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南保大樹さんに
開演直前インタビュー

楽屋訪問108


 劇団文化座公演「獅子の見た夢」鳴門例会(2023年9月10日)で“丸山定夫”役をされる南保大樹さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

南保大樹さん"

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 作品についてですが、戦後78年戦争が忘れられつつある中、本作品が上演し続けられていることの意義を教えて下さい。

南保大樹(敬称略 以下南保と略) この作品は、戦前戦中の演劇人たちが、どうやって芝居をし続けたかという話なんですが、私たちにとって、実はそこが原点じゃないかと思います。
 私たちとは、劇団、新劇もそうだし、全国の演鑑連、市民劇場につながっているんじゃないかと思います。
 そして、それは戦前・戦中に国から、権力者から弾圧された演劇人たちがいて、その中で、獄中死したり、何百人と捕まったり、上演すれば特高が踏み込んできて、この台詞は言ってはダメとなり、殆どパントマイムのような芝居になってしまったりとか、赤い服を着たらアカを連想するからダメとか、馬鹿げた状態が続いていました。
 結果、国策芝居をして、実は戦争に加担したんじゃないかという戦争責任を感じている人もいたんですよね。そういった中で、「桜隊」にスポットを当てると、8月6日に広島に行って、悲劇にあって、結局、戦前・戦中の演劇人たちの怒りとかやるせなさとか、もっと芝居がしたいとか、反省も含めて、戦後に新劇が栄えたんじゃないかと思います。いろんな劇団ができて、東演もそうなんですけど、それに伴って全国で労演が始まって、演劇鑑賞団体が生まれたんじゃないかと思うんですね。そこが起点となっている。こうやって当たり前のように芝居が観られて、日常の一部にあるというのが、実は守らなければいけないことだというのが、私にとってはエネルギーになっています。

鳴門 丸山定夫を演じておられますが、どのようなお気持ちで演じられたのでしょうか。また、同じ状況に置かれたら、ご自分であればどのような行動をとるのか教えて下さい。

南保 丸山定夫を演じるにあたっては、凄く大きなプレッシャーを感じていました。やはりそれは、劇中にも出てくるんですけど、稀代の名優であって、新劇の団十郎と評価が高くて、僕はそんな役者じゃないんで、とてもかけ離れた人だなって感じです。もう一つ、僕とは役者としてのタイプが全く違うんですよね。例えば、ゴーリキの作品「どん底」という芝居があるんですが、昔から演られている作品なんですけど、その中で、丸山定夫は貧民窟のようなところにいて夢や希望を与えるおじいさん役を演じていますが、私は這い上がりたいと思っている若い泥棒役。丸山定夫は老け役が得意で、若いときから老け役をやっていて、僕は違うんです。
 こんなにも違うんだなっていうところで、初演の時には丸山定夫を相当勉強して、よし、やってやるぞと思ったんですが、丸山定夫になろうなろうと思ってたところがしっくりこなくて。
 これは違うんだからそこを一生懸命やろうとしてもこれはちょっと難しいなと思って。 じゃあ、何処で繋がれるのかなと思ったときに、芝居がやりたいというところ、そこなら彼と僕は繋がれるんじゃないかと思って、結果、丸山定夫のやりたかったこととか想いみたいなものが表現できたらよいかなと思っています。
 最後、彼は中国地方を廻りながら熱にうなされながら広島で休んでいるときに8月6日は生き延びて、宮島のお寺で八田元夫が看取って亡くなるんです。 やっぱり芝居がやりたかったんだなと思います。この環境の中で移動演劇を続けていく、その思いっていうのが、最後、獅子舞で踊るんですけど、そこに表現できたらなと思っています。獅子舞は怒りとか叫びとか喜びとかもっと生きたいとかもっと演りたいとか感じながら、丸山定夫の思いをぶつけたいなと思っています。

鳴門 この作品は戦時中自由な表現ができなくなった演劇人たちの生き様を描いていますが、この作品を通して現代のわれわれに伝えたいことを教えて下さい。

南保 先ほども言ったことなんですけど、もうひとつ、僕の中での想いがあるのは、当時、演劇だけでなく、いろんな文化、芸術が壊されていったんですね。演劇に絞れば、時の狂った権力者たち、国、全体主義の形というのは、どう考えてもあの人たちにとってファシズムの中で演劇は邪魔だったんです。必要なかったんです。それが答えだったような気がして、なぜかというと、文化芸術に影響力があるということなんですね。ファシズムに対抗するには文化芸術というものが我々に根付いていった方が、よりそこに向かわなくなるのではないか。
 そんな難しいことはさておき、普通に日常に当たり前にあるものとしてやっていかなければと思います。

鳴門 この作品に登場する演出家の八田元夫氏は劇団東演の創始者ですが、八田さんの人となりについてご存じのことがあれば教えて下さい。

南保 噂しか僕は聞いたことがなくて、その噂を伝えることしか僕はできないのです。「戦禍に生きた演劇人たち」というのが元になっていて、その本は、僕は結構好きで、面白いなと思っているんです。そこには八田元夫の資料や手記をもとにして、戦前戦中の新劇史が改めて書かれているんですけど、その本を読んだときに、八田さんという人を初めて身近に感じて、八田さんの行動を見ていると、先輩たちの顔が浮かんできて、これって何なんだろうなって不思議な体験をして、きっと何かが繋がっているんだなって改めて感じたんですね。
 あの本を読んだときによくわかったんですけど、八田さんて地味だし目立たないし、それが東演につながっていて、それは悪いことじゃなくて、地道に歩んでいくという、自分たちのやりたいことをしっかりやるという、時の何かに流されずに、派手さとか何かに惑わされずに、自分たちがしたいことをしていくことを凄く感じました。
 八田さんという人は「今そこでお前は何を思ったんだ。ちょっと動いたらわかるぞ、よしそのままだ」とよく言っていたらしいのですが、待ちながらも情熱で役者と向かい合っていたというのはよく聞きました。

