ホーム > これまでの例会 > 「歌舞伎ことはじめ 芝浜の革財布」 > インタビュー

藤川矢之輔さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問72

  劇団前進座公演「歌舞伎ことはじめ」「芝浜の革財布」鳴門例会(2015年9月17日)で“魚屋熊五郎”役をされる藤川矢之輔さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
まず「芝浜の革財布」についてお伺いしたます。私たちは歌舞伎にあまり馴染みがありません。しかしこの「芝浜の革財布」は、1997年の例会で観ましたが、その時、人情味溢れる、面白い内容だったと記憶しています。今回どういう風に観たらいいのかを教えてください。 藤川矢之輔
藤川矢之輔(敬称略 以下矢之輔と略)
先入観なしに、とにかく楽しんで頂ければいいなあと思います。歌舞伎っていうと、何となく舞台でぼくが、最初に「うー、寒むっ」と言うところから、あそこは寒いんだな(笑)、海辺で寒いんだな(笑)と思って頂けるだけで、すーっと入り込めます。言葉も難しい言葉を使ってません。落語のそのままですからね。ですから江戸弁のポンポン掛け合ったりするところがあります。女房との掛け合いが、だらだらしちゃうと話の面白さ出て来ないんですよ。江戸っ子というのは、そういう馬鹿なところがある(笑)。何か流れでポンポンやっているうちにね、あーそうなんだ、夢かあと思っちゃう。そういうところを楽しんで頂ければいいんです。話の筋ははすぐ分ると思うし、ネタもばれちゃうと思うが、そういうものでもって、どうしてそんなに簡単に騙されのかというところを楽しんでもらえればいいんです。
  1997年の時は、祥之助先輩がお演りになって、さらに「五人三番叟」という女優ばかり五人の踊りがあったですね。
鳴門
あれは良かったですね。
矢之輔
2本演って、五人三番叟は、女優さんたちは迫力があってすごかった。今度の場合は、最初に解説で歌舞伎の見方とか色んな約束事とか江戸の鐘の音だとか、そういうのを紹介します。ただ女房は一緒ですからね。18年前と同じ女房ですからね。
鳴門
そうですか。
矢之輔
辰三郎さんは、お春さんという役をもう20年近く演っているんですよ。あの人は梅之助さんの奥さんを演っているし、祥之助さんの奥さんも演っている。だからあの人はバツ2なんですよ(笑)。私は初婚なんですけどね(笑い)。梅之助、祥之助先輩は辰三郎さんとは20歳違いますからね。2人共ものすごい先輩ですし、その下で女房を演っています。今回の場合は、僕が3歳年下なんですよね。だから姉さん女房になるんです。そういう意味ではとてもバランスがいいと思っています。手の上で転がされている亭主ですからね。姉さん女房のほうが騙す、といっても、亭主のためを思ってだからね。何とか誤魔化し、誤魔化しして夢だ夢だと思わせちゃう。そういうところが奥さんのすごい知恵じゃないかと思うんでそれを分かってもらいたいですね。そういう姉さん女房的な感じがぴったしくるんじゃないかと思います。それと私は高校時代、落研にいましてね。
鳴門
本当ですか?
矢之輔
ええ。江戸の落語はいろんなのを聞いて、それこそ円生、志ん生、文楽、小さん、そういった人たちのいろんな話を聞いて育ちましたから、落語ネタの芝居は好きなんですよ。「芝浜の革財布」とか「文七元結」とかね。そういうものに挑戦できるのはものすごく嬉しいです。落語の「芝浜」も実は高校時代にやったことがあるんですよ。
鳴門
そうでしたか(笑)。
矢之輔
落語の「芝浜」の方が楽ですよね。一人でやるだけですから、誰とも気を合わせなくていいですね。
鳴門
「芝浜」みたいに、落語の演目とかを歌舞伎で演るというのは結構あるんですか。
矢之輔
多いですね。特に「らくだ」とか「唐茄子屋」とか、円朝原作の落語ですね。
鳴門
「唐茄子屋」もそうなんですか。
矢之輔
ええ、今度中国ブロックで例会でやりますけど。「唐茄子屋」も人情味溢れる芝居だし、あいだは笑いっ放しですしね。楽しい芝居ですからね。これはね歌舞伎の中でも一番分かり易い芝居。絶対分かります。これが分からなかったら日本人じゃあない(笑)。
鳴門
奥さんとの掛け合いが絶妙で面白いと思う。普段から仲良くするために何かしてますか?
