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夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ 1945年

「夏の会」公演

鳴門市民劇場2019年7月15日例会 感想集


鳴門例会リハーサル

鳴門例会リハーサル写真

原爆の悲惨さは、中学の修学旅行で長崎原爆資料館を見学して知っていたのですが、長い月日の中で風化していたものが思い起こされました。
 世界中の罪なき幼い子供達が平和で家族と暮らせ、食べるものに困らず暮らせる日が来ることを切に願うとともに、平和は守らなければいけない、伝えていかなければならないのだと思いました。

私は第2次世界大戦を知らない。第2次世界大戦の終わりころに広島・長崎に原子爆弾が落下された。青い空に閃光が走り中心地にある地上の物をすべて焼き尽くした。朗読劇はその時の光景そして生存できた人の思いを綴っている。悲しみと先の希望。
 私には悲しみと怒りは理解できるが、朗読を聞いてもそれ以上は理解できない。この朗読劇を通して「戦争をしてはいけない、」そして「戦争をさせてもいけない」私たちの意志での環境作り、そして強い意志を持って戦争を阻止せねばならないと思った。

日本が忘れてはならない、後世に繋いでいかなければならない悲惨な出来事。
 二度と戦争による無差別殺人が行われないよう痛みや哀しみを心に刻み子に孫に伝え、命の大切さを思いおこしていきたいものです。

ヒロシマ・ナガサキの原爆をテーマにした朗読劇ということで、被爆された方々の生々しい体験が直に伝わってくる内容に改めて戦争の悲惨さを考えさせられた作品だったと思います。地元の中・高生の読み上げも初々しく、とても一生懸命でジンと胸にひびく素晴らしい演出でした。

わたしは76歳、徳島大空襲は3歳でしたが覚えています。ゴーゴーと眉山の東をB29が赤い雨の爆弾を落としていたのを板野の山の中の家で母に抱かれて見ました。二人の叔父は出征したまま帰ってきませんでした。それから近所の人の出征にも母と行きました。母の竹やり訓練にも付き合いました。
 私は、そんな恐いイヤな戦争は絶対イヤです。許してはならないと思って今まで生きてきました。
 映画「ひろしま」(関川秀雄監督)も小学校から観に行きました。
 今回の「夏の雲は忘れない」は、そんな私の心、いえ体の芯に「戦争はダメ」と響きました。出演されていた女優さんは、私と近い年齢だったのでしょうか。地元の中学生・高校生の出演されていた人も、舞台の中味、心をよく分かって演じていたようで、涙なしでは観られませんでした。
 私も子や孫が、あのような戦争に巻き込まれるような日本にしてはいけないと強く思う。これからも、出来ることをやっていこうと思っています。

ヒロシマ、ナガサキの苦しみ、痛み、悩み、嘆きを体感しました。「夏の雲は忘れない」が最後になるのは残念です。

学生の方がとても上手でした。今日練習しただけだとは思えないほど上手でした。

私は長崎(諫早)の出身です。祖母、母から原爆の話をよく聞かされました。8月9日はいつも登校日で、学校でも語り部の方から話を聞いて育ってきました。
 今日の朗読は、心に響きました。今年で最後なのがとても残念です。

原爆の恐さは、事あるごとに知らされますが、今日の学生さんたちが、上手に言葉だけで伝えられてとても良かったです。
 平和のありがたみが身に染みています。

世界中の人達(特に女性や子供達)は、戦争は嫌だと言っています。しかし何故起きるのでしょうか。人間は愚かで懲りずに繰り返しています。私達が犠牲にならないためには何をするべきか、何が出来るのか、一人一人真剣に考える時が来ていると思いました。

