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本日のミュージカル大変良かったです。
役者と歌手、ダンサーの3役を皆さん見事に演じていました、声量に驚き、ストーリーも良く惹きつけらました。
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素晴らしい歌声と メロディーに魅せられながら 普通の人間 いや それ以上の善人に変化していく過程が うまく表現できているなあと感動しました。
どんな環境の変化にも どんな悪人にも何の疑いも持たずに対応していく光子さんの純粋さが、光子さんはもとより、三人の囚人をも救ったのです。
優しさと力強さを感じる素晴らしい舞台でした。
観劇後、良い人と悪い人の線引きってあるのだろうか? 囚人だから悪、悪い人だから囚人?そうした定義は、自分勝手な思い込みで決めているのでは?
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皆さんとっても素敵で楽しいミュージカルでした。ピアノの生演奏で歌うと余計に迫力がありました。
特に次女の光子さんの透き通るようなソロの歌声は彼女こそ汚れをしらない天使のような存在でした。
町の巡査さんは登場するたびに笑いの渦に巻き込むような演技がとっても素敵でした。
楽しい時間をありがとうございました。
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本当に音楽と歌が良かった。
ストーリー中の出来事自体は空想なのであり得ない展開だが、 各場面での生バンドに合わせ揃った迫力のある歌声、意味のある歌詞、非常に良かったです。
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ミュージカルの楽しさや歌の力、は、きっと大勢が語り改めて言うまでもないことなので、それとは別の視点で感想を書きたいと思います。
この物語は「善と悪」を考えるきっかけに、また「信じることの強さ」を知らしめてくれたものでした。
大筋「勧善懲悪」で、いい人たち(パパと2人の娘たち)は命拾いして助かり、この後の生活も(多分)安泰、他方“悪役”をすべて背負った、引き受けた感じの父子(虎雄、始)は、息の根を止められ葬り去られる。生かしておいたらどうにもならないから死んでもらって、それも、すでに手を汚している(?)脱獄囚の手によるものなので、まあ、どうってこともないかということにもなりますが、自分が「パパと2人の娘たち」の側だったら「ああ、よかった。助けてもらって感謝する。これからは強く生きていこう」とだけ天真爛漫ストレートに思えるのかなあ~と思う自分がいました。これが勧善懲悪ものがたりの王道なので素直になればいいのでしょうけども…。また「善」にはあまり振れ幅が無いけども「悪」というのは場合によって色々な顔を見せてくれる、面白いものだなと思ったのも感想のひとつです。誰かにとって「悪」でも誰かほかの人にとっては「善」ってこともあるのか…?そして、善か悪かの判断も時間や場面によって変わっていくものなのか…?? そういう意味で、一番好きなシーンは、悪者を絵にかいたような「虎雄、始」親子が登場して悪事のすべてを、それも言うにことかいて自慢そうに話していたとき、舞台の傍らではそれまで悪ぶっていた3人の脱獄囚が光子ちゃんをゲームで遊んであげていた…。ン?まさに天使?「いいおじちゃんたちじゃん?!」と、思わず微笑んでしまいました。「よりひどい悪人」が出てきたことで、このあたりから彼らは「いいひと」になっていく…。人ってそんなところがあるよなあと、人間をとっても愛おしく思えたシーンでした。
一方、全編とおして感じ、私にはこの作品の軸と思えたのが「信じることの強さ」です。光子ちゃんが囚人たちを「いいひと」と「天使」だと信じ続け、そして言い続けることで、彼らはホントにいい人になりました。信じ続けることで他人(ひと)も変えることができるのだということを確信でき、大きな勇気をもらえた気がします。
一番つよかったのは光子ちゃん。「翼のない天使」は光子ちゃんだったと、私は、思いました。
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いつも展開を先読みしながらラストシーンを思い浮かべるのですが、今回は全く想像とは違ったものでした。
