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吉村直さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問81

  青年劇場公演「みすてられた島」鳴門例会(2017年7月9日)で“島長・児島大作”役をされる吉村直さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
まず作品についてお伺いします。戦後の大島憲法の話かと思いましたが。 永井沙織
吉村直(敬称略 以下吉村と略)
いや、大島憲法から想を得てですかね。
鳴門
想を得てですか。そういえば、携帯電話を使っているし、テレビのリモコンもあるし。あれっおかしいなとは思いました、近未来の話なんですね。とてもリアルで、僕は沖縄の琉球独立論を思い出しました。吉村さんはどういうふうに捉えていますか。
吉村
ご覧になった方たちは、やっぱり沖縄のことを想い起こした方が多かったんですが、実際、隣の北の国じゃミサイル実験するとか、フィクションの話が段々現実味を帯びてきてる。世界中のバランスが微妙なとこに来ていているし、日本なんかは、どんどん戦争の出来る国になりつつある。その怖さみたいなものをひしひし感じます。今回の「みすてられた島」は、そういう意味で非常にタイムリーな作品になってきたと思ってます。僕の中では「みすてられた島」というタイトルですけど、国民不在の国というイメージですけど、国って何だろうとあらためて想起させるきっかけになっていると思います。
鳴門
設定が妙にリアルですね。
吉村
今、まさに改憲議論がなされていますが、何のために、誰のための憲法なのかというところがないがしろにされていると思われます。そのあたりをご覧になった皆さんがいろいろ感じて頂けたら、創った僕らとしては嬉しいです。
鳴門
作品を書いて芝居をしていく上で、個性ある役者を配置してそれを演じ分けていらっしゃいますが、どういう形で仕上げようとしていますか。
吉村
登場人物それぞれのキャラクターはよく書けています。ただ初演から3年がたち、今回台本も改訂されたので、全体のトーンは随分変わりました。人物設定も人間関係も変わったのですから、新作をやっているような感じです。稽古の中でそれぞれの立ち位置、職業などを確かめあい、リアリティーがあるような場と空気を作り出していきます。ここのところには非常に苦労していますし、難しいところです。
舞台の上で毎日毎日どう新鮮にいられるのかということ、相手役の言葉に心が動いて、意見を言うと結構疲れるんですよ(笑)。息が抜けませんね。
鳴門
キャラクターの人物形成は、現場でやっている役者さんたちから出てきているんですか。
吉村
基本的には、演じる時にその人が持っているものがその役ににじみ出てきたほうが面白い!!と思います。その上で、自分の中で眠っている普段出てないところを、こんな面があるんだなあというのを発見していく作業が俳優の仕事だと思います。だから俳優は面白いし、俳優を続けられているんだと思いますよ。別の自分との出会いというか…。最終的には客観的に俯瞰してみてくれる演出家がいて、例えばそこのところの人間はちょっと違うんだよねとか言ってもらいます。
鳴門
舞台作りは色んな工夫をされていると思いますが、苦労した点などをお話しして下さいますか。
吉村
そうですね。結構憲法用語などの専門的な言葉が多いので、それをどう自分の中で具体化していくかが大変でしたね。特に今回は島の憲法を作るということを前提にしているものですから、そのあたりを丁々発止とやりあうところは大変でしたね。
鳴門
島の人たちの日常の中で、憲法という堅い言葉を身近に感じられるように話をするのは難しいと思いますが。
吉村
そうなんですよ。「憲法」とは何かということを、お客さんと一緒に考え合えるようにしなくてはならない。ということまで言わなきゃならない。
観て下さった方から、「いやあ楽しかった」ということを言ってもらった。眠くならずに(笑)じっくりと考えさせられたと言って下さる方もいました。
鳴門
台本読ませて頂いて、最初の設定のところで、ここにリビングがあってあそこに台所があってとか…一つの見取り図を作っていました。だから今日の舞台がどんなふうに創られているのかが興味ありました。