一つ一つの手記が朗読される事によって、より心に響きました。
 一瞬に家族を失った子供達の悲痛な声が、原爆のむごさを改めて感じました。

被災者たちの生きた声はやはり力がある。被災現場の惨たらしさ被災者やその家族たちの心の痛みの真実は、芝居や映像だけではなかなか描き切れない面があると思う。朗読を聴いて場面を創造することで、あれだけの迫力ある作品になることに、改めて感動した。悲惨さだけを描くのでなく、人間愛、家族愛、明日への希望みたいなものが描かれることで、より感動的な作品になっていると思った。
 映像、音楽、音響、女優さんたちの服装、立ち居振る舞いも印象的で良かった。地元の学生さんたちの朗読も素晴らしかった。
 ヒロシマ・ナガサキの体験はやはり語り継がれなくてはいけないと思うだけに、このような素晴らしい作品が今年で最後というのは惜しまれる。

今回は朗読劇ということでとても楽しみにしていました。舞台の上に6人の女優さんが登場し、さあ、いよいよ始まる!というところで、会場から拍手が起こりました。運営サークルでの話し合いで、ある方が、劇の始まりに、登場した役者さんに向けての拍手がないのはとても寂しい、とおっしゃられたこと、私も同意見です。今回は拍手で迎えられた事はとても良かったと思います。そしてスクリーンに映像が映し出され、朗読が始まると、ものの数分で涙が出そうになりました。女優さんたちの朗読が、時を経て現代によみがえりました。一番衝撃的な映像は幼な子を背中におぶった少年の姿でした。幼な子はもう息たえているのでしょう。それでも強く生きていかなければ、という意志が感じられました。
 86歳になる母はまさに戦争体験者です。幼少の時に戦地に赴いた父に手紙を書いたこと、大毛島の浜に日本兵の操縦する飛行機が墜落し、皆で鍬を持ち見に行ったこと、空襲警報で防空壕に避難したことなど鮮明に記憶に残っているそうです。わずか70数年前に戦争があり、多くの人が犠牲になったということを忘れてはいけないと思いました。その痛ましい出来事を後世に伝えていくということが、私たちに残された最大の課題だと思います。私たちが今存在するのは、ただの偶然ではない、奇跡なのだということを改めて知らされました。

一心に観、一心に聴く、静まりかえった場内。
 涙の溢れるに任せる。

戦後生まれですが、あらためて戦争の残酷さ、むなしさを感じさせられた。日頃生活していることが、当たり前でないことを再認識した。
 朗読劇の中で、学生が登場したのはすごく良かった。

朗読をされた女優さん達、参加された子供達の心のこもった朗読で、原爆の悲惨さに胸がいっぱいになりました。戦争はいりません。今の平和の有難さをしみじみと感じました。ありがとうございました。

朗読劇は初めてでしたが、さすが有名女優たち…。当時の悲惨な状況や人々の様子がまざまざと表現され、よく理解できて戦争の怖さを痛感しました。戦争のない世の中で全ての人々が幸福に暮らせるように願うばかりです。

・当時の悲惨な情景が脳裏に浮かび戦争に対する怒りが込み上げて胸が張り裂ける思いがした。
・今の平和の有難さを感じたと共に、平和の事について広めていきたい。
・高田敏江さんからのメッセージ「絶対に忘れてはいけない」の中に、ヒロシマ・ナガサキ・福島とあったこと。この福島が並んだことに衝撃を受け、その通りだと納得!!

音響、照明、空間すべてがマッチした朗読劇に感動した。人それぞれが自由に想像し考えることができる朗読のすばらしさを経験でき良かった。
 「戦争」「平和」「命の大切さ」を次世代にしっかり伝えて、みんなが幸せに生活できる世の中であって欲しい。

戦争について今まであまり実感がなかったが、改めて考えるきっかけになった。子供たちのコメントがリアルで、知らないことが沢山あった。また、子供たちの笑顔の写真、そして幼い兄弟をおんぶしているお兄ちゃんの写真が心に残り、胸が締め付けられる思いがした。

