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「浄化作用」という言葉が浮かんだ。人はそれぞれ胸の中に人に言えぬ悲しみや苦しみを抱えて生きている。それが、ふとしたこと(本作品では嵐の夜)がきっかけで、堰を切ったように思いの丈をぶちまけてすっきりする。そして、そのことが互いを理解することにつながる。どんな人でも、時には聞いてほしい悲しみや苦しみがあり、それを分かってほしいと思っている。
家族の自殺(死)、ゲイ、ハゲ、デブ、ひきこもり、いじめ(加害と被害)といった重い、どうしようもない苦しいことに互いに一歩でも近づいていこうとする、多様な思考が求められた舞台だった。
■ 『今回の観劇は大変いい。みごたえがあるので楽しみにしていて下さい。』と、聞いて楽しみに当日を迎えました。後半には、どんどん劇団の方々の、特に館主役の清水明彦さんの演技、迫力に吸い込まれていきました。終わった後もしばらく余韻に浸っていました。観劇っていいですね。コロナ禍で楽しめなかった分、より満喫できました。ありがとうございました。
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正直、前半は話の流れが見えずわかりづらかったですが、後半一気に胸に響くものがあふれてきました。自分にも「あの時・・・」と思えることもあり、涙がでました。
ありがとうございました。
■ コロナ禍の中、感染防止のため、担当サークルメンバーだけでなく、会員も防止対策をよく守っていました。おかげで安心して劇が楽しめました。鳴門、徳島でも多くの映画館が閉館を迎えました。館長、映写技師、顧客、近所の人、それぞれに思いをもち、それが劇中で吐き出されました。明日への思いをぶつけるラストも感動的でした。いよいよ次の例会は私たちの出番です。がんばります。
■ 生の舞台でしか味わえない、舞台から発せられる熱量がすごかった。登場人物の苦悩、もがきながらも前を向いて歩いていこうとする姿勢にとても胸を打たれた。コロナ禍で先の見えなかった数か月前の自分の苦悩のようなものと重なって、私自身もとても前向きになれた気がした。
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私たちの学生時代は映画黄金時代だった。安い入場料で何本立てかの洋画を楽しんだ、シントミ座を思い出した。心の拠り所を失う人と自分をオーバーラップしながら舞台を楽しんだ。久しぶりの観劇のせいもあるが、やっぱり生の舞台を見る、このワクワク感は何ものにも変えがたい。決して、この灯を消してはならない。
関係者の方のコロナ感染防止への心遣いに感謝しながら、緊張した空気に異様な雰囲気でしたが、しっかり元気を頂きました。この大変な時期に例会を再開できたことに心から感謝です。ありがとうございました。
■ このお芝居の映画館のように時代の流れの中でいろんなものが消えていく・・・、そして、町が変わっていく。現実にあることで実際私たちも経験し、寂しさや悲しさを体験している。その中で人と人との交流の大切さ、人とふれあうことのできる場所があり、つながっていくことの素晴らしさを痛感した。これから、ますます高齢化が進む中、孤独であってはならない。ふれあうことで自分の思いやりや仲間の話に耳を傾け、このお芝居の人たちのように人間としてのやさしさを育んでいきたい。
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廃館間際の映画館で繰り広げられる人間模様、いじめ問題、親の介護、それぞれの恋愛事情など盛り沢山で劇の合間に程よく息子の友人太一の頭問題で笑わせてくれたり、何度も楽しめました。また、雨漏りで映画館の従業員である浜田福子が湯呑みを持ってくるタイミングは絶妙でした。また補聴器を着けてくれない父親に息子が大きな声でゆっくりと話すところはくすっと笑わされました。入口の扉も赤いキルティングのような柔らかい感じだなぁと・・・若かりし頃の記憶が蘇ってきました。大きなうさぎがとてもインパクトが強くて謎が深まるばかりでした。いじめによる同級生の死というとても重い問題につながっていくとは想像もつきませんでした。
