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「もやしの唄」

テアトルエコー公演

鳴門市民劇場2018年5月14日例会 感想集


鳴門例会カーテンコール

よくもやしを食べます。安くておいしいので買ってきます。一週間で大きくなるのは知りませんでした!子供を育てるように愛情こめて育てている泉商店の社長さんの心根に、人間の情を感じました!野菜でも心こめて育てているのは甘くておいしいです。

何十年も昔はもやしっ子と言ってました!今みたいに栄養がある物は口に出きず、家庭で作った野菜をたべてた自分達の時代です。もやしは身近な野菜ですが、主役として食卓にのぼりません。影のうすい食品です。これを機会にもやしをしっかりたべましょう。

最初は舞台や登場人物を見て、ちょっと田舎臭い芝居なのかなぁと思いました。モヤシを育てるのが、そんなに大変なのかと思いました。終わってみると、事前に言われていたような喜劇ではなく、心温まる人情話だと思いました。

舞台設定は昭和30年代テレビ・炊飯器・洗濯機などの家電の変化の時代。私も、覚えのある時代。懐かしさの中で観劇。あなたはこの時代を知っていますか?
 お芝居の中のこと。もやしの発育専門の部屋で、もやしが大きくなるときに音が出る。そして、その音が聞こえる。技術面はともかくとして生業に真面目に取り組むと、だれもがスペシャリストになると教わっている気がする。
 また、喜助さんの台詞に「売っているものしか買えない。」自分の欲しいものがないと買えないことに気付かされた。新鮮な感じであった。
 松村さんの台詞のなかで、「新しいものが古いものを壊してしまう」でも、「もやしの音を聞き分ける人はこわしたりしない」等、永く心に残る言葉に出会った。感激している。

地域社会や家族との関係が希薄になっている現代において泉商店のあたたかい関係はいいなと思いました。
 それぞれが言いたいことを言うのに「けんか」にならないのは、お互い信頼関係があり、お互いを認め合っているからだと思います。
 そして、なによりも家を守っている長男の存在が大きく、みんなが安心して暮らせるのだと思います。
 「家を継ぐ」ということを改めて考えさせられました。

中学入学から二十歳までが私の1960年代。零細企業が多く、周囲の人々との交流が色濃く残っていた時代で、懐かしいシーンでした。大切にしなければならないものがあったように思います。

「もやし」は好きな食材の一つですが、あの様な苦労の歴史があるなどと想像できませんでした。安くて何時でも手元に置いてますが、今後は、より感謝を持って食したいと思いました。

昭和30年代の生活を思い起こしながら、観劇しました。前半はアルバイトに追われた学生生活、後半でやっと就職して必死で頑張った時代だった。楽しみはラジオだけ、東京オリンピックに中古のテレビを月賦で買って、宝物のようにしていました。カラーテレビなんて夢のまた夢。皆、周囲の人がやさしく、本当にのんびりした時代だったと思います。
 2時間余り、「もやしの唄」の舞台に、これと言った特別なものは見あたらないけど、心が何となく温かく、笑顔になってくる日々の生活で、忘れかけていたものを思い出す、そんなひとときでした。
 安価な野菜と思っていたもやしがあんな作る人は苦労をしているのだと初めて知り、反省をしました。自分の仕事に真面目な態度で接する生き方の大切なことを、しみじみと感じました。

人間の生き方や喜怒哀楽を、日常生活の中からていねいに取り出し、描きあげているところが、大変良かったです。電化製品の普及や手作業から「機械化」への時代の変化は、私達の生きた時代であり、共感して観賞できました。