戦前に生まれ、7歳の時に終戦を迎えました。1945年8月6日広島に原子爆弾が投下され広島の街は一瞬のうちに火の海と化してしまいました。私は当時、門司(北九州市)に住んでいました。その日の夕暮れ時、母から「広島が真っ赤に燃えてるよ」と言われ、見てみると炎が大きく立ち上っていました。子供心に恐ろしい思いでした。
 成人して教師となり、修学旅行の引率として広島の原爆資料館や長崎の平和公園へ何度か訪れたことがあります。子供の時の思いが現実に目の前の資料をみて、恐怖で身が震えたことでした。
 「夏の雲は忘れない」女優6名が女子中高生5名と共に出演し、みごとな朗読劇を演じてくれました。女優さん一人ひとりの思いや個性が生きていたと思います。特に、私は子供の時に味わったあの光景を思い浮かべ感動に伏しておりました。
 映像や音響、照明、効果音が適切に配置されていて、女優さんの表情もしっかり観ることができました。ありがとうございました。

後世に語り継がねばならない。まだまだ続けてほしいですが、ご苦労さまでした。原爆投下、小学生でした。永井博士の「この子を残して」と一緒に私の心に重く重く残っています。

朗読を聴いて、被爆した人たちの声が真に迫ってきました。ぜったいに戦争はいけない。いつまでも平和な世の中であってほしいと思いました。

平和の大切さを改めて強く思いました。
 この舞台が今年で最後になるのは、とても惜しいと思います。女優さんたちの迫力のある朗読と、学生さんたちの短時間だけの練習とは思えない素晴らしい朗読に感動しました。
 ヒロシマ、ナガサキで記録写真を撮った元米兵が2007年8月9日に亡くなったという、その日にちの偶然に驚きました。元米兵も、背中におぶっていた弟が荼毘に付されるのをじっとまっすぐに見つめている少年の肩を抱きしめたい、と思ったという気持ちに国境はないと思いました。
 争いのない世界にしていかなければ!と思います。

事前に広島平和記念資料館や原爆ドームを訪問したり、運営サークル会で朗読劇の一部を朗読したり、日色ともゑさんの講演を拝聴したりして、今例会は思い入れをもって観劇しました。新会員の入会勧誘や正サークル昇格にも成功して、ゆったりとした気分で観劇することができました。
 有名なベテラン女優さんたちのたたみかける迫力ある朗読は素晴らしいものがありました。地元の生徒さんたちの朗読も女優さんたちに負けないものがありました。核の恐ろしさや平和の有難さも身に染みて感じました。「夏の雲は忘れない」は忘れないと思います。

今までの7月例会でこれほど感動したことはありません。もう涙が止まりませんでした。こんな素晴らしい舞台がもう観られないなんて…“残念”です。

鳴門例会リハーサル

鳴門例会リハーサル写真

ベテラン女優の迫力ある朗読と、学生たちの心のこもった朗読に胸を打たれた。「生ましめんかな」や、題名は忘れたが親子で満天の星をながめながら語り合っている手記など、その場の様子が目に浮かんできた。また、録音ではあったが、小沢昭一さんのジョー・オダネルさんの紹介は素晴らしい声と相まって、あの少年の悲しみがひしひしと伝わってきた。
 核兵器禁止条約を締結しない日本政府に、絶対聞かせたいと思う。この朗読を聴いた私たち一人ひとりが核廃絶のために出来ることをしていかなければ、と決意した。

世界平和を祈る。会場内の皆が共有できた大切な時間でした。

“すばらしい舞台に感動”
 74年前を想起し、改めて核兵器や戦争のない平和な世界になるよう心から願っています。

中・高生の学生さんと女優6人の朗読劇は素晴らしかった。戦後74年がたち、戦争を知らない世代が多く、知っている、経験している世代が少なくなった今、この朗読劇を観て欲しい。若くして命を落とした人々の苦しみを今の若い人に知って欲しい。生きたくても生きることができなかった無念を感じて欲しい。私も戦前生まれだが、戦争を覚えていない。私も父を戦争で亡くしているので、戦争に対する気持ちは強い。命の大切さをこの朗読劇で更に強くした。今年で最後となることはとても残念だ。ぜひ、この朗読劇の意志を次の世代に受け継いでほしい。胸を締め付けられる思いで、涙が出てきた。朗読を通して平和への叫びが伝わってきた。

