■ 体と同じくらいある人形を抱えながら歩いたり、踊ったり。暗転の中で黒子が目立つことなく演じているのは、さすが劇団プークだなあと感動しました。短編集のような演目は自分の好みの人形作品に出合えるいいきっかけになり良かったです。
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・賭け事に負けているところや、死神とのかけ合いがおもしろかった。
・最後の、奥さんが死神だったところにびっくりした。
・世界中のダメな大人を集めて、ダメなエキスをぎゅっと絞ってできたのがこの主人公で、すべて「自業自得」だと思う。
・遊んでばかりじゃ、あんなことになるということを知った。少しは働いた方がいい。
・私はもう少し真面目に頑張ろうと思った。
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劇団プークは、かなり前にテレビで紹介されていたのを見て、高年齢の方の劇団かなと思っていたのですが、若い人もいて楽しくみせてもらいました。
「人形日本風土記」はきれいで楽しかった
「死神」は、あのあかんたれの主人公は最後どうなるのかな?と思っていたら、奥さんが死神だったようで、「へっ?」→「そうか」と納得しました。
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期待していたほどの感動がなかった(「オッペルと象」のような)。
人形の操りの巧みさは分かったが、「死神」は落語のおもしろさが伝わらず、「人形日本風土記」も物足りなさが残った。
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人形が生きているように動き、楽しんで観ることができました。
終演後のアフタートークも良かったです。
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「人形日本風土記」は暗黒のバックに動めく生物が美術品みたいに見え、圧倒的に美しく、プラス和楽器の音を聴くと心が弾み、遠い昔の時代にもどった。嬉しかった。
「死神」は古典落語をシナリオとされたようだが、形相のあまりの現代的顔に驚き、ピカソを感じてしまい、頭の中は処理しきれなかった。
■ とても素晴らしい例会でした。迫力があり人形自体が生きている感がありました。
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人形の動きがとても躍動的で、目がくぎづけになりました。表情もとても豊かで引き込まれました。
せっかくの機会を無駄にして死んでしまう人のおろかさを痛感させられました。
■ 「人形日本風土記」はつまらなかった。「死神」は大変面白かった。
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「人形日本風土記」は、プーク独特の「黒の劇場」と言われる照明の手法を非常に効果的に使い、幻想的で面白い舞台を楽しませてもらった。
「死神」は、人形独特の雰囲気を楽しませてくれたが、人間のサガみたいなものを真面目に描いた深刻な話になっており、落語話の楽しさが伝わってこなかった。
アフタートークは、人形の操り方などの話が聞けて楽しかった。
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日本の四季がとても上手に表現されていてとても良かったと思う。照明や舞台セットもよく考えられていて面白かった。
死神はストーリーは知っていたので、人形がどのように演じるかがとても興味があった。
アフタートークでは、劇団員の人がとても丁寧に説明してくれたので、よく人形の事が理解できてよかった。このような人形劇は、初めてだったのでまた観てみたいなと思った。
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人形と劇団員の方が一体となって人形に命を吹き込み、まるで生きているかのような錯覚さえ覚えた。とてもリズミカルな太鼓や笛はとても懐かしく日本人の奥深くに眠っている心情を思い起こしてくれたような気がする。光と影を操り漆黒の闇から人形の「頭」が突然ぬっと現れて、こういう演出の仕方もあるのかと驚かされた。「死神」では、主人公を演じる人形が左右非対称でとても印象的だった。しかし不思議なことに方向が少し変わっただけで違和感が無く様々な表情を見せてくれた。
アフタートークでは、死神の羽を付けるのにとても時間がかかったこと、三番叟の頭は木でできているので小さいけれどとても重いこと、黒い小さな箱に腰を掛けひとりで操っていたこと等、とても貴重な話を伺うことことが出来てとても良かった。小五の孫もアフタートークが始まると一番前の席に移動して熱心に劇団員さんの話を聞いていたようだ。これからも孫と一緒に観劇を楽しみたいと思う。
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「怪談牡丹燈籠」の人形の妖艶さ、迫力。「オッペルと象」の大きさ、スピード感。その延長線上にある「死神」を予想していた。
