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柴崎喜彦さんに
開演直前インタビュー

楽屋訪問112


 人形劇団プーク公演「死神・人形日本風土記」鳴門例会(2024年5月31日)で「死神」の脚本・演出と“死神”役をされる柴崎喜彦さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

柴崎喜彦さん"

鳴門市民劇場(以下鳴門と略) 数ある古典落語の中から「死神」を人形劇にした理由を教えて下さい

柴崎喜彦(敬称略 以下柴崎と略) プークでは過去に小さい作品なんですけど、落語を題材にした作品が二作品くらいあります。落語が好きな噺家的な役者が一人いて、ちっちゃい人形でそれと対話するとか、もう一個を反対の手にはめて対話するとか、そういった非常に落語の形態に近い作品だったんですね。
 プークの中で、一年に一回大人の人形劇、お芝居をつくるという時期がありまして、その中で(例会として)テーマがしっかりしていると大きな舞台にはいいんです。人形芝居と言っても演劇は大衆芸能なので、もう少し気楽に楽しめる作品があってもいいんだろうなと思いました。この作品を作った時は落語ブームになりつつあった時期でもあったので、そういった題材はいいだろうなと思い探す中で、「『死神』は面白いから是非作ってみたらどうですか」と言われまして。僕もそれを調べて、お芝居にしては比較的面白そうで、わかりやすいですし、そういった経緯でたまたま選んだということです。

鳴門 死神役で出演され、演出も担当されていますが、ご苦労したことや工夫されたことを教えて下さい

柴崎 今回はどうしようかなと作る時に様々な落語家さんの「死神」を聞いたんですよね。主人公と死神の関係って、噺家さんによって随分違うじゃないですか。。
 この作品を創るときに、僕は最初出演していないんです。違う役者の方に演っていただいたんですね。その方も随分悩まれましたけど、キーポイントになる役ですし、生きている人間とは違い血が通っていないじゃないですか。主人公に対して随分影響力のあるポジションを担っているのですが、やっていることは相手の想いをずーっと追いかけているだけ。感情が存在する人間のように、強く働きかけようというような関係じゃないような気がするんですよね、
 落語でもそうなんですけど、ずーっと一緒に関わるような血の通った関係じゃない方がいいのかなと感じます。いつも客観的に人間を見てて、時々面白おかしく、ちょっと関わっちゃおうかな、いたずらしてみようかなみたいな適当な存在かなと。あまりその人の運命に大きく関わるというよりかは、あまりそこまで深く考えていない。最終的には大きく関わるんですけど。ちょっと困っているな、じゃあ、ちょっとこうしてみようかなぐらいの関わり、僕はそんな感じでやってますね。
 そこら辺の兼ね合いみたいなところが難しいといえば難しいかなというところですかね。関わりすぎた時に、あんまり後を引きずらないように、感情をどう出すのかというところですかね。
 お芝居をするときに、人形を操作するときに、力んだりとか、力が入って熱量を込めて演じちゃうと、ちょっと血が通っちゃうんですよね。だからあまり血の通わない、お化けじゃないんで半分透き通るというか、そんなクールな感じにしないと劇団員の人から、それは生きている人間みたいだよってダメだしが出るんで、そこら辺の兼ね合いがちょっと難しいですかね。

鳴門 等身大の人形が生きているような自然の動きに毎回驚かされています。どのように操っているのでしょうか

柴崎 「死神」の前に演る「日本人形風土記」の作品で、一番最初に二人三番叟(さんばそう)を人形でやるんですけど、そちらは文楽式の人形を一人で操る八王子の車人形の方式なんですよ。他にも、いろんな人形が数多く登場してくるんですけど、それぞれ使い方は色々です。
 等身大の人形が三番叟を舞うわけですが、これが人間だと自分の身体を操作すれば舞えるんです。人形の場合、僕らはだいたい文楽と同じで、胴に串と書いて胴串(どぐし)という頭に背骨がくっついているような棒を左手で持って、頭のうなずきとかは手をこうすればいいじゃないですか(実際に人形を操る手の動きをしながら)。うなずきというのはここにカラクリがありまして、指で角度を調整するんです。これは、人形を見て操作するともう遅いんですよね。うちのベテランの役者に言わせれば、ここ(手)に脳みそがある。こっち(頭)ではなく。ここ(手)で考えてここで操作する。こっちの目は他の所を見る確認するだけのため。こっちの手を使う場合もある。もう一方の手、三番叟の場合は弓手(ゆんで)と、弓なりの棒が手にくっついている、その棒をこちらの背骨の棒に橋のようにバランスよくかけ、それを指で、こちらの手がいったりきたり、これは技術ですけど、ただ手だけこうやりながら、頭はちゃんとしっかり見るので、それは、操作しているのではなく、こっちの頭(手)が考えて、いちいちこっちの頭(手)にこうしろああしろと言わなくても、ここに至るまでが確実に10年以上かかるんです。10年たってもそこに至るか至らないかは素質にもよりますが。10年からスタートして、さらに研磨してみたいな形なので、今では、自分で考えないで、(手が)自由に勝手に考えて動いてくれるという感じですかね。だから、苦労なのは、その域にいかない人たちは、色んなことを考えながら、意識しながら、そこで遅れたり、うまくいかなかったりする。そこはやはり技術ですね。

