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八月の人魚たち

テアトル・エコー公演

鳴門市民劇場11月例会 2020年11月29日(日) 感想集


鳴門例会カーテンコール

幹事の皆さん、担当の皆さん、会員の皆さんが互いに感染予防対策を十分にして、予定通り観劇できたことはとても良かった。我がサークル員3名は欠席で、本年度最後の公演を全員で楽しめなかったのが残念。また、1名は今回が最後の観劇。10年も観続けてくれて感謝!!印象に残った演劇は「芝浜の革財布」、「ロミオとジュリエット」だったとのこと。
 さて、今回の「八月の人魚たち」。大学の水泳部だった5人の女性が毎夏に集う。それぞれの生き方も異なるのに、よくもまあ集いが毎年続くものだと感心!!女性の友情の素晴らしさよ。最後の場面の77歳。それまで年齢以上にはつらつさが全員にみえていたのに、一人欠け4名の姿には老いが忍びよる。でも、出演の役者さん、さすが鍛えた声、身体で表現、抜群。洋物でセリフの中身が聞き取りにくく、理解し難い面もあったが・・・。

青春から老人へ苦楽を経て死に至る。人はそれぞれ与えられた道を一生懸命に生きるが、幸せであったと信じて終わりたいと思いました。

個性のある5人の同級生が、1年に1度集い、おしゃべりの中、友情が芽生え悩み事等をクリアにしてゆくお芝居だったように思う。私事ですが、やはり3人会といって1年に1.2回同級生が集まってのランチおしゃべり会ですが、年を取るごとに生きがいになっている。今日のお芝居と照らし合わせ、感慨深い楽しいひとときでした。ありがとうございました。

私には、長男の時のPTA役員をしていたママ友が5名います。もう11年は経ちますが、年に数回会っては旅行に行ったり、ランチをしたりして近況を話し合っています。子どもが学生だった時の子育ての悩み、進学、大学、卒業、就職、結婚。今は孫誕生まで、この11年は、皆それぞれの人生があったと思い出しています。劇中の彼女たちのように、これからも長く付き合えたらいいなと思いながら観ていました。

年を経るにつれて、結婚・出産・離婚・退職・転職等々、変わっていくものがある一方、変わらないものもあることに気づきました。また、友達って良いもんだとあらためて思いました。

女性ばかりの仲間たち、永遠に続くと思っていた水泳部。生き方、月の流れの中、本音で言える友が突然に変心したりしてバタバタと変化していく人間関係。家庭を持つと思うように、生き方は変えれませんが、5人の仲間たちのような生き方は理想ですね。夢であり憧れです。

同級生5人の女性の出演から演劇が始まり、人それぞれの生活の中から、生き方、今までの過ごしてきた年月、言いたい事言える友達の裏側に嘘で固めている自分を、みごと演じていました。分かりやすくて、滑稽で、現在でも身近にいるかも? 永遠に仲間でいたいけどと言いつつ離れていく、そんな5人の性格をみごとに演じていて少し笑えました。
 コロナ禍、暗い世の中、皆さん会員さんの拍手で心が明るくなり、笑顔で帰れました。

女子3人寄れば姦しい、という謂れがありますが、最初の場面は5人がそれぞれの立場で主張を繰り返すことがあり、ユーモアたっぷりの演出であった。年齢を追うごとに状況が変わっていく一人ひとりの表現が素晴らしかった。一生涯を通して、友情が確かに感じられるオシャベリが止めどなく続くところが、この劇の見どころではないかと思います。

1年に1度、大学時代の友と近況を語り合いとりとめのないオシャベリをする。その小さな幸せこそ尊い。心を開放して誰に遠慮することもなく、素の自分でいられる場所があるって素晴らしいと思う。学生時代の友情がその後1年ごとの再開で年輪を刻み、より絆を深めていく姿に自分を重ねている。つながりがずっと続いてほしいという願いがある。同じ形であり続けることは不可能で、それをしっかりと受け止めていかなければいけないということを教えてくれた気がする。
 5人の役者さんの演技力に拍手です。

テアトル・エコーのブログ「稽古場日誌」をのぞいてみて、今年、東京・恵比寿での全ての公演がコロナ禍のために延期・中止になってしまったとのこと。今年の初公演が今回の四国だったことを知りました。あらためて劇団にとっても、劇団を迎える私たち鳴門市民劇場にとっても厳しい年であったことを痛感した1年でした。
 今回の「八月の人形たち」の担当サークルであったので、いろいろな意味で感慨深い公演でした。
 劇を通じて、役者さんたちの熱い思いに触れ、最後のカーテンコールで工夫したプラカード、ポンポン振り、スタンディングオベーションは最高で感動的でした。

良かった!