矢之輔
実は辰三郎さんも落研なんですよ。
鳴門
ほおー。
矢之輔
阿南高専で落研に入ってて、あの人は関西落語の枝雀さんが好きで、それで“案山子家すずめ”っていう芸名ですね。僕は“武蔵家とん馬”って言うの(笑)。それこそ宿でも楽屋でも部屋割はみんな連名で決まるんですよ。今はホテルはオールシングルでしょ、でも昔は5、6人の雑魚寝が多くて、僕らは年中相部屋だったです。やっと二人部屋になった時に辰三郎と一緒だったですね。それからしばらくしたら、うちの妹(今村文美)と一緒になったんですよ。
鳴門
へえー(笑)。
矢之輔
ずーっと連名が一緒だったのが、妹の旦那になり、義理の弟になったの。年は向こうが3つ上って言う不思議な関係なんですけど。そんな訳ですから気心は知れてます。
鳴門
文美さんが妹さんですか。
矢之輔
僕の妹なんです。不思議ですか、何か(笑)。疑問がおありですか(笑)。写真みて随分違うなとか、親が違うんじゃないかと、色んな事を考えていましたね(笑)。
鳴門
文美さんは美人ですよ。
矢之輔
文美さんはでしょ(笑)。
鳴門
やっぱり舞台は面白いですか?
矢之輔
楽しいですよ。毎日演ってても、すごく新鮮な気持ちでやれるんですよ。最初はまだ夕べの酒が残っているような状態でしょ。それでお金拾って有頂天になって帰ってきて、楽しくてしょうがない訳ですよ。それで宴会でもってワーワー、ワーワー皆で盛り上がって飲んで騒いで、その飲んだ勢いで、少し酒が残ってて二日酔いな訳ですよね。お金持っているという安心感でものすごく楽しい訳ですよ(笑)。それが奥さんが夢だと言うんで、ガターと突き落とされるわけですね。それから一念発起して、とにかく一生懸命まともに働こうと思って、引っ込むでしょ。そうすると、本当に2、3分の転換の間ですけど、あの間に、3年後の、ちょっと真面目で一生懸命働いて人間的にも成長した熊五郎に変わるんですよ。でもその間は着物を換えたりして結構忙しいんですよ、向こうも(辰三郎も)そうですけど、それでもって出てくると、家中が飾ってあって、自分の家かどうか分かんないくらい綺麗に片づいているような。そういうところにすっと入れるんですね。だから悩む事は一つもない。その話の流れの通りに自分の気持ちが素直についていけるんですよ。それで、女房が自分が嘘を付いていたことを告白して、あーそうか、だけど有難いなあと思って、それでお祝いに酒が出てくるんですよね。それでもってパーっと賑やかに終わるんです。だからこの芝居は本当に良く出来ていると思うんですよ。
  1時間15分。この作品は色んな演出がありますけど、うちの場合は、先輩たちがこしらえた演出をほとんどそのままにしています。梅之助さん祥之助さん、うちの第2世代の人たちですが、その前の第1世代の創立メンバーの人たちがやっていたのを、観て覚えていますし、それが元なんですよね。
鳴門
前進座の財産演目みたいなものですね。
矢之輔
今月9月30日、この四国が終わると、1087回になります。
鳴門
おー、すごいなあ。
矢之輔
今年の春に演った時に1000回越していたんですけどね。
鳴門
1000回越した時、お祝いはなかったんですか(笑)。
矢之輔
なかったです(笑)。大体この公演が1000回ぐらいじゃないかなあと言っていたんですけど。まさかそんなに演ってないじゃないのと思っていました。でも僕自身はまだ80何回ですよ。辰三郎さんはもっと演っている。でもこの芝居は、劇団に入って一番最初に旅に出た時に勧進帳と一緒にやりました。その時は落語家の役で出たんですよ。
  その後手代の仙太郎を演って、また落語家に戻って、それから宴会の中で踊る大工の金公を演って、今この役を演ってますからね。結構何回もいろんな役で出ているんです。僕が入座してから演目の中で一番多いですね。いろんな演目で10000回以上は演っていますね。
鳴門
入座してから、早い段階からでているんですね。
矢之輔
実は子供の時から演ってますから(笑)。4歳から舞台に出てますから。
鳴門
わあーすごいなあ。歌舞伎は基本的には1日2回公演ですね。
矢之輔