吉村
今回の舞台セットは透けているんですよ。骨組みだけで壁がないんです。壁はあるが見えないということですが、ふっと時々忘れて、通り抜けたりしちゃって(笑)
吉村
今回の作品の核心の一つは家の問題でもあり、人との繋がりみたいなものがあります。それは何にも変えがたいものじゃないかと思います。
どうしても経済優先の、貧しいものは切り捨てられていく風潮の中で、そうではない生き方がどう出来るのか、というあたりを感じてもらえたら嬉しい。
鳴門
では、こういった旅公演で役者さんたち同士の交流はどうなっているのでしょうか。
吉村
交流っていっても、忙しいですからね。お休みも少ないです。朝、仕込みやって、本番やって、片づけてホテルに帰るという一日で、ゆっくり出来ないですね。次の日も朝早い場合が多いので、じっくりお酒を飲みながら話すことは少ないでかな。
鳴門
皆、スタッフとしても働いていますしね。
吉村
ああそうですね。若い連中はね。
鳴門
休みの時にはそれぞれが個人で好きに動くというよりは、団体で行動することが多いですか。
吉村
今のところは、そうですね。休日がポンとありましたら、それぞれがその時はいろんなところへ勝手に行きます。いつも同じ顔は見たくないと言って(笑)。とは言ってもうちの場合は、割と集団性が強いと思います。始まる前は、必ず全員でミーティングをやります。例えば、市民劇場側の様子がどうなっているんだとか。この市民劇場の成り立ちから現在はどうなっているかっていうことを、そのあたりは僕ら市民劇場の例会で廻ってきているから、知らないじゃすまされないし、一緒に手を携えて盛り上げていきましょうということですから…。
鳴門
地方を廻りながらやってますね。観光にはほとんど行ってないんですか。
吉村
ないというか、昔はやれたんですけどね〜。逆にやりたいっていうか(笑)。やっぱり全国的に厳しくなってきているので、スケジュールもタイトにならざるをえません。観光とかの時間がないですね。でも若い頃は元気あったから、朝早く起きてどこかのお寺さんに行ったりしましたが、それも体力的にそろそろしんどいところがありまして・・(笑)。
鳴門
鳴門も、今、1ステージしかないので、2ステージにしてくれたらゆっくり観光もできるのにね!って。
吉村
ドイツ村とか行けるのにね。明日、北海道の旭川へ飛ぶんですよ。朝、チャーターバスで関空まで行って、そこから飛行機で。
鳴門
今は、劇団は地方を廻っている方が多いんですか。
吉村
青年劇場は創立当初から学校公演をやってます。今は、首都圏で『オールライト』という作品をやってますけど、それも大変ですよ。学校の公演も減ってきてますし、生徒が減少傾向にあるので、上演料もダウンしなきゃいけないから本当にボランティアに近いです。青年劇場の財政を学校公演が支えていた時期があったんですけど、今は、俳優もスタッフも人数を減らさないと経費がかかってねえ。15人で舞台を設営して、芝居をやって、また片づけて移動するというのは、いろいろ知恵は絞ってやっているんですが、それでも経済的にも体力的もなかなか大変ですね。
鳴門
市民劇場の会員が減ってきているから会員に接する機会も減ってきているところがありますか?。
吉村
それもありますね。それと若い会員が少ないですね。全国的にそうですけど、そういう人たちが残業等でお芝居になかなか足を運べない。芝居観られる時間も保障してほしいですね。でも、芝居観られなくても生きていけますからね(笑)。う〜ん。僕なんかも熊本の片田舎に生まれて、高校3年の時に体育館でやったのを初めて真剣に観ました。
それがなかったら、ずっと観る機会がなかったと思いますね。それでも生きていけたんだと思いますけど(笑)。
今、自分でやってて、芝居から得られる感動とかそれ以上の大きいものがあるなあと思っています。それだけに余計責任感というものがつきまといますけどね。
鳴門
高校の3年生で初めて芝居を鑑賞したんですか。
吉村
僕は、中学、高校の時柔道部で(笑)、全然芝居とは関係なかった。3年生になったら部活も卒業するから早く帰るでしょ、で、演劇部の先生に手伝ってくれといわれて。その頃演劇部は地区大会とか県大会に出て上位に食い込んでいたんです。演劇部は女性が多かったものだから、じゃ手伝おうと。それがきっかけで大学へ行った時に、演劇部に入ってやってみようかなと思ったんですね。