ストーリーがオーソドックスで、最期も嵌るところにハマった・・・で終幕となった。プークの人形ならではの「おち」がほしかった。
やはり、等身大の人形と役者以上に人間らしい心の機微を表現する人形を見たかった。次回に期待したい。
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1)人形日本風土記
各地方に伝わる伝承芸能を見られ、懐かしく子供の頃の思い出が蘇りました。
二人三番叟はとくに華やかな衣装、躍動的で鍛え抜かれた技術を感じさせ、すがすがしい親しみを味わった。
2)死神
「運と不器用と幸せと・・・」古典落語からの人形劇。人形制作力、使い方、舞台回しも創意工夫の跡が随所に見られ見応えがあったし、人生訓としても深いものがあった。博打と運、お金持ちと正直さ等、子供たちに自然に言い聞かせたいもの。最後主人公が死に至る場面でも、しっかり見せ場が作られ大変面白かった。
3)終演後、プーク出演者とのトークタイム
人形の使い方、文楽との違い。巧妙な舞台照明の秘策等の説明があり、深い工夫と技術習得の積み重ねが感じられ良かった。
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人形を操るキャストと人形との関係がみごとに一心同体になって素敵な演技ができていた。
日本列島の津々浦々に語り継がれてきた民話は、私たち日本人にとって輝かしい文化である。そんな思いで「人形日本風土記」と「死神」を心置きなく鑑賞できて感動している。
■ いつもプークの人形劇を楽しみに待っています。人形の動きが、人が動くよりも細かく自由自在に変化するのが楽しいです。人形劇といったら小さな人形を想像して大きな舞台では見にくいのではないかと心配した会員さんもいたようですが、思ったより人形が大きくて楽しめたと言ってくれました。
■ 二人三番叟の軽妙な動きに、まるで生きているように感じられた。
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人形劇、初めて観ましたが、 「雪女?」光と影を効果的に使い浮き出た様に見える演出が印象的でした。
「死神」もストーリーに引き込まれ面白かったです。
欲を言えば、もう少し前席で人形の表情が見えれば良かったです。
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今回は人形劇だったので、どんなかなと思っていたのですが、すっかり話の世界に引き込まれてしまいました。
特にすごいなと思ったのが、照明の使い方です。第一幕では人形遣いが見えず、人形のみ舞台にいるように見える照明に圧倒され、第二幕では、照明の当たり具合で人形の表情が違って見えたのには驚かされました(顔の作りにもよるのでしょうが)
結局終演後のアフタートークも前の方の席で食い入るように聞いてしまいました(笑)
初めての人形劇でしたが、大変満足できました。
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人形劇と侮るな! って思いました。
人形の作り方、人形の操り方、照明の使い方であんなに表情が表わせるなんて。
人が演じる以上に感情が伝わって引き込まれました。
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今回の公演は役者が演じるという従来の形式とは異なり、人形がまるで生きているかのように演目を演じており、新鮮で非常に興味深い作品でした。「人形日本風土記」ではセリフがなく、闇からパッと人形が出てくるおどろおどろしさや可愛らしい人形の楽しそうな踊りなど、人形の動きと音楽との融合が素晴らしかったです。
後半の「死神」では、お金の使い方や人生の歩み方など、主人公を通して真っ当に生きることの重要性を感じました。登場人物の洋服や動きが人形ならではであり、視覚的にも楽しむことができました。今回の演目で、前に座って鑑賞していた子供達が「こわ〜い」や「かわいそう...」など反射的に感想を呟いている姿を見て、今回のような公演形式は、内容と演出が理解しやすかったためか子供達にとって受け入れやすかったのかなと感じ、微笑ましい気持ちになりました。帰りの際に、龍の人形を持った出演者さんが玄関口でお見送りしてくださっていましたが、生物の滑らかな動きや自然な動きを演じることは一朝一タでは習得できないのだろうと、その技術力の高さを近くで見て改めて感じました。驚きの多い、視覚的にも聴覚的にも楽しい公演をありがとうございました。
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病人の寿命を知る力を授けられた男が死神を欺いて富を得るが自分の寿命がまもなく尽きることを知らされる…という少し残酷なお話でした。死神とは「生命の死を司る神」とありますが、本当にそうであるならば自分の寿命を知りたいものです。時間を大切にし無駄なく生きていけそうです。富より大切なものは命ということなのでしょうね。それも「健康な命」!!
