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山口果林さんに

開演直前インタビュー

楽屋訪問94


 「夏の会」公演「夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ 1945年」鳴門例会(2019年7月15日)で朗読をされる山口果林さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

山口果林

鳴門 朗読劇の難しさ、楽しさ、今回の見どころを教えてください

山口果林(敬称略 以下山口と略) 舞台セットは単純に椅子だけが置いてあります。物語、ストーリーは別にありません。当時の広島と長崎で被爆なさった方々の手記と詩人の作品から構成されています
 日本人であれば、広島で何があったか、長崎で何があったかということは、みんな知っています。最近はそのことさえ知らない子供たちも増えているようですが…。お客様方のそれぞれの想像力を喚起しながら、劇場空間に、その時のある情景がストーリー無く朗読されていきます。そこが普通のお芝居とは全く違うということですね。
 難しいのは、役を演じるわけではないので、朗読する私たち自身の生きてきたものが、そのまま出てしまうのかなという怖さがあります。実際に起こったことですから、そこにどう向き合うかを、朗読の度に自分に問いかけています。普通のお芝居だと「うまくいった」とか、そういう感覚が終わった後に残ったりするのですが、それが全く無い。常に代読しているという気持ちで、被爆者の思いをきちんと伝達できただろうかと顧みる日々です。
 また、地元の出演者の方々と一緒に舞台に立つということで、その地元の出演者がどういう方で、どういう読み方をするかによって、私たちも刺激を受けます。日々新しい舞台が生まれるような新鮮さがあって、そこはとても楽しいところですね。

鳴門 地元の中高校生が出演することになっていますが、これまでの公演での地元出演者とのエピソードはありますか?

山口 私たちが「夏の雲は忘れない」という前に「この子たちの夏」という公演をずっとしていた時には、舞台上の紗幕の後ろで地元の出演者の方達が短歌などを朗読してくれました。その時は、年配の大人の女性達が多かったんです。「夏の雲」になって、できれば学生さんたちと一緒にしたいというのと、紗幕の後ろではなくて、同じ舞台、同じ空間に一緒に立ちたいという思いがありました。最初は中学生、小学生はちょっと無理じゃないかなと思っていたのですけど、私たちの予想をはるかに上回りました。小学生がとつとつと読むと物凄くいいんですね。高校生になると、ちょっと大人びて世の中を斜めに見るような感じがあったりして。中学生、小学生だと本当にそのまま素直に読んでもらえます。それにはびっくりしました。
 特に男の子の手記がありますので、男の子の声で聞かせてもらうと、もうすごく感動してしまいます。ちょっと声変りが始まったかなあという時期の子、うまく朗読するわけじゃないのですが…。その日一日のお稽古ですから、間違えたら言い直せばいいわけだし、逆に私たちも「朗読劇の本質ってこれだよね」と学ばせてもらっている気がします。
 また、必ず本番が一番いいです。これは何だろうと思うんですけどね。お稽古して、お稽古の後に、朗読指導をやっている若手の女優さんたちが、さらにアドバイスをするのだろうと思うのですけど、本番は、お客様の入った劇場空間のある種の緊張感が上手く作用するのでしょうか。理由はわからないですけど、必ず本番が一番いいのです。今日も楽しみです。

鳴門 原爆と戦争の悲惨さを朗読して、平和のありがたさを感じることがテーマと思うのですが、戦後74年経った今、この劇をすることの意味を教えてください。

山口 私は戦後生まれなので戦争を知らないですが、日本人として生まれたからには、戦争に至る過程、経過、世情とか、侵略していった国々との関係などの歴史を勉強しなければいけません。それと、広島と長崎の核という問題は、日本人として生まれたからには、そこをベースとして生きていかなければいけないと思っているのです。
 それをしなければ、戦争のあとの74年間続く平和は維持できないのではないかと思うのです。先人たちの生きた歴史を身をもって追体験して、それからの自分の人生を考える。日本人であるためには必要なことかなと思います。その先にどういう意見を持とうとも、その事実を知り続け、更新し続けることが必要と思います。

鳴門 舞台以外に映画、テレビでもご活躍されていますが、それぞれの違いなどについて教えてください。

山口 基本的に役を演じるのは同じだと思っています。ただ、映像の世界だとそれを編集しますよね。だから、俳優は素材になることが多いんですよね。編集段階でいろいろ切り刻まれたりしますから、どちらかと言うと監督作品という形になります。でも舞台では、出演している時間は自分のものになる。そこはやりがいです。その瞬間、瞬間は自分が空間を支配できるわけですから。その辺の醍醐味は舞台だと思うのですね。私は劇団を離れたので、なかなかその舞台のチャンスがないのですが…。

鳴門 この世界に入られたきっかけは?

山口 時代の世相と一致していたと思うんですけど、女性が働く、自立したいというのがありました。俳優と言うよりも演劇が好きだったので、演劇の周辺でできる仕事がいいなと思っていました。できれば、本当はフランス演劇に興味がありましたから、フランス語の芝居を翻訳する人になりたいと思っていました、だけど第一志望の語学の学校に失敗して、それで、桐朋学園という音楽で有名な学校に演劇科ができるということで、スベリ止めのような形で、親の承諾を得て、大学に入りました。
 だから、これは運命ですよね。どちらかというと、俳優というよりも裏方の方に自分の性格は向いているかなと今だに思っています。

鳴門 演劇鑑賞団体について考えられていることをお聞かせください。

山口 私は、俳優座に3年間だけいたのです。その時に一本だけ「リア王」というので旅公演に出たのですが、関西、名古屋がほとんどでした。市民劇場の方たちとは、その後加藤健一事務所で少し回らせてもらったぐらいで、あまりご縁がないですね。
 ただ、生の音楽、生の芝居と接する機会というのは、とても大事だと思っています。生の人間同士の触れあいと言ったらよいのでしょうか。こういう地方で芝居を観る会は、その体験こそが大変に貴重なものだと思います。
 私が子供時代に、学校から行ったのですが、東京の三越劇場での『彦一ばなし』、小学校4年の時は『森は生きている』のお芝居の記憶は、大人になっても強烈な印象で残っています。それは、今まで知らなかった世界との新しい出会いでした。そういう体験は、人間の思い出のベースに物凄く残るものだと思います。それは大事にしていきたいなと思っています。
 本当は、「夏の雲は忘れない」の公演も私達の世代よりは、若い人たちが会場に足を運んでくれるといいなというのが希望でした。学校公演をたくさんしたいと思っていましたが、なかなか実現しませんでした。
 そこでお願いです。皆さん方も聞き手としてだけでなく読み手としても活動なさったらいかがでしょうか。
 声や音楽は波長として劇場空間の中に飛んでいきます。耳だけでなく肌でも身体全体で、その波長エネルギーをキャッチする能力が人間には備わっています。だからそのコミュニケーションに気づかされるのが舞台なのです。是非これからも皆さん頑張って下さい。

インタビューアー

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