りを見ると皆何も反応してないなあと。そういう意味で、曲が終わるたびに、必ず拍手があれば良いかというと、そうでもない。むしろ歌から芝居に行くところを観ている人は、その後どうなるんだろうって観ているんですね、エンターテインメントでなくて。だから僕らにとって歌が終わって拍手がないというのは、反応が悪いという訳ではない。拍手したい気持ちがあればそこで拍手してくれればいいと思っています。
  ストーリーを少し話しますと、僕が作曲家のいずみたくの役なんですけど、肝心のテーマ曲がなかなか出来ないんですね。その僕のところに永六輔が台本を持ってきて、僕が台本を読んでいる時、下では夜間高校の世界が繰り広げられている。その若者たちの葛藤と、僕自身テーマ曲がなかなか出来ないという葛藤がリンクして、最後にテーマ曲がやっと出来て、皆で歌います。その時の客席との一体感、ついに待ちに待ったこの曲が作れて、やっと歌ってくれるということなんですね。
  このミュージカルはいずみたくが作った最初のミュージカルです。合計で105本のミュージカルを作りましたが、今回の舞台ではその中の4作品に使われた4曲を歌います。
  そのあと、もう一回「見上げてごらん夜の星を」を歌います。会員の皆様一緒に歌いましょうと…。ただし一緒に歌いましょうとは言わないですけど…。
  「見上げてごらん…」の作品、50年前のお話で訴えたかったことが、今になってこういう風に日本に広がり劇団に残っているのです。歌そのものがそれぞれ自分の歌になっている。皆さんにとって最後の歌は思い出なんですよ。こうやって歌っている人もいれば、思い出している人もいれば。各々がこの「見上げてごらん…」を楽しんでいる。そういう意味でいうと客席の反応はどこも同じですよ。僕らにとって反応がいいとか悪いとかというよりも、皆さん歌っているんですよ。だからこの作品はちょっと特別なんですね。
鳴門
昭和30年代、40年代の雰囲気がものすごく出ていますね。
井上
今日、搬入していて分かったと思いますけど、ピアノがひっくりかえっています。ほぼピアノの上でしか皆芝居をしないんですよ。常に坂道で芝居をして、昇ったり降りたり、昇ったり降りたりを繰り返しているんです。
鳴門
あの大きいのはピアノですか?
井上
ピアノの上にピアノがしっかり載っています(笑)。2階に僕が弾いている小さいピアノがあって、周りにピアノからはじき出た音符たちがいる。ステージ上の若者たちも音符の一つになっている。
鳴門
私は昨日観た時、上に置いてあるピアノは分かったんですが、今日運んでいたら、こんな鍵盤の大きいピアノはどこにあったのかと思いました。
井上
 前の方で観てたからじゃないですか。ちょっと後ろで見ると全部が見えますね。
鳴門
上が見えなかったからですかね。舞台は傾斜がかかっているのですか?