人間、年をとると感性が鈍ってしまったのか、日々、感動するという事が残念なことに少なくなってしまっています。しかし、虹を見てきれいだね。と、素直に言える、素直に感動できるように心と感性をみがきたいと思いました。劇の最後は私の心も晴れ晴れとして、美しい虹がかかったようです。
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台風で一時はどうなることかと心配しましたが、観ることが出来て本当に良かったと思いました。役員の方は肩の荷をおろされたことでしょう。
前半少し退屈で長く感じましたが、後半で盛り上がりそれぞれ困難に直面していることが分かり、前向きに明るく生きて行こうとする姿に勇気づけられました。今の時代、皆苦しみや悩みを持って生活しています。きっと力をもらったことでしょう。
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台本を先に読んでしまっていたので、登場人物のバラエティさは分かっていたのだが、ポンポンと流れる台詞や動きに笑いながら観られた。バイセクシャルのお芝居はよくあるが、そのことがあまりしつこくなく感じる太一役の木津さんの演技。それに対応する映一役の柳橋さんのしっかりした声にお芝居が引き締まっていた。そこへ館長の均役の清水さんのひょうひょうとしたお芝居に細かいことは「まぁ、いっか」と楽しんで観ることができた。でも、最近有名人の自殺のニュースが多くて、映人の自殺の話は辛く、場面転換のBGMが映画音楽で、「ニューシネマパラダイス」を観た時の感情を思いだしながらウルウルしていた。
最後に映画館の扉を開けて光の筋に包まれる様子は未来への希望の光と思った。
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大:大きく変わろうとする地方都市の片隅で、閉鎖を余儀なくされた新星劇場
空:空しさを感じ、自分の生き方を模索する息子の映一と彼らを追っかけてきた太一。
の:のほほんと生きているようでそうではない現実があちらこちらに・・・
に:人間として生きるということはどうしてこうもうまくいかないんだ!
じ:実(際)に新星劇場を取り巻く人間模様も複雑怪奇
を:ウサギのぬいぐるみをかぶった映写技師の大野くん・・・実はいじめを止められず、悔やんでも悔やみきれない過去を持つ
を:いつも買い物帰りに映画館の前のベンチで休む佐々木さん・・・実は認知症の母の暴力に悩んでいた!
見る:見る私達にたくさんの問題を投げかけてくる今回の作品
と:特にいじめの問題でなくなった弟に関する話は最初タブーだった。弟の死の原因を追求したかったのに中途半端で終わった兄のいらだち、あの時、行くなと止めていたらと悔やむお爺ちゃん、仕事ばかりで話をきちんと聞いてやれなかった父
私の心は:私の心は苦しくなるばかり・・でも
お:驚きながらもなんだかホットした大野君と佐々木さんの純愛
ど:ドキドキのしっぱなしだった映一と太一の関係もお父さんの理解を知って関係改善
る:るんるん、と軽やかな人生なんてそうそうない。みんな心にそれぞれ重荷を背負っては青空があり、雨の後には綺麗な虹がでることも・・・。
いっぱい悩んででた答えはどんなものでも明日への一歩を踏み出すきっかけになる。
がんばれ、みんな!私も頑張っていくからね。
■ 一つ一つ重いテーマをユーモラスな劇の中で次々と絡みあわせて見事な作品になっていると思う。マイノリティーに対する温かい思いと次に踏み出す人への応援歌に思えた。温かい作品でした。
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観る前は、この時代(もっと前かな)にはよく目にする古き良き街並み(映画館などもそこには必須のもの)が消えていく哀愁が軸になる話かと思っていましたが、観終わって、やはり一番の印象は、そこではなくて親子間での、もっと普遍的には人と人が本音をさらし合う、ぶつけ合うことの難しさ、必要性などが描かれていたところにありました。クライマックスに近いところでの清水さんの、長い間の思いを吐露する長台詞はズシンズシンと心に響きました。こんな話・場面を目にするときにいつも思うのは、自分も、なかなか心の底の苦しさを表現できないことです。日常的に、小さく、こまめに爆発させることができたらどんなにラクかと思うことも…。でも、そういう私を、このような劇が励ましてくれます。みんな、大なり小なり、心の中には外に出せずに抱えている荷物がある、たまにはそれを大きな声で吐き出せばいい、きっとそばには受け止めてくれる人がいるよ、って。