ぜひ、死神にお会いしたいものです
■ 前回観た「オッペルと象」のスケールとはかなり違う小ぶりの作品だったので、総じての感想は「もっと前の席で観たかったなあ~」です(最後尾に近い座席でした)。プークさんの「人形を生かす」術はよく分かっているので、そしてそれは「アフタートーク」(前に移動して見せてもらえました)でも改めてよく分かったので、本編を人形の表情や細かな動きをもっと近くで観ることができたら感動もひとしおだったかと思い、ちょっと残念でした。 さて「死神」です。落語で聴いたときの印象と全く違っていました。落語では大笑いして…最後のオチでちょっとゾクっと…という感じだった記憶があるのですが、今回は、もっともっと、ニンゲンのドロドロした欲や運命などが、面白い中にも怖く突きつけられた気がして、同じ物語でも、手法(本、絵本、声で聴く落語や朗読劇、そして舞台(人が演じる?人形が演じる?)によって全く受けとるものが変わってくるのかなあと思いました(「オッペルと象」も、そんな風な感想を持ったことを思い出しました)。もちろん、プークさん独自の創り方(意図しての創り方)に依るところもあるとは思いますが…。 なので、ひとつの作品を色々な形で体験して見比べるのもいいのかなと、そんなことも思った作品でした。
■ 2階席だったので、人形の細かい動きがわからなかったのですが、人形に命を吹き込むには高い技術や心が必要で、とても難しいと感じました。人形劇にはあまり馴染みがなかったので新鮮でした。
■ 黒子の動きまでよくわかりました。 人形の動きは切れが良く、さすがだなと感心しました。
■ 知ってる話なので最後どうなるかワクワクしていました!人形も思ってたより大きく迫力満点でした!最後、ろうそくが消えて終わりかなと思ってたら一捻り有って悪魔や死神にとって人間の不幸は蜜の味で一番食べごろなのは、一番安心安堵して気を緩めた時に訪れる不幸なのかも!と思ってしまいました!
■ はじめの「人形日本風土記」綺麗でドキッとしました。 「死神」…ほんとうの事をいいますが人形劇なので暗く迫力にかけたように思いました。また、席後方の方が殆ど寝てるみたいで寝息いびきに耳をとられ集中力を欠きました(笑)。 また、落語演目と聞いていたので、涙あり笑いありの江戸落語を想像していたのですが笑いが少なかったように思いました。 人形劇でなく、演劇ならもっと劇に入っていけたのかなと…
■ 人形劇楽しかったです! 光と人形の相乗効果で視覚的にも。 もう少し近くでみたかったです。 ストーリーは、人間のアホさ加減にため息ついちゃいました。
■ 今回の公演では、古くから続いている伝統を、芝居を通して「目でみる」ことが出来た作品だと感じました。特に、昔ながらの生活や伝統、感情などの普段は目に見えないものが、人形を通じて捉えることができ、これからも是非上演し続けていただきたい作品だと思いました。また、アフタートークも非常に興味深く、人形の頭や衣装など、それぞれに工夫が施されており、次回はより近くで観劇したいと思いました。
■ 2021年9月例会『オッペルと象』から久しぶりの人形劇団プークの公演でした。今回、『死神』と『人形日本風土記』の二本立て。個性的な人形達が見せる、まるで生きているかのような動きの細やかさと躍動感に、観る者を引き込むパワーを感じました。『死神』は古典落語の名作で最後のおちがどうなるのか興味津々でしたが、朝になって消し忘れたロウソクと思って、フッと吹き消したら、それが自分の命のロウソクだったなんて・・・つくづくツイてない男の話でした。
■ 小さい頃はよく人形劇や紙芝居などが大好きでよく見てました。 大人になっても人形劇は楽しいですね。 人形浄瑠璃とかも機会があれば行きます。純粋に物語も楽しいですが、年がいくと人形使いが素晴らしいと、使い手の技術に目が行くことが増えました。 今回は椅子車を上手く使ってダンスしてるようでしたね。笑 死神も、面白かったです。人形の表情も動きも上手くて、その上セリフも吹き込んで、本当に皆さん芸達者でしたね。一人何役もこなしてすごいなと思いました。 あんなダメダメな旦那ちゃんが身内だと、笑えませんが、他人の旦那さんなので笑わせてもらいました。最後は自業自得な結末ですが、欲に抗えず、生き抜いた人生だったのかなぁと思います。みんなが良い人だと、世の中とても平和ですよね。もちろん平和が一番だとは思います。でもこんなスパイスの効いた人に魅力も感じてしまう自分も否定できないですね。古典落語ということですが、昔話やイソップ物語のようで親しみやすい内容でした。またプークさんの人形劇観たいなと思いました。