鳴門
そして、青年劇場に入られたんですね。
吉村
ああそうですね。結果的に(笑)。
鳴門
結果的にと言ってますが、すんなり入られたんですか。
吉村
すんなりというか、養成所の試験だけは受けといたんですが、最終的に青年劇場に決めたのは、『夜の笑い』という飯沢匡作・演出の非常に素晴らしい作品があって、こういうこともやれるのかと思って、青年劇場でやってみようかと思いました。それが結果的に良かったと思っています。
鳴門
初めての舞台は何だったんですか。
吉村
初舞台は『夜の笑い』という二部構成の舞台で、1980年の近畿ブロックの旅です。1部は、主人公が一軒家を新築したんですが、それが突然国籍不明の軍隊に滅茶苦茶にされてしまう「春の軍隊」。「屋台崩し」で、どんどん家が崩れていくんですね。戦いが終わって、お〜、どうしたんだって村人が出てくるんですが、演出の飯沢先生が僕の方ばかり見ているんですよ。何か気に入ってくださったんでしょうね。その後からですね、飯沢先生が書かれる芝居に僕は大体出させてもらいました。後は、学校公演をその年の秋から廻りました。「かげの砦」と言う芝居で、これも1000回ぐらい廻りました。その中で僕は一言もしゃべらない、最後に笛をペッペケペーとテーマソングみたいのを吹く、重度な知能障害を持っている役をやりました。とにかく目立つんですよね。何もしなくてもね。演出も稽古の時は、まあとにかくそこに居てくれたらいいと言って(笑)。えっ、じゃあどうするんだ、どうしたらいいんだと言いながら自分で試行錯誤しながら、興味あるものを追っかけて行くとか、例えば稽古場の床にしみがあったらしみをずっと追っていく、そうやって自分もそこに存在しているんだということを示しました。
鳴門
鳴門が独立した時の公演『愛が聞こえます』の時も、障害者の役でしたね。
吉村
はい、そうでしたね。
鳴門
なかなか難しい役どころだと思いますが。
吉村
小学校の時に久美子ちゃんという脳性麻痺の女性がいました。姉同士がお友達で、僕はからかった印象しかないんですけど、彼女はかまってくれると嬉しいってことを姉に言っていたそうです。その役を頂いた時、彼女が生きていたら、こんなことをやりたかったんだろうなあっていうようなことを思い出したんです。彼女はもう亡くなりましたけどね。
東京公演の時でも、地方を廻った時でも障害者の方たちが楽屋へ訪ねてきましたよ。「生身に自分たちを演じてくれてありがとう」と言われました。
あと「翼を下さい」では、芝居もそうでしたが、それ以上にいろんなエピソードがありました。芝居終わってから親子で来て、言い合いになって、「お母さん私が言いたかったことはああいうことなのよ」と。「わかった、わかった。それは家に帰ってからにゆっくりと」という具合で。公演通してそれがドラマを生み、むしろ僕らの方が開眼させてもらいました。学校公演でのエピソードもすごかった。西日本一広い体育館での舞台、1500名くらい生徒さんで、奥がかすんで見えないくらい広い。でも、生徒さんたちの熱気がすごい、内容が自分たちの問題に思えて、生徒さんたちがもう前のめりに観て、それが最後にカーテンコールでちょっと呼ぼうものなら、みんながだーっと上ってくるんですよ。一緒に肩組んで歌おうとして。これは危ないと思って途中で楽屋に戻ってきたぐらいです。ある時は、ラストに小倉っていういじめられっ子役が歌うんですけど、その時会場のあちこちから「小倉頑張れ」という声援がとんで、僕の方が涙出してしまった。あっそうか、高校生というのは辛い、切実な問題をかかえているんだなあと逆に教えられました。
鳴門
舞台というのは自分たちの鏡のようなものだから、こういう思いで観てくれているのかというお話を伺って、よく分かりました。
吉村
そうですねえ。だから芝居は太古の昔から脈々と、これまで続いてきたんだと思いますよ。人間が生き続ける限り、僕はなくならないと思っています。これ (芝居) がなくても生きていけるけど、人間の中にはやっぱりそういうものを求める何かがあるし、客観視して物事を見つめる必要があると思う。演劇というのは自分自身と時代を写す鏡でもあるわけですから。