11月の当番させて頂いて良かった!!
 最後のエール「ポンポン」盛り上がりましたよね。お芝居も明るくて楽しくて、自分もあのように終われたらいい、と願うばかりです。

今回の「八月の人魚たち」は、アメリカが舞台の友情物語だったので、男性にはあまり理解できないような女性の心情や友情などが面白おかしく表現されていて沢山笑わせてもらいました。劇の終わりに近づくにつれて、それぞれの人生がくるくる変わっていくのも、次はどうなるんだろう?と夢中で観てしまうくらいハマッテ見入ってました。
 とにかくキャストさんの演技が素敵でとても楽しかったです。

学生時代共に学び遊び、そこで得た友達は一生の宝になる。卒業後数年して、毎年一度同じ場所で会うって素晴らしい(特に思い出のある場所なら)。お互いどんな1年を過ごしてきたのだろうかと、ワクワクするものがある。年を重ねると、よりいっそう深まる。お互いの歩んできた人生も理解できる。実際にあるような話だと、また自分と重ねながら観た。そして、一人欠け、一人欠けしていくと・・・。
 個性豊かに演じた俳優さん達も素敵でした。

女性ばかりの舞台は随分久しぶりな気がしました。年を重ねて、離れ離れになった同級生とは、数名を除いてはたまにする同窓会でしか会うことはなく、毎年集まって親交を温め合うということは、なかなか不可能で羨ましいかぎりです。
 それぞれ個性的な人達で、欧米的で自由奔放な人が多く、私達の年代の日本人には理解しにくいところもありますが、それでも全体的には面白かったです。

さわやかな前向きのアメリカ劇といった印象。
 人それぞれ色々なアクシデントに出会うが、それを苦にせず、現実の人生を精一杯生き楽しもう、という人生観。
 何でも打ち解け合える友情、いつまでもアクティブな人生、老いても支え合える充実感等、すべて素晴らしい事であるが、少し恵まれすぎた環境設定にあり、明るすぎる青春映画の続きのようであった。キリスト教的楽観主義か?

人生楽しまなきゃ、と思いました。

女の人生も色々で、その人生の中で、どれだけ人と関わり、すばらしい「友」を得るかで未来が変わっていくような気がした。今回の5人の仲間たちがとても羨ましい。
 観劇後、私の「友」の顔が浮かんだ。幼馴染の友、学生時代の友、職場の友、社会人になってからの友、など。私には何人心から本音で付き合える友がいるだろうか?今までは定期的に連絡を取り合い、年に何回かは会っていたが、最近連絡は取れていない。さっそく、「友」に連絡をとってみよう!

「八月の人魚たち」は自分のことと重ねて楽しむことができました。この年になって十数年前から高校の同級生とよく会うようになりました。十人弱ですが、一人ひとり、みんなが色々な人生をかかえています。何を言っても聞いても受け止め支え合っています。もちろん旧称で呼び合い、何十年も経過しているのに、あの時に帰るのです。前向きに生きている同級生に元気をもらい、家路につきます。自分をさらけ出すことができる同級生は素晴らしい存在です。でも、一方で覚悟が必要なことを「八月の人魚たち」は教えてくれました。

前日の搬入の際に、劇団関係者の方から、全員PCR検査を4回受けて全て陰性でしたとの報告があり、徹底した感染予防策をされているのだと感心しました。明日は昼の例会だということで、今までとまた違った感覚がありました。
 5人の人魚たちが繰り広げる40代、50代、そして70代のストーリーは、まるで人生の縮図を見ているようでした。5人が4人になり、さびれたコテージに訪れたシーンはとても寂しく感じました。しかし、4人の人魚はまた元気に海に繰り出すのです。亡くなった友人も4人の人魚の心の中でずっと生き続けることでしょう。悲しいけど、むなしいけどそれを受け入れ、おだやかに今を楽しんで年を重ねていきたいと思いました。
 最後に片岡さんの奥さんによる演出がありました。キラキラ輝くポンポン、そしてスタンディングオベーションなど、会場一帯が一つになりとても良かったと思います。劇団の方々にも私たちの熱い思いが伝わったのではないでしょうか。そして、制作してくださった皆様に感謝します。今回のミッションは大成功!!