自分的に嫌なフレーズ(差別を感じるフレーズ)や表現が何ヶ所かあり、それで一気に冷めてしまいました。物語としては好みではありませんでした。
一番良かったのは、パンフレットに描かれていた「天使の絵」がとてもインパクト大で、それに引き付けられたことです。この「みつこちゃん天使」がとても可愛くて、それにも増してステージの「みつこちゃん」もめちゃくちゃ可愛くて……その天使のような可愛さが一番印象に残っています。
帰り際に「生みつこちゃん」と少しお話しが出来て、すご〜く幸せな気分で帰りました。
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ミュージカルは初めてなので楽しみにしていました。
また、いずみたくの代表作と言う事で、興味もありました。
舞台はすごい迫力で、音量も大きく、おかげで補聴器は必要ありませんでした。
この作品は人間のやさしさを取り上げた作品であり、いずみたくらしいなと思いました。
いつも社会派の劇を見る機会が多いのですが、このような作品も良いなと思いました。
ミュージカルの終盤、観客が拍手をして、舞台と客席が一体となり感動しました。付属小学校3年生100人が招待されていて、子供たちの笑い声が聞こえ、ほっこりした気持ちになりました。小学生の感想が聞きたいですね。
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ミュージカル好きの私としては、少しの期待を持って観に行きました。
しかし、少しの期待は裏切られて、もやもやした気持ちが多く残ったものになりました。
劇団四季のミュージカルが好きで何回も観てますが、それと比べると歌もダンスも物足りないと思いました。劇団四季と比べるのは、申し訳ないかもわかりませんが?
特に歌に関してが、物足りなくて、声楽を学んでいる者からすると、ダメだと言われる発声だなと思いました。
オペラではないので、声楽の発声と比べるのも違うのかもわかりませんが?
ストーリー的にも、あまり好みのようには感じませんでした。
否定的な感想ばかりで申し訳ありません。
■ ミュージカルでテンポが良く、良かったけれどもう少しバックミュージックの音量を抑えて貰えたらセリフをハッキリ聞き取れたかな?と残念でした。
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エミさんの歌声がとてもきれいで、エミさん、エミさんと言われてなんだか嬉しかったです。
実を言うと、音に乗せると歌詞が全くはいってこないタイプなので、ミュージカルはちょっと苦手なのですが、大事な部分の台詞は普通に言ってくれたので助かりました。
歌はとっても素敵でした!
(「今!今!今!」しかちゃんと聞こえてきてなくて、今なにがどうなんだっけ…えーっと…みたいなポンコツぶりですけども…)
最後のクリスマスメドレーが楽しかったです。よいプレゼントになりました。
■ 皆さん素敵な声で、さすがだなと思いました。物語も面白かったです。
■ 歌、踊り、芝居…内容すべて良かったです。楽しいのが一番。感動しました! 役者の皆さんはすごいですね。
■ ストーリーは古典的で細かい設定が分からないところもあったりしたのですが、俳優さんたちの歌声の迫力が全て上書きしていった感じです。帰り道は1人ミュージカルを車の中でやってしまいそうな感じでした。自首するところはちょっと泣けました。
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久しぶりのミュージカルで、最初は面食らいました笑。こんなだったっけな、と。
けれど、やっぱり生演奏はすごいなと思いました。ビリビリしびれますね。
話の内容や歌のテイストは、随分古いなあと感じましたが、明解で分かりやすくて、見たあと気持ちが軽く明るく前向きになる感じがいいなあと思いました。
クリスマスに見るのに、いいお芝居かも♡♡
みんなにいい事ありますように、って思えますね。
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夏に久しぶりにブロードウェイミュージカルを大阪で見て、あぁ舞台っていいなぁ!やっぱり生だわ!と、四半世紀のブランクを超えて、市民劇場に戻ってきました!