原爆の悲惨さや残酷さは、これまでにも何度となく見たり聞いたりしてきました。平凡な日々の生活から、一瞬にして地獄の世界、こんなむごい、怖いことってあるのだろうか。今まで、出来るだけ見ずに過ごしてきた。しかし今回は、女優さんたちと女子学生の朗読劇。どのようにして言葉だけで表現するのだろうか。朗読する人を目で追いながら言葉を次々受け継いでいく。やさしく、やさしく、女性ばかりの朗読劇。やわらかく、やさしい1時間30分の朗読劇「夏の雲は忘れない」でした。戦争の無い平和な世界を願いつつ。

74年目の夏「この子たちの夏」からずっと公演を続けて下さった夏の会の女優の皆様、お疲れさまでした。7、8月の公演にぴったりの観劇例会「夏の雲は忘れない」は「忘れてはいけない」」史実の検証のテーマでもあります。ロビー交流会では一人ひとりの役者さんの直の思いを聞きたかったですが、メッセージがきちんと記されていたのでパンフを繰り返し読ませてもらい、それぞれの女優さんの思いが分かり納得しました。地元出演者の方も短時間の練習なのにぴったりと女優さんたちと息が合っていました。感心しました。「朗読」っていいですね。声のトーン、表情で感情が観ている側に伝わってくる。演出も舞台装置の変化もない中、椅子に座ったり、立って観客に迫ってきたり、バックの写真、効果音と共にぐっと感動の波が押し寄せる…。短い上演時間でしたが、たっぷり充実感がありました。広島、長崎の悲劇そして原発事故は決して繰り返してはならないと切に思ったことでした

原爆の怖さを語り継いで、後世に伝える。令和の時代、平和でありますように。

7月4日、74年前の「徳島大空襲」の生々しい話を聞く機会を得ました。7月15日、鳴門市民劇場7月例会で原爆の恐ろしさを伝える朗読劇を観ました。「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」を強く感じた7月でした。

(Y.K)とても心に迫るものがあり、胸が熱くなりました。
(Y.O)笑顔いっぱいの子供たちの写真をみて、原爆のむごさがより伝わってきました。忘れないためにも、今回のような作品は必要だと改めて感じました。

いつもの明るく楽しい演劇とは違って、今回は戦争、特に原爆を扱ったものだったので、少し重い空気が流れていましたね。でも、時にはみんなで過去の悲惨な出来事について考えたり、話し合ったりすることは必要だと思います。
 私は中学生の頃、社会科で原爆について学びました。それなりに衝撃をうけた私たちは、運動会の仮装行列で原爆を表現しようとして、学年主任の先生にこっぴどく叱られたことを思い出します。私たちは決して冷やかしのつもりではなかったのですが、今大人になって考えると、中学生の私たちにはとても理解しきれない難しいテーマであったなあと思い知らされています。

地元出身の中高生の出演が大変良かったと思う。直前の短時間の朗読指導だけなのに、どの子も落ち着いて堂々と感情をこめて朗読表現できていたことに感動した。素晴らしかったと思う。
 今年の夏でこの朗読劇が幕を閉じるが、夏の会の女優さんたちが34年間かけて日本の各地にまいた平和への思いを、次世代の子供たちや私たち自身が今後受け継いでいかなければならない、と強く思った。

平和への「夏の雲は忘れない」はとても心に響いてきました。女優の方々のメッセージを改めて読ませていただいて、さらっとではなくとても重みのあるメッセージでした。
 私は終戦の年の生まれなので、毎年「何年目になりました」というニュースが報じられ、私も自然と、〇歳になったと確認していました。子供たちが小さい頃は、親子で平和行進に参加して広島まで行って、親子それぞれに分かれて平和について考え、夜も続いて分科会もあったりしました。そして再び市民劇場で、広島平和記念資料館見学のバスツアーに参加し、平和について改めて考える良い時間をいただきました。良かったです。
 この作品が今年で最後は残念です。子や孫たちにも平和であり続けている世の中で、日々を送って欲しいと願う。
 いい時間を頂きました。ありがとうございました。