3月例会「砦」が骨太で深い芝居であっただけに、今回の「もやし」は、心配だった。案の定、出だしは新人:もやし君と押しかけ助っ人:九里ちゃんとの軽い会話から始まる。大丈夫かな~ (^_^;;
 しかし、話が進むにつれ、内容の濃さを知る。昭和40年代の、時間がまだゆっくりと流れて、家族関係がまだ熱い時代のお話。恵五郎役の根本泰彦さん曰く「私は、『当て役』なんですよね~♪」小川未玲作・演出だが、彼女の父の実家を描いた作品で、恵五郎役をヤルのにぴったりな人と指名されたそうな (^ ^)v というか、根本さんのイメージが主人公(未玲さんの伯父)に重なっているらしい。自身もフォーク世代なので、普通にギターも弾けるとか・・・♪
 思えば、1月例会も3月も5月も、そして、7月例会「もし、終電に乗り遅れたら・・・」も、テーマは「家族」だと思う。今年は、家族4部作?
 一方、終演後の交流懇親会では、「この劇は喜劇です!」の制作の弁で盛り上がる。喜劇専門であるテアトル・エコーの面目躍如と言いたいらしい。ちなみに、同じテーブルに座った9人に票を取ると・・・ 劇団のふたりだけが「喜劇」と投票 (^_^;; いろいろな喜劇があると制作答弁もあったが、みなさま、いかがでしたか?
 それはともかく、心に残るいい作品でした。どうもありがとうございました。
 最後に、九里ちゃんが愛しい恵五郎さんの妻になれてよかった、よかった (^ ^)v

今回は、事前にテアトル・エコーの稽古場日誌のブログで見ていたので舞台写真の数々に興味津々で、本番が楽しみで仕方ありませんでした。また、声優もされている役者さんの声も楽しみで、予想通りの大きな綺麗な声で皆さんの台詞が聞き取りやすかったです。(観たのが徳島でもあったので)また、自分が子供の時の時代背景なのでバックにうっすらと流れる音に懐かしさを感じていました。そして、室(むろ)の中で「もやしの唄(おと)」を聞くシーンが照明によって、あの搬入時に見たセットを綺麗で感動的なシーンになって目の前に現れたのには驚きでした。台詞一つ一つに込められた思いもジーンとしてきて、感動の舞台をもう一度観たくなりました。

もやしといえば“もやしいため”“焼きそばにたっぷり”、それから我が家は「すきやき」にも欠かせませんが、商品化する苦労は大変なものなんですね。その中で家族が助け合いがんばってユーモアを交えながら生産を続けていく様子をとてもほほえましく力強く感じました。

地味ではあるが、時代の移り変わりの意味をじっくり考えさせられる芝居だった。最後の方で、とみが「変わらないでも、よかったのにねえ……」と言ったのが印象に残った。電化、機械化によって大切なものを失っていないか、と問いかけられ、考えさせられた。また、あの時代、喜助さんのように息子を戦争(あるいは戦後の食糧難)で亡くし「戦争後遺症」となった人々がたくさんいたことも思い起こさねばならない。いわば、それは「明るいナショ…」と対比されていて、自分たちの繁栄は誰の犠牲のうえに成り立っているのか、も考えねばならない。
 それにしても、手作りのもやしは何と手間のかかることか。今はオートメーション化されたとはいえ。味わって食べねば、と思った。
 もうひとつ、恵五郎の「楽じゃなくたって、楽しいことはあるよ」というせりふも、繰り返し味わいたいものだ。

3月の「砦」と5月の「もやしの唄」は期せずして同時代の人物像を描いた作品であったが、全く異なった趣の作品で興味深かった。
 「砦」は、強い信念と情熱をもってダム反対闘争に生きた室原知幸の生き様を描いた重厚な作品であり、「もやしの唄」は、もやし作りに情熱を燃やし愚直に生きたもやし屋さんの生き様を軽妙な家族劇として描いた作品であった。室原友幸は妻ヨシさんの愛情に支えられ、もやし屋さんは家族・隣人の愛に支えられた人生であった。人間だれしも愛が必要なのだ。

鳴門例会カーテンコール


も もう子供時代には戻れない
や やりたいことはいっぱいあったろうに
し 自然と親の後ろ姿を見てもやし屋になった兄
の のんびりなんてできゃしない
う うっかりなんてできゃしない
た ただただ温度と水分の管理の日々、
でも、でも、もやしの室にはもやしが成長する証としての
ちっちゃな、ちっちゃな、唄があった!
あったかあい、優し~い、ちっちゃな、ちっちゃな唄があった!
その唄が頑なになっていた村松(松村?)の心を溶かした。
兄を慕う彼女の存在にも気づかせた。
すごいぞ、もやし!
いかすぜ、もやし!
これからもやしを買った時は、
そっと耳を近づけて、
まだ残っているかもしれないもやしの唄を聞いてみよう。