鳴門例会カーテンコール

前半はとりとめのないおしゃべりが続き、どうなるのかと思っていましたが、それぞれが年を重ね、余生を考えるようになると、個性や生き方がクローズアップされてきて、何か人生について考えさせられる演劇になっていました。良かったです。
 例会日の前後に、BS時代劇「赤ひげ」(山本周五郎原作)をテレビで観ていました。時代も場所も内容も全く違うのですが、両作品から、何か人間(庶民)の生き方を考えさせられました。


は はあ、最後はため息と共に終わりを迎えた。
ち 違った環境の中で生活する5人の女性が
が 合宿の延長のような集まりを繰り返す。
つ つまりは同窓会だけど、そこでわかっていく。それぞれの人生は決して平坦なものではなかった。
の のんびり感慨にふける暇もなく、年月はどんどん流れていく。
に 似ても似つかぬ5人の人生、でも、
ん ん~ん、心はいつも大学時代のあの水泳部のまんま。
ぎ 義理も人情もたっぷりあって、お互いを思いやれる5人。
ょ よく喋り、時に衝突し、そして笑顔で別れる。次の集まりを心待ちにして・・・
た ただ、最後は違っていた。5人が4人になり、宿が閉じられ、、、
ち チョッピリ、切ない幕引きとなった。
 コロナ禍の今年、毎年数回開かれていた中学同窓生の有志の集まりもなく、寂しく過ごしていました。今日の演劇を見て、同窓生のみんなに会いたい気持ちがさらに大きくなりました。

舞台はとある海辺のコテージ。大学の水泳部で同期の5人の女性、シェリー、レクシー、ダイナ、バーナデッドそしてジェリー・ニール。職業も境遇も性格も違う個性的な彼女たち(それを見事に演じきっている女優陣が素晴らしい!)が1年に一度、集い合い、再会を喜び、近況を語り合うこのコテージは、お互いの絆を確かめ合うことのできる特別な場所だったに違いありません。また、舞台で描かれた44歳、49歳、54歳という年齢は、家庭や仕事、そして健康状態などの様々な人生の転機を迎えるタイミングとして絶妙な設定だったと思います。そして、77歳・・・仲間の一人が欠けてしまい、長年慣れ親しんだコテージも取り壊されることになったとき、少し認知症の兆しが見えるバーナデッドが、近くの別のコテージを借りられると聞いて、「よかった・・・だって貴方たちのこと、好きになりそうなんだもの」とつぶやいたその言葉に思わず涙しそうになりました。きっと、彼女たちは、最後の一人になるまで海辺のコテージでのおしゃべりを楽しんでいることでしょうね。コメディでありながら、人生について、そして友情について深く考えさせられる、そんなお芝居でした。

コロナ禍での例会は、事務局の方や当番に当たった方々の心遣いが大変だと思います。観劇できることに心から感謝です。
 何年後かに、やがて我が行く道を想像しながら舞台を拝見しました。1年に1度だけでも仲良しの友人が集まり、バカンスを楽しみ、悩みを打ち明け語り合える機会のあることは心のオアシスですね。友人は、かけがえのない宝、羨ましい限りです。私だって、そんな思いにしてくれるお芝居でした。高齢になるにつれて、姿かたちだけでなく、口調も少しゆるくなったように感じました。演じることに努力されている、劇団の素晴らしさに感動しました。とても元気をもらいました。
 (蛇足)劇団からの、カンパに対するお礼状が入っていました。こんなに喜んでくださるのだったら、チャリンと音のする方より紙の方にすれば良かった。少し恥ずかしかったです。でも気持ちはしっかり受け取ってくれたのだと、心がほんわかしました。

高校時代から今も付き合いのある友達5、6人のことを思い出しながら観ていました。結構似ているな!会えば、家族のこと、娘の結婚後の悩み、それから職場の悩み!色々言い合って、直接解決はしないけれど聞いてもらえると胸のツカエが無くなる気がする。そこからまた歩き出していける!と思ってます。
 たまたま今日、中学校の友人が岐阜から柿にお菓子など色々送ってきてくれて、ああ有難いな!私のこと気にかけてくれる友達がここにもいたわ!と気づかされました!何年たっても友達って良いものですね!

