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「もし、終電に乗り遅れたら…」

俳優座劇場プロデュース公演

鳴門市民劇場2018年7月18日例会 感想集


鳴門例会カーテンコール

今は夏なのに劇は寒い春の物語。嘘が現実に、一家族の渦と化していく。親父、青年、娘、息子がその家族の出来事を家族愛とともに、うまく表現し、すごく楽しく観られ、暑さを忘れてしまった。

今回の劇は明るく冗談交じりの楽しい演劇なのかなという印象でした。
 ですが、ストーリーが進むにつれ物語の中に引きこまれていきました。このような展開もあるのだと初めての演劇でした。

ありえない事態に際して人はどのような対応をするのだろう。もっともっと「ウソでしょう!?」という思いをぶつけ合うと思うのに、割とすんなりと3人とも受け入れる展開が意外だった。人は「さみしさ」「哀しみ」をだれしも抱えていて、その隙間に他者の情が入ることで、それが少しずつ氷解していくのだろう。日本人だったらもっと「情」の世界が描かれると思うが、ドライで、今ひとつ感情移入ができなかった。後ろから4列目ぐらいで声が聞き取りにくかったことも一因かも。
 舞台美術が(背景等)が美しかった。

軽妙な、そして日常家族に対し何かほこっとさせられるコメディーだった。思いもよらぬ展開に、次何時ウソがバレるのか最後まで緊張と興味が続いた。それでいて最後はなる程!と純粋正直で心やさしい主人公達の深い愛の確認で終り、暑い夏のシャーベットのような味がしました。
 若者達の恋心、父サラファーノフのクラリネットに対する愛着も、娘、息子に対する愛情もなかなかロマンがあった。
 ブスイギンとシーリワのかけあいで劇は進み、最後にシーリワが離れていくが、誰も悪い人はおらず、偽息子も礼儀正しく、一家を心配する余りのハッピーエンドで、こうあったらいいなと観客が求める以上の結末であった。

非常によかったです。安倍政権の中、国民の家庭が壊されていく中で、社会的不自由が犯されていますが、それを見事に国民に還元する内容でした。芝居の最期は最高でした。
 これからも、鳴門市民劇場発展の為、頑張ろうと決意しています。一人の力は弱いようでも、団結すれば大きな力になります。

「そうか、その手があったのか!」人生たのしくなってきたぞ 一幕より気付きがありました。

今回の「もし、最終列車に乗り遅れたら・・・」は、とてもユニークなお話であったと思います。最後の「人間は皆友達だ」で締めくくられたのは印象に残り、そうあってほしいと思う皆の強い願望ですね

誰でも、咄嗟に、苦し紛れに、その場をしのぐため、時には人を助けるため…に「嘘をつく」ことって結構ありますよね。その小さなウソが、それをカバーしなければならないがためにどんどん大変なことになっていくときの関係者の対応力(?)やうろたえぶりは、うまく描けばとても面白い人間模様になるので、今回の構想もそういうものかなと期待していました。そして、期待どおり、コロコロ展開する場面のいずれも面白かったし、随所の小さな笑いも私にはよく合っていて、楽しめました。近頃、“家族”がクローズアップされる映画なども目につきますが、血のつながりだけが家族ではないという考えに共感します。“家族”と思える同志が“家族”になればいいのではないでしょうか。逆に、たとえ血がつながっていたとしても、理解し合う努力は必要で、それを怠れば容易に“家族”ではなくなっていくのでは…と思います。

すごく面白く楽しめました。登場人物たちの絡み合い、思いもよらない展開、可笑しくて! 上手に作っていると思いました。

面白かったです。テンポよく退屈しないで観れました。最後はハッピーエンドで気持ちよく帰れました。

とても面白かった。まさかの偽お兄さんと家族が、それぞれの本音や思いやりや優しさが分かり合えて良かった。心で思っていてもなかなか伝わらないものだから。

プロデュース作品というのは、色々な劇団の役者さんが参加して一つの演劇を作り上げているのだなとキャスト紹介をみて感じました。
 猛暑、酷暑続きの例会日に「凍えそうな」春の夜の終電車に乗り遅れた2人の男性の突然の訪問にゆれる家族の物語・・・。コメディーに流されない人生の営みの機微のこまやかさに暑さを忘れさせてくれました。

『終わりよければ全てよし』
 最初は不純な嘘だったとしても、その後相手の事を思いやり、行動し、結果として相手の役に立てるのであれば、そんな出会いも悪くない。一つの形。作品を見終わった後、そんな思いが心に浮かびました。