もやしと言えば、安い食材という位にしか思っていませんでした。この芝居を観て。昔水やりは6時間おきに必要なこと、手間をかけもやしが作られていたことにおどろきました。
 愛情をかけていたからこそ「もやしの唄」を聞く事ができたのですね。
 心に温かいものを感じることができた芝居でした。

亡くなった父が、恵五郎さんと同世代です。母と二人で木工業を営み、忙しい時は夜中まで仕事をしていた事を思い出しました。両親に感謝の気持ちで観ていました。もやしの唄は、一生懸命働いている人達へのねぎらいの唄の様に思いました。

時がゆったりと流れる中で、昔ながらのもやし作りに精を出す恵五郎。大量生産や生産性重視の中で、律義に手間と時間をかけてもやしを愛情込めて作り続ける恵五郎の姿に感銘を受けました。
 劇中、恵五郎がギターで生演奏する場面が何度かあり、昭和30年代にタイムスリップしたようなペーソスを感じました。ギターの生演奏をもっと聴いてみたい気分でした。

手作業でもやしを作っていたなんて知りませんでした。しかも水と暑さで苦労していたなんて。
 私の小学校時代にあたるので、当時を思い出しながら見ていました。
 口では悪くいいながらも、互いを思いあっている家族の心の交流が感じられました。
 松村電気って、松下電気のもじりでしょうか?

昭和30年代の様子がよくわかる、ほのぼのとしたとてもいい作品だった。喜助さんの(買い物には行かない)「売っているものしか買えないから」という台詞がとても印象的で、大切なものはお金では買えないという当たり前のことに気付かされ、あとからじわじわと良さが実感できた。
 長男が家を継ぐ。今は、家よりも自分自身を大切にする人が増えてきている、そんな時代になってきている気がするなぁ、などといろんなことを考えさせられる話だった。

私が子供の頃は、「もやしの唄」のように家族での商店が、身近に沢山ありました。そしてそれがあたり前でした。大変しんどいですが、そればかりでなく良い面もあります。家族で話し合い、一丸となり会話も多かった、等など。
 子供の頃は、父また母の話をよく聞いたものです。(テレビが無かったので)
 子供5人で助け合い、掃除、又、母の内職の手伝いもゲームのように楽しくしていました。今思えば、いい思い出です。そんなことを思い出しながら観劇しました。
 出演されている方々の声の良さが良かったです。

登場人物の誰かしらが、自分の身近な人たちにどこか似ていて、ご近所さんや親戚の家の話を見ている様でした。一緒になって笑ったり、心配したり、喜んだり、とても心がほっこりとあたたかくなりました。めまぐるしく変わる社会の流れの中で、もやし屋を中心に健全で良い人たちが毎日を一生懸命に生きている。そこに人としての幸せや愛しさを感じました、

妻を失った恵五郎は手作業によるもやし作りをしている。妹や弟は全く手伝う気持ちがないが、文句ひとつも言わず生活している。その中へもやしのように痩せた青年が住み込みで働くようになり、家族を形成することになる。家族やまわりの人との心通う交流を豊かに描き喜劇を取り入れた「フッ」と吹き出すような場面がところどころあり、観る人の心をよくつかんだ作品だった。最後は、近代化した工場に生まれ変わる。それは、もやし青年(電気会社の社長)の援助であった。人のつながりや交流を大事にした演劇であった。

悪い人が一人もいない穏やかな舞台だった。登場人物がそれぞれ背負っている背景を優しくフォローして支えて生きているのが伝わってきた。喜助さんの存在はとても大きかったと思う。