演目はあまりにも有名なオレ天!クリスマスの夜にこんな素敵な舞台を特等席(新会員席)で観ることができて本当に感激でした。
圧倒的臨場感!生まれ変わったらミュージカルスター!とまぁまぁ本気で思っている私、人生の後半がとても楽しみになりました。
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歌も踊りも芝居も素晴らしかった。人には二面があるという言葉も心に残っている。生きるということを真剣に考えさせられたが、間に笑いがもちこまれているのも良かった。
帰りに見送ってくれ、出演者の顔一人一人が見られたのも嬉しかった。
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それにしても「ミュージカル」って、こんなにも楽しくて面白いものだったとは…。いやはや、今まで「ミュージカル」ちゅうもんに縁のなかった(過去に観たのかもしれませんが、今回ほど印象深くなかったかもです?)私自身のこれまでの人生とって大きな損失だったのかも知れないと、今回の「おれたちは天使じゃない」を観て、つくづく思い知らされました。そして、この「おれたちは天使じゃない」を、どう例えればよいのか…。一言で表すなら「感動」「クール」「最高」「ブラボー」等々…、どんな形容で表現すればよいのか…、全く例えようがないほどに私自身の魂が揺さぶられる衝撃を受けたとしか言いようがありません。つまりは、今まで観てきた中で一番ともいえる最高傑作の観劇だと思ったのです。しかも、開演日が「12月24日:クリスマスイヴ」というのも何だか意味ありげで、そんなところからも私にとっての「最高のクリスマスプレゼント」と言っても過言ではないかもですね。
さて、そんなにも素晴らしい劇だったので、伝えたい感動は山ほどあるのですが、紙面の都合もあるので、甲乙つけがたい中でのその一部を私の感想として、ご紹介したいと思います。
まずは、ねじ釘の哲が言っていた「AとBの二人の人物が人の心の中に存在する」というセリフから、私は即座に「ジギルとハイド」を思い浮かべました。ただ、私自身を内省してみたところ、単純にAとBの二面性のみでは、私という人間を語り尽くすことはできないと思ったのも事実です。というのも、私自身の内面には、「二面性」どころか「多面性」の「私」が存在していることに気づくからなのです。そして、これは他人の行動や表情等の観察から読み取れるその人自身の内面を推測してみても、人は色んな顔を持ってその場の状況に応じて使い分けているんだなという考えに至るのです。つまりは、人は二面性のみならず多面性の仮面(ペルソナ)を無意識のうちにも使い分けて生きているのに他ならないと思うのです。
次に、どの役者(脱獄囚)が言ったセリフなのかは忘れてしまったのですが、私自身が考えさせられたのが「今」という言葉です。その言葉によって、私は「今」を生きることの重要性を再認識させられました。劇中でもセリフとして放たれていましたが、『「今」は過ぎ去れば「過去」になり、先を見つめれば「未来」に繋がる』というのは、とても含蓄のある言葉と私は受け取りました。ですから、「今」という「時」は、二度と出会う事の無い、とても貴重な時間なのだと、第二の人生を歩み始めた私は、改めて「時の重要性」を再認識して今後の残りの人生を歩んでゆこうと心新たにしました。
ところで、これはこの劇団ASPイッツフォーリーズの役者さん全員に言えることなのですが、各々の役者の声量と美しい歌声、そして会場を揺るがす程の迫力ある響く声には圧倒されるばかりでした。その中でも、私が特に注目したのが、脇役的な「村の巡査」の存在です。この「村の巡査」ですが、私個人の見立てでは、本劇中での隠し味的な意味合いを持っているのではないかと感じたのです。というのも、彼の何とも言えぬ味のあるセリフ回しとその声量と非常に巧みな歌声、そしてとっても味わい深い声質に魅了されたからなのです。
それでは、本劇の表の主役(?)である「光子」に視点を移してみましょう。劇中でも演じられていましたが、光子はいわゆる知恵遅れの娘として語られていました。しかし、知恵遅れであるがゆえに、偏った見方(バイアス)を持たずに、心に感じたままに相手の良い面を見出すことが出来るのだと思いました。これは逆の見方をすれば、一般的に知恵遅れでない人間であれば、下手に賢いと色んな偏向フィルター(本物と偽物が入り混じった数多くの情報)で他人を見て判断し、その人の本質を見落とすことに繋がりかねないと思ったのです。それゆえ、普通の人々には見えない「エンジェルの翼」が光子にはハッキリと見えたのだろうと思い感じました。それは取りも直さず、知恵遅れであるが故での光子の人を疑わない純真無垢な心根がもたらした神様から彼女へのプレゼントなのかも知れないと思ったのです。