2月、3月以来、社会全体が閉塞感に包まれ、経験したことがない類の苦しみに苛まれている人たちも多いであろう中、悲しみ・苦しみを共有して、そして一緒に一歩を踏み出していくことの素敵さを教えてくれた作品だと思いました。
翻り…。元々メインテーマと思っていた映画館閉館の話の方も、落ち着いて全体の構成を思い出すとき、さまざまな“ものがたり”をもつ登場人物が集う場としてはとてもふさわしいものだったのかなと感じました。なにごとにも永遠は無いので、終焉の切なさも乗り越えて人は大きくなっていくのかもしれません。
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この作品には、大きく二つのテーマが採り上げられていたと私は捉えました。先ず一つ目は、旧来から一向に問題解決に至らなく、むしろ現代での大きな社会問題ともなっている「いじめ」についてです。もう一つのテーマは、近年その存在が認知され始めた「LGBT」に関するものです。そこで、各々のテーマについて、簡潔に私の感想を述べたいと思います。
先ず、一つ目の「いじめ」に関してですが、うさぎの着ぐるみに身を挺していた男性は、その友人がイジメに遭って自死を選んだことに対して、深層心理的には一抹の自責の念を抱いているようですが、表向きはいじめに加担したわけでは無いとの主張で、いじめていないとの立場に立っているように見受けました。しかし、例え傍観者の立ち位置であったとしても、それは無言の加害者になると私は思っています。とは言え、彼もいじめを止めようとの行動に出れば、次は彼自身がいじめのターゲットになり得る可能性が大きくなるので、非常に難しい課題を内包しているとも思い、私自身にもその解決策は思い浮かびません。
もう一つの「LGBT」に関しては、最近では当事者によるカミングアウトがなされる例がチラホラと出てきて、社会的にも認知の方向へと進みつつあるのではと私は感じ取っています。ある調査によると、現在の日本でのLGBTの割合は、11人に1人の割合だそうです。と言うことは、極々身近にその存在があると認識しても良いと思います。しかし、いまだに旧態依然の考えも根強く、その進歩の足取りは牛歩の如くと言わざるを得ないのが現実でもあります。また、カミングアウトした内容が、悪意か無知によるのかは分かりませんが、アウティングされることによって、当事者が自殺等に追い込まれるような悲惨な出来事も過去には起こっています。その様な現況下では、この劇中でもゲイの彼が、カミングアウトを躊躇い、他所の街に行こうとした気持ちもよくわかります。今回の劇では、そのあたりの現状にまだまだ社会が追い付いていない混沌とした状態を的確に表現していたと思いました。
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様々な社会的問題に対する偏見やいじめなどを閉鎖する直前の田舎町の映画館を舞台に映画の効果を活かしながら(台詞や音楽など)上手に表現しているように思いました。しかも、笑いに変えて…重い話題なのによく笑いました。
しかし、昔から 村八分という言葉があるようにコロナ差別といい、いつまでたっても差別はなくならないですね。自分と違う肌の色、言葉、習慣、慣習、性、身体能力など自分と違うものを恐れ、おののき、そして排他する。自分だけが正しいと思っている人のなんと多いことか…違いを認め、理解し、楽しみ、愛することができたなら何かが少し変わるかもしれませんね。
この舞台を見て感じることも人それぞれであるように。。。。
そして、ワーズワースの虹の詩のように純粋な子供の心を持って感動や愛や自然との調和、そして平和な心で日々がすごせますように
色々な訳し方がありましたが、好きな訳を♪
空にかかった虹を見ると
私の心は高鳴るのだ
少年の頃もそうだった
大人となったいまもそうだ
年老いてもそうありたい
でなければ死をたまえ!
