ホーム > これまでの例会 > いぐねの庭 > 感想集

いぐねの庭

東京芸術座公演

鳴門市民劇場2020年8月24日例会 感想集


鳴門例会カーテンコール

東日本大震災は日本中の誰もが心を痛めたと思います。あれからはや9年目となり、“いぐねの庭”でまた涙してしまいました。災害の多いこの国、そして今回の新型コロナウイルス禍に、何気ない日々の大切さを痛感しているこの頃です。

震災の爪痕は、こんなにも人々の心につきささっているのでしょうか。子供の死を認められない母親の気持ちがよく伝わってきました。子どもの骨を庭の桜の苗木の下に埋める場面では涙が止まりませんでした。こんな苦しみをのりこえて、人はまた強く生きていくのですね。
 数年前、東北に旅行に行ったとき、屋敷林に囲まれた家をたくさん見ました。それを「いぐね」と呼ぶことを今回はじめて知りました。

舞台装置が素晴らしく、いぐねの庭で観劇している感じがしました。前半は方言が聞き取りにくく、会話の内容が分からないままでしたが、後半は震災で亡くなった家族の苦悩の状況がよく分かり心に染みました。
 コロナ禍の中、久々の生の演劇ありがとうございました。

久々に例会が出来たことをうれしく思います。
 地震に限らず自然が起こす現象は、生活する人々に対して色々な影響を及ぼし、人の心も様々に動揺させます。物的な損害以上に人の考え方が変わっていくことがよく表現されていました。
 当たり前に毎日暮らすことの意味の大切さがわかりましたが、また人はその状況に応じて上手く対応してゆくものだということも示していました。いずれにしても、生きることの大切さがわかりました。
 コロナ禍の中、東京芸術座の皆様の大変な努力に感謝いたします。

この時期に皆の努力により、無事5月例会「いぐねの庭」を観ることが出来ました。大変嬉しく思うとともに劇団や観劇組織のパワーに感激いたしました。
 「いぐねの庭」は、災害後の人間模様が扱われておりましたが、ともすれば、過ぎれば他人事として忘れがちになり、また次々と災害が起こってきます。心して向き合わなければ、と改めて考えました。

何か月もの間、私たちは色々な我慢を強いられてきました。例会もいつ再開されるのか、先の見えない不安とあせり、様々な出来ない事が多くなって、日々過ごしてきました。コロナウイルスに関する報道に翻弄され、ストレスを受けたのは私だけではなかったと思います。
 そして、今回の作品も今の私たちに語りかけるかのように、これからどのように生きていったらいいのかを考えさせられる作品だったと思います。震災で失った大切な家族、家、今まで当たり前だと思っていた日常・・・。中でも、思い出の写真を見つけ出してくれて、大事そうに見つめるシーンはとても印象深かったです。息子の死を受け入れられず、お酒におぼれる母親、妻の死を受け入れながらも、もがき苦しみ、心のどこかで受け入れられない夫、両親を亡くしながらも強く生きていこうとする女子高生など、様々な人間模様が描かれて、とても心に響きました。妻が幽霊になって、語りかけてくるシーンはとても美しく、切なく,熱いものが込み上げてきました。
 コロナ禍によって先の見えない現実で、私達は試されているのだと思います。しかし、色々な工夫をこらしながら動こうとしています。その第一歩が東京芸術座を迎えての例会でした。
 本当に参加することが出来て良かった。

久しぶりの観劇が無事にでき、ほっとしています。観劇の人数が少なかったのは淋しいですが、感染抑制のためもあり、仕方ありません。感染抑制の手立ては良く出来ていたと思います。

眼も耳もフル回転の五感冴え、ワクワクして観ました。照明さん、舞台さん、心情を共有してくれたBGMさん、有難く感じました。また、コロナ禍を全く感じさせない力強いセリフさばきの俳優様方には圧倒されました。
 是非、次回を見せてください。

劇団、市民劇場のスタッフさんが公演に際して多大な努力をされてきたのだろうと思いました。新型コロナ第2波のまっただ中で正直なところ不安で迷いながらの観劇でした。
 作品の内容より、出演者の皆さんが、今回の公演にかけている熱意がすごく伝わってきたようなきがします。

久し振りの観劇でしたが、やはり生の舞台は良かったです。

久しぶりの観劇。閉じこもり生活に一筋の光が射したおもいで楽しんだ。東日本大震災の被災者たちの深い悲しみや苦しみ、そしてそこからの立ち直りを描いた、心揺さぶられる感動の舞台であった。
 人類の歴史は、天災や戦争で繰り返しくりかえし物理的にも精神的にも壊滅的ダメージを受けながら、その都度立ち直り復活を遂げてきた。
 人間はあれだけ痛めつけられても立ち直っていくんだ、という人間の強さを強く思った。

鳴門例会カーテンコール

妻を東日本大震災で亡くした伸也が幽霊となって現れた妻やよいと再開する場面では涙が溢れた。そこに重なるどれだけの人々の悲しみと無念があったかと思うと、胸がしめつけられた。
 この作品には、そういった家族の思いと共に、農業のあり方、地域開発のあり方、人々の生活の土台としての地域のあり方などを考えさせられた。まだまだ復興には遠く、解決しなければならない問題ばかりだが、震災の事を決して忘れてはならない、と心から思わされる作品だった。
 延期の末、やっと観ることができた「いぐねの庭」。東京芸術座のみなさん、よくぞこの作品を届けてくれました。「感謝」のひとことです!