さて、裏の主役(?)、もっともこちらが真の主役かも知れませんが、三人の脱獄囚(エンジェル)を語らずにして私の感想を述べ終えることは出来ませんので、最後に三人のエンジェルについて私の感じたところを、ご紹介したいと思います。劇中での彼ら三人の行動やセリフから、私は本劇タイトル中の「天使」には、「ブラックエンジェル(堕天使)」と「ホワイトエンジェル(正義の天使)」の二面性を持ち合わせていたのかもしれないと思ったのです。そこで、それら二つのエンジェルを私の個人的な見解からですが、以下のように定義してみました。それは、「ブラックエンジェル」は「他人を殺めるのに気後れしない非情な心情」を表し、「ホワイトエンジェル」は「人情に反応してブラックエンジェルの負の側面を思い止まらせて改めさせようとする心情」であると、独断と偏見ではありますが、私なりに定義しました。この私独自の定義から見てみると、全ての人間がその内面に併せ持つ「影の陰湿な悪意の塊のような部分」と「利他的で善意に満ち溢れた部分」を、これら相反するものが一個人の内に共存するということを、三人のエンジェルが巧みに演じていたように感じました。さらに、この表現方法は、他の役者でも各々の役柄で劇全体に流れるテーマの一つとして取り扱っていたのではないかと推察しました。
それらとは別に、クレオパトラ(毒蛇)に殺人を行わさせた手口は、見方によれば彼ら自身の手を汚さない結果となって、いわゆる「エンジェル」からイメージするところの「人を正しい方向へと導く道標」との面目を保つのに一役買ったのかもしれないと思いました。
ところで、人は生きていれば人生の途中で様々な局面に出くわします。それが楽しいことばかりではなく、むしろ悲しく苦しいことが次々と舞い降りてきて、苦難の連続のように感じることが私自身のこれまでの道程を振り返ってみても数多く思い出されます。そんな苦難の渦中にいるときにでも前を向いて歩いてゆくことの大切さを、このミュージカルでは劇全体を通して表現しており、そこにも私は深く感銘を受けました。それが故に、開演から閉幕までを通して、圧倒的な踊りのパフォーマンスと会場の隅々まで響き渡る美しいコーラスの歌声とが相まって、圧巻の舞台になったのではと感じました。
それに加えて、舞台右側の階段奥の存在が上演中もずっと気になっていたのですが、劇が幕を閉じようとする直前でのアナウンスから、それが生バンドの存在だったとは…。そんな種明かしから、どうりで尋常でない迫力があって臨場感がこの上なく半端ないブラスの音色が聴こえてきたことにも私は納得しました。
とまぁ、この上なく感動した会場を後にして、帰り際にふと見上げた澄み切った空気の冬の夜空に輝く星々が、いつもよりもより一層に美しく見えたのは、今回の観劇での「三人の翼の無いエンジェル(翼は光子にしか見えない)」からの「もうひとつのクリスマスプレゼント」じゃないかなと、心密かに想いを浮かべながら帰路につきました。
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「おれたちは天使じゃない」は今から35年前にも徳島市民劇場であったそうな。何度観てもおもしろいに違いないと思った。
三人の脱獄囚たちが繰り広げるミュージカルアクションコメディ、面白かった。神父になりすます脱獄囚たちを中心に元気いっぱいの歌と踊りも素晴らしく舞台に引き込まれていった。
三人が父、娘を助けたシーン、優しくておもしろい警官との交流。不思議な魅力ある舞台でした。ステージいっぱいの迫力に圧倒されました。地元の小学生たちも楽しんでいる様子で年齢に関係なく楽しめて沢山の元気をいただきました。ありがとうございました。