拉致された子の親御さんの叫び!
 原爆を投下された広島、長崎の苦しみ!
 残された身内の一生涯が不幸!
 不幸を乗り越えられたのは、「穏やかな言の葉」だったのかもしれないと思い当たる例会だった。

朗読を聞いていると当時の悲惨な情景が脳裏に浮かび、戦争に対する怒りがこみ上げて胸が張り裂ける思いでした。

過去に原爆投下でいかに恐ろしい悲劇が起こったのか、知らない人はいません。今の情報社会では、どれほどの惨事だったか、ネットでパチパチっと検索するといくらでもデータは出てきます。平和な世の存続を願わない人はいないだろうし、誰しも戦争はしてはいけないというでしょう。それでも何故こうやって関連する舞台を観たり原爆資料館を訪れて(例会関連バスツアーで行きました)目を覆いたくなるような写真を見たりしなくてはいけないのか…そうすべきなのか…。ずっと考えていました。それは、やっぱり人間は愚かで弱いものだからではないか、と思いました。先の戦争においても普通の人で最初から戦争を望んだ人などいなかったと思いますが、それでも、人は、なにか言葉巧みに操られると容易に右へ向いたり左へ向いたり、騙されるし、流されるし、ギリギリのところに立たされると判断を誤るものなのだと思います。だから、何が正しいのか見極める力をつけるために、窮地に立たされても決して道を誤ることはないように、色々な方法で、何度でも、目をそむけずに、決してひとごととは思わずに、過去を学ぶことが大事なのではないかと思いました。
 朗読だけの舞台で、目の前で繰り広げられる肉声のパワーがいかに大きなものか思い知りました。俳優さんも地元女子学生のみなさんも素晴らしかった。
 どこを切り取っても、当然、胸が痛くなることばかりでしたが、とりわけ写真家の米国人、ジョー・オダネル氏のエピソードになぜか非常に心打たれました。日色ともゑさんの講演会でもお話を少し聴いていたのが役に立ちましたが、投下した側の国の、しかも、元は軍の人間であった彼が人生後半においてふるった勇気に感動します。

リアルな描写を声色と写真で感じ取ることができ、その時の状況を目の前で見てるような気分を味わえて感銘を受けました。視聴できて本当に良かったです。

女子学生の皆さんが上手に語り、感心しました。
 でも、内容は、やはり、なぜ、なんで避けられなかったのかと、腹立たしいしかわいそうで悲しい限りでした。
 あまりお顔は分からなかったのですが、どなたも良く知る女優さんばかりで、それも嬉しかったです。

観る前には、朗読劇なのでスクリーンの前で立って朗読するだけと思っていましたが、イスの位置を変えたり、数を減らしたり、立つ人座る人。照明の赤い線も鮮明で、音響の効果もあり、非常に印象的な舞台でした。女優さん達の生の声量もびっくりしましたが、一緒に出ていた女子学生達も練習の成果が出ていて、堂々と演じられていました。ラストの少年の言葉「ゆっくり休まんね」には心を締め付けられる思いがし、決してあってはならない事と願いました。

今回、朗読という形でしたが、写真や映像で想像力が掻き立てられて、「心に染み込む内容だったな」と思います。一緒に鑑賞した娘もじんわり涙ぐんでました。

小中学校の頃はよく戦争の悲惨さを感じるような授業などが度々あったが、大人になってからこのような題材の作品を鑑賞するのは久しぶりであった。改めて二度とこのようなことが起きないでほしいと感じた。今回の朗読劇では原爆が落ちた日とその後に焦点があたっていたが、原爆投下日以外であっても、例えば兵隊として戦地に赴いた人、戦場になった地域に住んでいた人、戦争で家族や友人を亡くした人など、戦争に関するどの場所・時点・場面を切り取っても、受け止めるに堪えない場面があったと思う。戦争はしたくない、それは間違いなくそう感じる。そう思いはするけれど、では今自分達は具体的にどうしたら良いのか。大人になった今感じるのは、感情的になるだけではなく行動を考えたいと思った。