鳴門 2021年「マクベス」2015年朗読劇「月光の夏」2013年「ハムレット」2004年「長江」1999年「月光の夏~晩夏~」で鳴門に5回来られていますが、鳴門の印象と今回鳴門・藍住(四国)公演で楽しみにされていることを教えてください。

南保 1999年に劇団に入っての初旅が四国で「月光の夏」の舞台版でした。旅に行けると思って浮かれたことを四国に来ると思い出します。鳴門は、その時初めて来て、渦潮があって、第九があって、そうなんだ~と思いました。そして、鳴門市文化会館のあたりをウロウロしたのを思い出します。実は、昨日渦潮を見に行ったり、徳島ラーメンを食べたりしました。渦潮を見られて良かったです。
 今日、終わってから2013年の「ハムレット」ぶりに鳴門のホテルに泊まるのですが、歩くのが好きなので、当時初めて来た時の気持ちや町の変化を感じたいなと思っています。知らない町を歩くとワクワクするので、散歩したいなと思っています。会館もチラッと見られたらいいなと思います。

鳴門 この世界(劇団東演)に入られたきっかけを教えて下さい。

南保 最初、事務所に入っていていろいろな仕事をがんばりながら仕事をとりたいなと思いながら俳優の勉強をしていました。ちょうど勉強をしていた場所に東演の先輩がいて「芝居をやりたい」と言ったら「じゃあ、うちへ来たら」と誘われたので「じゃあ、やってみようかな」という本当にささいなきっかけで東演に入りました。

鳴門 学生時代から、俳優になりたかったのですか?

南保 高校の時はスノーボードをやっていて、プロになりたくて頑張っていた時に、スキー場のポスターやパンフレット撮影に出てみないかと誘われたのでやってみたら面白くて、スノーボードの方はプロにはなかなかなれないので東京に戻って、演劇をやってみようかなと思ったのがきっかけです。

鳴門 仕事以外で好きなこと、興味があること(趣味でも)を教えて下さい。

南保 好きなのは「旅」で、芝居で行けるのは嬉しいのですが、お金と時間さえあれば、一人でどこへでも行きたいなと思っています。 それとは別に、今はまっているのは「キャンプ」です。8月に友達と一緒に行ってきたのですが、また行きたいなと思っています。この前行ったのは山梨県の「道志の森」というところで、広いし、自然があり、ちゃんとしている所です。
 さらに楽しいのは、道具とか見るのが好きで「あれいいなぁ」「これ欲しいな」と思って楽しんでいます。キャンプは、道具が必要なので大変なんですよね。

鳴門 役者として何をやりたいのか、どういう役者になりたいのか教えて下さい。

南保 それは、時と共に変わっていくというか、たぶんやることによってクリアすることによって、どんどん次が増えていっていると思うんですが「一生役者ができたらいいなぁ」と思っています。
 でも、実は難しくて、ただ役者でいることは実はすごく大変でひと握りの人しかできないと思っています。
 その中でもいろいろなことがあるかもしれませんが、一生続けられたら自分の人生は、あるひとつの満足度を得られるんじゃないかなと思い描いています。
 やりたい作品もありますし、とにかく今は目の前にあるものを演るしかないと思っています。

鳴門 どんな作品を演りたいのですか?

南保 たとえば、東演はやらないのですが「12人の怒れる男たち」のような議論芝居が好きで、ああでもないこうでもないといろいろな議論をする芝居を演ってみたいです。そのような作品を書ける人もなかなかいないですが演りたいと思っています。

鳴門 私たちのような演劇鑑賞会の活動について、考えられていることや鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。

南保 みなさんがこの日を迎えるにあたって何か月も前から準備されているのは理解しているつもりですし、それによって人数も増やしていく、それをしないとどんどん減る一方であるという鑑賞会の理念として運動していくということも理解しています。その中で実は、みなさんが観続けて下さることで演劇というものを支えて育てて下さっているんです。実感できないかもしれませんが、本当にそうなんですね。役者にとってステージがあるということはどれだけ幸せなことか、それを作って下さっているということはすごいことです。しかも、それによって役者というのは育っていくし、若い人も毎日舞台に立つとどんどん育っていくんですね。そうやって実はもう何十年も前からみなさんは演劇を広げ支え育てて下さっているんだなと思っています。許す限り、観続けていただけたら嬉しいです。何十年も前からいる会員さんは少ないかもしれませんが、僕なんかは1999年から鳴門に来ていて、役者は年齢も重ねていくし、経験も積んでいくし、いろんな役をやっていくその移り変わりも見られるのもこの市民劇場の醍醐味なんじゃないかなと思います。僕だけじゃなくていろんな劇団のいろんな人の移り変わりも楽しみながら観続けていただけたらなと思っています。

インタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。