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人は、A面、B面、表、裏、様々な感情を持ち合わせながら生きている。脱獄囚が心中しようとする親子を助けたのは、人としてのいい面「A面」が表れていたという事か。そして、脱獄囚を微塵も疑うことなく「天使」だと思い込んでしまった光子は両A面の清い心を持った女の子だった。事前にワークショップで「翼のない天使」を歌って予め予習をしたが、光子の歌うその歌は同じ歌なのかと耳を疑うほど素晴らしく「天使の歌声」のようだった。警察官役の町屋さんは、「アルジャーノンに花束を」で以前来鳴されている。まさかのなまり言葉の警察官役で会場を湧かせ、意中の人に告白する指南を受けだんだんカッコよくみえるように変わっていったところが、とても面白かった。今、今、今と力強く足ふみをしながら歌うシーンは圧巻で気持ちが揺さぶられた。
過去でも未来でもない。私達は今を生きているのだと思った。本当に素晴らしい舞台だった。
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生演奏と歌声の迫力に圧倒されました。
“生きる”という事の大切さを幅広い年代に分かりやすくミュージカルで訴えかけていた様に思いました。
おまわりさん、アルジャーノン以来で東北弁も素晴らしかったです。
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五十年前の作品と伺いました。法律を犯した方々ですが、人間同志としてお付き合いができ、話ができ、「人間でいいな」と感じられました。
ミュージカルは初めてなのですが、演奏や出演者の方々の声が素晴らしかった。客席と一体になり素晴らしかったです。ファンになりました。
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耳と眼から歌声としぐさを吸い込んで、楽しい気持ちになりました。即ちミュージカルの澄んだ声が美しく親しみ深くとても心地よかった。天使と呼ばれる妹さんの根っこはどこから来たのだろう?と考えましたよ。
世の中には素晴らしい環境や自然の景気があるはず、ありのままをそのまま受け入れてあげましょうね。囚人と書いてみてびっくりしました。人がとじこめられたらば囚人になるのかしら・・・??3人の囚人さんは手が早いだけ、だがそれは親しむべきでは決してない。あー、どうしてなの?育て方なの?光る君は何だかんだと決まりの多い中で育てられ、色々な型の人がおられる・・・。即ち対処の仕方によって変わるんだ。
考察も必要だった立派なミュージカルを楽しんで心暖かく帰ったものです。
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初めてのミュージカルということで楽しみにしていたが、観客席はとても、とても寒くて、寒さに身体の機能/神経がおかしくなったのか、まさかの眠気/居眠りに襲われた序盤(まさに眠たい話?)でした。
フォーリーズ(follies)とは“こっけいな寸劇を主にした、風刺劇またはレビュー(follyは愚かなこと、愚劣、愚かさ、愚行)”ということらしいけれど(否定的意味合いはなくて、「道楽・歓喜」のニュアンスだったらしいが)、感じられた/隠されたテーマは重苦しいものとの印象だった。
筋立て自体は“知的障害の少女と、その少女に心を洗われる脱獄囚たち、かれらに救われた一家の人生ドラマ”ということで、近くで見る舞台の“踊りと歌の響き”、“生バンドの生演奏”その迫力に、ただ単純に引きこまれてしまうのか、会場が手拍子でいっぱいになっていた。
岸洋子(“魅せる越路、聴かせる岸”のシャンソン歌手)が、フランク永井(ジャズテイスト溢れるムード歌謡の)が、そして尾崎紀世彦(ダイナミックな歌唱力でカントリー&ウェスタンを歌うポップ歌手)がしっとりと歌い上げた“あの歌”がいずみたくのものだったとは・・。そしてこのような迫力(しかも大人数で)で、足踏みとともに謳い上げるのを聴かされるとは・・、なんともムード/情緒もないというのが印象で、これがミュージカルというものなのか、ステージいっぱいの迫力に圧倒されるばかりで、感動が沸いてこなく/拍手もできないで・・。
「あの人が教えてくれたの 人生を歩んで行くとき いつもは忘れていることだけど なによりも大事なこと それはあなたもわたしも今、生きていること・・、」と岸が歌いあげたあの曲が・・。
終演近くの役者の「今…今…今…」とだんだん力強くなる足踏み音とともに、会場の人の手拍子が一つになり、会場全体が盛り上がっていったのが、まさにエンタメでミュージカル・・?