2011年3月に甚大な被害をもたらした東日本大震災から半年近く経った幸田家に集まった人々。息子の死を受け入れることができない母親夏苗、妻の死を乗り越えようとする夏苗の兄伸也など、それぞれの登場人物が大切な人を失った心の傷やどこかで区切りをつけないといけない葛藤にあえぎながらも家族の支えの中で明日を生きようとするお話しでした。
 ともすれば重たくなりがちなテーマですが、伸也の亡くなった妻やよいが幽霊になって、中学生の息子・風太に普通に話しかけたり、伸也に「やっと気づいてくれた」と嬉しそうに語りかける場面は微笑ましく心を和ませてくれました。そんなやよいが声を震わせながら、叙情詩のような長い台詞を独白する場面には心揺さぶられ、今回の劇中最大のクライマックスと言っても過言ではないと思いました。

新型コロナの影響で久しぶりの市民劇場、楽しみにしていました。会場に入ると一つずつ席を空け、いつもよりゆったりと座れ、より観劇に集中できました。これからのニューノーマルですね。お芝居は、重たい話題に関わらず、お母さんの霊が出たりして、アットフォームな雰囲気で進み、あっという間に2時間30分が過ぎました。9年前の震災ですが、未だに避難生活者は約4万8000人もいるそうです(2020年2月10日現在)。現在も頑張っておられる方々がいることを改めて思い出さしてくれたお芝居でした。今年は新型コロナで世界的に大変な年となりました。今後も暫くは、自制生活が続きますが、避難生活をしながらも頑張っている方々がいると思えば、甘えてはいられません。

震災を題材にした話には、本当に、弱い。ドキュメンタリーなどを見ても常に胸が痛くなるし、自分だったらどれほどの哀しみ・痛みだろうといつも感情移入をしてしまい、つらい。
 今回の芝居も、家族を失くしたどの登場人物のエピソードにもリアル感があって、結構な時間、涙を流しながら観ていた…と思う。そんな中で、話の展開の中で思ったことはやっぱり人と人との支え合いの素晴らしさだった。自分の不幸は、ふと、まわりの誰かの不幸を目の当たりにすると、ちょっと置いておける、冷静になれるということがあるかもしれない。息子を失くして気も狂わんばかりだった夏苗が、うみちゃんに「他人(うみちゃん)の本当の哀しみは分からないけどね、でも泣いていいんだよ」というようなことを言って抱きしめるところで、そんなことをとても感じて涙をこらえきれなかった。
 一方で、この芝居では、震災の被災者の苦しみ哀しみを描くだけではなく、地方の農業問題などにも焦点があたっていた。家族の中でも意見の食い違いがあったし(そういえばあの問題はどうなったのかな…。どちらが正ともいえない難しい問題だった)、この震災を機に国が地方の農業を見捨てているというような台詞もあったかと思う。原発の問題、福島の苦難、さまざまなことが、もちろん2時間余りの中で解決はしないけども、描かれており、問題提起してくれたと思う。
 延期となり、上演には劇団・鑑賞団体双方で大きな苦労があったが、観ることができて、本当に良かった。

久しぶりに観る「生」の舞台は,とても素晴らしかった。特に,「残された夫」と「幽霊として帰ってきた妻」との対話に感動した。

亡くなった伸也の妻やよいの独白が圧巻だった。
 ゆうれいという虚構のおかげで被災という現実をやわらかく表現していたが、独白を見た時、現実に引き戻されたかのような感覚があった。圧巻でした。

昨日観劇をし、改めて自分達が恵まれた環境で生活出来ている幸せを実感しました。昨今の大雨による、堤防決壊、浸水…テレビに写し出される泥にまみれた家屋の後始末…震災後の光景とダブって見えます。
 家族を失くし、未だ見つけ出すことすら出来ないでいる人達も居ると聞きます。私達が想像する何倍もの苦悩を抱えて、それでも生きていくためにじっとしていられない人達。昨夜のストーリーそのものですよね。
 コロナ渦でもあり、体力もなく、ボランティアに参加もできない。ただ、安寧を祈るしかないのかと自問しても答はでません。先進国であっても自然災害には、弱いですね。

印象深い作品だった。思い出したのはテレビドラマ「あさがお」だ。「あさがお」でも、妻を探しに東北へ出かける刑事が、最後に妻の指の骨の入った手袋が見つかって、やっと妻の死を受け入れるといった話だったと記憶している。
 皆、大切な人の死は、葬式をして火葬で残った骨を拾ってもまだ受け入れられないのに、遺体もない状態では受け入れられないだろう。心の葛藤がひしひしと感じられる劇だった。
 今も、身内の身体を、その一部でもいいから見つけたいと必死で探している方々がいるのだろうと思う。劇中の“ラッパの声(音)”は、そういう人たちの心の叫びのように思えた。