広島 長崎を訪れた時、それは観光地の一つでした。
 原爆をテレビ等で見ても、映像を頭の中で理解してしまっていました。今回、朗読を聞いていると、その場の空間にいる様な、熱風が、ガラス片が、うめき声が、臭いが、肌で感じる様な怖いくらいの迫力でした。有名な女優さん達なのに、被曝にあった人達の魂の叫びに聞こえました。本当に戦争はあってはならない。ずっと平和が続く事を願います。

「いかなる事態になろうとも、決して戦争はしてはならない。」肝に銘じておくことであると、つくづく実感した。日本の戦災の様子をカメラに収めたアメリカ人の心に深く印象づけた終戦当時の日本の姿がどれ程悲惨なものだったか、想像するだけでも、背筋が寒くなってしまう。
 戦争を知っている人がだんだん少なくなってきている今こそ、少しでも体験した者が声を大にして叫ばなければならない。
 戦地で戦った方々、残された遺族の人、空襲警報の度に防空壕に逃げ込んだ私たち、それぞれの人生が捻じ曲げられたことを思うと、本当に八月十五日の意味をしっかり考えなければならないと思う。
 私自身、佐世保市、宇和島市と何度か空襲を受け、なぜこうなのか理解できないままに怖い思いで日々過ごしていた。もちろん食料は配給制度で、いつも空腹を抱えていたことを思い出す。本当に焼き尽くされたがれきの山、お寺の庭に焼けた遺体が積み重ねられていた、あの光景…
 終戦の日、もう敵機は来ないと教えられて、「決してこの日を忘れてはならない」と何度も貴重な鉛筆で書いたことが記憶にある。
 でも、あの時は広島や長崎の原子爆弾のことは知らなかったと思う。新聞もラジオも無く、そういう事実を知らされたのは大分経ってからのように思う。
 朗読劇で昭和の時代に生きてきた、少しでも戦争の体験をした者がその悲惨さを語り継いでいかなければならない。自らのフィルムに一度は封印したカメラマンが写真を公開したことの重要な意味をしっかり受け止めなければと痛感した。
 いろんな形式で、多くの場所で語り継がれていく、劇団の方々の本当に意義深い活動に目から鱗の思いだった。決して忘れてはならない八月の空を心に刻んだ例会だった。

舞台の上に並べられた椅子と中央には白いスクリーン。ヒロシマ、ナガサキに投下された原爆によって、家族や友達を亡くした子どもや親などが書いた数々の手記が朗読されてゆく中、スクリーンには生々しい写真が映し出されてゆく。それらからは、原爆の悲惨さや無情さとともに家族の絆や命の尊さがひしひしと伝わってきた。手記の一つ、広島一中に通う博久くんが原爆の前夜、星を見ながら母親に言った言葉が印象的だった。「どうして戦争なんか起きるのでしょうか。止めてほしいなあ。日本にない物はアメリカから送って貰い、フィリピンにない物は日本から送ってやり、世界が仲良くいかんものかしら。そしたら世界が一つの国家になって、世界国亜細亜州日本町広島村になるね」と言った台詞にとても心打たれた。「世界が一つになって争いのない世の中に」などと言うと単なる理想だと笑われるかもしれない。でも、私たちは平和という名の漸近線に限りなく近づいてゆく努力をしなければならないのだと感じた。