観終わって直後は、5人の人生(半生)があまりにも現実離れしたものばかりであったことや、会ったときの会話の内容や言葉の応酬のありように(自分のものさしで…ですが)親しみを感じられなかったことなどから、シチュエーションは身近にありそうなものなのに、正直あまり共感が持てませんでした。でも、時間がたって、不思議と、色々な場面が、懐かしいような気持ちとともによみがえってきます。女でありながらあまり女性っぽくない自分にとっては「女性だけの世界」の会話に馴染みを感じられなかったのは事実でも、男女を問わず、特に後半は人の半生の縮図だったし、なにより「同年代(できれば同年)で、同じ風景を見てきた人」がずーっとそばにいるということの幸せ、常に自分もよく感じているその幸せを改めて知る機会だったかなと思います。年取ると(自分も)未来の話より“思い出話”の比率が高くなるものですが、そんなときに「そうそう!そうだった!!」と言葉は少なくても分かり合える、同世代・同年の人がいつも傍らにいることは、他に代えがたい宝かと。
 なお…主人公全員が「男性」の場合の芝居って書けないのかな!?そちらも興味あるな!とふと思いました。

テアトル・エコーの皆様、数回のコロナ検査をされて陰性を確認しての来鳴ありがとうございます。お芝居の中身も、私たちの日常生活の会話に近く、気兼ねのない会話に終始していました。お芝居の中では、少しの心のずれがあったもののお互いの仲間意識が強く水泳仲間のワンチームになっていると思いました。お互いに趣味・志を持つ仲間はかくありたいと思います。最後の「私の人生はとてつもなく良い人生だった」との言葉で締めくくり、この言葉に深い人生の足跡を見る思いがしました。悔いのない人生を歩みたいと切に思います。

パワフルで、とってもチャーミングな5人に出会えてよかったです。
 友情って何物にも代え難い、素敵なものだなと改めて感じました。

人生は長いようで短く、その中で一年に一度、同級生と逢い近況を語り合うなんて、なんと羨ましいことでしょう。今回のお芝居は、それぞれの人間模様が表現されていて、とても楽しく拝見しました。

「終幕後、舞台上の女優さんを泣かす」という、運営サークル当番の企画・演出は心憎いものでした! 感動でした。どうもありがとうございました。ぜひ3月にも引き継ぎたいです(^^)!
 もちろん、劇も心に滲みました。

コロナ禍が長引く状況の中、演じていただいている劇団員の皆さんの熱い思いが、同じ空間で観ている私達にも、ものすごく伝わり感動させられました。最後のスタンディングオベーションは良かったです。

テアトル・エコーの皆様、楽しいお芝居をありがとうございます。日本では女性3名で「かしまし娘」です。アメリカでも同じですね。水泳のワンチームで楽しい集まりを毎年開催していることに羨望の念を禁じえません。良い人生と思います。
 さて、話は別のこと、すなわち舞台の建屋のことです。このようにトリッキーな舞台は初めて見ました。舞台の「カモイ」を正面から見れば水平。右端から舞台を見れば、向かって左の「カモイ」は水平より下がって見える。逆に左端から向かって右の「カモイ」を見れば水平より下がって見える。見る場所で「カモイ」の角度が変わる。天井の角度が「カモイ」の見え方を変えている。気が付いた方いますか?
 下図参照。

