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日色ともゑさんに開演直前インタビュー

楽屋訪問73

  劇団民藝公演「真夜中の太陽」鳴門例会(2016年1月25日)で“ハツエ”役をされる日色ともゑさんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

日色ともゑ
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
作品「真夜中の太陽」についてお伺いしたいと思います。平凡な日常が突然断ち切られてしまうという内容ですがどのような感じですか。
日色ともゑ(敬称略 以下日色と略)
この間のバス事故を考えてみれば分かると思うんです。戦争ではないけれど、同じ事です、未来があった女学生たちが、一瞬にして消えてしまうという・・・。
鳴門
どういうふうに日色さんは、この芝居を観てほしいのですか。
日色
私はそういう事は余り考えないです。客席に座って下さった会員さんが、自分の今の置かれている状況で自然に受け止めて下されば、私はこう観て欲しい、ああ観て欲しいということを、どの作品でも思ったことはないです。
鳴門
話は変わりますが、きな臭い政治の動きがありますが、どう考えておられますか。
日色
やっぱり客席で観て下さった方たちが、それをすごく感じていると思う。この芝居は今の時代にリンクしていると、危険性を感じた方も、今度の再演で多いですよ。初演が3年前、2013年ですが、その時に比べてもっと近づいてきたって感じです。台詞の中でドキッとすることがあります。ジェームス矢島というハーフの先生が教えてくれる、ヴァイツゼッカー元大統領の言葉「過去に目を閉ざす者は未来に対して盲目になる」というのがあります。過去は変更はできない。原爆が落ちたことも。変更は出来ないけど、そのことをきちんと検証していくと、じゃああの愚かな戦争を、無駄だった戦争を何故始めてしまったのかということに行き着くと思うんですね。若い命が、皆死ななくてもいい人たちが死んでしまった。二度と戦争を起こしてはいけないと、そういう事を多分皆さん客席で感じ取って下さるんじゃあないかなと期待してますが・・・。それを押し付けたくはないと思っています。あそこに生きていた15歳の女学生たちに輝く未来があったのに、パンと断ち切られて消えてしまった。その中でたった一人生き残ったハツエが、「なぜなぜ私だけが生き残ったのか」とずっと傷つきながら生きていく。この間東北をずーっと回ってきたんですが、東北大震災で、やはりそういうふうに思っている人が沢山いたんですね。ロビー交流会で目の前で津波で流された人がいた。なぜ自分だけがあの時生き残ったんだろう。それをこの芝居を観て、「ありがとう、私たちの分までいろんなことしてくれたんだね」という台詞を聞いて、一度自分は生かされたんだから、もっと前むきに生きて行こうとその人は思ったそうです。
鳴門
防空壕の話が出てきますよね。ご自身の体験から、この作品を選ばれて、やってみようと思ったんですか。
日色
いいえ、別のところで上演されていて、50分位のものだったんですね。それをうちの劇団の人が見て、素晴らしい舞台だったので、劇団で民藝バージョンにしていただいたのです。上演時間を1時間25分にのばしてもらいました。工藤千夏さんという作家が、谷山浩子さんの曲からイメージされて作られました。私は疎開先で防空壕の体験があるんですよ。警報が鳴ると、母が子供たちの手をとって防空壕に入ってました。でもすぐ解除になって出てくるから。何か慣れちゃって、あー又か、ってなもんですよ。皆もそうだったと思うんですよ。
鳴門
覚えているものですか。4歳位で。
日色
鮮明に覚えてますよ。
鳴門
私は和歌山が空襲に会った時のことを覚えていますよ。
日色
見えました?
鳴門
はい。それが忘れられません。鳴門の東にある岡崎から海が見え、それが真っ赤に見える。岡崎が燃えてると思っていたんですが、後で和歌山が燃えていたんだと聞きました。
日色
そうですか。東京大空襲で死んでしまった祖母と叔母が私たちのところを訪ねてきて、「あーここなら安全だね」という会話を母としながら、2階の窓から眺めていた姿をよく覚えています。そう、写真みたいな記憶として残っています。
鳴門
部分部分が記憶として残っているですね。
日色
ええ。
鳴門
私は松茂という所で育ちました。三木与吉郎さんの家の近くで、そこは集中的に攻撃されて、爆弾がたくさん落ちてきました。
日色
あーそうですか。
鳴門
私は昭和18年生まれです。戦争の直接の記憶はないですが、思い出してみたら、幼稚園位の時に、近所で配給があって沢山の人が並んでいるのを覚えています。田舎なのにまだ配給が必要だったのかと、今は思います。
日色
戦後の食糧難の時代で、みんな配給制で、お米なんかも通帳を持って行って、私のような子供も大人と一緒に並びましたよ。
鳴門