“俺たちは天使じゃない”は、何年か前のBSで観た“刑務所の脱獄に成功した男たちが、国境を越えるために神父の身分を偽ったことがきっかけで、本物の神父だと間違われ教会へ・・”との四半世紀前の映画を元にした現代版/日本版のミュージカルなのかなあ、と思っていたのだが・・、もっと前、私が生まれて間もない頃の方をなぞって、日本版/ミュージカル版にしたものでしたね。
3/4世紀前の映画では“エンジェル・ヘイロゥ(光輪)”が脱獄囚3人とアドルフ(毒蛇)に現れてエンディングとなっていたのだが、このミュージカル版では3人にだけ(毒蛇のクレオパトラは無視?)光輪ではなくて“天使の羽(ウイング)”が・・。(光輪は、舞台の中盤頃にフラフープで象徴されていたような気もしたが・・)。これは、舞台で何度か歌われ、光子の独唱もあったテーマ音楽の(なのか)“翼のない天使”に因んでのことなのか。いや、でも“本当の天使は、知的障害(それゆえ純真無垢な?)の少女/光子なのだ”とでも言いたいのかなぁ・・。
ここにも、起こる騒動をハートウォーミングに描くコメディタッチの要素もあるが、本当は“重いテーマ”なのだとの片鱗が見え隠れしているような・・。(素直でなく、斜に構えすぎか・・)
父との“心中”からこの3人に助けられた時の、彼女の「本当は天国に行くの、怖かった」のセリフには胸を締め付けられ、ここにも片鱗が・・。
また、画商の父(明?)と知的障害娘(光子)の生い立ち/筋立てが、 松山ケンイチの“ロストケア(訪問介護サービスに従事する青年が高齢者40人以上を殺害した、という設定の映画)”の原点となった生い立ちに重なる。など、シリアスな意匠が施された本当に重いテーマを隠し/秘めている気がしてしまう。
一方で、原作は外国のものだが、深みのある“完全な日本もの”として消化/昇華された舞台演出となっているのも印象的だった。この点では、アガサクリスティー原作の“オリエント急行殺人事件”が野村萬斎の日本版で映像化されたものとは、似て非なるもののような気がする。
「“夜叉の下に仏が宿ることはめったにない”とは言い切れないだろう。夜叉も仏も同じ人の心に潜んでいて、どちらが勝るかは誰にも・・、本人ですらわからない。“ときに弥勒、ときに夜叉”、弥勒にも夜叉にもなれるのが人という生き物。いや、人は仏と鬼との真ん中にいる。それはまた、仏でも鬼でもなく、仏にも鬼にもなれず、人は人としてこの世に生きねばならないということなのかもしれない・・」と喝破してるのですよねぇ。
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今回、初めて「アナウンス」という大役を経験しました。小学校では、校内放送や運動会の放送係などは経験していますが、たくさんの人の前に立ち、注目された状況で話すということがなかったので、とても緊張しました。明るく、はっきりと、間の取り方や早口にならないようになど、気を付けました。アナウンスをしたことにより、いろいろな人に話しかけていただき、「人とのかかわり」を学ばせていただきました。
ミュージカルは、ストーリー、歌、ダンス、生演奏ともすばらしかったです。私は、金管クラブでドラムを担当しているのですが、リズムの正確さがすばらしく、とてもあこがれました。
前の席で観ることができて、迫力を感じました。もう一度見てみたい作品です。
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まず、客席と一体感になることができるミュージカルは、やっぱりいいなあと改めて思いました。一つの作品を心ひとつにして、みんなで作り上げていくこと。4人での生演奏、歌、ダンス、掛け合いなど、みんなが全てを理解していなければできないことです。一人一人の努力はもとより、全員で合わせる大変さ。一人一人の表現は違うが、それをまとめる、でも一人一人の個性が際立っている。すべてが素晴らしかったです。そして、音楽にのせての歌詞が心にささりました。「今を生きる大切さ」を感じ、人生いろいろあるけれど、自分らしく生きていこうと思いました。
今回、2回観劇出来て幸せでした。