鳴門
舞台を離れての趣味とかありますか。
吉村
畑をやっています。200坪ぐらいの畑を耕して、植えたり手入れしたりしています。やっぱり食べ物は大事にしなきゃいけない。あとは釣りですね。地元の行きつけの店のマスターがいろんなことが好きなんですよ。それで畑も一緒にやりましょうとなって、そこの常連客に釣りが好きな人がいて、じゃあ一緒に釣りに行こうって、いろんな職種の人と交わるというのがとっても大事ですね。そういう人たちが、お客さんで観に来て下さるんでね。それがとってもいいんですよ。
鳴門
また話題が変わるんですが、大切な本とか歌とか座右の銘とかありますか。
吉村
座右の銘ですか。あまりねえ。そういうキャッチフレーズは表に出さないようにしている、というより思い付かないと言った方がいいんですが、好きな作家で言うと、池波正太郎さんですね。あのダンディズムというか男はこうありたいというところがねえ。本はほとんど読んでいます。また、浅田次郎さんのあの世界も好きですし。こうありたいよねえというものがある。読み方一つにしても、こだわって丁寧にゆっくりと読みます。身の周りにあるもの、それこそ道端に咲いている花に、ふっと目が行くかどうか。僕は極力しんどい時は顔を上げるようにしています。東京は星空見えにくいのですがなるべく星空を見るようにしていますね。丁寧に生きる、これが大事なことだと思っています。
鳴門
そのダンディズムに惹かれる気持ちは、演技には生かされていますか。そういう作品を今度はやりたいなあとか。
吉村
そういうのもあります。それを読み語りにしたり、行きつけのところで不定期ですがやったり、この間もシャンソンバーで読み語りをしました。それから落語の「芝浜」とかをやりました。
鳴門
へえ〜。
吉村
いいのがあるんですよ。『息子』っていう、民芸の滝沢修さんが演じた、幕末に火の番をする爺さんの話なんですけどね。そこへヤクザになって戻ってきた息子が訪ねてくるんですよ。捕り方に追われながらね。これは一人で三人の役をやるんですが、一人でもいいが、やっぱり三人でやった方が面白いです。芝居にすると大掛かりになっちゃって。なかなか簡単には出来ないからね。これからの僕の夢はそういうのをやることです。
あちこち出前みたいにやれたらいいなあ。
鳴門
落語はお好きなんですか。
吉村
好きですよ、本職の人たちには到底及びませんが…。行きつけの飲み屋で、噺家の三遊亭円窓さんのお弟子さんの万窓さんっていうのが常連で、そのお店で結構一緒にやったりしてますよ。文学座の早坂直家君が落語芝居っていう形で仲間内でやっているんですよ。浅草の「木馬亭」ってところとか、結構あちこちで身近な感じでやってます。まあそのうち押し売りに来ますから(笑)。
鳴門
最後に、私たちのような演劇鑑賞会に対して、また、鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。
吉村
先ほども言いましたけど、この組織は世界に類のない鑑賞組織ですね。自分たちで運営してやっていくのは、誰かが欠けても、誰か一人がリードしても続かないものです。人を誘って・・・は大変でしょうけど、亡くなった土方はよく「芝居を独り占めしない。分かち合うこと」「知らしむること」と言って、自分たちの観客に責任を持てと語っていましたね。この組織のことを知らない人の方が多い。でも知らせるのはタダだから、そこから選ぶかどうかは相手次第。だから、断られても当たり前くらいに思う事ですね。悪いことはしていないんだから。演劇は舞台上での役者の息遣いもわかる、リアルタイムで同じ時間を共有できるもの、ライブ感を大切にして欲しいですね。コミュニケーションが希薄になっている今、会員同士で楽しく感想を聞き合ってわいわい言って育てていけたらいいなあと思います。子供さんやお孫さんにも広がって欲しい。生活の一部になるくらいにできるのかが、僕らも鑑賞会も問われていると思います。一緒にがんばりましょう。
鳴門
どうも長い間有難うございました。
吉村直さんとインタビューア

E-mailでのお問い合わせは     鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。