そうですね。特に都市公演で1ヶ月公演だとかいうのは、必ず昼夜2回やりますね。だけど昔は昼夜2回公演といっても演目が違っていたんですよ。だから1つの演目は25日間だと25回なんですよ。
鳴門
お客さんで一日座っている人もいるわけですよね。
矢之輔
そうそう、一日中観てらっしゃる方もいる。特に僕が子供の頃は昼夜3本ずつ演った。
鳴門
昼夜3本。
矢之輔
そう、一日で6本演ってましたよね。僕は夜の一番お終いの芝居一本にだけ子役で出るんですよ。でも旅に出ているから誰も外に連れて行ってくれないんですね。だから昼間ずっと暇なんですよ。しょうがないからずっと一日中芝居を観ているわけですよ。一日5本かそこら芝居を観て、それで最後の芝居に出演していた。そういう子役時代ですからね。京都で演っていると、祇園の舞妓さんたちや芸妓さんたちが一緒に観てくれるんですよ。いいですよ(笑)。お昼のおやつの時間になったりすると、「坊、ほなおやつ食べにいきまひょか」なんて言われたりして、それで四条大橋渡って、不二家へ行ってホットケーキ食べたりね。昔は良かったですよ(笑)。
鳴門
俳優になったきっかけは?子供の時から出てれば自然に入っちゃうかもしれないですけど。
矢之輔
最初に仕事したのは生まれて2ヶ月目だった。劇団で映画を撮ってましてね、「どっこい生きてる」っていう、今井正監督の映画です。それで赤ん坊で出されたんですね。次に出たのが丁度1歳の時で、山本薩夫監督の「箱根風雲録」という、2本の映画に出て、丁度4歳の時に舞台に出て、それから12歳までの間ほとんど毎年、1年に一本か二本は出ていたんですね。そのままいくと役者になるしかないじゃないですか。劇団の中で生まれちゃいましたから。だから前進座の役者になるしかないのかなあと。何かレールに乗っかってそのまま行くのは嫌だったので、高校時代に落研に入った時には落語家になろうかなあと思ったんです。それと新聞部、編集部に入ったものですから、新聞記者にもなりたいとかね。色々思ったんです。
鳴門
落語家なんかピッタリですね。
矢之輔
いいですけど、その時代は絶対落語家じゃ食えなかったですね。それから何年かして、テレビの司会とかバラエティー番組に出られるようになって、噺家さんがそっちの方で食えるようになったけど。高座だけじゃ絶対食えなかったからね。
鳴門
子役から入って、違う道へ行くという話をした時に、周りから反対がなかったんですか。
矢之輔
いや、好きな事をしろと言ってくれました。多分好きな事はやらないだろうな(笑)と思われていた。大学に行くときに、普通の大学に行くたって、ただ勉強しなくちゃならないだけで、何の楽しみもないし、取り敢えずは演劇関係の学校へ行ってみようかなと思って、桐朋学園を受けたら受かって、新劇の勉強をし始めたんです。あそこは俳優座が前身ですからね。そこでやっているうちに、あーやっぱり前進座の芝居がいいんだなあ、自分はそっちをやるべきだなあと思ったんですね。だって、日舞の授業だとか狂言の授業だとかがある度に、他のクラスメートが先週やったところをもう一回教えてと聞きにくるんですよ。師匠、師匠とか言ってね(笑)、よいしょして。そういうことが活かせるところが自分の特技だし、それが活かせる劇団でやるべきだろうなあと思って。それで新劇の世界をちょっと齧った時に、前進座の役者になろうと思ったんです。
鳴門
日舞とかはずっと習ってらっしゃったんですか。
矢之輔
3歳ぐらいの時からで、もうやるとかやりたくないとか一度も聞かれた事がない(笑)。やるのが当たり前だった。何で、こんなにやりたいと一度も言ったことがないのに、やって散々怒られて、棒でひっぱたかれたり、物を投げつけられたりしなくちゃならないと思いながら稽古してましたよ。お袋が師匠だったのでねえ。
鳴門
お母さんが。
矢之輔
文美もそうですけど、小さい頃から何か強制的にね。しかし、他のお弟子さんには、あんなに厳しく言わないのに。本当に物が飛んでくるんですよ。
鳴門
見ているとやさしそうなお母さんですけどね。ものすごいやさしそうなお母さんだけどね。
矢之輔
いまむらいづみとは違うんですよ。いづみの姉です。
鳴門
違うんですか。
矢之輔
いづみの姉です。いづみは僕らの叔母、お袋の妹なんです。ですから、それはもう厳しくて。