さて、若い女優さんたちが生き生きしてやっておられますが、何か特別の工夫とかされているんですか。
日色
劇団の戦争を経験している先輩たちが稽古場に来てくださって、いろいろと話をしてくれています。例えば勤労動員で行った人たちもいて、竹やりの訓練をしたとか、行進をしたとかを具体的に教えてくれました。ゲートルの巻き方一つにしても実際に戦争を体験した先輩たちが教えに来てくれました。戦争の記録映画とかの資料が沢山あるんですよ。そういうのも出来るだけ見ました。今は便利でインターネット、DVD、映画とか資料が沢山ありますので、一生懸命見ました。初演の時は、その当時どういう食べ物を食べていたか。実際に劇団の食堂ですいとんとかお菓子を作ったり。結構楽しんで、わーわー、キャーキャーやりながら作って食べました。すいとんも今の材料で作るからおいしいの。さつま芋でも、ここの有名な鳴門金時のようなおいしい芋でしょ。昔はびちゃびちゃのまずいさつま芋だった。
鳴門
今は舞台が多いですね。TVは余りないですね。
日色
今はもう(TVの)話もありませんしね(笑)。舞台の仕事で全国をまわり、たくさんの会員さんとお会いできるのが、一番幸せですね。
鳴門
田んぼやってらっしゃるんですか?
日色
はい新潟で。今年も5月に田植えをするんですけど、もう20年になります。
鳴門
えー。
日色
よく続いたと思うんですけど。
鳴門
全国旅しながらよくできますね。
日色
私がそんなにやるわけじゃないけど、田植えとか刈り入れとか、途中で雑草取りにいくとか、結構そういうことやって新潟にはちょくちょく顔を出しています。新潟の米はおいしいですよね。
鳴門
どういう関係で新潟なんですか?
日色
きっかけは、「この子たちの夏」という、今は「夏の雲は忘れない」というんですが、原爆の朗読を続けているんですよ。21年前ですが、新潟でもやってくれる事になって。私のよく行っていた旅館の女将が実行委員になってくれたんです。その打ち上げの時に、「農業を考える会」の青年たちが来て、日色さんが今度温泉に遊びに来た時に、子供たちに朗読を聞かせて欲しいと言われたんです。そしてギャラの代わりに田んぼをくれると言ったんです。
鳴門
わっはっはっは(笑)。
日色
それで20年続いて。農業やっている人たちからTPPのことをどう考えていったらいいのかを学びながら。彼らも今まで土としか会話してこなかったけど、私を通じていろいろ学んでくれているようです。
鳴門
舞台を離れて日常生活での趣味は何かおありですか。
日色
日常生活ねえー。ただグダグダしているのが一番いいけれども、でも一応エアロバイクで脚を鍛えたり、前はアウトドア派で山登りとか海に潜ったりもしていました。もう歳ですからやめましたけどね(笑)。スキーもやっていたんですよ。結構お転婆でした。
鳴門
好きな言葉、座右の銘がありますか。
日色
私ねー、座右の銘ってよく言われるんですけど、決めてないのです。その時々でいろいろなこと書いています。
鳴門
最後に、我々のような演劇鑑賞会の会員に一言メッセージをお願い致します。
鳴門
難かしい問題ですね。特に四国は今、冬の時代を迎えていますね。全国の演劇鑑賞会の問題ですね。去年私たちはそういう芝居をやったんですよ。大正時代の話ですが、冬の時代、「日本の冬の時代」っていう。だけど必ず春は来るんだから。鳴門も昨日は雪、今日は晴れてるじゃないですか、そうなんですよ。私は宇野重吉先生と一座で回っている時に「お前は、もっと演劇鑑賞会のことを考えろ」と言われたんですよ。でも考えろと言われても、どう考えていいのか、当時は分からなかったですね。事務局の人たちと付き合うのは宇野重吉であり、私にはわからなかった。だから鑑賞会って言われても、どうしたらいいのかと思っていました。宇野重吉先生が亡くなられてから、20年ぐらいたってやっと分かって来ました。この組織が無くなると、皆さんは自分が生まれたところで芝居が観られなくなる。自分たちがもち寄った会費で観られる、こんな素晴らしいことはないんだ。もっと自信をもって胸張ってやって欲しい。観たいものを観られる。コツコツと出会いを大切に頑張りましょう。会員を増やして下さると嬉しい。確かに客席を見るとお歳を召した方が多くなってきましたが、その人たちと一緒に私たちは創ってきたんじゃありませんか。その人たちの子供や孫、ひ孫とつないでいってもらいたいですね。鑑賞会がなくなってしまった時のことを考えて欲しい。どれだけ演劇が好きか、演劇を観たいと渇望しているか、それが無くなってしまったらどんな寂しくむなしいかと。生の舞台を観たいと望んで欲しいですね。その時にきっと舞台と客席と心が通じあうはずです。
鳴門
どうも本当に有難うございました。
日色ともゑさんとインタビューア

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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