鳴門 過去の公演で鳴門(四国)に来られていますが、その時の印象を教えて下さい

柴崎 文化庁の学校を訪れる方で結構細かく回ることが多くて、各所に素敵な所がありますよね。
 鳴門と言えば「びんび家」が印象深くて、僕は海鮮があまり得意じゃないのですが、もう衝撃的でしたね。場所で言うと僕は渓谷とか建造物が好きなのですが、鳴門は「渦潮」のあたりを歩かせてもらいましたが、徳島と言えば好きなのは「かずら橋」ですね。かずら橋に行く前に「かかしの里」、あれも全然知らなかったんですが、通った瞬間に「何これ~!」とびっくりしちゃってね。偶然だったんですけどね。あと「ひょうたん島クルーズ」も凄く感動しました。ちょうど潮が満ち始めちゃって、橋げたとの間がギリギリだけど最後だからということで行って下さったんです。迫力は凄かったですよね。徳島を楽しませてもらっています。

鳴門 この世界に入られたきっかけを教えて下さい

柴崎 20歳になるまで全く演劇も考えてなくて。小学校高学年の時に、地域の小学生を集めて観劇会というので、劇団仲間さんの「モモと時間どろぼう」を見ただけで、ずっとその後も地域には市民劇場さんも子ども劇場さんもなくて、あったかもしれませんが全然知らなくて育ったんです。
 僕自身は演劇を全くやる気がなくて、映像関係の仕事の専門学校に行ってまして、おはなしを作りたかったんです。漠然と映像の業界でそういう作品を作れたらなあぐらいです。その学校が放送を教える所と映画関係を育てる所と演劇ミュージカルという風に三つに分かれていたのですが、クラス分けしているだけで、結構みんなバラバラに授業を取ってという形でした。体験ゼミがそれぞれの所であるのですが、「人形劇ゼミ」というのが何故かその時代にあったんですよ。「人形劇ゼミ」は人気がなくて、別にみんな人形劇をやりたくない、そんなものがあるんだというくらいだったんです。でも、ゼミとして成り立たないといけないので、ゼミのアピールをするときに、子供たちの素直な反応というか、やったことがダイレクトに返ってくるというところがあったんです。子供たちはつまらないと見ない、面白かったら見るというようなところに凄く惹かれたんですね。
 やっていることがすぐその場でお客さんからちゃんと返ってくるという所に凄く惹かれたんですが、でも第二希望だったんです…(笑)。でも人がいなかったので第二希望の人間も全部そこに突っ込まれたんですが、そこでプークの元代表の川尻泰司のお弟子さんの藤原玄洋さんという方が、講師をされていて、その方が変わった方で、とにかく、人形劇を勧めてこないんです。「人形劇を媒体としてあなたたちが大人になった時に、それが役に立つことだけ教えるから」みたいな方だったんです。
 それでもやっぱり人形劇をやったり、子供たちの前でやってる中で面白くなってきたんです。なので、ちょっとやってみようかなみたいな感じでやったら、あっという間に時が経ってしまいました。
 ですから、最初は何も考えてなかったという感じです。その時は、20歳でそれからずっとです。何度も自分には合っていないんじゃないかとずっと思いながらでしたね。
 最初は役者をやるなんてとてもとてもみたいに思ってました。僕は自分でそのままだと舞台に絶対に立てないと思います。恥ずかしいので僕を見ないでくれて、でもここに人形があるので人形役者として、安心して演じられるかなというところがちょっとありますかね。

鳴門 仕事以外で好きなこと、興味ある事を教えてください

柴崎 若いときは色々やりましたけどね。今はもうあまりやらないですかね。いろんな所に行って、珍しいものを見たり、おいしい物を食べたりとかですかね。今は原点というかそこになる感じがありますね。仕事がなくなれば、落書きでもして過ごすかなあと思っています。お話を考えるのが好きなので、適当にマンガでも描いて余生を過ごせたらと思っています。今回の死神も脚本を書きましたし、今度ここでやる子どもむけの「エルマーとりゅう」も僕が脚本を書いて演出もしています。

鳴門 演劇鑑賞会の活動について、また鳴門市民劇場の会員にメッセージをお願いします

柴崎 クリアおめでとうございます。本当に大変だと凄く思います。とにかく、僕のまわりでも演劇人口がすごく減っているというか、若い子たちが演劇という存在を知らないという人が凄く増えていますよね。
 でも、やっぱり演劇は人が成長するというか、小さいお子さんや若い大人の方以外でも、そこが「心の栄養」というんですかね。それがないと心が荒んだ人間になっていくという感じがしています。それを広めて下さって活動してくださっていることが、日本の人間を救うと思うので、頑張って頂きたいし、演劇人口の裾野をどんどん広げて欲しいなと思っています。
 僕らは「場」がないと存在できないので、その場をとにかく守ってくださっている方たちには感謝しかありません。僕たちが考えられるのは、その場で面白い作品を提供することだけなので、その場さえあれば、僕たちは一生懸命面白いお芝居を届けますので是非頑張って下さい。

インタビューアー

E-mailでのお問い合わせは、         鳴門市民劇場ホームページ
nrt-geki@mc.pikara.ne.jp
まで。