井上
これぐらいの傾斜(手で示して)。
鳴門
うわあー。
井上
最前列で見ると、こういう風な感じ(手振りで教えてくれる)。1960年の初演の時は勿論そんな装置もないし、若者たちの衣装も本当に学生服だし、昭和30年代の服装ですね。でも今日見ていただければ分かるんですけど、今風の若者の衣裳です。ただし脚本は初演のままなんで、言葉は昭和35年の時代を感じさせるものになってます。ストライキとか、月謝が払えなくて辞めさせられるとか。そういうのは、まさに時代を反映する言葉なんですね。でも見た目は時代を感じさせないものになっているので、そのギャップを感じて欲しいのです。
鳴門
僕は懐かしいなあと、つくづく思うんですが…。
井上
会員の方だけでなくて、丁度その時代に青春だった方は多いですよ。
鳴門
僕らはまさにそうですね。年齢的に。
井上
今回廻っているのは、東北、近畿と四国ブロックです。どこへ行っても、「あの頃は定時制に通っていたんですよ、忘れ物をすると必ず手紙が入っていて、わざと机の位置が変わっていたりしてね、本当に懐かしかった」と言ってくれます。
鳴門
今の時代とのギャップがものすごくあると思うんですけど…? あの頃は、確かに貧しかったけれど、明るかった気がします。
井上
そういう人生を送られたからじゃないかと思いますよ(笑)。僕は1961年生まれなんでその時代のことは、はっきり分からないんですよ。その後の昭和40年代前半の頃は記憶があるんですが、勿論借家だったし、でもご飯だけは食べた。物は少なかったけど、多分人を育てるために最低限必要なものは、むしろ今よりあったんじゃないですかね。なんかそんな気がします。僕も苦しい思い出はそんなにないですよ。
鳴門
僕は1947年生まれなんですが、小さい頃は貧しかったなあという思いが強いですね。
井上
いずみたくが、この作品に乗せてのメッセージの一つとして、戦後10年たった時代、確かに経済は少しづつ上向いてきたけど、もう一度日本が暗闇に戻るんじゃないかという心配があった。朝鮮戦争もあったし、将来働いて国を立て直すというだけで、皆歯車の一個にされていて、何も考えずに働けばいいという時代だった。だから不安のほうが大きかったと思います。
  今は別の不安ですね。大学を出てもどうなるんだろう、大人になって家族を養ってもそこに何があるんだろうということや、子供がどんどん減っていって、高齢化社会になっていって、自分たちが大きくなった時に、老後の年金のために今より何倍も多く払わなきゃならない、そういう将来に対する不安は変わらないんじゃないかな。
  50年たってすごく変わってしまうものと、余り変わってないものがあると思うのですが、むしろ漠然とした、将来に対する不安が今はすごく強いんじゃないかと…。
  彼らは、当時の定時制という立場にあり、将来はもしかしたらないんじゃないか、いわばドロップアウトした人たちみたいに見られています。このように働きながら学んでいる人たちに光を投げかけられる人間になりたいと希望を持って生きていく…、それが最後の「見上げてごらん…♪」の歌になる。
  会員の方がみんな明るい顔で帰っていく。眉間に皺を寄せて帰っていく人はいない。この作品を見ると、最後皆さん明るい顔で帰っていく。そんな明日への希望を投げかける作品であり、歌なのかなと思いますね。
鳴門
演じるにあたって、楽しいところとかこういう風に工夫したのでとかありますか? またこの辺は伝わって欲しいと思うところとか、ここだけは是非観て欲しいというところがありますか。
井上
今、だいぶフライングして、作品の見所とか、メッセージ性を話してしまいましたけれど、一番の見所は、永六輔が50年前に何を訴えたかったのか。
  舞台の後半で学生たちが、何のために昼働きながら勉強するんだ、と女学生に聞かれた時に、皆答えによどんでしまって「日本を愛しているからだ」と言うと、女学生が「日本を愛しているから昼間働きながら勉強するの?」と言い、「多分そうだ」と答え、さらに「あなた方の考えている愛っていうのは本当にそれが愛なのかな。愛するという言葉をもっと大事に使って欲しい」と、命題を残して去っていく。その後で学生たちは、『働きながら考えよう』って歌を歌うんです。その歌が一番の見所ですね。
  当時は、仕事しながら何か考えるっていうそういう方が多かったんだと思います。今はどちらかと言うと、レールに乗るほうが大事で、むしろ考えないというか。こういったらこうなるから、じゃあここに乗ろうっていう。険しい道を生きていこうとするより。まあいいや、もう面倒くさいからもういい、止めようって言うんですね。
鳴門
あの頃は本当に貧しかったですよね。今は格差社会って言われて二極化していて、貧しい人も多いです。今も夢を持って進みたいけど、前よりは世の中が複雑になってきて、自分の力だけではどうにもならない、前は勤勉にやれば、いつかは定職につけたし、結婚もできたし、家も持てたが、今は反対のように見えます。
  一般庶民の人が、あの時と違った意味で貧しいと思う。世の中の流れから落ちてしまった人々がどうしたらいいのかと喘いでいますし、夢ももてません。あの時は貧しくても夢があった。今はあの時より相対的に豊かであるけど、夢がなくなってしまった。そういう意味で、この作品は思い出してもう1回夢を持とうっていうメッセージがありますね。
井上
鑑賞会の例会を廻っている作品で、戦後の作品が多かったりするのも、その時代前に向かっていく力があり、また純粋さもあり、それが劇として成立しやすいからだと思います。この作品も見事なまでに純粋なんですよ、若者たちが!