少年が長じて大人となる
だから私は少年の頃の
敬虔な気持を持ち続けたい
しかし、音楽の力は偉大…大好きな「ニューシネマパラダイス」が見たくなりました(笑)
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時代の流れ、世の中の変化を感じた作品でした。LGBT、少し前の時代にもいたはずです。でも隠さざるを得なかった、今でも理解しない人もいる。そしてその少し前の時代、立ち見で映画を見たこともあり。当時はレンタルビデオも大型の液晶テレビもなかった。時の流れを憂いてばかりいてもいけないのでは…。
発展とか進歩には多少それらも必要かと思う。携帯電話やメールの発達で人とのつながり方も私たちの若い頃とは違ってきている。これも時の流れかな。
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今回の公演は、「廃館間際の映画館」と「過去に囚われていた家族」の組み合わせが、とても良い緊張感を与えてくれた。登場人物が抱えていた暗い部分が、最後には、映画館の廃館とともに消えたように感じた。
また、公演と合わせて、最後のカーテンコール後に、主役を演じられた清水明彦さんが映画館のドアを閉めるところも、非常に印象的であった。カーテンコールも含めて、最後には気持ちよく感じることの出来る素敵な公演であった。
■ とある地方都市の廃館間際の映画館「新星劇場」。館主安田均、息子映一とその友人(?)菅原太一、映写技師大野守、近所の住人佐々木須美江など、そこに集まる人たちは心の中にそれぞれの重荷を抱えている。閉館の日を目前にしてお互いの思いを言葉にしてさらけ出す場面では重い空気感が漂うが、全体的にコミカルな演出が散りばめられており、重くなりすぎず楽しめる内容だった。また、「草原の輝き」、「シェルブールの雨傘」や「雨に唄えば」など懐かしい映画のタイトルが並び、古き良き映画の時代を感じさせてくれた。今回のタイトル『大空の虹を見ると私の心は躍る』は英国の詩人ワーズワースの詩「虹」の一節とのことだが、映画館「新星劇場」の閉館を境にそれぞれの重荷から解き放たれ、新たな道を歩き出す登場人物たちの向こうに大きな虹がかかるのが見えた気がした。
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コロナウィルスの感染渦・超大型の台風が迫りくる中の例会でした。2幕あり、1幕目では印象的なのはウサギのぬいぐるみです。ぬいぐるみの人、いわく「人と目を合わせられない」というのが理由でした。
振りかえって、私たちのことについて考えると、ぬいぐるみでの対応は、私たちも知らず知らずにしていることと同じと思われてなりません。ぬいぐるみであるか、仮面であるか、または自身の顔であるかを問わず、何らかの仮面をまとって対応していると思います。私たちは、すべからく、「赤裸々の自分」で人との対応をするのが本当だと思います。皆様は如何ですか?
フィナーレでの歓迎の言葉を一人ひとりが掲げたのを劇団の皆様に喜んでもらえたのが嬉しかった。
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徳島県のコロナウィルスの感染者は145名になっています。まだ、油断のできない状態が続く中での例会です。
印象的なのは、いじめで自分の命を絶った被害者である。お芝居ではいじめの状況を詳しく述べるシーンがあり迫力満点でした。社会通念的にはいじめの加害者は決して許されるべきではないと思います。法律に訴えても敗訴のケースが多い。被害者の多くはじぶんの命を絶っています。なんとも痛ましい限りです。被害者が「いじめられている」との声を聴いて上げられる社会づくりが必要ではないでしょうか。そのことはとりもなおさず、被害者と、加害者の未来を全うできる保証に他ならないと思います。
そう結論づけると私たちも無関心でいられないと思います。私たちの子供、孫、ひ孫が苦しまない世の中にする責任を感じて当然と思えます。
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一幕目は、伏線。二幕目は、怒涛の展開。観ていてちょっと疲れました。
新入会員の方は、最後、とても感激されたそうです。ワーズワースの虹の詩を暗唱したいとメールを頂きました。