鳴門
いづみさんなんかものすごく優しいですもね。
矢之輔
でも、あの人も厳しいですよ。子役で出ていた頃は、ずっといづみがお世話係みたいにして、色々面倒みてくれたんですけど。その時にずっと観ていた芝居「番町皿屋敷」の中で、「叔母様は苦手じゃ」という台詞があるんですけど、それ以来叔母様は苦手だぁって思っている(笑)。
鳴門
普段の活動では、例えば地方を廻るのと、歌舞伎座とかの、落語で言えば定席みたいなところでやるのと、どちらが多いですか。
矢之輔
やっぱり旅の方が多いですね。特に旅公演が多い時は、東京には2、3ヶ月かそこらしか居ませんからね。結婚してから20数年たちますけど、そのうち4分の3は旅に行ってますから未だ新婚(笑)みたいですね。子供たちも、まず家に長く居ることはないと思っているから、東京の芝居で1ヶ月2ヶ月いる時は、「何で、どうしたの、仕事ないの」っていうぐらいです。
鳴門
歌舞伎の役者さんでも時代劇やったりシェイクスピアの芝居やったりされる方が多いようですが、藤川さんはどうしているんですか。
矢之輔
歌舞伎とか歌舞伎に近いもの、時代物というかそういうジャンルが面白いですね。だからこの間「南の島に雪が降る」っていうニューギニアの戦地で演芸分隊を作ってという話をやった時は、久し振りに現代劇だったんですけど面白かったですね。ああいうものも演っていかなくちゃいけないと思いました。しかし、現代劇は何か物足りないというか何か忘れ物をしたみたいで。舞台でも鬘かけないで出るでしょう。何か忘れているような気がしてね。舞台出て、椅子に座って明かりがつくまでずっと待っている間、あれっと思うが、そうかそうか現代劇だったんだと思うんですよ。
鳴門
市民劇場に入って、初めて歌舞伎を観て、ああ分かり易いなあと思ったんです。それにしても歌舞伎はあまり観る機会がないので、掛け声一つにしてもなかなか中に入り込めない。見得を切った瞬間は役者さんも気持ちが違うところがあるのでしょうか。
矢之輔
見得というのは全宇宙を取り込んで、それを自分の中からお客さんに伝えるという、宇宙を取り込むという、があーと首を回している最中にわあーと全宇宙を取り込んで、それをがーんと投げつけるわけですよね。そういう迫力が出なくてはいけないのです。
鳴門
あの瞬間、全体がピタっと止まった瞬間は一枚の絵に見える。あれがすごいなあと思いますね。ただあの瞬間に声が飛んでこないと。
矢之輔
いやいや、これはね。特に市民劇場さんの例会では、それはないもんだと思ってやった方がいいです。この頃勉強しているというか、色々稽古している方がいて声をかけてくれるんですけどね。その場合には、どういう掛け方をされても、会員さんである限り大丈夫だと思います。 中には本当にうまい人がいますよね。歌舞伎座の3階で他の本を読みながら、チャリンと鳴ると「成駒屋」と声かける。本をずっと読んでいるんですが筋を知っているので芝居をみなくて声掛けているんですよ。それよりも気持ちがあって、とにかく何か応援してあげたいとか、そう思って声掛けてくれる会員さんの方が余程好きですね。 国立劇場で、もう20年以上前ですけど「勧進帳」をやってね、弁慶で花道の七三で見得すると、すーっと幕が閉まって僕一人になるじゃないですか。あそこは本当に役者やってて良かったなあと思う瞬間なんですよ。それから打ち上げの見得をして、わあーとやった時に、花道のどぶ(丁度客席下の役者の背中が見える場所)のお客さんから、ファイトという声がかかったんですね。普通は「大坂屋」とか「待ってました」とか「たっぷり」とかですよ。でもファイトと言われて、ふっと思ったんですけど、そのどぶに座っていたのが演劇鑑賞会のある地方の方なんです。バスツアーできてたんですね。我々を何か褒めてあげたい、何か掛け声でもって励ましてあげたいと思ったけど何と言っていいか分からないので、取り敢えずファイトって出たんじゃないかと思っと・・・それがものすごく嬉しかったですね。
鳴門
我々からすると屋号がちょっと覚えにくいんですね。そして見得を切った時のタイミングは分かるんですけど、それ以外に登場した時とかはどうしていいか分からない。だから声だすのは勇気がいるんです。