鳴門市民劇場への入会の誘いを受け、今回初めて生の演劇なるものを鑑賞することが出来ました。こういった劇・お芝居は,私が小学生の頃に学校に来て上演された「すわらじ劇団」以来です。
 さて、今回のテーマは、非常に重いものだという印象を受けました。と言うのも、震災によって我が子を失った母親の何とも言えない心の葛藤を垣間見たからです。我が子を失った悲しみから如何に立ち直るか、その過程が描かれていてとても感銘を受けました。立ち直りのキッカケは、我が子の言霊とも言うべき母親の心の中に聞こえた一言という、人が心新たに前を向いて人生を進めるのは、そういった小さなことからかも知れませんね。私自身にこのことを置き換えてみたとして、私の場合は,どのような過程を経て立ち直ってゆくのでしょうか?人それぞれに、人生の中でのナラティブ(物語)が異なっているがゆえに、目的地(立ち直り)に至るには幾つもの道があるのではないかと思った次第です。
 ところで、背景音楽に私の好きな曲が使われていたのが、とても印象に残りました。心情を写し出すのにピッタリの選曲ではないかと、私は秘かに思いました。それは、アメリカのヘビメタバンドのメタリカの曲です。今から少なくとも30年近く前の曲だと思いますが、劇団員の一体どなたが選曲されたのかと、とても興味を抱きました。

コロナ感染が多くなっている。市民劇場、例会も約半年たって開催された。関係者の皆様の努力に感謝します。
 さて、お芝居は津波被害の物語でした。印象に残ったのは、津波で亡くなった奥様と主人の夫婦愛・絆のシーンでした。死して、尚、奥さんを忘れられない夫。亡霊となった妻との会話。生きている夫が亡霊となった妻にこの世に帰って来てと、お願いするシーン。若くして亡くなった妻は、たくさんの想いがあるだろうし、また夫にも同じようにたくさんの想いもあるだろうと推察した。幻想的でもあったが、忘れられない。夫婦は「かくあるべし」。

コロナウィルスの感染が止まらない徳島県。コロナ対策をしての例会でした。皆さんしっかりとマスク姿で観劇をしておられました。お芝居は、津波にて子供を失った母親の苦悩を演じられ、自暴自棄になっている姿が痛々しいと感じました。大変見どころのあるお芝居でした。
 さて、小さい社が木の中に祭られているシーンの舞台の各種配置は左右対称に近いものでした(シンメトリー)が、そうではなく、一点消失法の配置でしたすべてのものの、延長線が、社の中心に行きます。そのような配置で舞台の奥行きを出そうとしていると思いました。ただ、向かって右の方向にバランスを取る為に多めに装置を(葉脈のような木)配置したようです。そのことにより偏りを作り左右対称形を壊しています。舞台も独特の配置で楽しく観劇できました。                 

東北の震災を忘れてはいけないと、3月11日が来るたびに思ってはいるが、その震災を体験した家族の思いは他人事のようになってきている。今回のお芝居であの時テレビを見ながら思っていた感情を思い起こさせてくれた。幽霊でも会いに来てほしい、幽霊になってでも会いたい、東北の震災で犠牲になった家族の気持ちが少しでも感じることができたと思う。最後のトランペットの音色が切なく、また希望も感じる音で心に沁みた。

お芝居の中には,日頃の生活の中で自分が行き詰まりを感じていることに,新しい視点からのサジェスチョンを与えてくれる点が多々ありますね。やはり,背中を押してくれます。
 震災の年の8月,気仙沼にボランティアに行き,今年9年ぶりに現地を再度訪れてみました。ベースキャンプとなったドライブインは廃業。当時青々としていた断崖上の松林はすべて枯れ果てていました。かぶった潮のせいでしょうか?本当に様変わりしていました。けど,そこにある遊歩道はきっちりと手入れされており(地域住民のボランティアでしょう)胸があつくなりました。日々の積み重ねによる「人間の営み」ってやはりすごい。お芝居の最後の方に,同じメッセージがあったと思います。

とても重い内容の劇でしたが、幽霊がとってもいい緩衝材になっていたように思います。それでも、胸を切られそうになる慟哭と悲しみ。それでも前を向いて生きていこうとする人間のたくましさそして時間という魔法…どんなに辛いことがあっても時間という魔法が助けてくれますね。でも、消えることはないんですよね…心の隅っこに鍵かけてしまっていても…
 それでも、生かされている人間は前を向いて歩いていくことですね。陽気に暮らすために生きているのですから…

東日本大震災については、過去の出来事として記憶の中にある…程度でした。しかし、今もPTSDや復興できずに苦しんでいる方も沢山おられると改めて感じる事ができました。
 息子さんを津波で亡くした母親の苦しみ、自分に置き換えてみると涙が止まりませんでした。
 私なら生きていけません。妻を亡くした方が幽霊の前で泣いたシーンで「泣いてほしい」と言ったところも、父として夫として張り詰めていたんだな…と思いました。
 久しぶりに舞台を見て、感動しました。

鳴門例会カーテンコール

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。