鳴門
それは感じますよね。
井上
うん。だからよその会場で高校生に、観に来てどうだった? と聞くと、「楽しかった」と言う。明るいエネルギーに触れること、やっぱり生の演劇に触れることが大事です。生の人間が叫びながら、大声で笑うっていうことが少なくなってきている。きっとその高校生にとっては、すがすがしい楽しい時間だったんだろうと思います。
鳴門
昨日、徳島で観せてもらって、僕の高校生の時はそんな事を考えたのかな? と思いました。色々考えさせられる内容でしたね。鑑賞会の意義もそこにあるので、そこが皆さんに伝わればいいなあと思います。
井上
一番初めに聞かれた、反応はどうでしたか?に繋がるんですけど、僕はすごく手応えを感じましたね。そういった意味で言うと、普通の作品とちょっと質が違う。僕がいずみたく役をやっていることもありますが、僕らにとって、これからの日本にとってこれはやり続ける価値があり、必要だと強く思っています。なのでここでより強くそのことを言いたいと思います。舞台上では役になりきって役でしか喋りませんが、いずみたくの役が終わった後は井上一馬になって言いたい、僕らの劇団はこれからも歌い続けます! と。
鳴門
ところでいずみたくさんとの思い出はありますか?
井上
ないです。僕はいずみたくさんが亡くなって4年後ぐらい後に劇団に入ったので…。今、うちの劇団でいずみたくと仕事をした役者は1人しかいないですね。
鳴門
えー(と驚く)。
井上
僕より1歳年上の女優なんですね。今劇団員が50人いるんですけど、彼女以外は、誰もいずみたくさんと話したことないですね。ただ劇団に入ったら稽古場に写真は飾られているし、コンサートとかも多いんで、絶対いずみたくの歌を劇団員皆で歌います。でも、彼が最初のミュージカルを作った時の思いはこうだったのか?というところまで踏み込んでいくと、僕も知らなかったことがいっぱい出てきます。だからこの作品をやって、すごく色んなことが分かり、それを劇団にフィードバックしていきます。だからこの作品は劇団にとっても価値のある作品なんです。僕にとってもね。
  僕は自分のお年玉で初めて買ったレコードが、由紀さおりの「天使のスキャット」だったんです(笑)。小学校2年生ぐらいだったけど、何ゆえか、ルー、ル、ル、ル、ラー、ラ、ラ、ラしか入ってない曲を買ってしまって…。多分、歌声が綺麗で素敵だなあと思ったんですよね。
鳴門
ところで、個人のことになるんですけど、演劇の道に入られたきっかけ、動機はなんだったですか?
井上
僕はダンスから始めました。そのダンスも一生は出来ないんじゃないかと思っていた時、たまたま船越英一郎という俳優と知り合いました。彼が東京で新しく劇団を作るのでそこに加わらないかという話をくれたので入ったんです。最初はうわあ〜という感じでした。真剣にやってみたら、これは嘘じゃないって思いました。そこに13年所属していたんですけど、若者の劇団だったし、その若者が皆30歳を越えちゃった時に若者じゃなくなった。その時にフォーリーズの作品の客演の依頼がきたんです。全国の鑑賞団体、おやこ劇場、子ども劇場も含めて、お芝居を観るために待っている人たちがいるというのがものすごく新鮮な刺激で、もう一つはこの劇団に入ったら一生芝居が出来るっていうのが、僕の本当の演劇との出会いです。もしフォーリーズに客演しなければ多分やってないんじゃないかなあ。
鳴門
最初に客演したのはどういう作品だったんですか?