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「ワー楽しかった」「分かりやすかった」
「勧善懲悪」の水戸黄門と同じだ。
車に乗った途端、いつもの演劇感想交流会が始まる。
しゃべる、しゃべる。いつもより言葉が軽い。
こんな舞台が続いたらいいのに。
いいお正月が迎えられそう。様々です。
にぎやかな帰りのドライブ。
2025年もサークル全員続けて、鑑賞することになった。
めでたし、めでたし
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おれたちというのは、「ネジ釘の哲」「泉の三太」「キャンパスの助六」と呼ばれる三人の脱獄囚のこと。大抵の演劇では人殺しを主人公に据えた物語は作らない。しかし、今回の演劇ではこの三人が主人公。最初の場面からは想像もつかないが、この三人がどうやって主人公にふさわしくなっていくのか、それはそれで楽しみではあった。
呆気にとられた最初の脱獄の場面から、今度は一転、無理心中を謀る親子の場面が舞台上の中央スクリーンに透けて見えてくる。そこにたまたま出くわしたのが例の三人の脱獄囚。二人を助けた後、二人が意識を取り戻すまでの間に、父親の残した遺書を読む。それによると、父親の明が借金を苦に、知的障害のある末娘の光子を道連れにした無理心中だったことを知る。タイミング良く、彼ら三人が囚人服からその家にあった服で着替えを済ませたあとに、二人が意識を取り戻す。
はらはらドキドキ。偶然とは言え、助けたのは、本来ならば人殺しの罪で収監されているはずの凶悪犯達。助けられた親子はそんなことを知る由もない。
天真爛漫で明るい娘の光子が、なぜか、脱獄犯の三人を天使だと思い込む。彼女の言動に振り回されながらも、脱獄犯達の荒んだ心が少しずつ緩んで和んでいくのが面白い。途中で買い物から帰って来た上の娘のエミと話すうち、「キャンパスの助六」などは、彼女に対する淡い恋心まで感じてしまう。
使えない奴、時代劇なら「悪よのう!」と言われる典型のような奴らがそこにやって来る。今回の明たち親子の自殺の原因を作った明の従兄弟の黒川と、その息子でエミの婚約者の始である。
じゃ悪な二人の父子には脱獄犯の三人もむかついたようだ。以前なら、黒川親子が明達家族にした阿漕なことも、「知ったことか、俺たちには関係ない!」と知らぬ振りを決めつけただろうが、たった一晩、一緒に過ごす中で、そうはいかなくなっていた。体良く、「キャンパスの助六」の持つ毒蛇の手にかかり、二人ともあっけなく死んでしまう。
なかでも面白かったのは駐在の巡査と脱獄犯達とのやり取り。今と違って脱獄囚達の顔写真がすぐには手に入らない時代の巡査とのやり取りが笑える。特に、巡査がエミを好いている事を知った「キャンパスの助六」が、自分も好きなくせに、それを隠して彼を励まして歌うところがいい。先に歌う助六に後追いで歌う巡査のあの場面が最高だった。巡査と脱獄犯だなんて思えない。完璧に友達関係、いえ、それ以上?とにかく二人が二人して歌がウマい!大笑いしながらの大拍手を送った。
いま、今、今、と畳みかけて歌うあの力強い歌声。「今、私は生きる!」と強く強く歌われていた。「今、また生きる」とも、、、。歌声を聞きながら、私自身も、今を大事に生きていきたいと思わされた。前には戻れないけれど、今、この瞬間瞬間を大切に生きていかなければならないと強く思わせてくれた。そして、それぞれの幕の終わりに歌われたあの「翼のない天使」の歌声。心にグッと染みた。「ありがとう、天使たち!」
■ 久しぶりに演劇を観ました。私は高校生のとき、演劇部に入っていたので、演劇は好きでしたが、なかなかプロの舞台を観る機会がありませんでした。今回は久しぶりに『俺たちは天使じゃない』を観て感動しました。生の舞台はすばらしいと思いました。今回は母のプレゼントで観たけれど、次からは、自分の力で会費を払って鳴門市民劇場の会員になろうと決めました!皆様どうぞよろしくお願いします。
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借金苦による自殺という場面、脱獄囚の殺人犯、お金に汚い友人という名を借りた詐欺師のような男と息子、東北弁の陽気で気のいい駐在さん、心の綺麗な知的障害のある娘、しっかりしなきゃという長女。様々な人間が織りなす人間模様が面白かったです。