■(出演生徒) 朗読の練習は、いつもとは違う発声の仕方で不安もありましたが、熱心な指導もありとても充実した練習ができたと思います。
 本番はとても緊張しましたが、楽しく本番を演じられたと思います。女優さんたちの演技は素晴らしく、舞台袖では感激しっぱなしでした。本当に良い経験ができました。
 交流会では、朗読を聞いてくださった皆さんのお話を聞けて良かったです。こんなに素晴らしい舞台に立てたことは私の誇りです。

■(出演生徒) 朗読の練習では、朗読指導の方が自分の苦手なところを指摘していただいて、わかりやすく教えてくださいました。
 本番は、私がいつも読む雰囲気と真逆の題材だったので、うまく読めるのか不安でしたが、仲間や朗読指導の先生の支えのおかげで自分らしくのびのびと読むことが出来ました。女優さんの朗読を肌で触れることが出来て、感動しました。
 交流会で女優さんの隣に座ってコメントするのはとても緊張しました。しかし、観に来てくださった方々の意見を聞き、実際に経験したお話もあり、いっそう現実で起こったことと強く認識しました。

■(出演生徒) 指導してくださった女優さんとの練習はとても貴重な時間となりました。とてもお上手な朗読を聞き、学ぶこともたくさんありました。読み方や声の大きさに注意して練習することが出来ました。
 本番は、女優さんの朗読に圧倒され、朗読の内容で感動していました。たくさんの人の前で朗読するのは緊張しましたが、何とか成功させることができたのでホッとしました。
 交流会では、公演を観に来てくださった人から原爆が落ちた日のことや、この公演の感想を聞くことが出来て良かったです。今、私たちが当たり前に生活できていることに感謝して、そしてこれからも戦争が起きないことを祈って生活していきたいです。

■(出演生徒) 夏の雲は忘れないという朗読劇に参加して、原爆から生き残った人の文や戦災者が最期に言ったことばを読みました。初めて台本を読んだとき日本人が被曝した事実のひどさに胸が苦しくなりました。
 台本の中に「あとからでいいよ、お母ちゃんに会えたからいいよ」という台詞がありました。死にかけている子供へお母さんが、『お母さんもすぐに後を追うからね』と言ったのに対してその子は、「あとからでいいよ、お母ちゃんに会えたからいいよ」と、死の間際にもかかわらずお母さんを気遣った言葉です。
 私はそんな親思いの罪のない子が何故死ななければならないのか、罪のないこの子達の死は絶対に必要ではないことだと強く怒りを覚えました。
 この世に原子爆弾が存在する必要はあるのでしょうか?何故戦争やテロがおこるのでしょうか?
 “I still love them “ (それでも私は愛しましょう)という言葉があります。あやまちを繰り返さないためには、他国を理解するよう努力し、過去の過ちにとらわれず、平和のために自ら実行することが大切だと思えました。

■(出演学生) 今回「夏の雲は忘れない」に出演するという素晴らしい経験をさせていただいたことをとても嬉しく思います。滅多にできない経験ばかりで楽しかったです。
 出演した女優さんの演技を間近で見られることができ、女優さんの一言一言に圧倒されながら舞台に立っていました。また、舞台裏や舞台裏で支えているスタッフさんの仕事の様子も見ることができて感動しました。さらに、演技の指導もしてくださったお姉さんには、何から何までお世話になりました。みなさん優しくて舞台に対して真剣に向き合っている方ばかりなので、作品全体がとても迫力があって感動しました。 
 私は将来、小学校の先生になろうと大学で学んでいます。だから、このような貴重な体験をしっかりといかし、戦争の悲惨さはもちろんのこと、今回の体験を子供たちに伝えていけたらと思っています。

まだ「うちの子には少し早いかな?」そう思いつつ、この朗読劇への参加を勧めました。しかし、この劇に参加して、原爆に限らず戦争というものの悲惨さについて自分から「平和」について考えることを学べたことは、とても有意義であったと感じています。
 このような機会をいただけました劇団の方々や鳴門市民劇場の皆様に深く感謝いたします。

鳴門例会リハーサル

鳴門例会リハーサル写真


E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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