のっけから長男恵五郎のひたすら真面目な生き方と、妹十子、弟一彦のあっけらかんと自己中心割り切った生き方に差があり過ぎて、家族家業の存続は成り立つのかと心配した。しかし、その心配は徐々に消えた。下町のもやし工場「泉商店」には、周りにバカらしい程お人好しで家族同様の素晴らしい仲間達がいて、恵五郎の睡眠不足と微妙なバランスの上に細々と製造を続けられていた。
 本業が現代食材で最もコスパの高いもやしの製造というのも、人材不足、価格下落で設備投資できない町工場の悩みも超現代的で関心も高まる。
 旧式井戸ポンプで実際の水をどんどん汲み上げるシーンには驚いた。
 結局もやしの唄まで聞こえるという愛情をこだわり、相手を思いやる家族愛、隣人愛が村松の自信をも蘇らせ、妹弟を育て、最後に恵五郎と九里子が結ばれ、工場投資にも明るい展望が開ける中で、終幕となったが、もやしへの深い愛情、お互いの心の交流が充分伝わり非常に面白く楽しい劇であった。
 又、舞台後の懇親会で役者さんが「観た後で共感とホッと幸せを感じさせる劇はすべて喜劇と言う。私たちは、喜劇の復権を目指す」と言われていたのが印象に残った。

ミュージカルも悲劇も好きだけど、やっぱり喜劇は楽しいなあと改めて思いました。例会のあとにはサークル仲間からいろいろな感想がメールやラインで送られてきます。今回も、「仕事や日々のわずらわしさを忘れて楽しい癒しの時間を過ごせました。」といううれしい感想が届きました。
 今回の「もやしの唄」は、時代が自分の子供の頃でした。新しい家電製品が次々に出てきて、心がうきうきした時代が懐かしく思い出されました。古き良き時代です。

高度経済成長期という物が豊かに手に入る時代に、買い物が楽しいという十子の言葉に、「売っているものしか買えないから楽しくない。もやしを見ているときが一番楽しい。」と言った喜助さんの言葉が印象的でした。

今も“もやし”はよく食べるけれど、その昔は大変な作業で作られていたのですね。
 あらゆることに何かと手間をかけて、ゆっくりと流れていた1960年代。今は機械化され、その工程はずい分違うかもしれないけれど、何事もそれを極めようとすると並々ならぬ苦労と努力が必要なところは、今も昔も変わらない様です。

わが家の家計を助ける「もやし」。いつもの愛用のもやしの袋に書かれていました「小さなこどものように目をかけ手をかけ水をかけ低温でじっくり長期育成すると背筋がシャンと伸びた健やかなもやしになります」
 この言葉のように「もやしの唄」の御主人(泉恵五郎)も従業員も近所の近藤喜助さんも、もやしの育成に心をこめていることに感心しました。
 これからももやしを愛食しようと思いました。

観終わって、とても心地よい感じが残ったのは何故かと考えてみたのですが、それはおそらく「登場人物全員が、良き人だったから」と気づきました。ものがたりというのは、悪役・敵同士がいてこそ成り立つ(ところがある)ので、こういうのは意外と珍しいのでは…とも改めて思いました。そして、登場人物は、みな「弱くて強い!」。それは本当はこの世の真実で、だからこそ、あるときは人に助けられ、支えられ、またあるときは人を助け、支え、そうやって寄り添って生きていくのがニンゲンらしいニンゲンの暮らしなんだけど、虚勢やウソや、たいていはそこに端を発する自分以外のものへの攻撃や、そういうことにうんざりする今日において、ちょっとウソっぽいところがあるとしても、「心地よい」感じが残る芝居を観るのは幸せなことでした。
 「楽でなくても楽しい仕事をしたい(そういう仕事はあるもの)」というようなことを言ったお兄さん(恵五郎さん)の台詞は心に残りました。「“もやしの声”が聞こえる人」に悪い人はいなくて、そういう人ならきっと古くても大事なものは大事にし、時代の流れに翻弄され大事なことを見失うようなことは無い…そうなので、いい人かどうか判断したいときには「もやし小屋」に入ってもらいましょうか(笑)。

今回の劇では全体を通して古き良き時代を感じることができました。(産まれてはいませんが…)
 また、1つのことをじっくり取り上げているところも心に残りました。
 職業柄今度からはなおもやしを味わって食べようと思いました。

あの時代のことがしみじみ懐かしく鉄道唱歌も良かった。喜助さんを見ていると、以前近所に住んでいた同じような感じの人を思い出した(彼らは周りを優しい雰囲気にしてくれる)。兄弟の話合いの場面では、身内で色々意見が違って哀しかったことを思い出した。昭和の時代への郷愁とともに、身のまわりのいろんなことを彷彿とさせてくれる、いい劇でした。

鳴門例会カーテンコール

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