奇抜なストーリーの中、家族の良さがじわじわと伝わってきました。父親役の外山誠二さんが熱演でした。

ロシアの話ながら、意思疎通がとれずお互いが疑心暗鬼になってギクシャクした、我々にも身近な家族の風景。そこに突然、エセ長男が現れたことを契機に、家族の本音が一挙に噴出してお互いの誤解が解け、最後は「人間みな兄弟」で終わるというハッピーな話であった。ユーモアにとみ人間味溢れるコメディーとして描かれた秀逸な舞台であった。

バタバタとしている内に終電車に乗り遅れてしまったから始まった物語ですが、一言の嘘から始まるストーリー。なかなか嘘をついて暮らす日々は続かないと思いましたが、正直に言えば泊めてくれたかどうかが問題ですね!若者だから出来心だったのでしょう。最後のほうは後悔していましたね!世の中捨てたものではないと思います。心のやさしい気持ちの大きな人は一杯いますよ!正直に生きる事ですね。

鳴門例会カーテンコール

初めは展開が早すぎて戸惑ってしまい、なかなか話について行けませんでした。
 「人類みな兄弟」の言葉の如く、血のつながりより人とのつながりが大切・・・そんな感じの印象でした。
 今日が千秋楽とのこと・・長い間お疲れ様でした。

思わずついてしまった“ウソ”だけど、そのウソはそれぞれの心の中で、いろいろと考える場(ウソ)となり、何か心温まる“ウソ”のような気がしました。ありえない話の中にしみじみとした人間関係があったように思います。千秋楽ということもあってか、役者さんの熱の入った演技がとても良かったです。

お金もない!友達もいない2人が考えた末に出した結論が嘘をついてまで泊めて貰う事。最初の方はストーリーがつかめず分かりづらかったけど、その内、人情にほだされてなかなか本当の事を言えず、困りはてて許して貰えてよかったけど、正直に言って泊めてもらっても良かったのかと思うことがありました。嘘はずっと続かないと思います。一言嘘をつけば、それが大きな事になることもあると思います。こころが通じれば良い方に行ったかも知れませんね。最後はハッピーでしめて良かったです。

極寒のシベリアが舞台、終電に乗り遅れた若者が二人。外で夜を明かすことなど到底できない。片っ端から民家のドアを叩き、強盗と間違われながらもなんとかある家にはいることができた。青年に追い出されようとしたその時、出まかせの「この男は君の兄貴なんだ!」のセリフで劇が展開していく。私はこのセリフが発せられた時代背景について、もっと知っていなければならないなと思った。かつての日本もそうであり、戦争は兵士のみならず、家族全員をバラバラに引き離してしまうむごいものだ。どの家庭でも、大なり小なり、このようなドラマがあったものと思う。人生の悲哀、取り巻く人間の温かみも出ていい作品であった。

ラストの「もう終電はないよ」とのセリフで、この劇の流れがつながり、演題の「もし、終電車に乗り遅れたら・・」に合点がいきました。一つのウソが広がりつながっていく、ウソだが悪い気はしない。喜劇の醍醐味を感じました。

笑いの中に何か温かいものを感じる。
 すごく熱~~~いお芝居に感動しました。

コミカルで楽しい展開でした。
 もう少しギターの曲が聞きたかった!!

この演劇のポイントは、ニーナ役だと思う。
 まず、美人でなけりゃあいけない。だれが見ても美人でなけりゃあ、あのストーリーは成り立たない。
 また、芝居上の年齢は19歳だ。そのうえ、原作者ヴァムピーロフが求める要求に応えられるなら威厳というか品格も求められる。ニーナの原義は「女帝」だ。そんな女優がいるのか?きっと、「当て役」で決まっている?観る前の情報は、こんなところだった。
 さて、1993年に、同じ劇を文学座公演「息子です こんにちは」で見た。ブスイギン役が渡辺徹さん、ニーナ役が平淑恵さんであった、もちろん、演出も今回とは異なる。平さんがベッドの上で飛んだり跳ねたりする演技に、この劇が本来観客に求めるものとは違うもの・・・私自身の人生ヴィジョン(行く末)を見た。終幕後は、まるで「悟った」みたいな感覚であった。それゆえ、この劇に対する思いは深い。ちなみに、この劇の原題は「長男」だ。
 その視点で、今回の演劇を観る。
 舞台装置は、重厚だ。5年間公演し続けていることを物語る。素晴らしい!そんなこんなで演出、役者には、品という人間力みたいなものを求めたい。次回、この劇がどんな演出で観ることができるか?楽しみだ。