かもい略図

今回の劇は「アメリカ南部ノースカロライナ州アウターバンクスに在るビーチコテージが舞台の女性5人のそれぞれの人生模様の物語」といった内容での現代風の物語と受け取りました。そして、今回の劇が始まるや否や、私は何だか数少ないながらも今まで観た劇とは違うぞという感覚に捕らわれました。これは、私の個人的な感覚として、私が鳴門市民劇所に参加させていただいた中で、今までとは大きくベクトルが違う極めて異質なジャンルの演劇という印象を受けたのです。そこで、先ずは、何故私がその様な異質感を持ったのかという自己分析を試みました。その結果、私なりに出した結論として、大きく二つの要因が考えられました。
 先ず一つ目の要因は、今回の演劇中の演者そのものに由来します。それは何かと申しますと、演じる方々の性と私の性が、全くの別物であるという生物学的差異でした。つまり、今回の劇で演じている五名の方々は、全てが「女性」ということです。それに反して、私自身が自認する性は「男性」という、演者と私との性差による違いです。このことが何を意味するかと言うと、とりもなおさず根本的な考え方、或る事象に対する捉え方等々、それらが少なくとも性差による影響を受けると私は考えました。もちろん、性差よりも男女の区別なく個人差や生育による影響力が大きいとの捉え方もありますが、少なくとも私自身を内省した際には、私自身の男性として物事の捉え方や考え方、つまりは男性思考での立ち位置から今回の劇を観るということになり、そのことが女性間の友情や考え方が私にとって理解し難いということに繋がり、そして冒頭の「異質感」を抱いたのではとの結論に至りました。
 次に、二つ目の要因として、今回の舞台背景によるものではないかと考えました。つまり、先ずは舞台が米国であるということ、それに加えて時代背景が、恐らく想像でしかないのですが、古き良きアメリカの時代ではないでしょうか?他方、観客である私は、国籍は日本で、純粋な日本人です。もちろん、徳島の片田舎出身という地域特性を差し引いても、日本人として生まれ育ってきた中で築かれた気質や考え方からは、米国人の気質や考え方、更には双方の文化的背景の差異なんて、米国での生活体験の無い私にとっては、全く想像できない異次元のことです。多少は映画や文学作品等々からの知識は得られたとしても、実体験の無い頭の中だけでの仮想経験では、生の実態は理解し難いものと私は考えます。こういった、生身で経験していないが故に他国の文化的背景が理解できない状況下では、劇中の各々の女性の人生を理解しようにも、その障壁は私にとっては可成り高いものでした。
 上述の二つの要因によって、「異質なジャンルの演劇」との印象を受けたのだと、私自身を現時点で納得させることとなりました。とは言え、今回の劇中で演じられた「アメリカンジョーク」的、あるいは私がよく放つ「おやじギャグ」的な場面には、ニヤリとさせられるものでもありました。私の個人的見解としては、後者の臭いを嗅ぎ取ったのですが、演出家の意図はどのどこにあるのでしょうかねぇ~?そして、そのギャグセンスから「女性ばかりで構成されたソフト路線の吉本新喜劇」と、秘かに私はカテゴライズしたのですが…。劇団員の女性の面々、不謹慎なラベリングでしたら、何卒ご容赦の程を!
 最後に、私が仮想の演出家としての立場から今回の劇をより面白くする施策として、後述のような戦略を考えました。①基本的には、原作を尊重するにして、舞台設定を米国から日本に軸足を移すことです。例えば、湘南に在るコテージなんか如何でしょうか?②人物設定を、日本人にすることで、観客がより身近な舞台背景として捉えられると思います。具体的には、同じ水泳部の部員という設定でも、卒業後の各々進路は多種多様、波乱万丈としましょうか!職種も、今回の弁護士に加え、現在の日本の女性の置かれた状況を鑑みて、専業主婦、バリキャリ女子、実業家、シングルマザー等々へと置き換えてみるのも面白いと思います。そして、舞台でのシスターは、さしずめ日本では尼さんでしょうか?これら、日本での身近な人物像にすることによって、観客はより感情移入や共感を得られやすくなると思います。
 以上、初老おっさんの戯言でした。

会場はとことん密を避ける為の工夫がなされていて、劇団員達も主催者側の寄付による5回のPCR検査をパスして來鳴された様だ。
 不要不急の言葉が躍る昨今、劇団関係者達の苦境が叫ばれている。古今東西、芸術の伝承と言う物は、各方面から多くの人達に支えられてなされる物なのだ。若き心を震わせた演劇に一歩引いた場所から関わっていける幸運に感謝している。

「8月の人魚たち」を見た。女性5人の劇か、実際、女性が5人もいたら、大変だ。口を閉じる暇無くしゃべっているよな~。と半ば呆れながら、観劇を開始。5人の会話が心地よい。自分自身の事、夫のこと、子供のこと、かつての恩師のこと、健康食品のこと、アル中、結婚、確かに、確かに、毎日毎日色々なことが起きて大変だよな~、でも事実だしなどとぼんやり考えながら、劇を見ていた。それにしても、年1回集まると言うのも、お互いの距離感を保つにはありかな、などと考える。後半、癌が見つかって打ちひしがれる友にそっとよりそう人、認知症が進行し行き場のなくなった友を自宅で面倒を見る人、温かいな~。自分にも、こんな友人いたっけ、と反省しつつ、友人の意味を改めて考えた。
 私自身、老眼を言い訳に、随分、読書から遠ざかり、安易に、居間のテレビをONしているのが情けない。特に、今年は、コロナ禍で在宅時間が延び、だらだらと時間を潰す日々が、3月から続いている。何となく見ているテレビ番組の空虚さ、つまらなさを実感するなか、観劇していると、コロナ禍で人と触れ合う機会が減ったことで忘れてしまっていた(?)感情も何故か懐かしく蘇ってくる。一体これは何なのだ、との不思議な気持ちが湧いてきた。また、こんな自分でも、例会に出席することで、気軽にこの怠惰な日常を飛び出して、色々な気付きを得られることに驚いた。

とても良かったです。絆と友情、人生について改めて考えなおすことが出来ました。

楽しませてもらいました。ありがとうございました。

鳴門例会カーテンコール

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nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
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