こわいはずの脱獄囚の3人もピュアな心の光子ちゃんに毒気を抜かれ、心の奥底にあった人間らしい感情を取り戻していく。
人の対応は、自身のかかわり方によって変わってくるものですよね。笑顔には笑顔が帰ってくることが多いし、気持ちのいい挨拶は人を気持ちよくさせるものですものね。光子ちゃんのようにはなれなくても、日々、気持ちよい時間をお互いに過ごせるように笑顔と明るい声を保とう!と思わされた劇でした。
笑いあり、楽しい時間を過ごせました。楽しいミュージカルをありがとうございました。
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3人の殺人犯が繰り広げるストーリーということで興味が増してきました。また、担当サークルでもあったので、より身近にかんじられたように思います。
3人の脱獄囚も個々の個性や経歴が分かるセリフがちりばめられていて、コミカルなやり取りの中に悪人なのに他者を思いやる心も垣間見え、いい人と悪い人は紙一重、考えさせられるところもありました。
もちろんのこと、劇中歌も心に響いてきました。息遣いが感じられる前のほうの席で、迫力もあり更に感動しました。演者の方々の視線を感じ、勘違いでも楽しさがます思いでした。帰りの車の中で、連れも視線を感じて恥ずかしくて目を合わせないようにしていたと、初々しい感想を言ってくれて2人で劇について話しながら帰りました。
■ とある大晦日の雪深い山荘に身をかくそうと忍び込んだ3人の脱獄囚「ねじ釘の哲」「泉の三太」「キャンパスの助六」。3人はそこで首を吊って心中しようとする父娘(大塚明と次女の光子)を心ならずも助け、意識の戻った光子は3人を天使だと思い込み・・・。ストーリー自体は比較的シンプルだが、コロスの役どころも含めて全体的にコミカルな雰囲気で、大人から子供まで楽しめる舞台だったと思う。明を騙し心中を図る原因を作った黒川とその息子の始を3人が毒ヘビ(クレオパトラ)に噛ませて殺害する場面さえも、暗さや重さを感じさせないユーモラスな演出だった。登場人物たちは3人の脱獄囚はもちろん、若い巡査など皆個性的でそれぞれの曲と共に深く印象に残ったが、中でも光子の個性が際立っていたのは間違いない。そんな光子の純粋さゆえに巻き込まれてゆく3人の様子を観ていて、自分自身が作品に引き込まれてゆく感じがした。「翼のない天使」の歌唱も光子らしくてとても良かった。光子と対照的にエミは、父親の借金、家族の心中未遂、脱獄囚の家宅侵入、そして、婚約者の始からの別れの言葉と不幸のオンパレードのような一日で失意のどん底に。そんなエミに助六が「ある人が教えてくれた。人生を歩んでゆくとき、いつもは忘れていることだけど、何より大事なこと。それは、あなたも私も生きていること」と「今、今、今」を歌い上げた後、少しの静寂を経て、エミを鼓舞するかのように足踏みの音が鳴り響く中、エミが立ち上がり歌い、やがて皆で歌い上げる「今、今、今」は生きるちからに溢れ、感動的で思わず涙ぐんでしまった。演奏が生演奏だったのも驚きだった。何度でも観たくなる素晴らしい作品だと思う。
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2023年11月例会以降、1年ぶりのミュージカル作品ということで、わたしも子どもたちもとても楽しみにしていました。
ホールに入った瞬間に出迎えてくれた大きなツリー。クリスマス公演ということもあって、ムード満点の会場に、期待は高まるばかり。
今回は下手寄りからの観劇でしたが、ナナメから観ていることを忘れさせてくれるようなパワフルな舞台でした。(舞台は正面から見たい派なので・・・)
特にわたしの感性を刺激したのが、役者さんたちの『声』です。こども時代にアニメ好きだったこともあり、『いい声』には人一倍敏感なわたし。
「おれ天」のキャストのみなさんは、どなたもとても素敵な声をされていて、耳が大興奮の2時間でした。
また、クリスマスソングの特別ステージもとても素晴らしく、こどもたちも手拍子をして楽しんでいました。
幸せなクリスマスの一夜を家族で過ごせました。