井上
「おれたちは天使じゃない」です。3人の主人公のうちの二枚目の役です。劇団に入ったら二枚目じゃなくて、一番凶暴な役になっちゃったんですけど…。
鳴門
徳島に来られたんですよね。
井上
この作品は宝みたいな作品じゃないですか。日本のオリジナルミュージカルで1500回以上上演されている作品ってほとんどないと思います。この作品はものすごく喜ばれるんですよ、日本中どこでやっても。だからこの作品一つで、僕はいずみたくのことを随分知ったと思います。
鳴門
特に好きな言葉はありますか?
井上
座右の銘ですか。僕は元々俳優を始める前は、中学校の体育の先生が大好きだったんです。バレー部の顧問で、その人に異常にいじめられて、また異常に可愛がられていたんですよ。その人に恩返しするためにも絶対体育の先生になろうと思っていました。だけど夢半ばにして、僕はダンスの方へ行っちゃったんですけど。彼は、当時の全日本のバレー監督の松平さんを呼んで講演会をするぐらい勝負事に対するエネルギーが強い人です。松平監督に「負けてたまるか」という垂れ幕を書いてもらって、だから座右の銘は「負けてたまるか」ですかね。ずっとこびりついています。
鳴門
ドラム演奏とかダンスが趣味で、それが元気のもとでしょうか?
井上
ドラムですか。それは役で練習したので。ドラムもボクシングも役でしました。だけど元々体育会系なので、入り込むと一生懸命になり、ボクシングも金子ジムに3ヶ月ぐらい通って(笑)、当時の金子会長さんに「君は絞ってミドルでいけるなあ、本格的にやらないか」って誘われたぐらいです(笑)。ドラムもやっぱり一人音楽スタジオへ入って叩くと気持ちよくなってくるんですよ。ダンスは元々ダンスからこの世界に入ったんでね。元々体を動かすことが好きなんです。
  ところで今、鳴門の会員さんは何人すか?
鳴門
645名です。
井上
クリアを続けているんですよね。
鳴門
今年で丸16年続けています。そして、昨年3月から8例会連続クリアも続けています。
井上
すごい努力ですね。放っておけば減っていくから…。
  僕ら役者を、日本の演劇を育てて頂いてるのかなあと思っています。そんな仰々しいことは抜きにして、お芝居もそうだし、お芝居への関わり方や人間付き合いも含めて楽しみましょう。
鳴門
今朝の搬入もそうですけど、後の搬出も含めて皆楽しんでいます。
井上
会員の方たちも楽しんでやっているようでうれしいです。
鳴門
最後に、鑑賞会に対して、また会員に対してメッセージをいただきたいのですが。
井上
こうやって僕ら劇団が目標を持って芝居ができる。つまり迎えてくれる人たちの為に僕らのメッセージを届けに行くっていうことが、なかなか得られないんですよ。勿論一般的な商業演劇の舞台にたっても、いろんなモチベーションがあって、いろんな達成感はあるんですけど、こうやって直に待ってる人たちのところにメッセージを届けにいって、その成果をお互いで確かめあうことが出来るってことがなかなかなくて。こういう運動に僕らは参加したいと思います。こういうことがどれだけ僕ら役者の糧になっているのか。力量を上げ、その気持ちを継続させることが出来る。やっぱり役者は苦しいんですよ。だけど前に進めるエネルギーを頂けるのは、皆さんが前に進むエネルギーを持ち続けてているからなんです。だから今日も力を届けたいと思います。
井上一馬さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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