今回はなぜか音声に聞き取りにくいところが多く、演劇に浸りきることができませんでした。周りでも聞き取れないといっている人が何人かいました。何が原因だったのでしょうか。役者さん達の演技はさすがだと思いましたが、場面設定やセリフ・動作の中に、やはりロシア人と日本人の感覚の違いが反映してくるのかなとも思いました。

「最後は、どんな結末になるのだろうか」とワクワク、ドキドキしながら観劇しました。思うようにならない世の中、お芝居のなかだけでも楽しみましょう。
 喜劇と言いながらも、笑いで済まされない人生の悲哀を感じました。張り上げた声はよく聴こえましたが、トーンが少し落ちた声があまり聞こえなかったのが残念でした。

主役の医学生のブスイギンがひょんな事からついたウソ。そのウソがサラファーノフ一家を本当の家族の絆に目覚めさせていく。素直に信じて息子との再会を喜ぶサラファーノフ、戸惑いながらも本当の親子以上に愛情をもって接するブスイギンなど、人情にあふれた舞台に心温まりました。

俳優の皆様、大変重みのあるお芝居を、ありがとうございました。
 都会暮らしをしていたころ、また出張をしたころに終電の時間はいつも頭にあったことを思い出しました。お芝居は、終電に乗り遅れたことから始まります。大変寒い夜のこと。全編を通してのストーリーはともかくとして、私は過去を忘れずにいたから出会いがあったと、そして人は善の心があるとしみじみ思いました。登場する俳優さんは皆「善のこころ」を表現していたと感じ、暖かい気持ちにさせてもらいました。人生、かくありたいと、このお芝居を通して感じたのは私だけではないと思います。

席について前をみて、緞帳が変わっていると思いましたが、以前からなのでしょうか?“鳴門の渦”のたしか広重と書いていましたが・・。
 幕が上がって思ったのは、想像していたのと少し違っていましたが、(勝手な思い込みですが)すぐにとけ込んで楽しめました。ストーリーも飽きずに最後まで釘付けで観劇でき、大いに楽しめましたので、時間の過ぎるのが早く、あっという間の例会でした。

担当例会でもあったので、3か月前より原作を読んだり、37歳の若さで亡くなった原作者のことを調べたり、また役者お一人お一人の今までのプロフィールも調べて、この日が来るのを待ち望んでいました。事前に偽長男役の浅野さんのインタビューで「大学生の役を必死に演じている僕を観てください」と言われたので、それも楽しみにしていました。始まると、幕前で実際は猛暑の中なのに酷寒の地ロシアを表現していて、違和感なく芝居に入り込めました。ただ、幕が上がり舞台セットになるとあまり台詞が聞き取れず、こちらが必死で聞き取ろうとしてしまいました。でも、お父さん役の外山さんが、なぜ息子ということをすぐに受け入れてしまったのかは、動きや台詞の抑揚で特に気にならないぐらい楽しい舞台にしてもらい、ついつい笑ってしまう私がいました。この舞台としては本当の千秋楽だったので、最後は金の雪が舞い散りそれはもう非常に綺麗でした。「人間みな兄弟」「終わりよければすべてよし」まさしく!!

題名と同じようなことが我が身にも起こったとしたら本当に困ります。このお話とは少し違うのですが、若い頃職場の皆さんと小旅行した際、知人に会うため別行動になりました。わずかな時間だと思っていたのに外に出ると明るいネオンがほとんど消え別世界になっていました。やっと交番を見つけ事なきをえました。
 このお芝居を観劇し、最初の場面で私の昔のことが思い出され終わりまで目が離せませんでした。
 こんなストーリーを考えた人はどんな人?と例会ニュースを再度読み直しました。今でも生きておられたら、もっともっと見る機会があったのではと、是非次の機会に再び出会えることを願っています。

ありえへん!話しの流れでしたが、日本の戦後と重ね合わせると同じようなことがあったのではないかと考えさせられました。
 場面はロシア、環境(極寒)や、民族や習慣も違う国での出来事ですが、例え言葉や慣習などが違えど、人との繋がりの大切さや家族に対する愛情は人間として普遍的なもので、これだけはどこの国でも同じで、大切なのは人を愛する心、理解しようと務める心なのだな~と再度認識させられました。

鳴門例会カーテンコール

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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