矢之輔
一番声掛け易いのは花道です。花道で七三のところで必ず何かやるじゃないですか。そこから揚げ幕にひっこむまでは距離があるから、あの間は絶対声掛けやすいんですよ。その間は余り(演技を)やりません。それは出る時もひっこむ時も同じです。出る時にちゃりんと開いて、出てきて七三に行くまでは「待ってました」なんていうのは、それはもう演っている役者はいい気持ちになりますね。お客様も何か期待で観るじゃないですか。
  今度の芝居なんかは見得を切るところは一つもないですから、声を掛けにくいと思うけど、本当はいいとこだなあと思った時に何か「よっ」でも何でもいいんですよね。何か声が出たら、拍手でもいいですし、とにかく正直に素直に表現されるといいですね。やっぱり私語を禁止するとか、そういう芝居環境の中で観ているから、歌舞伎だからといって何か声だしちゃいけない、笑っちゃいけないとか、よく思われると思うんですけど大いに結構なんですよ。
鳴門
多少ピント外れでも構わないから思い切って出して構わないという事ですね。
矢之輔
いいですよ。実際何回か掛けている内に「あっこれなんだ」と、思われると思いますけど。
鳴門
やっぱりタイミングがものすごく難しい。
矢之輔
掛けよう掛けようと思っていると、1時間15分ずっと緊張しっ放しで、あー駄目だったと思われるから、くたびれちゃいますからね。
鳴門
藤川さんからみて歌舞伎というものについて、どういう風に観て欲しいとかこういう風に観たら面白いんだとか、ありますか。
矢之輔
歌舞伎の観方の一番うまいのは子供さんなんですよ。分からなくてもどんどんパスしてっちゃうでしょ。分かるとこだけ感じて、それも頭で理解しないで感性で楽しむじゃないですか。それでいいんですよね。だから大人の方々は台詞の意味が分かりにくいとか長唄で何か唄っているけど歌詞がわからないとか。それでどんどん分からないなあと思っちゃうじゃあないですか。それでくたびれちゃうんですけどね。どんどんパスしてっていいんです。だけど観ているうちに楽しみ方が自分で分かってくる。ともかく楽しまれるといいんですよ。
鳴門
最後に、私たちのような演劇鑑賞会の活動について、何か一言あればお願い致します。それと鳴門市民劇場の会員にメッセージをお願い致します。
矢之輔
今、大変ですか、会員さんはどうですか。
鳴門
今回の「芝浜の革財布」で16例会連続クリアしています。
矢之輔
今までにも大変な時期があったかもしれませんが、芝居っていうのは普通の娯楽とは違うと思う。特に、この間「南の島に雪が降る」をやった時に、戦時中に、ああいう究極の状況の中で芝居をやるという、それが凄い。ニューギニアの奥地にパチンコ屋を開いてもそうはならないですよね。酒場を開いても駄目なんですよ。芝居をやったって事がものすごい生きる励みになった。この文化の力っていうのは、映画でも駄目じゃないかと思うぐらい、生の芝居は力があると思うのです。それを拡げてるという誇りを持って頂けたらいいと思います。
  会員状況がこうなろうとああなろうと、あくまでも生の芝居のいいものを皆で会費を出し合って観るんだという気持ちがあれば、ずっと続けられると思うんです。それを続けて頂ければいいなあ。文化という僕らが携わっている仕事は、ものすごく力があるが、逆用すると、どんどん悪いことに使われしまう。特に今は、一人で楽しむものが、どんどんはやってきているでしょ。ああいうもので育った子供たちは、人と輪を作るとか一緒に何かするというのを嫌うし、それだとどんどん閉鎖的な世の中になる。そうすると悪い方へ行ってしまう。
  今の国会前なんか、すごいなあと思います。あれだけの人たちが、それも団体の力でなくて、強制的な力でなくて、自発的に集まってきてね。何か黙っててはいけないんだという気持ちになります。これはとても良いことだと思います。
鳴門
どうも有難うございました。
藤川矢之輔さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは              鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。