■ 今回の上演を観て私個人としては、前回の人形劇団プークの作品とは、180度毛色が変わった内容での作品との印象を受けました。 というのも、全体を通じて受けた印象は、どこに焦点を置いた作品なのか、つまりは、私にとっては今一つ掴みどころの無い作品との感覚を抱いたからなのです。 そのうえで、本作品が何を訴えたいのかと思考を巡らした結果としても、的確な押さえどころというものは見出すことはできませんでした。 そこで、先ずは単純に本作品の構成から考えてみることにしました。 私が考えるところでは、本作品は、大きく二つの内容で構成されているという事は、演劇タイトルからも明白です。ただし、私はそこに最初にイントロ的な感じで演じられた人形遣いの演出を含めると、内容の大小の違いはあるものの、三部構成と捉えました。 そこで、各々で演じられた内容について、順を追って私の感じ得たところを紹介したいと思います。 先ずは当人形劇の誘い水的ともいうべき最初に演じられた人形遣いですが、率直な感想として、舞台上での車輪の付いた椅子に腰かけた、見るからに不安定な状態で、いとも簡単に人形を操る様には畏れ入るとともに、どんなカラクリがあるんだろうとの興味の念が沸き上がってきました。ですから、そこにある見事な技術と長期にわたる努力には、敬服の念しかありませんでした。 次に、本人形劇での二つの主要な構成群のなかの一つである「人形日本風土記」について、私が最初に感じたのは「うぅ~ん …???」という感想にもならない印象です。ただし、これも別の観点から眺めると、今度は逆に「うぅ~ん ‼‼‼」と唸る結果となります。それを説明しますと、それは人形の遣い手の技術力の高さなのです。光を落とした暗闇の背景からスゥ~っと表に飛び出してきて、人形を巧みに操って、まるで生きているかのような動きを表現する遣い手の匠ともいうべき技能の高さには目を見張るものがありました。この技術力を観られただけでも、この「人形日本風土記」の価値があるのではないかと、最終的に私は魅了されたのです。 それでは、本人形劇での主体を為す「死神」について、私の感想をご紹介したいと思います。 結局、この人形劇を観終わって感じたところは「人間、欲の皮もほどほどに…」でしょうかね。つまりは、人間の欲望は限りなく、欲張れば欲張るほど際限なくその欲望は肥大化してゆきます。結局は、難しいことではあるのですが、我々凡人は「足るを知る」との境地に行き着くしかないのではとの考えに至りました。ただ、最終的に貧乏薄幸の男が「身の丈」との心情を得たのにもかかわらず、そのことで行燈のろうそくの火をもったいないと消すことで、己の寿命も尽き果ててしまうとの結末には、哀れとともに何とも皮肉なものとの感想を持ちました。とは言え、上述のように欲望には切りがありませんので、大金に縁の薄い我々庶民が人生をうまくやり抜くには、やはり「身の丈に合って程々に」が得策であるのは言うまでもありません。 それとは別に、この男がしきりに「運が無い」とぼやいていたのが印象的でした。仏教では、この世のものは全てが「縁」とのことですので、目の前の事象だけを捉えて「運」「不運」を推し量るのは早計かとも思います。私の好きな諺に「人間万事塞翁が馬」というのがあるのですが、今までの私自身の人生を振り返ってみても、正しく「塞翁が馬」と思うところは多々ありますので、目の前の事象もいろんな角度から眺めることや、時の流れとともに変遷する、つまりは「潮目が変わる」のを待つという姿勢も大事かなとも思いました。 ところで、この主人公の男がのめり込んだものが「賭博」でした。そこで、「賭博」とのワードから、私は二つの事柄を瞬時に思い浮かべました。その一つが、世間を騒がした米メジャーリーグの大谷翔平選手の元通訳であった水原一平被告の「野球賭博」です。現在では、賭博にのめりこむのは「ギャンブル依存症」というれっきとした「病気」との認識が明白となっています。ですので、治療プログラムに則った医療行為を受けるのが一般的で、この人形劇中の男も現代であれば、その治療を受けて命まで落とすこともなかったのであろうと、やや妄想にも似た思いを抱きました。 もう一つが、大阪万博の敷地跡に計画されている「日本初のカジノを含む統合型リゾート(IR)」です。この計画で先ず問題なのは、外資系カジノ業者が万博のオフィシャルパートナーに名を連ねていることと私は考えています。ですから、万博を隠れ蓑にして、カジノのためのインフラ整備が行なわれようとしているのには「はて?」との思いしか湧いてきません。そのうえ、カジノは上述の「ギャンブル依存症」とも直結していますので、その社会的な悪影響も計り知れないと思います。つまりは、「ギャンブル依存症」は、人形劇中の男に降りかかったように、「身の破滅」に繋がる憂うべき事柄と思うところです。そのような身の破滅という人の不幸の上に成り立つ経済効果云々と声高々に主張する様は、私にとっては「何をぬけしゃあしゃあと言ってるんだが?」てな感じですね。 以上のように、最初は特に掴みどころの無かった本人形劇ですが、見方を変えたり、現在の私たちの身の回りで起こっている色んな事象等々と置き換えてみたり繋ぎ合わせることで、私自身にとっては意外にも示唆に富んだ作品であったんだなと、気づかされることとなりました。
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今回の例会“死神 & 人形日本風土記”のポスターは(これまでにない)最高の出来でした!
ピカソを連想させる大胆なデフォルメの人形、その斬新さに、誰でも知っている古典落語の演目や風土記を人形劇/芝居でも、想像もしない/とんでもない解釈/演出で魅せてくれるのだろう・・。と、大きな期待/“楽しみ”を持っての観劇でした。
“死神”は、多くの噺家によって親しまれている古典落語で(話のあらすじは誰もが周知で)噺術とサゲで噺家の特徴/ウデ/人気/客層を競っていますねぇ。サゲでは“成功するが死ぬ”、“単に成功する”、“失敗するが生きている”その他、さまざまなパターンがあるので、さてどのような新しい/あっというような“サゲ”を披露してくれるのかなぁ、とも。千原(兄弟)ジュニアの噺では、無事に点火した蝋燭を持って喜びながら帰宅すると、「昼間から蝋燭をつけるなんてもったいない」と、かかぁにあっさり吹き消されるというオチをつけていたが・・。人形劇では、残念ながら期待外れの、まったく平凡な・・、で終了でした。
数年前の紅白、システィーナ礼拝堂(大塚国際美術館)でLEMONを歌った米津玄師が“死神”(謎の呪文)を歌詞に新たな表現/解釈で演じた衝撃もあっての期待たったのだが・・。
くだらねえ、いつになりゃ終わる? なんか死にてぇ気持ちで ブラブラブラ 残念、手前じゃ所在ねえ 「アジャラカモクレン テケレッツのパー」・・・・・・・ああ、どこへ行く、妻子もいるんです ああ、香り立つおしまいのフレグランス ああ、火が消える、夜明けを待たず ああ、面白くなるところだったのにぃ・・、とねぇ。
「生きようとして生きられぬ人があるように、死のうとして死ねない人もいる。人が創った道義にあてはめることの出来ない生き方もある。天によって生かされた人は、天によって殺される。そう想えば、己の生に執着しなくてすむ。名誉や恥辱、尊大や卑屈などといった生の相貌を気にかけなくてよい。」と、喝破した先人もいる。
(なにがうそで、なにがほんとの寒さかな)
“人形日本風土記”は、阿波木偶「三番叟まわし」、「男鹿のナマハゲ」などの伝統芸/圧倒的迫力に感動した身としては、とてもとても、観ていられない・・。
(・・見せましょう、見せましょう、胸を開いて、まごころを、うわべだけでは 愛せはしない、からだ流れる血潮まで・・)、という唄も。